第五話 殿下との視察
カイエンは指を一本ずつ立てながら、口を開いた。
「農業改革の実績、収穫量の推移、領民の労働時間の変化……他の貴族の領地と比較して、リュシーが行った改革がどれだけ効果的だったか、はっきりと示したじゃないか」
プライドの塊のような貴族たちでも、戦勝の英雄の娘ということで、大っぴらに拒絶はできなかった。
でも、明らかに私を舐めるような顔をしていたのだ。
だったら、こちらも遠慮はしない。
「ああいうときは、数字が一番相手の頬を叩きやすいの」
「全くその通りだ! あいつら、真っ青になってたぞ」
「あのおっさ──コホン。おじさまたちを、ひれ伏させたくなったよね」
「あれは痛快だったなぁ。あの頃から、リュシーは勉強熱心だった」
「ありがと。私はただただ、この領地と領民を守りたくって」
だから、カイエンにも期限付きの結婚を提案したのだ。
私は研究を続ける自由を。
そしてカイエンには──王都から遠い、辺境伯領の泥まみれの娘ではなく、王都の華やかな令嬢との結婚の可能性を。
お互いに異性愛ではなくて、家族愛で過ごせたからか、とても穏やかに過ごすことができた。
「王城の農政官ですら、こんなに成果は出せていない」
目を細め、私を見る。
その瞳には、私への尊敬の念が込められていることに気付いた。
(ありがたいな)
私がやってきたことが、こうして結果として出て、そしてそれを、第三者に認めて貰える。
それがこんなにも嬉しいことだなんて。
「さ! サクサクと他も見ましょう!」
「いや、ここをもう少しじっくりと見よう」
「じっくり……」
「せっかく来たんだからな」
(確かにね。早く帰って貰いたいのは、私の都合だけど、カイエンだって王国の農業を変えようとして来てるわけだし……)
ほんの少しだけ反省して、きちんと説明をしようと気持ちを切り替えた。
農地改革でやったことの説明をするには、実際に畑に降りるのが一番。
全体を見渡していた場所から、農地へと皆を引き連れていく。
「気を付けろよ」
「ふふっ。何年この辺りを走り回ってると思ってるの」
なんて振り向きながら言った直後。
「わわっ」
「ほら!」
うっかり小石に足を取られ、転びそうになる。
咄嗟に腰を引き寄せて貰って、事なきを得た──けど。
「は、恥ずかしい……」
「リュシーに怪我がないなら、別にいいだろ」
「そうじゃなくて、私ったらいつもはノ……」
「ノ?」
一瞬空気が止まる。
(しまった!)
できるだけ、なんでもないような顔を作った。
「ううん。いつもは、こんなことない、って言いたかったの」
カイエンの腕の中からそっと抜け出して、なんとなく土を見つめる。
「……リュシー、何か俺に隠し事してないか?」
その声が、妙に落ち着いていて怖い。
顔を上げると、カイエンがじっと私を見ていた。
(まさか……気付かれた?!)
「カイエンに隠し事……なんて、してない、よ」
自然に言ったつもりなのに、最後の「よ」が、ほんの少しだけ遅れた気がする。
カイエンは何も言わない。
ただ、少しだけ間があって、私の視線を追うように、ゆっくりと目を細めた。
「──そっか」
(うう……。上手く誤魔化せたかなぁ)
とにかく話を変えよう。
「で、では! 土の話を!」
麦畑の土をくしゃりと握る。
「この土は、麦の籾殻や、木の枝なんかを炭化するまで燃やしたものを混ぜ込んでるの。それから」
説明をしながら、当時のことを思い出す。
「痩せこけた土地に、ただ堆肥を混ぜるだけだと、駄目だったの」
「駄目、とは」
後ろで控えていた補佐官が聞いてきた。
私はそちらを振り返り、土を手のひらで広げてみせる。
「保水能力が落ちていて、すぐに水とともに栄養分が流れ出しちゃって」
「ははぁ、なるほど」
彼らは熱心にメモを取っていく。
「それで、そのくん炭を?」
カイエンも中腰になって、私の手元を見た。
「そう。あとは、森でキノコを採取していたときに、それが土の中で根と繋がってることに気付いて」
「キノコ……?」
後ろで補佐官たちがざわめいた。
それもそうだろう。
キノコは食べたら美味しい。でも、逆にいえば森にキノコを食用で採取すること、それだけが皆の知ることだから。
「それで、キノコの菌を培養して、畑に蒔いてみたら、作物の成長が約三倍になったのよ」
「作物とキノコが助け合う……? そんなの聞いたことがないですな」
「いやこれは、是非とも王都の畑でも実験し、全国に……」
まさかここまで驚かれるとは思っていなかったけど、補佐官たちの熱心な瞳に、私も説明に力が入っていく。
私は次々と、土地を復活させるために行ったことを、具体的に説明した。
あの戦後復興会議のときよりも、さらに研究を深めて改善したのだ。
補佐官たちはもちろん、カイエンも、真剣な表情で私の説明を聞いては、質問をしてくれる。
私たちは持ってきたサンドイッチやフルーツをランチとして食べ、午後もまた説明を続けた。
随分と長い時間、説明や質問、それに活用方法についてなどを畑で議論し続ける。
やがて、少し落ち着いたとき。
「実験するの、大変だっただろ?」
「そりゃぁね。でもちゃんと実験を繰り返して、それから領地に広げて……。私の思い込みで、領民の畑を失敗させるわけにはいかないもの」
「リュシーは、確かに思い込みが激しいところがあるからな」
「失礼ね!」
「はは。でも……本当にすごいよ」
カイエンの瞳は、まるで春の日差しのようにあたたかい。
(いつだって、こうやって見守ってくれるのよね。まるで、お父さまやお兄さまみたいに)
「さっきも少し話題に出てたけど、王国の農業があまり安定していないって……」
「ああ、俺がここに来たのも、アストレア領の農業手法を、王国全土で取り入れられないかと思って」
カイエンが来るとわかったときに、サリーが言っていた通りね。
農業だったら、私が役に立てる。
「カイエン、良かったら状況を詳しく──」
「お嬢さま!」
そのとき、馬に乗ってダンテが走ってきた。
「そんなに急いでどうしたの?」
馬を下り、私の元へ駆け寄ってきたダンテは、私に囁く。
「ノア坊ちゃまが、お熱を」
「えっ?!」
「どうした。やけにその従僕と顔が近いが」
「ででで殿下! それは誤解であります! 私はその、急ぎの案件をお嬢さまに」
「ああ、分かってる。大丈夫か、リュシー」
カイエンの言葉に、私は立ち上がる。
「ごめん、カイエン。続きはまた明日でもいいかしら」
「構わない。何か起きたんだろ?」
彼に頷くと、ダンテが乗ってきた馬に駆け寄った。
「ダンテ、馬を借りるわね! あなたはカイエンと一緒に馬車で戻ってきて!」
「殿下と?! そりゃ無茶ですよ、お嬢さまーっ!」
(ノア、熱はたいしたことないといいけど……)
ダンテの声を遠くに聞きながら、私は別館にいるノアの元へと走り去っていった。