2. 帆船
中は少し古びた木製作りだが、思っていた以上に広々としている。
ずらりと並んだ扉。
手前側にある部屋に促され、やっと掴んでいた腕を離された。
ぼすりとベッドに座ると、煩わしそうに目元まで隠された厚手のターバンと口元のマスクを外していく。
中から黒髪に金色の瞳が現れ、容姿端麗なその姿に目を奪われるが今はそれどころではないと自分を叱責し、軽くワンピースを整える。
「先程はありがとうございました。貴方様のご厚意に深く感謝いたします。お代はすぐにお支払い…。」
「そんなことより理由を聞かせてくれないかな。言葉遣いからしてどこかの令嬢だろ。逃げてきたとか?」
「…逃げてきたわけではありません。」
「複雑な事情があるってことか。ここからシュトラ王国まで早くても1週間は掛かる。聞く時間はたっぷりあるよ。」
「…1週間も…でもちょうどいいですね。」
窓の外へと視線を向けると錨が上げられ、出航するのが見えた。
未練など持っていないつもりだったが、居場所がなかったとはいえ10年という月日を過ごした屋敷には少しばかり後ろ髪を引かれてしまう。
そんなことを考えていると小さなため息が聞こえてきた。
「悲しそうな瞳。今ならまだ間に合うよ。やめる?」
「…いいえ。もとより私の居場所はありませんから。」
動き出した船の揺れを感じながらしばらく立ち尽くしていたが、彼に促され椅子へと腰掛ける。
「俺はルークだ。お前、名前は?」
「クリオネットと申します。」
「クリオネット…長いな。リネットでいい?」
「ふふ。」
「ん?」
「そう呼んでくれたのは亡き両親だけだったのでつい嬉しくて。ごめんなさい。」
「…っ。」
「どうされました?」
「…いや、なんでもない。それより腹減ったろ?何か取ってくるよ。」
「私もご一緒しては迷惑でしょうか?」
そう聞いてみると仕方ないとでも言いたげな表情のままターバンとマスクを付け、部屋をあとにした。
向かった先は食堂のような場所で、船乗りが多いのか。
筋骨隆々な男性の姿が目立つ。
「おい、ルークじゃねえか!ん?その子はまさか次のこれか?くー!こんな可愛い子、モテる男は羨ましいぜ。なぁ俺にも1日貸してくれよ。」
いきなり近付いてきた大柄な男性にハイベルクのような威圧感を感じ、つい震える手で彼の服の裾を掴んでしまった。
それに気付いたのか。
雰囲気をガラリと変え、怖い程黒いオーラを纏いながらギロリと睨み付ける。
「…もう一回言ってみろ。」
「わ、悪かったよ!!そんなに怒るな。いつもの他愛ないジョークじゃねえか。」
「そういう冗談は好きじゃない。」
ルークのその言葉に逃げるように去っていたのを見届けると小さく息をつく。
良かったと心の中で呟き、気付かれないようそっと手を離せば特に彼から言われることはなかった。
屋敷の繊細な料理とは違い、ワンプレート方式だが鶏肉のソテーとサラダにパンという一般的なものが盛り付けられている。
トレーごと持って部屋に戻れば、腹減ったと彼から声が聞こえてきた。
食事の挨拶を済ませ、食べ始めると彼から視線を感じる。
「…?」
「さっきは悪かったよ。嫌な気分になっただろ。」
「いえ、あの男性が存じている方と重なってしまって。私の方こそごめんなさい。」
「怖がっているように感じたけど。違う?」
「いえ、その通りです。怖いと言いますか、とても威圧感のある方だったので…。」
「両親は既に亡くなっているってことはそれが継父?」
「…。」
「暴力を受けてたのか。」
「い、いえ!そういったことは一切されていませんよ!ただ、嫌われていましたから…。」
「嫌う?継父になるならそれなりに覚悟がいるだろ。」
「…血の繋がっていない他人の子供を無理矢理押し付けられたからだと思います。知らなかったとはいえ申し訳ないことをさせてしまっていたのですね…。」
「なるほど。それで家を出てシュトラ王国に行くことになったのか。」
結局、初対面で全て話してしまったことに少しばかり後悔したが、助けてもらった上に乗船券まで支払ってくれた彼には感謝してもしきれないほどで、どう恩返しをすればよいのだろうと思案するのだった。