第3話④ 政治は夜に動くらしい、ですが、後宮の鼓動は“愛”でした
ユーリは青ざめながら、慌てて両手をぶんぶん振った。
「まってまってまって!? 後宮ってそんな命がけなところだっけ!?
育てた嫁に殺されるってなにそれ、ホラー!?」
焦りまくるユーリに、コクヨウがため息をつきながら肩をすくめる。
「だから最初から言ってるニャ。“嫁の育て方”には気をつけろとニャ」
「いや言ってないよね!? 初耳なんだけど!?」
恐怖に震えるユーリの脳内に、ぞっとする未来がよぎる。
『あの夜、私は耐えたのに……』
『貴方のせいで、すべてを失ったのよ』
『さあ――覚悟なさい。ズブリ』
(や、やばい……! 嫁育成からの刺殺ルートって何!?
これ、完全にデッドエンドじゃん……!)
「じゃ、じゃあ……俺、誰とも深い関係にならなければいいんじゃ……?」
「それは……不可能ですわ」
「そうなの? 俺、引き篭もり得意だよ?」
(何それ詰みじゃん!? 回避不能イベントってこと!?)
「後宮妃は、ただの飾りではありませんの。
彼女たちは、それぞれの派閥の象徴――誇りそのもの。
誰一人選ばれなければ、その派閥は“王家に見放された”と受け取りますわ。
……それが、どれほどの恨みと反発を生むか、想像できます?」
セリーヌの声がわずかに震えていた。
けれど、その言葉には迷いがなかった。
(……ヤバい。これ、個人の感情じゃなくて、派閥間の均衡が絡んでるやつだ……)
「それに……彼女たちは使命を持ってこの後宮に来ていますの。
もし選ばれなければ……その存在意義さえ、否定されたことになる」
その一言に、場の空気が少しだけ重く沈む。
(選ばれなかったら、“いなかったこと”にされる……?)
(それ、恋愛どころか、人生ごと否定されるってことじゃん……)
セリーヌの瞳がふるえていた。
怒りでも、憎しみでもない。そこに宿っていたのは――哀しみだった。
「そうなれば、不満は派閥を揺るがし……やがて、国全体の均衡を崩すことになるでしょう。
それが、“愛されなかった後宮妃”の末路ですのよ」
その場に、音のない重力が降りた。
誰もすぐに口を開けなかった。
(……“愛されない”って、そんなに重いのか……)
ふざけた世界だと思ってた。けど今――少しずつ、違うものに見えてきていた。
やがて、セリーヌが静かに口を開く。
「かつて、それを守れず……後宮を混乱に陥れた王がいましたわ」
「……前王。お父様のことですね」
リーゼロッテがそっと目を伏せる。
「前王陛下は、先の王妃を亡くされた後、後宮からではなく――帝国から私を正妃として迎えましたの」
セリーヌの声音は穏やかだった。
けれど、その奥に秘められた重みが、ユーリの胸にじわりとのしかかる。
「その際、婚姻条約の一環として、王妃の忘れ形見であるリーゼを私が養女に迎えることも条件となりました。
王位継承者として立てるために」
一呼吸。
どこか遠い記憶をなぞるように、彼女は続ける。
「ですが……前国王が最も愛した下級妃に男子が生まれたことが、すべての混乱の火種となりましたの」
声に、ほんのわずかな震えが混じる。
「寵愛されなかった上級妃の一人が、静かに心を病み……そして、前国王陛下と――
……共に、逝かれましたの」
場に、誰も言葉を継げない静けさが落ちた。
その重さは、沈黙ではなく、黙祷に近かった。
セリーヌの声は穏やかだったが、その奥に微かな翳りがにじんでいた。
「兄王の死に乗じて、玉座に就けなかった王弟殿下は動き出しました。
旧貴族派の後ろ盾を得て、“後宮の正統な血を継ぐ者こそ王にふさわしい”と訴え、寵姫とその子を擁立したのです」
まるで、風の中の声を思い出すかのように。
一瞬、セリーヌの言葉が止まり、睫毛がかすかに揺れた。
「王弟殿下に与した四大公爵家が、次々と王家に背き、相次いで独立を宣言。
戦火は王国全土へと広がり、国は――崩壊寸前にまで追い詰められましたの」
それは、もはや語りではなく、癒えぬ傷を指先でなぞるような響きだった。
「最終的には、残された貴族たちに頭を下げ、帝国からの支援を受けて……ようやく勝利を得ました。
けれど、その代償は――あまりにも大きすぎましたのよ」
当時、後宮を束ねていたのは――前国王の王妃であったセリーヌ。
静かな戦場と化したその場所に、今もなお、火種はくすぶっている。
かつて王国を焼きかけた、その炎が――再び吹き上がる日を待ちながら。
そして、その中心に今、立たされようとしているのが――ユーリだった。
(……これが、俺が関わることになった世界の現実、か)
ただの冴えないエロスキル持ちだと思っていた自分に、
国の未来が重なる――冗談にしか聞こえない。けれど、現実だった。
(重すぎる。笑えない。正直、逃げ出したいくらいには)
でも。
あのとき、手を差し伸べてくれたセリーヌの手のぬくもりが、まだ残っていた。
必死で言葉を重ねたリーゼロッテの怒鳴り声も、今なら痛いほど伝わってくる。
(俺なんかが、この世界を変えられるなんて……わかってる。無理かもしれない。
でも――)
逃げて、誰かが泣くのは、もう見たくなかった。
「だからこそ、今度こそ……間違えさせはしませんわ」
(ああ、この人、本気だ……)
セリーヌの瞳が、まっすぐこちらを見つめていた。
その眼差しには、揺るぎない覚悟が宿っている。
(……ここって、本当にただのハーレムゲームの世界じゃないんだな)
愛することが、責任になる。
愛されることが、試練になる。
気がつけば、後宮妃の心と身体だけじゃない――
この国の未来すらひらく“鍵”になっていたらしい。
「吾輩もついてるから大丈夫ニャ、ご主人様にできることはあるニャ」
(――だったら、俺が全部開けるしかねぇだろ)
この後宮も、この国の未来も、女たちの心も――ぜんぶ。
【あとがき】
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