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第一話 離婚したはずの元夫が来るなんて聞いてません!

 小川を走る風が、暖かな空気を運ぶ。

 眼下に広がる一面の畑には、青々とした苗が、美しく並んでいた。


『カイエン殿下が、アストレア領に視察に行くと言っている』


 その緑を前にして、私は溜め息を吐く。

 王城で宰相補佐として働く、ルーファスお兄さまからの手紙だ。


「……カイエン殿下が、ねぇ」


 カイエン・フェルスター王太子。私と四年前に別れた、元夫の名前。


「リュシアお嬢さま、若さまは何と?」


 息子ノアの乳母であり、私の侍女のサリーが興味津々に聞いてくる。

 彼女の腕の中には、ノアが気持ちよさそうに眠っていた。

 サリーは、早くに母を亡くした私の乳母だったから、安心して我が子を預けられる。


「カイエン殿下が、我がアストレア領に視察に来るらしくって」

「へ? 何をしに?」

「さぁ……。でもまぁ──ノアを会わせないようにだけしないとね」


 金色の、柔らかくウェーブがかったノアの髪をそっと撫でる。

 

(私と同じ髪の色なのに、ノアの髪ってだけでかわいく見えるんだから、不思議ね)


 三歳の息子を見て、思わず顔が緩む。

 私とカイエンの結婚は、もともと期間限定のものだった。

 戦争が無事に終わった七年前。王家は、我がアストレア辺境伯家との結びつきを強めるために、私とカイエンの結婚を命じた。


(まぁ、王命は断れなかったけど、私だって簡単に決められたくなかったからね)


 だから私は、カイエンに密かに提案したのだ。

 

──三年間だけ、王太子妃をやるっていうのはどう?


 当時私はまだ十五歳だったこともあって、カイエンは快諾してくれた。


(あのとき、ちょっと寂しそうな顔をしてた気もするけど……。最初から別れましょうって言われたら、そりゃ確かに、寂しい気持ちにはなるよね)


「ノア坊ちゃまと殿下をお会いさせないように……どうしましょう」

「そうだった! ぼんやりしている場合じゃないわね」


 カイエンは、私が彼の子を生んだことを知らない。

 ちょうど三年の契約期間を終えて領地に戻ったところで、妊娠が発覚したのだ。

 別れるときに、最後にと抱きしめてくれたことを思い出す。


(そういえば、何か言いたそうだったな、あのとき)


 また必ず、なんて呟いてたけど、まさか視察に来るという話だとは思わなかった。

 我が領地のことを知って貰うのは嬉しいけど、こんなに急じゃノアを隠せない。


「いっそのこと今回、殿下にノア坊ちゃまを認知していただいたら」

「ダメよ! そんなことしたら、カイエンも困るでしょ」

「そんなことはないと思いますけど……。殿下はお嬢さまのことを未だに」

「それに、ノアを皇位継承争いに巻き込みたくないし。絶対に殿下には見つからないようにしなきゃ」


 私の言葉に、サリーも頷く。


(カイエンが私のことを未だに……って何だろ。まぁいっか)


 サリーが言いかけていたことが少し気になったけど、それよりも今はノアのことだ。

 

「では、私とノア坊ちゃまはしばらく別館に籠もるように」

「それが良いわね。視察だっていうし、どうせ数日のことでしょ」


 カイエンの視察は、おそらく我が領の農業についてだろう。

 戦時中、荒れてしまった領地の改善を始めてから、約十年。アストレア領は、この国一番の豊かな領となった。


「最近、他領では収穫量が下がっているところも多いようですし」

「殿下の今回の視察は、その対策ってことかしらね」


 お兄さまからの手紙を封筒に戻したところで、今度は後ろから私を呼ぶ声がする。


「リュシアお嬢さま! 大変です!」


 従僕のダンテが叫びながら、駆け寄ってきた。彼のトレードマークの寝癖が、今日も元気に跳ねているのを見て、思わず笑みが浮かぶ。


「そんなに急いでどうしたの?」

「お、王太子殿下が、まもなく到着されると、連絡が!」

「は?」


 思わず、手に持っていたお兄さまからの手紙を落としてしまう。

 ダンテは大きく手を振りながらも、それを拾い上げ、言葉を続けた。


「先ほど北門を通過した、と領門から連絡がきました」

「嘘でしょ? お兄さまから手紙が届いたの、ついさっきよ。殿下が来るの、数日後じゃないの?!」


 サリーも目を丸くし、すぐに腕の中のノアに目を向ける。


「お、お嬢さま。ノア坊ちゃまを」

「そう! そうよ。とにかくサリー、ノアを別館に連れて行って!」

「お母さま?」


 このタイミングで目を覚ましたノアが、私のことを呼ぶ。


「ノア。今日から少しの間、お母さまと一緒に、別館でお泊まり会をしましょうね」

「おとまりかい? やったー!」


 無邪気に体を揺らすノアを、必死に抱えながら、サリーが私を見る。

 ノアの頭を撫でながら、私もサリーに頷く。


「では、ノア坊ちゃま。今からダンテと一緒に別館でかくれんぼをしましょう!」

「うん!」


 サリーはダンテにノアを渡すと、とにかく先に別館へ連れて行くように促した。

 がっしりとしたダンテがノアを抱きしめ駆け出すと、私とサリーも後を追う。


「さ、お嬢さま急ぎましょう」

 

 どうにか本館の前庭から別館の入り口へと、ダンテとサリーの姿が消えたのを見届ける。

 その瞬間、後ろから声がかかった。

 

「リュシー、久しぶりだな」

「で、殿下……」


 まるでネジ巻きが止まった玩具のように、私の体がピタリと固まる。

 この声は、間違いなくカイエン・フェルスター殿下のものだ。


(ノアの姿は……見られてない、よね?)


 ゆっくりと振り向く。

 四年前と変わらない、やわらかな黒髪に、真っ赤なガーネットのような瞳。

 前よりも精悍になった表情と体つきは、彼が二十二歳から二十六歳へと年を重ねたからだろうか。


「元気だったか?」


 穏やかに微笑む彼に、私は焦る内心を隠すようにカーテシーを返した。


「お久しぶりです、カイエン王太子殿下」

「なんだ。カイエンって呼んでくれないのか」

「いえ、もう夫婦じゃないですし」

「構わないさ。口調も今まで通りでいい」


 そう言うと、カイエンは周囲を見渡す。


「リュシーの後ろ姿が見えたから、思わず追ってきたけど……ここは別館?」


(追ってきた?! ってことは、見られた可能性があるの? でも……だったら聞いてくる、よね……)


 とにかく、カイエンをここから遠ざけないといけない。

 私は彼の手を取り、ぐいと引っ張った。


「リュ、リュシー?!」

「カイエン、こっち!」


 本館への小道へ、彼を誘う。

 レンガ敷きのここは私のお気に入りの小道で、使用人たちはあまり通らない。


「リュシー、こんなひと気のない道に俺を連れて来てどう」

「ねぇ、この花、かわいいでしょ」

「ああかわい──え?」

「私が選んで植えてるの」

「あ、花を見せようと」

「そう。これはね、実が成るの。万一のときには食べられるでしょ」

「万一のとき」

「ええ。せっかく視察に来たんだし、こういうのも知ってもらう方がいいわよね」


 カイエンは何度か目を瞬かせた後、笑みを浮かべる。


「そうだな。リュシー、じっくり二人きりで聞かせて」


(じっくり二人きりで? そんなに実がなる花が気になるのね)


 私が伝えたかった、民の家の庭にもこうした花を植えた方が良いという意図が伝わったのだろう。

 こういうところは、四年前と変わらない。

 彼はいつも、私の言いたいことを汲み取ってくれていたのだ。

 

「ああ! でもまだお父さまに会ってないのよね」

「辺境伯への挨拶の前に、せっかくここにいるんだし、リュシーと二人で」

「あ! サリーこっちこっち!」


 通路の向こう側に、別館から出てきたサリーが見える。

 彼女は私が嫁いだときに、一緒に王城に来てくれていたのだ。カイエンもサリーのことは良く知っている。


「カイエン殿下、お久しぶりにございます」

「サリー、久しぶりだな。えぇと……俺はしばらくリュシーと一緒にいるから、辺境伯にその旨を」

「大丈夫よ、カイエン。今から一緒に行きましょう」


 私の言葉に、サリーとカイエンは顔を見合わせる。


(何か……変なことを言ったかしら?)


「コホン……。殿下、恐縮ですがリュシアお嬢さまには変わらず伝わっておりませんので」

「そのようだな」

「え? なにが?」

「いや、いい。じゃあリュシー、一緒に辺境伯のところへ行こう。案内してくれるか?」

「もちろんです」


 カイエンは私の手を強く握った。


(そう言えば、さっきからずっと握りっぱなしだったわ)


 しっかりと握られた手は、なんだか離しにくい。

 でも、それがなぜか不自然ではない気がした。


(まぁ、元夫婦だしね。気にすることはないか)


 そんなことを思いながら、私はカイエンと共に、本館へと歩き出す。

 繋いだ手がなんだか少しだけ、くすぐったい気がした。



新しく連載を始めました。

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