第十六話 命を賭けた勝負
翌日。
ヴェルナーを監禁している部屋に、カイエン、お父さま、そして私が入る。
この部屋には、ヴェルナーが連れてきた側近たちはいない。
彼らは、別の部屋に隔離している。領内で起こした不正や迷惑行為に関して、しっかりと罰金刑を科す予定だ。もちろん──ヴェルナーの件が済み次第、各家にも正式な通達もする。
「ヴェルナー」
「ああ、兄上。それに──辺境伯とリュシア嬢も。私をここから出す気になりましたか」
ヴェルナーの片頬は大きく腫れ上がっていた。
カイエンが殴った跡だろう。
「ヴェルナー第二王子殿下。あなたとは、お話をしに来たんです」
私はソファにカイエンと並んで座る。お父さまは、ヴェルナーの後ろに立った。
ヴェルナーと私たちの間には、背の低いテーブルが一つ。
そこへ、ティーカップを二つ用意させた。
「お話? それは、王家の瞳の色を持った、お前の息子のことか?」
わざわざノアのことを話題に出すとは、ヴェルナーは思っていた以上に愚かなようだ。
(その方が、こちらも心置きなく対処できて助かるけど)
ヴェルナーの言葉に、お父さまの顔がまるで魔王のように恐ろしくなっている。
彼の後ろに立っているから、ヴェルナーはその様子を見れないけど。見せてやりたかったわ。
「ねぇ、ヴェルナー第二王子殿下」
「お前さぁ。そのいちいち『第二王子』ってつけるのって、わざと?」
「だって今この部屋には、立太子を終えている正当なる後継の王太子殿下がいるでしょう」
「リュシーは、親切だからな。ただ殿下とつけただけだと、己の立場を勘違いするやつがいることを知ってるんだ」
くく、と笑うカイエンは、なかなか悪い顔をしている。
私もそんな風に、悪い顔をしようと、うっすらと笑って見せた。
「……リュシー。そんなかわいい顔を、あいつに見せるな」
──耳元でそう囁かれてしまった。
どうやら私の悪い顔は、失敗らしい。
「ヴェルナー第二王子殿下。あなたはウモモ茶をご存じ?」
私の言葉に、ヴェルナーの表情が強ばる。
「知っているようで、よかったわ。あなたのお母さま、お祖父さまであるホーツグリル公爵が、愛用しているお茶ですものね」
「さ、さぁ。私は知らないな」
「そう。ご存じないなら、説明してあげましょうか」
サリーがウモモ茶の茶葉と、ウモモの実をお皿に載せて私に手渡した。
それを、ヴェルナーに見せる。
万一ヴェルナーが、私からこれを奪っても、後ろにいるお父さまがすぐに気絶させるだろう。
「このウモモの葉と花と実、それに種を乾燥させて混ぜたものをウモモ茶というの」
「──それが、どうした」
「このウモモの種には、毒があるのよね」
そう言って、ウモモの実を手に取る。
この中に入ってる種の成分が、毒となるのだ。
「その毒は、どんなものだかご存じ?」
知らないはずはない。
私の元へ来たホーツグリル公爵家の侍女に、ウモモ茶を渡したのは、王妃とヴェルナーなのだから。
王太子妃の部屋の侍女を入れ替えたとしても、王城の侍女を全て入れ替えることは、宰相ではなかったホーツグリル公爵にはできない。
そして、王城の中にいる王族というものは、常に人の目が向いているのだ。
「摂取すると、青酸中毒という中毒症状を引き起こすの。最初は頭痛やめまい、それから息苦しくなって、やがて意識が消失して、心臓がね──停止するのよ」
「そ……れが……なんだって言う……んだ」
ヴェルナーの声が掠れる。
手元が震えていた。
(あら。人にはあんなことをしておいて、意気地のないこと)
呆れてしまう。
私は話を続けた。
「ねぇ、第二王子殿下。人を脅かすときっていうのは、それが自らに返ってくることも、想定すべきだって、教わらなかった?」
サリーをちらりと見る。彼女は頷くと、すぐにお茶の用意を始めた。
ウモモ茶の、少しだけ甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
「賭けをしましょうか、ヴェルナー第二王子殿下」
ヴェルナーを見据え、私は微笑んだ。
「──賭け?」
用意されたティーカップに、サリーがお茶を注ぐ。
普段は目の前でこうして注ぐことはないが、今回は別だ。
ポットは二つ。それぞれのカップに、それぞれのポットでお茶を淹れていくところを、見せるために。
「片方はウモモの実の種が入っているお茶、もう片方は毒のある実の種が入っていないお茶」
両方を指さしていく。ヴェルナーの目が、せわしなく動いた。
「俺とヴェルナーで、同時にこの茶を飲む。毒が入っていない方が勝ち、だ」
「簡単な賭けでしょう?」
そう言ってやれば、ヴェルナーは口の端をひくつかせる。
「私が勝ったとして、その賭けをして何の利を得る」
(あら、勝つ気でいるのね──やっぱり、愚か)
わざわざ我が領地まで来て、何を視察してきたのか。
(視察、してなかったわ)
グランメザン市場や港での、第二王子一行の愚行情報を思い出す。
「そうね。第二王子殿下が勝ったら、我が家が後ろ盾になりましょう」
「はは……! そりゃいい。兄上、目の前であんたの女を奪ってやるよ」
(うわぁ、滑稽……)
第二王子の浅はかさを見ながら呆れていると、カイエンが隣で笑い出した。
「ヴェルナー、お前本当につまらない男だな──誰が誰を奪う、って?」
カイエンはぎらりとした瞳を浮かべる。ガーネットの瞳は、まるで燃えさかる炎にしたたり落ちる血のように、赤黒く、焦げ付くような色を見せた。
「お好きな方を選んでくださいな」
ティーカップは、ヴェルナーの好きに選ばせる。
こちらが選んだところで、文句を言ってくるのは明らかだったからだ。
「どっちでもいい、ってのか」
どうやら、ティーカップに何か細工をしているとでも思っているようで、ヴェルナーはじっとカップを見比べる。
(そんなことをしても、無意味だというのに)
しばらく悩んだヴェルナーは、やがてカイエンの前にあったティーカップを選んだ。
「そっちでいいんだな?」
「──そうやって、私を揺さぶろうというのか。これで決定だ」
「俺はどっちでも構わない。賭けの提案側だからな」
カイエンの言葉の意味なんて、深く考えもせずに、ヴェルナーは頷く。
「これで構わん。それで? 同時に飲むのか? それともどちらかが先に?」
「順番なんて、つまらないでしょう。先にどちらかが負けたら、ドキドキがなくなるもの」
サリーがベルを持ってくる。
「このベルを三回鳴らし終えたら、同時に飲んでくださいね」
「第二王子殿下。もしもわざとタイミングをずらしたら、私が後ろから……わかりますね?」
お父さまが、わざと剣の音を立てた。
「……わかってるよ」
(あ、これはずらそうとしたわね。まぁ、意味はないけど)
「では、お二人ともカップを口元に」
手元のベルを高く掲げる。
一回目。リンと鳴る。
二回目。再びリンと鳴る。
そして、三回目。リン、と鳴り終えると、二人は一気にカップに口を付けた。
カイエンとヴェルナーが、お茶を飲み干す。
その、わずか一分後。
「……っ、ぐぁ」
ヴェルナーが、胸元を押さえ目の前のテーブルに倒れ込んだ。
ガチャン、と床にティーカップが落ちる。
それはまるで、あの日カイエンが侍女からカップを奪ったときのようだった。
「そ……んな、兄……う……毒……」
息苦しそうにそう絞り出すヴェルナーの目線の先には、私とカイエンがいる。
震える片方の手は、こちらへとのばしてきていた。
きっと、カイエンの母君もこうして、苦しんだのだろう。
絶望の色に染まった、もう一つのガーネットの瞳。
昨日はその瞳で、私を絶望に立たせていた。
でも、私はもう大人しくしているつもりはない。
ノアを取引の材料としたこと、少しでも危害を加えようと口にしたことを、後悔させてやる。
「第二王子殿下。高位貴族が賭けを持ちかけるという意味を、理解していないようで、残念です」
勝ち目のない賭けなど、持ちかけるわけがない。
昨夜、カイエンに告げた言葉が浮かぶ、
──私はたとえ農薬としてでも、毒を扱う領地の責務として、解毒剤は必ず用意しているの。
事前に摂取していても、効果のある解毒剤を。




