第十八話 お父さまと呼んで
ガタリゴトリと馬車が進む。
馬車の中にはカイエンとノア、私。
お父さまとサリー、それにお父さま付の従僕は別の馬車ですぐ前を走る。私たちの後ろには、カイエンと共に来た補佐官たちが乗る馬車が続く。
この隊列と別にして、ヴェルナー一人を乗せた小型の馬車が追いかけてくる。
ヴェルナーの連れてきた側近たちは、明日以降それぞれの家門に手紙による通達をして、直接アストレア領に迎えに来るような手はずとなっていた。
「お母さま、お城にはどうして行くの?」
カイエンの膝の上に座るノアは、私の顔を覗き込んで訊ねる。
「お城にはね、お母さまとノアと、それからカイエンの三人が一緒に暮らすために行くのよ」
「カイエンさん……も? 一緒に住むの? ほんと?!」
ノアは、不安そうな顔から一転、パァっと嬉しそうな表情を浮かべた。
そうして、自分の頭の上にあるカイエンを見上げる。
私は深呼吸をして、心を落ち着かせた。
どう言えば、ノアに受け入れて貰えるか。昨夜はカイエンと長く話し合った。
どうすればノアを傷つけず、理解して貰いやすくできるか。
でも結局、ストレートに伝えることに決めた。
「ノア。カイエンはね、ノアのお父さまなの」
「お父さま?」
カイエンはノアの頭を優しく撫でる。
「そう。俺はノアのお父さまなんだ。どうだろう。嫌じゃない?」
不安そうな顔をできるだけ隠し、カイエンはノアに微笑んだ。
ノアは、カイエンの瞳をじっと見つめた。
「僕とカイエ……お父さまは、おんなじおめめだもんね。僕、お父さまじゃないかな、って思ってたの」
カイエンのことを『お父さま』と呼ぶノアの顔が、ぼやけて見える。
「ノア。ノアは俺のことを、お父さまって呼んでくれるんだね」
「だって、お父さまはお父さまでしょ? 僕ずっと、お父さまが欲しかったの」
(ああ……。私は、ノアから父親を取り上げていたのね)
もちろん、それはわかってた。いえ、わかってるつもりだった。
でも、王位継承権だの王城の問題だの、そして──私の考えなんて、ノアには関係がない。思い上がりも良いところだ。
母親や祖父では埋められない部分があることから、目を逸らしてはいけなかった。
「ノア──」
(ごめんね)
口に出すことはできない。
ノアの髪を撫でれば、にこりと笑いかけてくれる。
「お母さま、僕、カイエンさんがお父さまだったら良いのに、って言ったでしょ」
えへん、と胸を張るノアに、今度はカイエンが私を見た。
「ノアがそんなことを」
「え……ええ……」
誤魔化すように返事をするしかない。
「じゃぁ、これからはずっと、お母さまとお父さまと一緒に暮らせるの?」
「ああ、そうだよ」
「それから、ルーファスおじさまにも、たくさん会えるわ」
「わぁい!」
王城で働くお兄さまには、これからたっぷり甥っ子をかわいがって貰おう。
(黙っていても、きっとものすごくかわいがるだろうなぁ)
年に数度領地に戻って来るときには、山のようなおもちゃを買い込んでくるのが、ルーファスお兄さまだ。
「ノアは、お父さまとお母さまから生まれたのよ」
改めてそう告げると、ノアはカイエンと同じ色のガーネットの瞳が、細い糸のようになるまでくしゃりと頬をあげて、笑った。
***
王城に着くと、お兄さまが出迎えてくれた。
通常であれば王都にあるタウンハウスで一度落ち着いてから、登城という流れだけど、今回は別の馬車にヴェルナーを連れている。
王妃やホーツグリル公爵に対策を取る時間を取らせないためにも、領地からそのまま登城するのだ。
「父上、リュシー! おお、ノアも! 元気だったぁ? あ、あと、殿下。お疲れ様です」
「おいルーファス。なんで俺がそんな、おまけ扱いなんだよ」
「実際おまけですよ。私にとっては」
「ルーおじさま、抱っこ!」
「おお、よしよし」
久しぶりに会ったお兄さまは、変わらず家族を大切に思ってくれてる。
でもさすがに王太子を、そこまで邪険に扱わなくても。
「それで」
ノアを抱っこしながらも、お兄さまの目線は後ろから到着した小さな馬車に向かう。事前に早馬で連絡をしていたので、状況は全て把握している。
「ああ。アレはあの馬車の中だ」
カイエンがそう告げると、お兄さまはノアをサリーに預けた。
「陛下がお待ちだ。ノアと陛下の対面は、全てが終わってからにしよう」
お兄さまの言葉に、私たちは頷く。
「サリー。宰相補佐室で、ノアと待機しててくれ。お菓子とおもちゃを用意してある」
ノアが退屈しないよう、準備してあるあたり、流石はお兄さまだ。
ここでノアとは一度別れ、私たちは陛下の待つ謁見の間へと向かった。
「その馬車の中にいる奴は、謁見の間の控え室までは布袋にでも入れて、人目に付かないようにして連れて行ってくれ」
ヴェルナーの乗る馬車についていた我が家の兵たちに、お兄さまが指示を出すと、彼らは心得たとばかりに素早く動く。どうやら領地での行動や、私やノアにしでかしたことを、すでに共有されているらしい。
(うちの兵たち、皆ノアのことが大好きだからなぁ)
「俺たちも行こう」
当然のようにカイエンが私に手を差し出す。
王城でこうして彼の手をとるのは、四年ぶりだ。
あの頃には感じたことのない、緊張が私の体を走る。
乗せた手の先を見て、思わず顔が赤くなってしまった。
「リュシー?」
「ちょ、ちょっと緊張して」
「大丈夫。もうあとは、陛下が」
「そうじゃ……なくてね」
ちらりと彼を見れば、ようやくわかってくれたのか。
「──あ、うん」
なんて言いながらも、私の手をぎゅ、と握りしめた。
「そういうの、あとで頼む」
「ルーファスの言うとおりだ」
お兄さまとお父さまが、苦笑いを浮かべている。
私とカイエンは、顔を見合わせて、笑いあった。
***
謁見の間は、金色の刺繍がされたえんじ色の絨毯が中央に敷かれている。
部屋の正面には、天蓋からドレープのたっぷりとられた深く青い布が下がり、その下に玉座が置かれていた。
(あれ?)
通常、謁見の間には王と王妃の座る椅子が二つ並んでいる。
けれど今、この部屋には王の座る椅子だけが、置かれていた。
部屋の後方左右には、宰相であるザイヨン公爵、それにホーツグリル公爵派のショルグ侯爵、パテレス伯爵がそれぞれ座っている。
(パテレス伯爵は法務大臣だからだとして、ショルグ侯爵は──この二人の結末を見せつけるために呼んだのね)
ショルグ侯爵家は、ホーツグリル公爵家の遠戚だ。今後ホーツグリル公爵がいなくなった場合、かの家が派閥を纏めることになる。
だからこそ、呼んだのだろう。
やりすぎると、どうなるかという末路を見せつけるために。
「国王陛下のお成りです」
玉座の置かれた場所から数段下で、私たちは膝を折り待機する。
「皆、楽にしてくれ」
陛下の言葉に、玉座を挟み左右に椅子が用意された。
あらかじめ陛下からの指示があったのだろう。
「では、三名をここへ」
私たちが座ったことを確認すると、陛下は扉近くにいる衛兵に声をかけた。
余計な会話はしない。すでに、我がアストレア辺境伯家と王家との間で、話はついているのだ。こういうときのためにも、どの家の者も、一人は王城に詰めている。
数分と経たず、王妃とホーツグリル公爵が揃って現れた。
そして、粗末な輿に乗せられたヴェルナーも。
「陛下っ! これはどういうことです?!」
王妃がヒステリックに叫ぶ。
「ヴェルナー殿下のこの状態、一体誰がこんな酷いことを」
ホーツグリル公爵は、まるで今まで酷いことをしていないような顔で、そう吐き出す。
ヴェルナーのこれがウモモ茶が原因だと、理解しているのだろうか。
そんな二人と同じように、必死に何かを伝えようと、ヴェルナーも叫ぶ。叫ぶが、やはり言葉にならない。
「──誰が、口を開いて良いと言った」
ぽつり、とこぼした陛下のその一言に、部屋が静まりかえった。
陛下の近侍が、王妃と公爵に膝をつくよう指示をする。
二人は難色を示したが、陛下の視線に負けたのか、その場で絨毯に膝をついた。
誰がどう見ても、罪人のような姿勢になる。
「いつまでも、余が黙っていると思っていたのか」
ホーツグリル公爵をじろりと睨み、陛下は口の端をあげた。
「公爵。どうも我が長男は、記憶力が良いらしくてな」
指名されたも同然のカイエンは、悠然と笑い言葉を綴る。
「俺が二歳の頃でしたね。侍女が淹れたお茶で、母上──前王妃が倒れ、命を落としたのは」
「侍女が部屋に入ったときには、ベッドで泡を吹いていたと聞いておりますぞ!」
「公爵、もうお忘れですか。……誰が口を開いて良いと言いました」
今この場では、陛下の次に高貴な身分なのは王太子、カイエンだ。
そのカイエンにまで口を閉じろと言われ、公爵の口元がひくりと引き攣る。
「俺はね、公爵。覚えてるんですよ、そのときのことを」
カイエンは、ウモモの実を手に持って見せた。
「母上は、公爵の手配した侍女たちの淹れたお茶を飲んですぐに倒れた」
「ホーツグリル公爵。そなたの家門にて、ウモモ茶を密かに購入している記録が、ここにある。ちょうど──前王妃が倒れる数日前と、リュシアの元にそなたが手配した侍女が入った頃合いにも、履歴があるな」
実際、明確な証拠などは今となっては不要なのだろう。
前王妃暗殺の疑いがあったホーツグリル公爵。
実際に私がウモモ茶を飲むよう、手配した王妃とヴェルナー。
王太子の子どもに、害意を持ち亡き者にする意思を、私に明示したヴェルナー。
そして、王妃の実家はホーツグリル公爵家。
(前王妃殿下の暗殺だけなら、状況証拠に等しいから、裁くのは難しかったかもしれない)
そう考えると、王妃とヴェルナーに、公爵は足を引っ張られたようなものだ。
「陛下! 私はあなたの妻ですよ!」
「あぁ、そんなときもあったなぁ」
陛下が手を上げると、近侍が書類を王妃の前に見せつけるように押し出した。
「高位貴族と王族それぞれ一名以上の立ち会いの下、先ほど正式に離婚が成立いたしました」
近侍がそう告げると、王妃は瞳を大きく見開き、体をガクガクと震えさせる。
公爵は起死回生の頼みが消えたと思ったのか、顔色が悪い。
「二人とも、顔色が悪い。それ、あたたかい茶を用意しよう」
それは、二人へは死刑宣告に聞こえただろう。
だが、ここにいる私たちは、簡単に死なせるつもりはないのだ。
甘いウモモ茶の香りが立ち上るお茶が、二人の前に供される。
ヴェルナーは、どろりとした目をしながらも、にたりと笑ってそれを見ていた。
(自分と同じ目に遭えば良い……とでも考えてるのかしらね)
「どうした。そなたらが大好きで、よく購入していたお茶だろう?」
暗に、早く飲めと言わんばかりに陛下はお茶を勧める。
「陛下……! たとえ離婚していようとも、一度は夫婦となった私たちではありませぬか!」
「我が最愛のレティを殺して手に入れた、夫婦の立場の間違いではないのか?」
レティ──それはカイエンの母君の名前だ。
「あの頃は、明確な証拠もなく更に余の力もそこまで強くなかった。だがな」
当時は、陛下が玉座について数年の頃。前国王とホーツグリル公爵派は蜜月で、どうすることもできなかったと、昨夜お父さまに聞いた。
「今回は証拠などいらぬほど、ヴェルナーがやらかしたからな」
「この子は! ヴェルナーはもうすでに、罰を受けております。ならば、私も公爵も、罰を受ける必要など」
「まるで自分たちは何もしていない、とでも言いたいようだな」
陛下が手をするりと上げると、近衛兵がそれぞれの鼻をつまみ、カップを口元に押し当てる。
息が苦しくなれば、口を開ける。そこへ、お茶が流し込まれた。
淹れたばかりのウモモ茶は、さぞや香り高く──熱いだろう。
「う……っ、ぐぁ」
「ひぅっ……、く……苦し……」
二人はその場で喉を押さえ、のたうち回る。
(苦しいわよね──でも、そのお茶……)
公爵はぼろぼろと涙を流しながら、胃に入れたお茶を吐き出そうと、喉に手を突っ込む。
王妃もやはり吐き出そうとしているのか、何度も喉や腹を叩いていた。
そんな彼らを見て、陛下は私に目線を送る。それを受け、私はこの場で立ち上がった。
「お久しぶりにございます。私、ウモモ茶の解毒剤を持っておりますの」
にっこりと笑みを浮かべ、小瓶を一つ見せる。
「ただこの解毒剤、一人分しかないのよねぇ」
さぁ、二人ともどうするかしら。




