第十七話 私の気持ち
目の前でのたうちまわるヴェルナーに、私は小瓶を見せつけた。
「ヴェルナー第二王子殿下。解毒剤はこちらに」
優しく微笑むと、彼は目を見開いて必死でこちらに近付こうとする。
「欲しいわよね」
必死に頷くヴェルナーは、覚えているのだろうか。
このお茶で私を殺そうとしていたことを。
「あなたが、私にこのお茶を飲ませようとしたときは……」
小瓶の蓋を開ける。
きゅぽん、と小さな音がした。
「解毒剤なんて、あったのかしら」
カイエンがヴェルナーの体を押さえつけ、無理矢理口を開かせた。
そこへ、私が瓶の中身を落としていく。
すぐに痙攣はおさまり、呼吸が安定した。
ヴェルナーの舌を通り、解毒剤が体に吸収されていったのが、それでわかる。
「ねぇ、第二王子殿下」
依然カイエンに押さえつけられたままのヴェルナーの前に、しゃがみ込む。
「どうしてすぐに、解毒剤をあげなかったと思う?」
すでに、その答えはヴェルナーの体に表れている。
はくはくと動かす口からは、今までのように流暢な言の葉はこぼれ落ちない。
「う……ぐぅ……あ、ルシ……」
言葉の断片だけが、どうにか吐き出されてきた。
ルシ、はリュシアと言いたかったのだろう。
「もう、お話できないかしら?」
問えば、同じようなうめき声が再び漏れてきた。
「青酸中毒は、解毒剤を使うまでの時間が延びれば延びるだけ死に近付く。解毒できたとしても、体に問題が残ることも──もちろんあるの」
空になった小瓶を、ヴェルナーの頬にひたひたと当てる。
「あなたが使おうとした、そしてあなたの血族が前王妃に使ったものが、どんなに残酷なものか──」
ヴェルナーの瞳からは、光が一切消えていた。
どろりとした昏い赤色が、そこにただあるだけだ。
「理解いただけたかしら?」
にこりと笑みを渡すと、私は踵を返す。
カイエンとお父さまもヴェルナーを捨て置き、私と共に部屋を出た。
このあと、しばらくは彼はあの場で絶望を味わい続けるだろう。
(さて、あとは──)
部屋を出て、お父さまの執務室へと三人で向かう。
使用人がすぐに、紅茶を淹れてくれる。
もちろん、ウモモ茶ではない。
「カイエン、体は大丈夫?」
「ああ。リュシーの解毒剤は、完璧だったよ」
解毒効果の数値など、資料を見せつつ、私がこの賭けの当事者になると宣言した。
大丈夫だとわかってはいたけれど、絶対ということはないから。
だから私が解毒剤を飲んで、賭けに臨むつもりだったのだ。
でも、カイエンは違った。
──俺が賭けに参加する方が、あいつも乗ってくるだろう。
そう言いながら、私を危険な目に遭わせたくないと思っていることが、伝わってきた。
(どうして私は、今までこれを『家族愛』だと思っていたのか)
「カイエン、お父さま」
私の真剣な声に、二人はじっと私を見る。
「私はノアを連れて、王城に行きます──王太子妃として」
「リュシー」
カイエンが、私の手を取る。
「それは、ノアのため?」
ほんの少しだけ揺れる不安そうな彼の声。
何度も何度も、そしてずっと──待たせてしまってごめんなさい。
「私が、カイエンに対して抱いていた気持ち」
ゆっくりと、呼吸をする。
自分の気持ちを、確認するように。
彼の存在を、確認するように。
「それは、あなたのことを愛おしいと、恋しいと思うものだったみたい」
カイエンの手が、私の手を握る。
ゆっくりと、指先からまるで好きが溢れてくるように、包み込むその手は、今までと同じで、そして全然違うように感じた。
「リュシー。愛しているよ」
まるでゆっくりと時間が過ぎるかのように、私の体が彼の腕の中に引き寄せられる。
カイエンの心臓の音が、私の体に伝わってきた。
「カイエンの心臓の音。すごく、早い」
「──リュシーのも、同じだよ」
言われて、私の心臓も早くなっていることに気付く。
「やっと殿下は、リュシーを口説けたということですな」
「お、お父さま……!?」
「リュシー、殿下。まさか私の存在を忘れていたんじゃ……」
「そ、そんなことはないわ」
「忘れていたかったよ、辺境伯」
「カイエン?!」
慌ててカイエンの腕の中から抜け出そうとする。
「──あの、カイエン?」
「せっかくリュシーが、俺を好きだと言ってくれたんだ。離したくない」
(まるで子どもみたい)
なんだか、カイエンがとてもかわいく見えてしまう。
「リュシー。王太子妃として戻るのならば、きちんと知っておきなさい」
お父さまが、とても真剣な声で私に言う。
(なんだろう──。王族にまつわる、なにか重大なこと?)
一瞬で、私の中に緊張が走った。
「カイエン殿下は、それはもう、重い愛情をお前に向けている」
「……え?」
ちらり、と私の体を抱きしめているカイエンを見る。
彼は、にっこりと笑った。
「そもそも、リュシーとの離婚をすんなり進めたのは、一度王妃たちを排除するためだったからな」
その言葉に、私は領地に戻ってきたときのことを思い出す。
──殿下から話は聞いている。お前を守るためとはいえ──殿下もよく決断してくれたな。
お父さまは確かにそう言っていた。
(私の馬鹿……! 全然気付いてなかった!)
「リュシーはそれでいいんだよ」
カイエンが笑う。
お父さまも、一緒になって笑った。
「辺境伯。明日にはヴェルナーを連れて王都に戻らねばならない。今回はあなたも一緒に来てくれないか」
「無論。今回はリュシーとノアのことを陛下に報告しないといけないですからな」
「ノアについては、ホーツグリル公爵から守るために、出生から秘密にしていたということに」
私の頭上で交わされる会話は、内容的には重い。
それなのに、カイエンはずっと私を抱きしめ、髪の毛を撫でているのだ。
(殿下の愛は重い──って、こういうこと?! まだちょっと良くわからないんだけど……)
「リュシー。明日すぐの出立で申し訳ないが」
「大丈夫よカイエン。それより、そろそろ離してくれない?」
「離さないと駄目か?」
「お茶、飲みたいし」
私の言葉に、渋々といった風にカイエンは私の体を解放してくれた。
ただ、私の片手はカイエンに握られたままだ。
お茶を飲み、二人を見る。
「それで、王城に戻ったらすぐに──王妃たちを潰せるのね」




