第6話④ 寵愛を夢見る少女たち、そして彼女たちは決意する
打って変わったような教官の優しい声。
「寵愛は光です。ですが、光は影を生み、熱はやがて冷める。
だからこそ、美しさ、知性、品格、そして――
“秩序を守る覚悟”を、妃は学ばねばなりません」
教官は視線をゆっくりと巡らせた。
その目に映るのは、困惑する少女たち。
「妃とは、寵愛を“欲する者”ではない。
それを“待つ者”です。
願いながら、黙して座す者です」
教官の声が静かに落ちる。
オフィーリアは、筆を持ったまま動けなかった。
その言葉は、あまりに静かで――あまりに冷たかった。
(……“待つ者”、ね)
教官の言葉が、静かに沈めていた記憶を揺らす。
(あの方は、誰よりも“待った”。そして――壊れた)
気高く、優雅で、妃の美徳を極めた“本物”だった人。
それでも――最後の扉が開いた時には、あの人の熱は、もうとっくに、自らを焼き尽くしてしまっていた。
(……もう、あんな結末は見たくない)
汗と花の、交わりの余韻を孕んだ夜の香が、色濃く漂う部屋。
淀んだ蜜のような匂いをまといながら、折り重なるように眠る六華妃と王。
声をかけても、あの鈴虫のような声は返ってこない。
糸の切れた魔導人形のように、ただ静かに崩れ落ちていく姿を――
誰も、見つめることしかできなかった。
そして。
その静寂を破るように、教室の扉が音もなく開いた。
まるで空気そのものを切り裂くかのように。
黒い影が、外の世界から一歩、内へと踏み込む。
入ってきたその人の姿を見た瞬間、妃たちの背筋がぴんと伸びる。
沈黙は、恐れへと変わり――教室に、もうひとつの緊張が生まれた。
「……静粛に」
凛とした、澄んだ声。
漆黒のドレスに身を包んだ一人の女性――マーガレット・フォン・プレディ。
後宮総侍女長にして、王妃と王女のために動く『後宮の影の統率者』。
彼女は講師にひとつ頷き、まっすぐと教室中央まで歩を進める。
「下級妃の各位に、重要な通達があります」
一瞬の沈黙。
そして――その一言が、火種となった。
「華楼公様の専属侍女を、三名、募集します」
教室がざわめいた。
今まで張りつめていた空気が、一気に振動する。
「専属……侍女?」
「つまり、あの華楼公様のお傍に……?」
「えっ、でも、それって……妃ではなくなるんじゃ……」
少女たちの声が交錯する。
憧れ、好奇心、不安、打算――
あらゆる感情がぶつかり、空気が再び熱を帯びてゆく。
(専属侍女――王のすぐ傍に立つ。確かに、魅力的な立場)
だが、それは「妃」ではない。
妃位にも列せられぬまま、ただの“侍女”として仕える道。
(王に抱かれるかもしれない。でも、それは“寵妃”ではない)
愛妾として、運が良ければ子をなすかもしれない。
だが、そこに“地位”はない。
(私は……違う)
彼女は、何も言わなかった。
ただ、誰よりも冷静に、自分の選んだ道を見据えていた。
やがて、前の席で誰かが立ち上がった。
「……私、志願します!」
元気よく声を上げたのは、フィオナ・フォン・サンブリーズ。
快活な笑顔と、好奇心に満ちた瞳。
「ね? 面白そうでしょ?
華楼公様のお傍で仕えるなんて、きっとチャンスだらけだと思うの!」
その無邪気な声に、教室の空気がふっと和らぐ。
(フィオナ様らしいわね……真っ直ぐで、ためらいがなくて……
――少し、羨ましいぐらい)
続いて、静かに、けれど毅然ともう一人が起立する。
「フィオナ……本当に、頭より先に口と足が動くのね。
フィオナ一人じゃ何をやらかすか心配だから、私も一緒に行ってあげる」
クロエ・フォン・ナイトシェイド。
その名前が呼ばれるより早く、周囲の空気に納得の気配が広がった。
(ふふ……やっぱり、放っておけないのよね、クロエ様は)
フィオナには辛辣で鋭い言葉を浴びせることもあるが、実は誰よりも面倒見がいい。
読書家で、寡黙だけれど――あの人の言葉には、ちゃんと温度がある。
(と、なれば……)
最後に、小柄な少女が、椅子の音を立てぬようにそっと立ち上がった。
教室が、わずかに息を呑む音で満たされる。
「わ、わたしも……あの、ふたりが行くなら……えっと……が、がんばります……!」
リリィ・フォン・エーデルワイス。
小さな声。でも、その声の芯は震えていなかった。
(……そう、リリィ様も。見た目に似合わず、頑固なところがあるんだから)
マーガレットは、静かに彼女たちの顔を見渡し、一言だけ告げた。
「よろしい、フィオナ、クロエ、リリィ、ついてきなさい」
マーガレットの言葉に、フィオナは嬉しそうに飛び跳ねるように立ち上がり、
クロエは少しだけ微笑んで頷いた。
リリィは緊張しながらも、その小さな背を真っ直ぐにして歩き出す。
オフィーリアは、静かに目を閉じて、心の中でため息をついた。
(怖さや迷いがあっても、立ち上がれる――
それが、あの人たちの強さ)
ふと目を開けると、三人の背中が静かに遠ざかっていく。
その姿に、どこかまぶしさを感じながら――
オフィーリアは、自分の拳をそっと握りしめた。
(けれど、私は……)
それは誰にも見えない、小さな誓い。
(私は、クローディアス家を再興し、名を取り戻すためにここにいる)
(選ばれるのを待つつもりはない)
華楼公の名に沸いた熱気が、まだほんのりと残っていた。
それがどれほど甘く、魅力的に見えても――
三人の背中を越えて、視線の先にいたのは――後宮総侍女長、マーガレット。
(私は――その先へ行く)
(選ばれるのではなく、射抜くのが――私の物語)
あの頂まで、矢のように。
【あとがき】
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