第6章:女王様の命令
「きょ、共犯者って……いったい……?」
俺の声は、自分でも情けないくらいに震えていた。
だって、そうだろ?
さっきまで学園のアイドルだと思っていた女子が、実はとんでもない秘密を抱えていて、その秘密を偶然知ってしまった俺に、「共犯者になれ」とか言ってくるんだぞ?
普通の男子高校生が、平常心でいられるわけがない。
俺の脳内辞書で「共犯者」を検索すると、出てくるのは「犯罪を共同して実行する者」みたいな、ろくでもない意味ばかりだ。
美月さんは、俺の混乱ぶりを心底楽しんでいるかのように、くすくすと喉を鳴らして笑っている。
その笑顔は、さっきまでの「本物の笑顔」とはまた少し違う。
もっと小悪魔的で、こちらの反応を試すような、そんな含みのある笑みだ。
「うふふ、そんなに怯えなくても大丈夫よ。田中くん」
「え、なんで俺の名前を……?」
「あなた田中優人くんでしょ? クラスメイトの名前くらい覚えているわよ」
美月さんは、悪戯っぽくウインクしてみせる。
その仕草一つ一つが、いちいち俺の心臓に悪い。
可愛いけど、怖い。
怖いけど、可愛い。
感情がジェットコースターだ。
「で、その……共犯者っていうのは、具体的に何を……?」
俺は恐る恐る尋ねる。
もう、まな板の上の鯉状態だ。
彼女が何を言い出すのか、固唾を飲んで見守るしかない。
「簡単よ」
美月さんは、まるで子供に言い聞かせるように、ゆっくりと、しかし有無を言わせぬ口調で言った。
「私の、『実験』に付き合ってもらうだけ」
「じ、実験……?」
また新しい不穏なワードが出てきた!
実験って何だ?
まさか俺、カエルみたいに解剖されたりするのか?
それとも、怪しげな薬でも飲まされるとか?
俺の顔は、みるみるうちに青ざめていったに違いない。
そんな俺の不安をよそに、美月さんはニコリと微笑むと、おもむろに俺の胸元に手を伸ばしてきた。
そして――俺のネクタイを、クイッと掴んだ。
「ひっ!?」
思わず変な声が出た。
ネクタイを掴まれ、グイッと顔を引き寄せられる。
さっきよりもさらに近い距離に、彼女の顔。
もう、お互いの鼻先が触れ合いそうなくらいだ。
シャンプーと、ほんのり甘い汗の匂いが混ざったような、クラクラするような香りが、俺の思考を麻痺させる。
「嫌だと言っても、無駄、だから……」
美月さんの声は、吐息まじりの囁きに変わっていた。
「あなたに、拒否権なんてないのよ、田中くん。……分かってるわよね?」
その瞳は、獲物を捕らえた蛇のように、俺を絡め取る。
ああ、もうダメだ。
この人に逆らったら、俺、本当に社会的に抹殺されるかもしれない。
俺が絶望的な気分でこくこくと頷くと、美月さんは満足そうに目を細めた。
そして、さらに顔を近づけ、俺の耳元に唇を寄せた。
「それじゃあ、最初の『お願い』よ」
ゾクッ、と鳥肌が立つ。
耳に直接吹き込まれる、彼女の甘い息。
「明日の昼休み、図書館の奥にある、個人ブース。そこで待ってるわ」
「と、図書館……?」
「そう。……もし、来なかったら」
美月さんの声のトーンが、一瞬だけ、ゾッとするほど低くなった。
「私があなたに襲われたって、学園中に言いふらしてあげるから。もちろん面白おかしく脚色してね♡」
「そ、それって、完全に冤罪じゃないですかぁっ!!」
俺は、思わず魂の叫びを上げていた。
俺はただ、偶然通りかかっただけなのに!
しかも、面白おかしく脚色って何だよ!
「あら、冤罪かどうかを決めるのは、私じゃなくて周りの人たちよ? あなたと私、どっちの言うことをみんなが信じると思う?」
美月さんは、くすくす笑いながら、残酷な真実を突きつけてくる。
ぐうの音も出ない。
学園のアイドルで優等生の白鳥美月さんと、日陰者の陰キャ田中優人。
どっちの証言に信憑性があるかなんて、考えるまでもない。
俺が百パーセント悪者にされて、社会的に抹殺される未来しか見えない。
なんて卑劣な!
なんて狡猾な!
でも、それが彼女のやり方なんだろう。
「……分かったでしょ?」
美月さんは、俺のネクタイを掴んだまま、顔を離してにっこりと微笑む。
その笑顔は、天使のように愛らしいのに、言っていることは悪魔そのものだ。
「……は、はい。行きます。行かせていただきます……」
俺は、もはや抵抗する気力もなく、力なく頷いた。
こうして、俺と美月さんの、歪で危険な「共犯関係」が、強制的に結ばれてしまったのだった。
「よろしい」
美月さんは満足そうに頷くと、ようやく俺のネクタイを解放した。
俺は、ふらつきそうになるのを必死にこらえる。
「じゃあ、帰りましょうか。もうすっかり暗くなってしまったわ」
何事もなかったかのように、彼女はそう言って、教室のドアに手をかける。
その切り替えの早さ、さすがとしか言いようがない。
俺たちは、薄暗い旧校舎の廊下を並んで歩く。
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った校舎に、俺たちの足音だけが響いていた。
美月さんは、時折鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌な様子だが、俺の心は鉛のように重い。
(俺の平穏な日常は、どこへ行ってしまったんだ……)
そんなことを考えているうちに、昇降口に着いた。
下駄箱から自分の靴を取り出しながら、俺はチラリと美月さんの横顔を盗み見る。
夕焼けの残光が差し込む窓辺に立つ彼女は、やっぱりどこからどう見ても完璧な美少女で。
さっきまでの出来事が、まるで悪夢だったんじゃないかと錯覚しそうになる。
でも、耳に残るあの脅迫めいた囁きと、これから始まるであろう「実験」とやらのことを思うと、これが紛れもない現実なんだと、改めて思い知らされるのだった。
ああ、明日からの俺の学園生活、一体どうなっちまうんだ……?
一抹の不安と、ほんの少しの……いや、気のせいだ。気のせい。
俺は、どんよりとしたため息を、誰にも聞こえないように、そっと吐き出した。