第八話 喜ばれざる客
「ヴェルナー第二王子がこちらに向かっていることが、昨夜判明した」
執務室に入って、ソファに座るやいなやのお父さまの言葉に、私たちは絶句した。
「ルーファスが知ったときは、もう王都の門も出たあとらしくてな」
「それで、お兄さまが早馬で知らせを」
「ああ。それがこれだ」
手紙を受け取り、カイエンと二人で読む。
「リュシー、どうやら君が見たヴェルナーの従僕というのは、本物のようだな」
彼の言葉に頷く。
「お父さま。市場でヴェルナー第二王子の従僕によく似た人物を、見かけたんです」
お父さまは大きく溜め息を吐いた。
「第二王子が来るということは、本邸に泊めねばならんだろう」
「……ということは」
私の言葉に、お父さまは頷く。
「カイエン、部屋を移って貰っても良いかしら」
今、カイエンは別館から一番遠い部屋に泊って貰っている。
万が一ノアと出会ってしまったら困る、と思ってそうしていた。
でも、カイエン以上に知られてはいけない人物が、ここに来るのだ。
「ああ、もちろん。辺境伯、できればリュシーの近くの部屋に」
「はっ?!」
「それが安心だろうな」
「ちょ、ちょっと。お父さま?!」
確かに、カイエンとヴェルナー第二王子は部屋を離した方が良い。
そして私は一番別館に近い部屋。
つまり、別館から一番遠い部屋にヴェルナーを泊らせるのであれば、カイエンは別館に近い部屋にする必要が出てしまうのだ。
でも、だからと言って──。
「なんで私の部屋の」
「ヴェルナーが何を仕掛けてくるか、わからないからな」
「まったくその通り。その点、殿下が近くにいれば安心だ」
(全然、安心じゃないんですけど?! ノアが……!)
私が隣のカイエンと、目の前のお父さまへ顔を右往左往させていると、お父さまが笑った。
「まぁ、この機会を活用しようじゃないか。お互いに」
「辺境伯、感謝する」
二人は握手なんてしてるけど、私はそれどころではない。
(何に活用するのよーっ!)
「お父さま、お部屋は他にも……」
「リュシー。第二王子は、追い詰められているはずだ」
「え……」
一転、真面目な顔で私を見るお父さまに、カイエンも頷く。
「王城では、ホーツグル公爵の派閥の力が削がれて、王妃の発言力が弱まっている。ヴェルナーは俺と立場を入れ替わろうと必死だが……」
つまり、すでにカイエンが後継者として立太子しているにも関わらず、第二王子が王太子になろうとしている、ということだ。
「でも、カイエンはもう正式に」
「だからこそ、だよ」
「え」
カイエンは、私の方に体ごと向き合った。
「今回の視察で、王国のためになることを陛下に奏上して、起死回生を図ろうとするだろう」
「起死回生を……」
「それに、辺境伯家に来るということは、リュシーが狙われる可能性が高い」
これでも基本的な王太子妃教育は受けている。
でも、どうやらこの四年で随分と暢気な脳みそになってしまったらしい。
彼の言葉を聞いて、私もいつまでもぼんやりしているわけにはいかないと、気付いた。
「そうよね……。私がこの中では一番弱っちょろいもの」
「──ん? リュシー?」
私の決意を告げようとしたら、カイエンがきょとんとした顔をしている。
「はっはっは。殿下、私との約束ですぞ。きちんと」
「ああ、わかってるよ、辺境伯」
「ちょっと……二人で何を」
そのとき、部屋のベルが鳴った。
このベルは、屋敷の門番からの緊急を伝えるときに鳴るもの。
つまり、今のタイミングでは第二王子ヴェルナーが、屋敷の外門に到着したということだろう。
「リュシー」
立ち上がった私の手を、カイエンがそっと握った。
大きな手は、とてもあたたかい。その手に、少しだけ力が込められる。
「君のことは、俺が守るから」
彼の赤い瞳は、真っ直ぐに私を見つめていた。
***
「ヴェルナー・フェルスターだ」
市場で見た従僕を含めた十名という大所帯で、ヴェルナー第二王子は我が家へとやってきた。
「これはこれは、ヴェルナー第二王子殿下。何分先触れを頂いておりませんでしたので、碌なおもてなしもできませんが」
お父さま、思ったよりもストレートな嫌味を言ってるわね。
我が家は王家との契約で、中立を保ってはいるけれど、だからといって、中央に影響力がないわけではない。
むしろ、軍事力が強い分やろうと思えば圧をかけることだってできるのだ。
──『中立派』という皮を被りながらでも、それはできる。
「わざわざ第二王子である私が、ここまで出向いたのだ。早く部屋に案内しろ」
「突然いらっしゃっても、部屋の準備がまだですから、しばらくは皆さんで応接室へどうぞ」
嘘である。私たちが執務室で話している間に、カイエンや、彼についてきた補佐官たちの部屋は移動済みだ。だからいつでも部屋に入れるが、それではまるで、準備して歓迎しているように見えてしまう。
「ああ、そこにいるのはリュシア嬢だな。久しぶりだ」
「お久しぶりにございます。第二王子殿下」
「そうだ。部屋の準備が終わるまで、お前が屋敷を案内しろ」
「は?」
「おい、ヴェルナー」
私の斜め後ろに、さりげなく立っていたカイエンが、声を上げる。
「……あぁ、兄上。いたんですか」
半笑いのような口調でヴェルナーは言うが、正式な客はカイエンであり、第二王子はいわば招かれざる客である。
図々しいとはこういうことをいうのね、なんて思ってしまう。
「お前とは違って、正式に視察に来ているんだけどな」
「はっ! 視察に正式も何もないでしょう」
(いや、ありますよね!?)
思わず口にしそうになるところを、必死で心のうちで抑える。
「リュシア嬢は、兄上の婚約者ではないのだから、私が誘っても問題ないはず」
ヴェルナーの言葉が、何故か胸にどしりと響く。
確かに言うとおりなのだけど──だけど、それとヴェルナーの求めに私が応じるかは、また別の話だ。
「リュシーはどうしたい?」
「私はこのあと予定があるので、第二王子殿下のご案内は致しかねます」
「だ、そうだ。ヴェルナー」
何故か嬉しそうなカイエンが、ヴェルナーにそう告げる。
ヴェルナーは忌々しげな目をカイエンに向け、小さく舌打ちをした。
(えっ、舌打ち?! 王族が、力のある貴族の前で?!)
なんと下品な男なのだろうか。
王城で見ていたときには、こんな姿は見たことがなかった。
猫をかぶっていたのか、それともこの四年で酷くなったのか。
(まぁ、言うほど関わったこともないから、知らなかっただけかも)
お父さまの合図で、執事のオセバが、ヴェルナー一行を案内し始める。
彼らの背を見送った後、私はほっと溜め息を吐いた。
「変に絡まれちゃったね」
「ううん、カイエンが声をかけてくれて助かった」
「守る、って言っただろ」
「そうね。早速、守って貰っちゃったわ」
「……ヴェルナーは応接室に向かったし、俺たちはお茶でも」
「あ、ごめん。本当にちょっと別の用事があって」
「そうなのか」
少し寂しそうな表情を見せるカイエンに、何故だか申し訳ない気持ちが浮かぶ。
(そういえば──)
「カイエン、今朝方用意して貰っていた、各領地の農産物と収穫量の地図だけど」
「ああ。なにか足りない資料があったか?」
「ううん。どことどこの領地を繋いで、加工品を作ると良いかとか、その領地の気候と農産物で見えてきた土地の改良法法をメモしておいたのを、あとで部屋に届けさせるわね」
私の言葉に、カイエンは目を見開く。
そうして、私を引き寄せて抱きしめた。
「ちょ、ちょっとカイエン!」
「本当に……リュシーはどうしてそこまで」
「殿下」
お父さまの声が後ろから響く。
「へ、辺境伯……。いたのか」
「最初からずっといましたけどね、ええ」
焦ったように私を離し、カイエンは少しだけばつが悪そうな表情を浮かべた。
「さ、殿下には新しい部屋をご案内しますから、そちらへ」
「私はちょっと、あちらへいってきます」
「ああ、そうしなさい」
お父さまは、私がノアの所へ行きたいことをわかってくれている。
カイエンに手を振り、私は別館へ向かった。
(近道、しちゃお)
エントランスから裏庭に出ると、小さな森を抜けて別館に行くことができるのだ。
いつもはあまり使うことのない部屋に面しているため、うっかりしていた。
「あれぇ、リュシア嬢」
「……ヴェルナー殿下」
ヴェルナーたちを通した応接室こそが、この裏庭に面しているということを。