第2話② その男、勇者にあらず――商人である
怒りの声が空間に残響を残す中――
ユーリは、後頭部をさすりながら、のそのそと起き上がった。
(……まさか、今の一撃で普通に起き上がるなんて)
リーゼロッテは目を見開く。
(あれ、以前わたくしが騎士団の訓練に混じって撃ったとき、
被害が甚大すぎて「今後は木剣にしてください」って通達が出た“アレ”ですわよ!?)
目の前の男は、そんな一撃を喰らったというのに、
寝起きのように体を起こし、のんびりと首を鳴らしている。
(腐っても……勇者、ということですのね)
「いててて……あの、すみません。勇者の自覚とか言われても……」
「……言われても?」
「いや、だって……俺、勇者じゃなくて――商人なんですけど……?」
──その瞬間、召喚の間に冷気が満ちた。
「………………はい?」
「…………商人、って……どういうことですの……?」
リーゼロッテの指先がピクリと震え、セリーヌの笑顔が凍りつく。
静寂の中、コクヨウの毛がぶわっと逆立った。
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃっ!?!?
ご、ご主人様、今なんて言ったニャ!?」
「え? いや、だから……俺のクラス、商人だよ」
ユーリは頬をかきながら、申し訳なさそうに答えた。
(……婚約者、商人だったんですの!? え、ちょっと待ってくださいまし……)
星霊様の言っていた“厄災”って、魔王じゃなくて――
まさか、財政難のことだったり……?
商人ってことは、資産家とか、超お金持ちとか――
そうですのね? ええ、きっとそうですのよね……?
(なにこの縁談……まさか、異世界の持参金狙いだったってことですの!?)
ええ、どうせうちの王家は、先代の遺産を食いつぶして生き延びている家系ですわ……
「だって……クラス選択のウィンドウが出たとき、てっきり“ハーレムキングダム”の夢だと思ってさ。
“勇者も飽きてたし、内政の方が面白いし”って思って、つい商人にしちゃったんだよ……」
「うわああああああああああああ!?!? 何考えてるニャァァァァァ!!」
黒猫コクヨウの絶叫が、召喚の間に響き渡った。
次の瞬間、彼の毛並みがぶわっと逆立ち、みるみるうちに身体が膨れ上がっていく。
(……あら?)
目の前で、もともと小柄だった黒猫の体が――
ぴょこりと立った耳も、ふさふさのしっぽも、どんどん大きく、大きく。
(えっ、えっ……なにこれ……ちょっと、すごく……)
最終的に、自分の身体の2倍はありそうな巨大モフモフ黒猫がそこにいた。
(……か、可愛い……っ!?)
その毛並みは絹糸のように艶やかで、思わず頬をうずめたくなるふわふわさ。
さっきまで怒っていたはずなのに、視界に広がるモフモフの暴力に、リーゼロッテの脳が一瞬ふにゃふにゃに溶けかけた。
(ま、まずいですわ……これは、ちょっと……好きなやつ……っ)
……しかし。
次の瞬間、そのモフモフは――爆発した。
ふわっふわの巨大な前足が、問答無用で振り下ろされる。
「ぐぼぉっ!?」
完全に油断していたユーリが、もっちりとした肉球に押しつぶされた。
ぺしゃんこの状態でピクピクと痙攣しているその様子を見ながら――
(……ええと、その……)
リーゼロッテはしばし言葉を失った。
可愛い。
でも怖い。
怖いけど、やっぱりモフモフは正義。
(……いや、違いますわ。わたくし、何を真顔で思ってますの……!?)
「よりにもよって、召喚されて早々に選んだのが、“戦士”でも“魔術師”でもなくて――商人ニャ!?
ゲーム感覚で内政プレイに憧れてたニャ!? バカなのニャァァァ!! 普通は“勇者”を選ぶニャ!」
下敷きになったユーリが、ぺちゃんこになりながらか細い声を上げる。
「えぇー!? だってさ! 俺のステータス、戦闘に向いてないし、
お金で国を発展させる方が……よ、よくな――ぶぎゅっ!? ぐ、ぐるじぃ……っ!!」
「こっちは命がけで召喚したのにニャ! 勇者、飽きたから内政したいって……どういう思考ニャァァァ!!」
その言葉に、リーゼロッテの目元がピクッと引きつる。
(……本当に、この人がわたくしの旦那様になるんですの……?)
ぐるぐると混乱する思考に、胸のあたりがざわつく。
(いやいや、まさか。そんな、そんなはず……でも……)
星霊様の声が、遠い記憶の奥でよみがえった。
(“運命の導き”――あれ、信じるしかないんですの……?)
「……もうダメだニャ……ご主人様、何にも分かってないニャ……」
(ちょ、ちょっと待ってくださいまし……話が、情報が、脳に追いつきませんわっ)
リーゼロッテはこめかみに手を当て、まとまらない思考の断片を必死にかき集めようとする。
けれども、頭の中はどんどん霧が濃くなるばかりだった。
その隣で、セリーヌがそっと眉を寄せる。落ち着いた声音の裏に、確かな動揺がにじんでいた。
「旦那様が“勇者ではない”と申しますと……その……どういう意味になりますの?」
(ああ、お母様まで戸惑っていらっしゃる……。
これはもう、国が終わりますわ。精神的な意味で)
「もう確認するしかないニャ。――“人物鑑定”発動ニャ!!」
コクヨウの瞳が金色に輝いた瞬間、ユーリの頭上に淡い魔術陣が浮かび上がる。
ふわりと回転する光のパネルが空中に展開され――
(こ、これで何が出るんですの……?
って、なにこの魔法、こわっ……っ! 見たこともない術で、知らないことを覗き見られるなんて……っ。
上位星霊様ってば、ちょっと容赦がなさすぎますわ……。
お願いですから……この国が壊れるような“何か”だけは映りませんように……っ)
【あとがき】
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