第十九話 あなたと向き合いたい
私が見せた小瓶に、二人はあからさまに目の色を変えた。
這いずるようにして私の方へと近付き手を伸ばす。
公爵が王妃の前に少しでも出れば、王妃はその足に噛みつき、逆に王妃が公爵の前に出れば、体を乗せて動けなくした。
「おぞましいこと、この上ないな」
私を庇うように、一歩半前に立ったカイエンは、吐き捨てるようにそう言う。
「あのお二人いつ……気付くのかしら」
「さぁな。でもこれは、とても良い実験だ」
カイエンは私から小瓶を受け取り、ここから十歩はあるであろう距離にいる二人の元へ近付いた。
彼らの前にしゃがみ込み、にんまりと笑う。
「仲の良いお二人だ。これは半分ずつ差し上げよう」
近衛兵に目で合図をし、二人の口を開けさせる。
そこへ、小瓶の中身を半分ずつ流し込んだ。
「うぐぁっ……! ゲッ、ゲホッ。あ、あぐぁ」
「ヒイィ! の……喉がくる、し……やぁ……!」
途端。二人の表情が、これまでとは比べものにならないほど歪む。
カイエンは、その二人を無表情なまま見つめていた。
数分間、のたうち回る二人を見た後、私の元へ戻って来る。
「カイエン」
私はそんな彼に対し、両手を広げた。
彼は私の腕の中に入り、背に手を回す。私も彼の背に手を回し、ぽんぽん、と優しくたたいた。
まるでノアにするように。
きっと彼の母君も、ここにいたら同じようにしただろう。
時間にしたら、ほんの数十秒ほど。
カイエンが私から離れると、今度は私が、王妃と公爵を見る。
「お二人は何か勘違いをされてましたが──」
虫の息ともいえる細い呼吸をしながら、彼らは私を見た。
正確には、視線をほんの少しあげれば私が目に入る、それだけだろう。
「最初のお茶には、ウモモの実の種、つまり毒は入っていなかったんです」
その言葉を理解するまでに、二人はどのくらいの時間を要するだろうか。
もしかしたら、もう理解する余裕はないのかもしれない。
「カイエンが渡した解毒剤の中に、種から抽出した毒が入っていたんですよ」
つまり、どちらかが解毒剤を無理矢理得ていたら、一人で一気に死んでしまっていたのだ。
もちろん、私たちはそうさせるつもりはなかったけど。
「二人──いや、ヴェルナーを含め三人は、これまでのように、中央で政治に関わることも、社交をすることも、領地で民のために過ごすことも難しかろう」
陛下は、これまでのように、という部分を殊更ゆっくりと、嫌味たっぷりに口にする。
「ホーツグリル公爵家は奪爵とし、嫡男には母方の姓を名乗り子爵位を与えることとする。そなたらは嫡男の家で、世話をして貰え」
抽出した毒は、半量であれば致死に至らないよう計算をして用意した。
ヴェルナーに近い症状になるようにしてあるので、もう二度と表舞台に出ることはないだろう。
「申し立てがある者は、今この場で述べよ」
王妃と公爵は、何かを叫んでいる。だが、それが言葉として発言扱いになることはなかった。
「では、これにて終了とする。ザイヨン公爵、パテレス伯爵、処理を頼む。ショルグ侯爵」
「──は」
「どうすれば良いか、わかっているな?」
陛下に釘を刺されたショルグ侯爵は、真っ青な顔をして返事をする。
はい、以外の答えなど、そもそも用意されてはいなかったけれど。
***
「え? 婚約?」
王妃たちの処断も終わり、私はカイエンと庭園がよく見えるテラスでお茶を飲んでいる。
ノアはすっかり眠ってしまったらしく、そのままお父さまとお兄さまがタウンハウスへと連れ帰った。
なんでも「領地に戻ったら、しばらく会えなくなるじぃじに時間が欲しい」とのことだ。
おじいちゃんっ子のノアのためにも、頻繁に王都に来て貰う予定だったけど、それはしばらく黙っておこう。
「そう。以前は、後ろ盾が必要なこともあって、すぐに結婚しただろう?」
カイエンは、飲み終えたティーカップをテーブルに戻す。
すぐに王宮付きの侍女が、紅茶の入るカップと入れ替える。
「それは確かにそうだけど」
「あのときは、リュシーの気持ちが俺に向かう前に、結婚しちゃっただろう?」
それは、その通りだった。
あくまでも、カイエンという『王太子』の後ろ盾となる家門が、結婚相手になる必要がある。
だから、戦争の英雄であり、強大な兵力を持つ辺境伯家の私が選ばれた。
「それは、カイエンも同じじゃない」
私のその言葉に、カイエンは目を丸くした。
(あ、その顔、ちょっとかわいいかも)
思わず、そんなことを思ってしまう。
「──リュシー。きちんと言葉にして伝えないと、伝わらない、と実感したよ」
「カイエンが私のことを今も大切に思ってくれているのは、もう十分わかってるけど……」
「そうじゃない。そうじゃないんだ、リュシー」
カイエンが立ち上がり、私に手を差し出す。
その手をとり、二人で庭の方へと歩き出した。
テラスの植え込みには、庭に出る通路が作られている。
「この先は」
丁寧に世話をされている、大輪のバラたち。
その下にあわせたかのように咲いているのは、うすピンクと白、それに青や紫に彩られたオダマキだ。
花に彩られた小径を進むと、温室が数棟並ぶ広場に出た。
「初めて、リュシーに出会った場所だよ」
それは、今から十七年前。
私が五歳、カイエンが九歳のときのこと。
「前にも、教えてくれたわね。私は全然覚えてなかったけど……」
「五歳のときのことなんて、覚えてなくても当たり前さ。あのときのリュシーは、温室の植物のことしか頭になかったみたいだし?」
「もう……!」
その通りなだけに、なんだか恥ずかしくなってしまう。
「恥ずかしがることはないのに」
赤くなった顔を覗き込み、くすりと笑うカイエンに、私はさらに赤くなってしまった。
(ちょっと──カイエンって、かっこいい……)
「あの、手前から三つ目の温室。庭師に説明を受けながら、真剣な顔でメモをしているリュシーが、そこにいたんだ」
二人でその温室の中に入る。
十七年前から変わらず、この温室では土壌改良のためのハーブや、痩せた土地でも育てられる食用のハーブなどが研究のために、育てられていた。
「リュシーが、小さいのに真剣な顔で一つずつ確認し、質問している姿を見て、貴族のあり方を強く感じたんだ」
まさか、五歳の私の行動から、そこまで深く考えてくれていたなんて。
カイエンが、私の体を引き寄せた。
栽培中のローズゼラニウムに触れたのか、甘いバラのような香りが僅かに立つ。
「この温室で初めて見たときから、リュシー。君を好きになっていたんだ」
カイエンの声が耳元に響く。
ローズゼラニウムの香りのように、優しく甘いその言葉は、私の心の中に素直に染みこんでいった。
(きっと──以前の私なら、これも家族愛だとすり替えていたわね)
カイエンと向き合って、ようやく気付いた。
私が、どうしてこんなにも彼を受け入れなかったのか。
何を──怖がっていたのか。
「ねぇカイエン。私は、勘違いをしてたみたいなの」
この王城に再び来ることに決めた。
その気持ちに偽りはない。
けれど今、気付いたことがあったのだ。
それをカイエンに、告げないといけない。
「……勘違い?」
カイエンの声が、僅かに震えていた。




