第5話④ 華楼公、後宮に立つ
セシリーとレティシアの挨拶が終わり、場には一瞬、呼吸を忘れるような静寂が落ちた。
完璧で、それぞれにまったく異なる輝きを放つ二人。
その言葉と視線の余韻が、まだ空気の中に残っている――そんな雰囲気の中。
セリーヌが一歩、静かに前へ出る。
柔らかな所作でユーリに視線を向け、ふわりと微笑んだ。
「セシリー様とレティシア様は、後宮内で最上位の位にあたる、六華妃ですわ。
本来その席は六名。残る四席が埋まるかどうかは――これからの旦那様のご活躍次第、ということになりますのよ」
その口調はあくまで穏やか。けれど、試すような優しさが、ほんの少しだけ混じっていた。
(……活躍、ね)
ユーリは、ごく自然に背筋を伸ばした。
自覚はしている。この場所に立つには、まだ自分は何者にもなれていない。
けれど、だからこそ――今ここで逃げたら、何も始まらない。
(四席、か……)
“足りていない”という言葉が、やけに胸に残る。
それはプレッシャーではなく、これから埋めていく「可能性」の枠にも思えた。
そして、セリーヌがもう一歩前に出て、軽やかに言葉を紡ぐ。
「では、次に――十二星妃の皆様より、順にご挨拶を」
その案内に応じるように、空気がふっと動いた。
軽やかな靴音。
揺れる外套。
そして、一歩、確信を持って踏み出してきたのは――
視線の先に立ったのは、凛とした蒼の瞳と、騎士装束風のドレスに身を包んだ麗人。
まるでこの瞬間のために存在していたかのような、揺るがぬ意志の気配。
「――エレノア・フォン・シュヴァルツバルト。騎士派の代表として、十二星妃の席を頂いております」
その声は、剣の刃のようにまっすぐで澄んでいた。
鋭さではなく、一点の曇りもない“決意”の輝き。
けれどその瞳には、冷たさはなかった。
むしろ、まっすぐすぎるくらいの――不器用な純粋さ。
「私はこの剣を、国のために捧げる覚悟で生きてまいりました。
ですが……これからは、貴方様の盾となるために振るう所存です」
一切の揺れも迷いもない。
その宣誓は、儀礼や建前を超えて――一人の人間としての“意思”だった。
(……すごいな、この人)
ユーリはただ、圧倒されていた。
その言葉の一つひとつが、刃のように鋭くて、でもどこか温かい。
誰かに“仕える”という行為を、ここまで美しく語れる人がいるなんて。
「……それでも、ひとつだけ願ってもよろしいでしょうか」
ふと、エレノアが視線を逸らす。
たったそれだけで、空気がふっとやわらかく揺れた。
「私は剣しか知りません。でも、貴方様のそばにいれば……
いつか、それ以上のものも、知れるのでしょうか」
その声はかすかに震えていた。
誰かの胸に届いてほしい、不器用で、ささやかな願いだった。
(……剣しか知らない人が、“誰かの隣にいたい”なんて言うなんて)
ユーリは、言葉が出なかった。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
それは、どこか幼い恋にも似ていて――
けれど、どこまでも真剣だった。
(この人……強いだけじゃない。ちゃんと、自分が弱いことも知ってるんだ……)
それでも――それでもなお、差し出してくれた“想い”が、たまらなく愛おしかった。
エレノアが一礼して身を引くと、場に、神聖でありながらも、どこか柔らかな空気が差し込んだ。
まるで、そこだけ温度が少し上がったような――そんな、不思議なぬくもり。
ふわりと香のような気配が漂い、その中心から、まるで花がそっと咲くように――
一人の少女が、静かに一歩を踏み出した。
(……あっ、この子も)
ユーリの視線が、自然とその姿に引き寄せられる。
その歩みは舞うようで、けれど浮ついてはおらず、ただ静かに――ただ、美しかった。
白と紫の祈りをまとったドレスが風にそよぎ、その佇まいは、祝福の化身。
少女は、清楚な微笑みを湛えたまま、静かに頭を下げる。
「……クラリス・フォン・ルミエール。教会派より推薦を受け、十二星妃の末席を務めております」
その声は、まるで鈴の音のように優しかった。
聞いただけで、心の奥にこびりついていた緊張が、ふわりとほどけていくような感覚。
(……声だけで、癒されるって……あるんだな)
クラリスは視線を落としたまま、静かに続ける。
「貴方様の歩まれる道に、祝福がありますように。
そして、傷つく日があるなら――そのたびに、どうか私に、癒させてください」
それは媚びではなかった。
願いでもなかった。
ただ、そこにいる人間すべてを包もうとする――祈りのような言葉だった。
(……この子、本当に“人を救う”ために生まれてきたみたいだ……)
けれど、その優しさに甘えていいのか分からない。
彼女の笑顔があまりに柔らかいぶん、触れるだけで罪悪感を覚えるほど透明だった。
「……私は、誰かの“幸せを信じること”しかできません。
けれど……もし、貴方様が私を信じてくださるのなら」
まつ毛の影から、そっと視線が上がる。
その瞬間、目が合った。
(あ――)
それだけで、胸の奥がすっと吸い込まれるように静まり返った。
「――私も、貴方様を信じてみたいと思いました」
声は、変わらず柔らかい。
なのに、その一言だけは、まるで刃のように鋭くて、痛いほど真っ直ぐだった。
(この人……優しいけど、全然、弱くない)
その強さが――誰かの悲しみに寄り添い続けた結果なんだと、
何も言われなくても分かってしまった。
(……信じてくれるなら、信じ返す。それだけの言葉なのに……)
(なんでこんなに、胸が苦しいんだ)
クラリスの挨拶が終わると、場には静かな余韻が残った。
まるで誰もが、彼女の祈りのような言葉に、しばらく心を預けていたかのように。
その空気を、ふわりと風が払った。
軽やかな香りとともに、次に歩み出たのは――
翠の髪が陽光に透ける、美しき舞姫。
深緑のドレスが揺れ、ステップひとつですでに空気が変わる。
その存在感は、まさに“視線を集めるプロ”。
(うわ……空気の“作り方”が、完全に違う……)
ユーリは思わず息をのむ。
気取っているわけではない。
けれど、そこにいるだけで目を引くのは――本物の自信がある証拠だった。
少女は、舞うように一歩を進め、にこりとユーリに柔らかく微笑んだ。
【あとがき】
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