3. 独りぼっちの天才、水の巫女アクア・レイン 前編
暗い、影ばかりの世界があった。
3つの人影――厳密には人ではなく、妖怪のものであるが――すらも塗りつぶす空間だ。そんな薄暗い中とあっては、たとえあどけない少女のものであっても、響く声は不気味なものとなる。
「……と、いう感じだった。ボクらを邪魔するやつらがいる」
「やっぱ出て来たかァ。ま、この世とあの世のバランスを崩してるんだ、元に戻そうとする奴は現れるわな。お前が苦手な光と炎が連チャンしたのは、流石に同情するがね」
声の片方は少女のものだった。
もう片方は、怪物のものだった。
喉の形からして人でないものがしゃべっている。
その首から上も服の下も、あますことなく人外。
彼は竜人という、竜の要素を持つ人間の姿をした妖怪だった。
そんな彼の声が、その場にいた三人目に投げかけられる。
「お前はどう思うんだ? 黙ってねーで会話に入って来いよ」
「ダルい、しんどい、面倒くさい」
応じて響くのは気だるげな老人の声だ。しかし、ごろりと寝そべっていた影の主は、それ以上の会話を打ち切って黙り込んでしまう。
「ケッ、面倒くさがりの出不精め。まぁいいミカゲ、『お札』をよこしな」
「かわりに行ってくれるんだ」
差し出された妖怪の手に、ミカゲと呼ばれた少女が一ツ目の『お札』を差し出した。彼は受け取ったそれを乱暴にポケットに突っ込みながら立ち上がる。
「俺様はお前らと違い、既にそいつらをどうこうする手段が浮かんでいる。三妖怪の中でも一番の知将、このソウリュウ様に任せるんだな!」
そのまま妖怪ソウリュウは床の影へと沈み、現世の『神守町』に向かった。
☆☆☆☆☆
「ほたるちゃん! 次は誰に声をかけるべきだと思う?」
「そうだね……」
放課後、図書委員の不知火ほたるを尋ねる形で、上白きずなは図書室を訪れていた。他には誰もいないため、一対一で存分に会話ができている。
そして、手元にある図書カードの束に目を通しながら、ほたるは答える。全校生徒の氏名がそこに、1枚ごとに記されているからだ。
「やっぱり自分みたいに、名前に『木』とか『土』とかある人が良いのかな?」
「名前ってのはすごく大事な意味をもってるから、できればね。特に最近は、名前を付ける際に前世からの因縁とかはほとんど意識されてない。だからこそ、名前に巫女が司る力のうちどれかが入ってる人は、戦う巫女になる宿命を生まれた時から背負ってたとも考えられる」
陰、水、木、土、金。
残る陰陽五行の漢字を探しながら、納得したとばかりに、ほたるは呟いた。
「だから真っ先に自分のところに来たんだ。『火』が入ってる名前は少ないし、『陰』が入ってる名前はもっと少ない。というか少なくとも、この学校にはいないよね」
「逆に、『水』と『木』と『土』と『金』が入ってる人は複数いるでしょ? たくさんの候補の中から誰を選ぶか迷っちゃって、だからまず名字が不知火のほたるちゃんに話しかけたの」
「だったら自分が選ぶのは、この人かな」
そう言って、ほたるは一枚の図書カードを抜き出した。渡されたそれを見てみると、たくさんの貸し出し記録がある。どうやらかなりの読書家であるらしい。
「名前は龍水しずくさん。誰だっけ?」
「龍水財閥のお嬢さまだよ……。色んな分野で結果を残している、通称一等賞コレクター。万能の天才と呼ばれてる人」
「じゃあ早速、明日にでも話しかけてみようか!」
そして迎えた次の日の放課後。
準備を整えた2人は、別のクラスの龍水しずくを校舎裏に呼び出した。
「わたくしに、何の御用でしょうか」
現れたのは、青みを帯びた長髪の女生徒だった。
校舎裏ということで影の中だが、だからこそより彼女の美しさが強調された。影に一歩踏み入れ光のあたり方が変わったことで、その黒髪が藍色に似たものへ変化したからだ。
深みのある珍しい色合いの髪は、それだけで独自の美しさがあった。
雑草の多い校舎裏はきれいとは言い難い。薄暗く、湿気もある。だがそんな中でも背筋を伸ばし、手を重ねて歩く。ただそれだけの姿に、たたずまいに、品があった。
背の高さとスタイルの良さ、そして目元の泣きぼくろもあって、とても同級生には思えない。
ほたるは少し緊張し、この時点ですでに気圧され気味だった。
なので今回は、きずなが前に出て主導権を握る……つもりだった。
「おお~この子が巫女候補か。なんだか良さげな気配を感じるよ~」
出会った瞬間に、問題が発生した。
巫女候補がどんな子なのかを知るために、きずなの頭の上にいた御ムスビ様。まさか見えてるはずがないだろうと、普通に独り言をつぶやいていた。
本来であれば、それでも問題はなかったはずだ。
しかし今回は、龍水しずくの表情が変わってしまった。目線がきずなの頭上に向かっており、明らかに見えているし聞こえている。目を見開いたその顔は、何だこの喋る“おむすび”は、と驚愕している顔だ。
「え? あの、あなたたち、何ですのそれ? 偽物、ではなさそうですけど……」
「やばい、もう予想外の展開に!」
「今はこの世とあの世のバランスが乱れてるから――そうか、この子はすでに霊的な力に目覚めてたのか」
「すごい。流石、万能の天才なんだね」
慌てるままについポロリとこぼしてしまった、ほたるの現実逃避的なセリフ。その一言が状況を更にややこしくした。ありていに言うと、龍水しずくを怒らせたのだ。
「やめて、いただけませんか」
ここが第二の誤算。万能の天才と何ともなしにつぶやかれたフレーズにより、龍水しずくの機嫌が明らかに悪い。
「その呼び方、好きではありませんの。ほめられている気もしません。どうか、万能の天才というのはやめてくださいまし」
「え、あ、ごめんなさい……」
厳しい口調で言われてしまい、素直に頭を下げるほたる。
そんな彼女をフォローするように前に出て、きずながひとつ尋ねる。
「どうして万能の天才って呼ばれるのが嫌いなの?」
「わたくしは、自分に才能があると思っていないからですわ。
例えば才能論がありますわよね。人間、努力ではどうしようもないこともある。結果を残す人は、わたくしのように多かれ少なかれ恵まれてる人だけ。凡人と天才の間には、超えられない壁がある。とされているのでしょう。
アナタはどう思われますか? このあたりの顔役である、神社の跡取りさま」
「凡人ていう言葉がどういう意味かによると思う。私は人間みんな、何か一つくらいは才能があると思ってるから。ただ、その才能が人生で活かせるものかどうかは分からないけど」
「ええ、わたくしも概ね同意見です。才能がまったくない人のほうがいないでしょうよ。ですので、”何をしようと絶対に天才に勝てない人”を凡人と定義すべきなのですわ」
「けどそれだと、あべこべになっている。凡人と天才の間にこえられない壁があるんじゃなくて、こえられない壁が天才との間にある人を凡人と呼んでいる。それじゃあ、凡人の数は一気に減る。そんな人はそれこそ多くない」
「ですがそうでしょう? 人間である以上、どこかに必ず限界がある。それは天才であろうとなかろうと変わらない。才能のない人が天才を軽々とこえることは出来なくても、その背に指が届かせることはできる。
天才が努力の結果、200まで行ったとしましょう。元々の素質や努力の効率が違いますから、天才でない人は180までしか仕上げられないかもしれない。ですが、20ぐらいの差は様々な要因で逆転しうるもの。10回戦えば1回は勝てると、わたくしは思っています。そしてそれが1回目にが来るのが、真剣勝負というものです」
静かに、しかし熱く自論を語る龍水しずく。その態度は、胸の内からこぼれる思いは、彼女のコンプレックスの開示であると上白きずなは分析する。
「そういう場で負けるのは、きっとわたくしのような人間です」
「あんなにたくさん一番をとってるのに……?」
ほたるの問いに、龍水しずくは伏し目がちに答えた。
「アレはただ、大人の動きを真似ただけです。わたくしは結局のところ、先人の模倣をしているだけ。やってることは誰かと同じで、あとを付いて行ってるだけですわ。既に誰かがやったことを、いつかどこかの誰かが絶対に出来ることを、ただ再現しているだけ。オリジナリティはなく、そこから何か、別のものを生み出すこともない。
わたくしはただ、他人の真似をするのが得意なだけですわ。ゼロから何かを作り出す才能はなく、生み出そうというモチベーションもない。だからきっと、わたくしは――20過ぎればただの人と言われるような、かつて神童と言われただけの大人になるのです。
分かりますか? 世界は広く、わたくし程度をこえる才能は必ずどこかにいる。わたくしは、その程度の存在でしかないのです」
それでは、と語りたいだけ語り終えた後、そのまま彼女は去ろうとしていた。引き留めようにも、ほたるには自分が彼女の逆鱗に触れた自覚がある。怒らせてしまったのが自分である以上、声をかけることはできなかった。
だから、きずなが口を開いた。
「龍水さん、ひとつ言わせて。つまりあなたは、負けるのが嫌なだけじゃないかしら。負けず嫌いで、負けるのが悔しいから、勝負の場から距離を取ってる。
だってあなたからしてみれば、何となくで参加して勝ち取った賞に勝ちの実感はなく、むしろ競ったライバルの努力と将来性を見て――いずれ負けるんだろうなと勝手に負けた気になってるから。あなたはきっと、たくさんの一番を取って来た。だけど本当の意味で勝ったことは一度もない」
「お好きに、解釈してください……」
ただその一言を残して、藍色みの強い髪の少女は立ち去った。
☆☆☆☆☆
「あー、失敗しちゃったなー」
その後、帰り道である河川敷沿いを、上白きずなと不知火ほたるは並んで歩いていた。雑談の内容は、当然さっきの少女、龍水しずくについてだ。
「成功体験に恵まれすぎてる所為で、成功した!やってやったぜ!っていう体感につながってないのかなぁ」
ほたるのつぶやきに、きずなが答える。
「当たり前のように出来てしまうから、褒められても嬉しくないんでしょうね。むしろ、何でみんなが出来ないのかが分からない」
「だいぶ視点が高いんだなぁ。流石、才能にあふれてる人は違う。……けど、龍水さんにとっては、真剣な悩みなんだよね」
「上には上がいて、勝ったり負けたりを繰り返すのが、トップ層の勝負の世界。昨日、自分より上にいた人に勝って追いこしたと思ったら、明日にはまた追いこされるかもしれない。そういう熾烈な競争を終わるまで続けるのが、てっぺんを目指すってこと。龍水さんはきっと、そんな勝負の世界に着いて行けないと思ってるんじゃないかな」
「あっさり大体のことはできちゃうから、苦労を知らないし苦行みたいな努力を積み重ねられる自信がない、か。そっか、お嬢様で才人なのになんか話しやすいなと思ったら、才能のわりにメンタルが普通なんだ。ぶっ飛んだところが、良くも悪くもない。……自分としては、目標もないのにわざわざ苦労したがるのは本末転倒な気がするけどなぁ」
あくまで、ついさっき少し会話を交わしただけ。しずくという少女の全てを知ったわけではない。あれこれ議論を重ねようと、答えは出ないのかもしれない。
そんなことは承知の上で、それでも2人は彼女のことを無視できず、彼女についてあーでもないこーでもないと言葉を交わした。巫女になりたくないのなら、それでもいい。ただ、関わった以上は放っておけなかった。
「あれ? そういえば私たち、龍水さんに巫女の件って話したっけ?」
「あ、御ムスビ様が見えてたインパクトにビックリして、そのまま全く話して無かった! というかその御ムスビ様もどこ行った!?」
「一回学校に戻ってから、巫女の話だけでも龍水さんに話した方が――」
いいのかもしれない。
そう言い切りたかったが、しかし気づいてしまった。
河川敷の河をまたぐ、鉄橋の上。
そこに、刺々しいパンクなファッションに身を包んだ妖怪がいたことに。
「蜥蜴人間!?」
「いや、ほたるちゃん! あの首は龍のものだ!」
霊的な力が込められていたからだろう。
遠く離れていたのに、妖怪ソウリュウの声がよく聞こえた。
「怨・切切・婆沙羅・吽・張。畏レ、奉ル!」
その手に握られたマッチの箱には、一ツ目の『お札』が貼られていた。呪文を唱え終わった龍頭の妖怪がそれを放り投げると、河川敷の傍らに落ちたそれが実体化。
「――オソレロ!!」
炎に包まれたマッチ箱妖怪が出現し、火柱が天高く上がった。市街地に火が行ってはまずい。同じ考えであることに、2人はアイコンタクトで通じ合う。
そして同時に制服の上から、首から下げた『おむすび神社』のお守りを握りしめた。少女に神の力を授け、巫女へと覚醒させる2人の『神様勾玉』は、その中に納められていた。
「いくよ、ほたるちゃん!」
「もちろんリーダー!」
「『変身、月の白兎』!」
「『変身、命の不死鳥』!」
光と炎、2つのかたまりが河川敷に降り立った。
その中から、巫女が2人、現れる。
白髪のツインテールを持つ、白兎の巫女。
機敏に動く彼女の巫女装束は、袴のすそが短くなり肩を露出させている。
「『宙まで届く純白の決意』。――『陽』の巫女、ラビットW!」
赤い鶏冠のような髪型の、不死鳥の巫女。
自らの威容を示す彼女の衣装は、大胆かつ豪華なドレスとして翻される。
「『燃え盛る、命の炎』。――『火』の巫女、ザ・フェニックス!」
これを見てソウリュウは口角を上げた。
「お前らがそうか、俺様たちの邪魔をする現代の巫女! ありがとよ、探す手間が省けたぜ!」
「あなたは誰!? いったい何なの! どうしてこんなことをする!」
「いいだろう、問われて名乗るもおこがましいが、聞きたいならば聞かせてやる! 遠からん者は耳の穴かっぽじってよーく聞きな! 俺様の名は『ソウリュウ』! 今日、お前らをまとめて倒す、美しき爪のソウリュウ様だ!」
パンクな衣装の袖から見える、鋭く危ない龍の爪。
それを見せつけながら、龍の頭の妖怪『ソウリュウ』は高らかに吠えた。
「やっちまえ、一ツ目玉のマッチ箱! 火炎弾!」
そのまま名乗りたい部分をに名乗り終わったところで、ソウリュウは会話を打ち切った。指示に従い、マッチ箱妖怪がマッチ棒の腕をぐるぐると回転。無数の火の玉が飛んできた。
「『浄火炎』!」
これに対し不死鳥の巫女の炎で迎え撃つ。
炎と炎がぶつかり合い、爆音が周囲に轟き始めた。
☆☆☆☆☆
一方、2人の巫女が戦闘を始めた時。
龍水しずくは御ムスビ様といた。