第九話 第二王子の企み
(しまった……! ここって、応接室のテラスと繋がってるんだった)
ヴェルナーに声をかけられてから気付いても、もう遅い。
「ちょうど良かった。お前と話がしたかったんだ」
にたりと笑うその顔は、きれいに整っているのに、どこか下品だ。
(氏も育ちも悪くないのに、性格が悪いと下品に見えるのかしらね)
「私には、殿下とお話しする用事はございませんが」
「お前になくとも、私にはある」
彼はこちらに来い、とばかりに指先をちょいちょいと動かした。
その動きが、びっくりするくらい腹立たしい。
テラスの柵越しだから、万一のことはないと思いつつも、十分な距離を取ってヴェルナーの前に立った。
(こっちは、少しでも早くノアの所に行きたいのに)
でも、万が一何かを察せられて、ノアをヴェルナーが見つけたら大変だ。
カイエンよりも、ヴェルナーには絶対に見つかってはいけない。
「では、お伺いしましょう。どのようなお話で」
自分でも、声が少し固くなっているのがわかった。
緊張している。
──でも、それを悟られてはいけない。できるだけ、なんでもないように。
(ばれないように、腹式呼吸! 王太子妃教育でやったことを、思い出すのよ、リュシー)
「お前さ、兄上にはもうすぐ婚約者ができるって知ってるか?」
「え」
「ははっ。やっぱり知らなかったんだな。兄上はズルいねぇ」
ヴェルナーの声はいやに楽しそうだ。
きっと、私の苛立ちを誘うとしているに違いない。
「ズルい?」
「アストレア辺境伯を味方に付けたくて、お前をたらし込んでるんだろ」
(たらし込む? たらし込むってどういうこと?)
彼の言ってることが今ひとつわからないけれど、勘違いしていることはわかった。
カイエンは、王国の農業を思い、我が領を訊ねてきたのだ。
「兄上の婚約者になる令嬢、知りたいか?」
「どう……」
どうでも良い、と言いかけて口を閉ざす。
カイエンとの契約結婚は、私たち二人しか知らない。いくら離婚しているからといって、私が彼に興味がないとヴェルナーに言うのは、カイエンの不利益を招く可能性があったりしないだろうか。
「ふぅん。やっぱり気になるんだ」
私が口を閉ざしたことで、彼は勘違いをしたようだ。
だが、どうせならここで情報収集といこう。
「──どなたなんですか?」
「ショルグ侯爵令嬢さ」
ショルグ侯爵令嬢。ショルグ侯爵令嬢。
思い出せ、私。
四年前に覚えた貴族名鑑のページを脳内で、必死にめくる。
(あっ、思い出した)
美しいピンクブロンドの、柔らかなウェーブの髪。透き通るような白い肌に、妖艶な流し目と、目元のほくろ。瞳の色は確か、琥珀色だったかな。スタイルも良くて、そのドレス良く着こなせたね?! というような、一歩間違えば下品だけど、うまいこと美しく着こなしていた女性。
(あれは確かに、見事だったわね。私には到底着こなせないドレスだった……)
社交界でも人気の令嬢で、お茶会や夜会では、やたらと私にマウントをとってきた人だ。
(社交界でのマウントなんてどうでも良すぎて、すっかり忘れていたわ)
「エリーゼリト・ショルグ嬢ですね」
「良く知ってるな。やっぱりお前は、兄上のことを今でも気にかけてるのか」
「どうして、そうなるのです」
呆れて、思わず溜め息を吐いてしまう。
「私には隠さずとも良いぞ」
ニヤニヤと笑うから、気持ちが悪い。思わず数歩後ろに下がってしまう。
「エリーゼリト嬢は、昔から兄上のことが好きで、良く登城してたからな。お前もその様子を見て、きっと醜い嫉妬でもしてたんだろ」
どうしよう。
彼の言葉に、思わず動揺してしまう。
だって。
(……全っ然知らなかった……!)
本当の本当に、そんな令嬢のことなど知らなかったのだ。
(良く登城していたということは、カイエンも、もしかして……そのショルグ侯爵令嬢のことを)
そこまで考えて、ふと思いつく。
(だから、あのとき契約結婚にも頷いたし、離婚のときも予定通り問題なく別れたんだわ)
なんだか全てのピースが、ぱちりとはまったような気がした。
けれど、それをヴェルナーに知られるわけにはいかない。
「ヴェルナー殿下、ショルグ侯爵令嬢とのお話は、どのくらい進んでいるのでしょう」
「やはり気になるのか。残念だが、お前が兄上の元に戻れることはないだろうな」
別に戻る予定もないのだけど。
(具体的な名前が出る、ということは、内々で話を進めている可能性はある)
とはいえ、ヴェルナーははっきりと言い切らないでいる。
(王妃には、そこまでの力はもうない)
この件のポイントは、おそらくそこだ。
「まぁ、そんなかわいそうなお前に」
「ヴェルナー殿下。私、そろそろ行かなければなりませんの。失礼致しますね」
これ以上、彼からこの件に関して情報は出てこないだろう。
どうでもいい話を延々とされて、ノアに会う時間を減らされてはたまらない。
さっさと切り上げ、彼の前を去ることにした。
私はカーテシーをして、踵を返す。
(裏庭の奥の森を抜けたルートを、ヴェルナーに知られるわけにはいかない)
森を抜けた先にある別館には、ノアがいるのだから。
(他の扉は、鍵が掛かってる……。あ、でもあそこなら)
私は建物の一番端にある、使用人用の通路の扉を開けて、本館の中へと戻っていった。
***
「お母さま!」
別館に入ると、すぐにノアが出迎えてくれる。
「ノア、私の天使。なんてかわいいの!」
抱きしめ、頬を寄せる。
ヴェルナー第二王子という、虫のような存在と話をしたあとだけに、ノアの存在は光そのものに感じてしまう。
「お母さま、おつかれさまなの?」
抱き上げたノアが、小さな手で私の額を『いい子いい子』してくれる。幸せすぎて涙がでそうだ。
「ノアは、お母さまが守ってあげるからね」
「ちがうよ! 僕がお母さまを守るんだから」
ぷく、と頬を膨らませたノアが、私の腕から下りると、両手を広げてそう宣言する。
(かわいい……。そう、ノアが私を守ってくれるから、私はノアを守れる)
「そうだ! 僕の絵を飾って貰ったんだよ、見て!」
「まぁ。ノアは絵がお上手だものね」
嬉しそうにノアが私の手を引き、別館のエントランスへと向かう。
きっとその壁に、ノアの絵を飾ったのだろう。
「これ、ノアが描いたの?!」
別館エントランスは、正面が白い壁になっている。そこに、立派な額装を施された、ノアの絵が飾られていた。
「これは私……、こっちがサリーで、これがお父さまかしら?」
「そう! あっちはダンテとオセバだよ」
嬉しそうに両手で描かれた人物を指さす。
ノアのそんな様子は、いつまででも見ていられる。
「あ、僕ここに付け足したいのがあるから、ちょっと待っててね!」
そう言って、先ほどまで遊んでいただろう部屋へと、走って行った。
この別館の中には、多くの使用人がいるので、あの子が外にさえ出なければ安心だ。
「お嬢さま、本館に第二王子殿下がいらっしゃったと」
ノアが部屋に入っていったのを確認して、サリーが私に話しかける。
「そうなのよ、サリー。ノアにはかわいそうだけど、もうしばらくは、別館と別館の中庭だけで」
「ノアって誰だ?」
(え──?)
聞き慣れた声が、開け放たれていたエントランス側から聞こえた。
(この声、は)
「お母さまーっ!」
私が声の主へと振り返ろうとした、その瞬間。
ノアが私の元へ、一直線に駆け寄る。
そのノアを見た彼は、動きを止めた。
(まずい! ノアの存在が……)
「リュシー、あの子は……」
何故か別館に来てしまったカイエンに。
(バレてしまった)