6. 訪問者
ただの風邪ということもあり、彼女の熱はすぐに下ったようで、いつものように洗濯物を干しながら屋敷にいた頃によく弾いていた曲を口ずさんでいた。
「おはよ、リネット。今日も早いね。」
「おはようございます、ルーク様。もしかしてお仕事に出られるのですか?」
「急遽依頼が入った。数日留守にするけど大丈夫か?」
「はい!お身体に気を付けて頑張ってくださいね。すぐに朝ご飯を準備します。」
最後の一つを干し終えたクリオネットは笑顔でそう言うといそいそと家へ戻っていった。
それに続いていけば、前日に焼いておいた白パンに野菜と卵を挟んでいるのが見える。
10分程で出来上がったらしく、皿に盛られたサンドイッチと切り分けられた林檎が運ばれてきた。
食事の挨拶を済ませ、口を含むと目を輝かせたままこちらに視線を向けるクリオネットについ口から笑い声が漏れてしまう。
「そんなに変な顔してましたか?」
「違うよ。あまりにもキラキラした瞳で見るから。」
「ごめんなさい。表情の些細な変化で良し悪しを判断してみようかと…。」
「普通に聞けばいいだろ。」
「それでは常に美味しいしかおっしゃらないじゃないですか…。」
「そりゃそうだ。俺には不味い物を食べた記憶がないからな。」
「何言ってるんですか!この前のパイはとても食べられたものではなかったですよ。塩と砂糖を間違えるなんて初歩的なミス…本当にダメですね。」
「そんなことない。誰にでもミスはあるし、リネットが作ったものであれば俺は何でもいけるよ。」
「そ、そういうのは好意を持った女性に言ってあげて下さい!」
「ちゃんと言ってるだろ。」
真剣な眼差しでこちらを見る彼だが、好意とは恋愛感情の意味であって明らかに妹のような扱いをするそれとは全く違うものだ。
そう言おうかとも思ったが、彼が仕事に遅れるかもしれないと思い直してその話は終わりにした。
あれから名残惜しそうに家を後にした彼を見送ってから部屋の掃除を始める。
ダイニングの奥にある部屋は危ないからと立入禁止とされているがそれ以外は自由に出入りできるため、1階から2階まで掃き掃除と拭き掃除だけでも午前中はあっという間だ。
ルークが居るときは決まった時間に昼食を取るようにしているが、自分一人となると作るのが手間でパンだけで済ませてしまうことも多い。
今日もまた白パンをかじりながら森に生えているきのこや木のみを取りに出掛けていく。
籠いっぱいに集まったと帰宅路を急ぐと何だか辺りが騒がしい。
ルーク様が帰ってくるには早すぎるし誰だろうと足を早めると重甲な鎧を纏った出で立ちの男性が10人ほど集まっている。
「貴様、何者だ!」
「っ。」
「やめろ。」
凛とした声が聞こえ、彼らの間から藍色の髪をした美青年が現れた。
炎のような真紅の瞳でこちらを見据えている。
「貴女がクリオネット様ですか?」
「…なぜ私の名を?ルーク様のお知り合いでしょうか?」
質問していた彼女の言葉は突然の彼の抱擁に遮られた。
何が起きているのだと戸惑っていると後ろから感じる怖い程の黒いオーラ。
その主は青年の抱擁を無理やり解くとクリオネットを自分の腕の中へと閉じ込める。
「リネット、あいつ誰?」
「ルーク様?お仕事で数日留守にされるのではありませんでしたか?」
「リネット以外の気配が俺の住処に入ったから気になってね。」
「住処…ですか?」
「ま、まさか貴方様が彼女を…?」
「ここに何しに来た。」
「も、申し遅れました。私はシュトラ王国騎士団団長のヒュウゴ・ゾルバ。隣国のご令嬢であるクリオネット様をお迎えに上がりました。」
「家族からの依頼?」
「それもありますが、私の婚約者ですから。」
ルークの腕はその言葉に力が込められ、その瞳が鋭くなった。
「…婚約者?リネットは知ってたのか。」
「い、いえ。お会いするのも初めてです。」
「当然です。クリオネット様の15歳の誕生日に婚約を発表する手筈でしたから。」
「ふーん。それならまだ婚約者じゃないわけだ。」
「そ、それはそうですが…。彼女を返してくださいませんか?もしかして神獣である貴方様の生け贄に!?」
「…神獣…?…生け贄…?…それってどういう…。」
彼の言葉は全て聞き慣れないものばかりで、ルークの腕から抜け出すと彼を振り返った。
金色の瞳の瞳孔は細くなり、怒気を含んだその表情。
もしかして私はとても失礼なことばかりしていたのではないだろうか。
「クリオネット様はご存知ないのですか?あの方は神獣と呼ばれる高貴な存在。この国では皆、毎日ルーク様に祈りを捧げています。」
「…祈り…。」
「お前、ちょっと黙れ。」
ルークのその言葉とともに彼らの時が停止したように動きを止めてしまう。
驚いて視線をキョロキョロと彷徨わせているクリオネットの手を取り、胸の中に引き込んだ。
「…戸惑ってるよな。隠すつもりはなかったんだけど…あまりベラベラと話す内容でもないと思ったから。」
「…私、もしかして神獣であるルーク様に無礼ばかりを…。」
「止めろ!」
「…っ!」
「リネットに神獣として扱われたくない。」
「…?」
「今のままがいい。それと、生け贄なんて思ってないよ。一对になるつもりだけどさ。」
「何になるつもりなんですか?」
「内緒。今まで通りにしてくれるよな。」
「ぎ、疑問形に聞こえないのですが…。」
「強いて言うなら命令形だろ。あの人間は送り返しておいたからこれからも今まで通り穏やかに過ごせばいい。」
ルークの言葉で視線を向けるとそこに居たはずの彼等の姿はなく、これが神獣と呼ばれる彼の力なのかと感心するのだった。