第六話 私、殺されかけたのよね
別館に戻ると、ノアの熱はだいぶ下がっていた。
「ホルディック医師が、解熱剤を処方されました」
「そう、ありがとう」
ホルディック医師とは、我が家のお抱えの医師だ。小さな子はすぐに熱を出す。
(私が子どもの頃も、熱を出すとお父さまやお兄さまが、すぐに来てくれたな)
例え熱がすぐに下がったとしても、それでも心配になるのが親心というものなのだと、ノアを生んで良くわかった。
眠る我が子の横で、様子をじっと見ていると、時間などあっという間に過ぎていく。
やがて空は暗くなり、星々が顔を出してきた。
「お母さま?」
「目が覚めたのね。お熱は下がったから、もう大丈夫よ」
「お母さまが、よしよししてくれたら、僕すぐに治るの」
ノアのその言葉に、思わず抱きしめてしまう。
(うちの子……かわいい!)
横たわるノアを抱きしめ、頬に、額に、キスをしてから、頭を撫でる。
嬉しそうに目を細めるノアを見ているだけで、心があたたかくなるから、不思議だ。
「なんて偉い子なの、ノア。おりこうさんね」
ゆっくりと頭をなで続けていると、ノアはやがて眠りに落ちていった。
(起こさないように、そっと……)
私の身じろぎで起こしてしまうとかわいそうなので、そっと部屋を出る。
ノアの眠っている部屋の隣では、侍女が交代で様子を見てくれているので、安心だ。
(やっぱりカイエンには、早く帰って貰う方がいいわね)
私がバタバタしているから、不安になって熱を出したのかもしれない。
もちろん、王国の民のこともあるから、できる限りカイエンには助力するつもりだ。
でも──。
(私にとって、一番大切なのはノア。あの子が寂しい思いをしないようにしなくちゃ)
厨房に立ち寄り、いくつかのパンやチーズ、スパイスワインを用意して貰うように頼み、本館のバルコニーへと出た。
空には月が煌々と輝き、薄い雲が星を見せたり隠したりと、僅かに動いている。
「リュシー?」
「あ、カイエン。お邪魔しちゃったわね」
カイエンが一人ワインを手に座っていた。
ちょうど本館の庭がよく見えるここは、誰でも入れる広間の続きとなっている。
彼が一人でここにいても、不思議ではなかった。
「せっかくだ。一緒に飲もう」
グラスを掲げられれば、断るわけにもいかない。
近くに椅子を移動させて、並んで座った。
「さっきは急いで帰っていったが……大丈夫だったか?」
「うん、もう平気。視察中だったのに、ごめんなさい」
「構わない。その分他の日に、じっくり聞くさ」
「ううん! 今、話をしちゃいましょ!」
「え、今……?」
「そう。せっかく二人でいるんだし」
「せっかく二人でいるんだから、ゆっくり話を」
「ゆっくり、王国の課題を聞かせて」
カイエンは私の顔を見て、口を何度かパクパクと開閉したあと、ワインを口にした。
そうね。そんなに開閉したら、喉が渇くからね。
「わかった。リュシーはそうだった」
「うん?」
「いや、王国の話をしよう」
そうして、カイエンは王国の他の領地で、農作物の収量が下がっていることや、他国との交易の一手に悩んでいることなどを、話してくれた。
「農作物の収量……それは、どこの領地の、どんな作物でも?」
「ああ。もちろん多少のばらつきはある。だが、アストレア領以外は、どこも下がり調子なんだ」
(考えられるのは……)
私はいくつかの可能性をあげる。
カイエンは、じっと耳を傾けては、頷いていた。
「その中だと、一番は土壌の劣化だろうな」
「うちは戦時中から土壌改良をしてきたけど、他のところはしてないでしょう」
「ああ。昼間聞いたことを、各領地に通達しても?」
「もちろん! 王国全土で収量が上がる方がいいわよ」
アストレア領だけが反映しても、国が滅びたら意味がない。
それに、やがてはカイエンが継ぐ王国だ。できれば豊かな状態で、受け継いで欲しい。
「交易の問題は……明日の視察で話しましょうか」
「そうだな。もう遅い。残りの時間はゆったりとすごそう」
「あ、明日の朝に、各領地の農作物の収量の一覧を地図で貰える?」
「構わないが……」
私はそこで話を切り上げ、カイエンのワイングラスに、スパイスワインを注ぐ。
コルオッグというハーブの良い香りが広がった。
「そういえば……お兄さまからの手紙で聞いたけど、この四年大変だったって?」
「ルーファスが、俺のことを?」
「うん。ホーツグリル公爵の派閥を、中央から徐々に遠ざけたとか」
ホーツグリル公爵は、現王妃の実家だ。
カイエンのお母君である前王妃は、彼が二歳のときに亡くなっている。前王妃は、今はない王国の姫君だったらしく、国王陛下が見初めて王妃となったとか。
現王妃は、そのあとすぐに国王の元へ嫁いできたので、いろいろな噂が飛び交った──と、聞いたことがあった。
(私が生まれる前のことだから、良く知らないんだけどね)
四年前。
戦中戦後の頃は、ホーツグリル公爵派と中立派のザイヨン公爵がバランスを取っていた。ちなみに我が家、アストレア辺境伯はザイヨン公爵と同じ中立派。
(うちは軍事力が強いから、どこの派閥にも属さないことを、王国と約束してるんだけどね)
「ホーツグリル公爵は、ちょっと好きにやり過ぎてたからね……」
そう言いながら、カイエンは私を見る。
にこりと笑うその表情は、少し悪い顔だ。
「私が王城にいたときは、確か──」
「ほら、リュシーの侍女をホーツグリル公爵の手の者に、知らない間に変えられたことが、あっただろ」
「そういえば!」
あのときのカイエンの怒りは、すさまじかった。
私が飲もうとしていたお茶を床に叩きつけて、その侍女を追い出してたのを思い出す。
王妃と王太子妃の侍女の採用や差配は、宰相室の役割だ。私が王太子妃をしていた頃は、ザイヨン公爵が宰相をしていたので、ホーツグリル公爵が侍女を送り込むこと自体、何かあるとしか思えない。
「あのお茶、体に良くなかったみたいね」
(正確には、お茶にブレンドされてたウモモの種が、青酸中毒を引き起こすんだけど)
「え、なんで知って──」
「あのお茶の匂い、独特だったからね。飲まずに侍女に声をかけようとしたら」
「俺が登場したってわけか」
「そうそう。あのときのカイエン、かっこよかったよ」
(部屋に走ってきたかと思ったら、目の前のテーブルのティカップをガッチャーンって)
「侍女が変わったと知ったから、とにかく急いでだんだ」
「へへ……ありがと」
「それにしてもリュシー。毒だとわかっていたのに、緊張感がなかったというか……。殺されかけたんだぞ?!」
「あの侍女は捕まったから、まぁいっかなって」
私の言葉を聞いて、へなへなと背を丸めるカイエンを見て、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。
「その……ごめん?」
「いや、あのときちゃんと、リュシーに言わなかった俺も悪いからな」
へにゃりと笑うカイエンの顔が、なんだかノアと重なってしまう。
思わず彼の前に行き、抱きしめてしまった。
「でも、カイエンは私に『君は殺されようとしてる』なんて、その場で言えない人だって、わかってるわ」
「リュ、シー……」
私の腰に、彼の腕がまわる。
(いけないっ! ついノアにするみたいに……。カイエンには、この後新しい婚約者ができるかもしれないのに)
カイエンから離れようと体を引こうとしてみるけど、がっしりと抱え込まれて身動きが取れない。
お腹辺りに彼の息がかかり、なんだか恥ずかしくなってきた。
「カ、カイエン……、その」
「リュシー」
「そこで……喋らないで……」
自分の顔が赤くなっているのがわかる。
だんだん、足に力が入らなくなってきた。
「ちょ……、もう無理……かも……」
足から力が抜けると同時に、カイエンが立ち上がって私を抱き上げる。
急に彼の顔が、私の目に飛び込んできた。
「カイエン?!」
そのまま、まるで子どもにするかのように、私の体を抱いてぐるぐると回る。
「はは! リュシー、最高だ!」
「何がよ! もうっ! 下ろして!」
唇をとがらせれば、彼は笑いながらそっと椅子に座らせてくれた。
「リュシー」
「なぁに?」
「いや。もう遅いから、寝ようか」
「そうね。また、明日」
「ああ。明日、また二人で話そう」
なんだか少しだけ思い詰めたような顔で、カイエンは笑う。
私はそれを、口にしてはいけない気がして、そのまま彼と月に、お休みと告げた。




