第6話② 寵愛を夢見る少女たち、そして彼女たちは決意する
石段の上に立つカミラを見上げ、オフィーリアの指の爪が、手のひらにかすかに食い込む。
(カミラ・エルディナ……私の記憶の中では、いつも影に隠れて覗き込んでくる子)
(それが今では、こんなにも堂々と見下ろしてくるなんて)
カミラの唇が、まるで用意された台詞のように滑らかに動いた。
「弓のお稽古でしょう? 今日もご熱心なことで。……でも、そんなに練習しても伯爵位には戻れませんのに。どうしてそこまで頑張れるのかしら?」
笑っていた。けれど、その笑みの奥には、薄い棘のような何かが混じっている。
一瞬、風が吹き抜ける。オフィーリアは目を伏せ、長い睫毛の影を落とした。
そう、これがカミラなのだ。
(あの視線の意味を、あのときの私は分かっていなかった)
「そうですわね」
オフィーリアは一歩、階段を上がる。ふわりとスカートの裾が舞う。けれど、瞳だけは凪のように静かだった。
「爵位も、屋敷も、今の私にはもうありませんもの。けれど、矢だけは、まだ手元に残っておりますの」
「……まあ、詩的ですこと」
カミラが眉をひそめる。その声に、笑みはまだ貼りついたままだった。
「本気で射藝賽で上を目指すつもり? “淑妃”になれば、何か変わるとでも?」
カミラの声に、驚いた一羽の鳥が空へと逃げた。
“射藝賽”――妃見習いたちが才芸と技芸を競い合う、華やかで残酷な舞台。
正式には「十二芸華賽」と呼ばれ、下級妃たちのあいだで毎月催される、階梯を決める試練である。
“淑妃”。その称号を手にできるのは、踏み残された者の上に立つ百八人だけ。
(“淑妃”――それは、ようやく足をかけた最下段にすぎない。
私が目指すのは、その上でも、その次でもない。
“星妃”。夜空の名を持つ、その十二の席だけ)
(すべてを手に入れねば辿り着けない。才も、美も、血筋も後ろ盾も──)
……けれど、矢を放つことだけは、誰の許しも要らない。
「そうですわね。何も変わらないかもしれません」
オフィーリアは微笑む。
「けれど、少なくとも――誰かの影ではなく、“私の手で”放った矢で、その的を貫くことはできますわ」
その言葉に、一瞬だけ、カミラの瞳の奥が揺れた。
(自分の足元の不安も、伯爵家という肩書の不安定さも……。私を見下してないと自信が持てないことに彼女自身が気づいているのかはわかりませんけれど)
「頑張る理由なら、山ほどございますの。あぁ、でもあなたには関係ありませんでしたわね。私は――誰かの“物語”の背景で終わるつもりはありませんわ」
「……」
カミラの視線が鋭くなる。取り巻きたちが息を呑むのが、空気の振動で伝わってきた。
だが、オフィーリアはそこで、ふっと笑った。
「……それとも、“落ちぶれた家の娘”にすら勝てるか不安で、わざわざ階段の上から声をかけてくださったのかしら?」
その一言に、取り巻きのひとりが小さく咳き込む。
「ご自分の立ち位置を、そんなにも確認したかったなんて――カミラ様も案外、余裕がありませんのね」
カミラの笑顔が、ほんの一瞬、裂けた。
「ふふ……面白い方になられましたのね、オフィーリア様。いつか、舞台の上でその“矢”が折れたとき、どんな顔を見せてくださるのかしら。楽しみにしていますわ」
それだけ言い残し、カミラは踵を返して去っていった。
ヒールの音が、冷たい石の回廊にカツ、カツと響いて消えていく。
リリカが肩をすくめた。
「……ねえ、あの子、見た目は冷凍お姫様だけど、中身はずいぶん焦げついてるわよね」
ティナが不安げに袖を握る。縫い目がよれてしまいそうなくらい、ぎゅっと。
「オフィーリア様、大丈夫……?」
オフィーリアは、指に残る爪の跡をそっとなぞりながら、かすかに笑った。
「ええ。これくらい――大丈夫。ただ、弓を引くときは、余計な力が入らないようにしませんと。狙いがぶれてしまいますから」
リリカは腕を組み、靴のつま先で石畳をコツ、コツと叩いた。
「そうですわね。いざというときは――矢をほんの少しだけ逸らして、カミラ様の裾を裂いて差し上げればよろしいのではなくて?
おみ足を晒せば、一瞬で冷えて、中の焦げつきも少しは落ち着くかもしれませんわよ」
その言葉に、ティナが息を呑み、顔を真っ赤にして立ち上がる。
「そ、そんなの……いくらなんでも、はしたなすぎますわ……! もし殿方の前だったら、破滅ですわよ!」
彼女の声はわずかに裏返っていた。リリカはくすっと笑った。
「まあ、だからこそ効果的なんですのよ。あの仮面、恥には滅法弱そうでしょう?」
リリカは笑いながらも、目だけは真っ直ぐに前を向いていた。どこか静かな怒りを残したまま。
オフィーリアは、その姿を横目に捉え、ほんの少し目元を緩める。
(ふふっ、リリカったら私よりずっと怒ってる。……他人が怒ってくれると、妙に落ち着くものですわね)
ひとつ、息を整える。胸の奥で渦巻いていた熱が、静かに一本の線になって伸びていく。
「私の狙いは、決してぶれませんわ。――狙うのは、的だけで充分ですもの」
その一言に、ティナは安堵したように胸を撫でおろし、リリカは肩をすくめた。
「まあ、それならいいのだけれど。……でも、当たったら当たったで、ちょっと爽快ですわよ?」
「そうね、その時は、カミラ様のために替えのドレスを用意しておかないといけませんわね」
(逃げ道のないど真ん中を、“私の矢”で射抜いて、釘付けにして差し上げますわ)
三人はそのまま、館の中へと歩を進めた。
リリカが“夢をぶっ壊す講義”と皮肉ったその先に、彼女たちの知らない“現実”が待ち受けているとも知らずに。
【あとがき】
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