第5話① 華楼公、後宮に立つ
後宮の内門をくぐった瞬間――ユーリの世界は、音もなく塗り替えられた。
差し込む光に包まれて、その先に現れたのは、まるで現世の理から切り離された“神域”のような風景。
純白の大理石が敷かれた一本の御道が、静かに奥へと続いている。
そこを歩くことが許されるのは、ただ一人――後宮の主、華楼公のみ。
御道の左右には整然と石が並び、その外側を白玉砂利が覆っている。
足を踏み入れればかすかに音を立てるであろう砂利は、張り詰めた沈黙の象徴のように広がり、周囲の空気さえも凍てつかせていた。
女官たちは白玉砂利の上に、左右二列で静かに並び、主の姿を無言で待つ。
(――なんだこれ。マジですか……?)
(これから……この道を歩くんだ)
(“華楼公”として)
息を吸うたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
ただの一本道なのに、歩を進めるたび、五感が少しずつ遠ざかっていくような――
身体の輪郭すら、どこか曖昧になる。
靴音が、大理石を打つたびに響く。
だがそれは、すぐに静寂に溶けて消える。
自分が音を立てているのかすら、確信が持てなくなるほどの沈黙。
そして――その先に見えた。
五人の影。
御道を避けて、敷石の上に凛と立っている。
一人一人が、まるで舞台の主役のように、自身の居場所を知っている。
けれど、その中でも――
(…………うそでしょ)
明らかに“別格”の存在が、ふたり。
(あの二人が、並んでる……?)
(いや、それ絶対、混ぜるな危険のやつじゃん……!)
脳内で警報が鳴る。
歩き方どころか、手足の動かし方すらわからなくなった。
──セシリー・フォン・サンクティア。
王妃派を支える、“金色の百合”。
(……きれいすぎる)
純白のドレスが風に揺れるたび、金糸の薔薇がひとつ、ひとつと光を返す。
あたかも、誰に媚びることもなく、自分自身の美しさを確認するかのように。
整えられた銀糸のような髪。ほどよく引き締まったウエスト。
鎖骨から胸元へと流れる素肌は、陽に透けるように浮かび上がり―
ふんわりと持ち上がる胸元が、自然に視線を引き寄せる。
見惚れてはいけない。そうわかっていても、目を逸らすことができない。
その存在感はあまりにも鮮烈で、白玉砂利のきらめきすら霞んで見えた。
(ほんとに……“絵から出てきた”みたいだ)
(うわっ!! こっち、見てる!!)
わずかに、彼女の視線が動いた。
周囲の空気が張りつめる中で――
セシリーだけが、変わらぬ呼吸で、静かに微笑んだ。
微笑みはごく小さく、ほんの数秒で消えた。
本当に自分に向けたものかどうかもわからない。
ただ、彼女のその表情に――何かを試すような意志を感じた。
(……いま、笑った? こっちに?)
それだけで、心臓が暴れ出す。
顔の火照りがひどい。呼吸が乱れる。
鼓動の音が、内側から耳を塞いでくるような錯覚。
(……ただ、見つめられただけなんだけど……)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
――そのとき。
「そんなにセシリー様を見つめられるなんて、よーーーーっぽど、お気に召されたのかしら……?」
空気が、一瞬で凍りついた。
鼓動が跳ねる。全身の神経がビクリと硬直する。
声は笑っていたのに、背中を這う気配はひどく冷たい。
(……この声、まさか)
セリーヌだった。
終わった。
優雅。それなのに、冷たい。毒がある。
背筋が凍る。目をそらせない。
その場にいた女官たちでさえ、言葉の消え際に息を呑んだのがわかった。
(あの、セリア様……ご機嫌いかがで……)
「まったく……あなたって、本当に節操がありませんわね」
(……え? リーゼロッテさん、今、“あなた”って……)
「……別に羨ましくなんて、ありませんけれど。早く歩いてくださいませ。後ろが交通渋滞してますわよ」
(後ろより、俺の理性が一番渋滞してますけど……!?)
深呼吸すらままならぬまま、視線を前へと戻す。
だが、そこに待ち受けていたのは、さらなる追い打ちだった。
その名を聞くだけで、後宮の空気が一段と張り詰める――そんな存在。
──レティシア・フォン・オルフェウス。
貴族派の中心人物、“紅玉の薇姫”。
【あとがき】
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