2. 炎の巫女、ザ・フェニックスの羽ばたき! 前編
次の日。中学の教室で窓際で、上白きずなはとある一人を見つめていた。
クラスメイトの名は不知火ほたる。
茶色みの強い髪を三つ編みにした、黒縁眼鏡の文学少女である。
常に一冊の本を持ち、授業の合間はずっと読書をしている女の子。
「あの子が二人目の巫女候補かな?」
「きっと、おそらく、たぶんですが。
この学校で名前に火と入ってるのは、不知火ほたるさんだけ。
つまりそういう縁を背負って生まれた、とみなせるのは彼女だけですから」
彼女の肩には御ムスビ様が乗っかっている。
しかし普通の人間には見えない。
そのまま巫女と神様のヒソヒソ話は続いた。
「なら問題は、本当にあの子に適性があるかだね」
「どうやって巫女になって貰うのですか?」
「それは『神様勾玉』が有事の際に、彼女の霊力に反応するかで決まる。
だからあの子から霊力を引き出すためには、まずあの世があるって知ってもらわなきゃだ」
「つまり?」
「勧誘して接点を持てばいい。
それでぼくの姿が見えれば、その時点で素質があると分かる」
「それは……どう勧誘すればいいのでしょうか。
私が巫女になることを決められたのは、元々特殊な環境にいたからです。
しかしみんなは私と違い、霊能力を持っているわけでもない」
「だけど、この世とあの世のバランスが乱れた以上、誰にとっても他人事じゃない。
この世の当事者として、君たち人間にもやるべきことはある。
だからこそ、たとえ普通の人間であっても戦うべきなんだ。
その上で相応の覚悟と責任を背負って、神の力を授からないといけない」
「そう、かもしれませんが……」
厳しい言葉だと、上白きずなは思う。
おむすびそのものな御ムスビ様は、ゆるキャラのような姿をしている。
しかし紛れもない八百万の神々の一員なのだ。
彼は大自然の厳しさと優しさを併せ持つ。
対価に釣り合わない無償の愛と、同じくらいに無償な厳しさ。
その両方を突発的に押し付けてくるのが、大自然の神々の特徴だった。
「ぼくの巫女。もしも後悔してるのなら、やめたっていいんだよ?
ハッキリ言って巫女になることのメリットは殆どない。
そもそもが何百年も前の、14歳が子どもじゃなくて大人だった時代に作ったのが『神様勾玉』だ。今ならまだ、辞めたいのなら間に合う」
「……いいえ、御ムスビ様。私は後悔なんてしていません。
この町が好きだから守りたい、この国が好きだから失いたくない。
日常を壊されないためなら戦える。そう思ったから、陽の巫女になったんです。
覚悟なら、あの時あの場所で決めました」
きずなは御ムスビ様へ凛々しく引き締めた表情を見せつける。
ここまで言われては、神として巫女に対し言うことは何もなかった。
「――ん、100点満点の答えだとも。その覚悟が最後まで保つことを祈ってる」
だから御ムスビ様は自身の力を使用した。
縁結びの神、『飯穂穂邇芸邇芸神』の力を発揮して、良縁を手繰り寄せる。
つまりは、その口から予言の言葉が飛び出した。
「じゃあどう勧誘すればいいか予言するよ。一回しか言わないからよく聞いて。
図書室入り口から5列目の棚、最奥の三段目。そこにきっかけがある。
あとは縁が結ばれるままに、物事が流れるように」
そう言い残した次の瞬間には、御ムスビ様は煙の様に消えていた。
因果に干渉したことで、一時的に力を使い果たしたからだ。
しかし、きずなはそれを心配しない。
御ムスビ様は神守町の守り神で、町全体が彼の土地。
あまり多用はできないが、しばらくすれば、どこからともなく帰って来るのだから。
「5列目の棚、最奥の三段目。はい、覚えました」
そして、きずながメモを残したのと同時に、授業のチャイムが鳴った。
☆☆☆☆☆
新学期が始まってすぐの今日は給食が出ない。
お昼には放課となり、学校に残る生徒は運動部ぐらいだ。
しかし、きずなが予言の通りに図書室を訪れると、そこに不知火ほたるがいた。
入り口から5列目、最奥の棚の三段目。古典文学が置かれた棚だ。
この時、ほたるは本を手にしていた。
タイトルは『雨月物語』。江戸時代の怪異小説集だ。
「読んでるのはオバケの本!? 状況にぴったし!」
「え?」
つい、思った言葉が口に出てしまう。
「あの、ひょっとして上白さんもお好きなんですか?」
「ま、まぁね。神社の家業の関係で色々と……」
「へえぇ!!」
ズズィと、まるで同志を見つけたかのように、不知火ほたるは詰め寄った。
彼女の眼鏡が肌に触れるほどに顔を近づけられた。
話の速さに、思わず押され気味になってしまう。
「そういえば、おむすび山の『おむすび神社』の娘さんでしたよね。
有名ですよね、上白さんの家は。
町の顔役として頑張ってくれてると良い噂をよく聞いてます」
「ま、まぁね。おばあさまは立派な人だから……」
「実は自分、最近怪談系の本がマイムーブなんです」
「そ、そう! なんて話の早い……」
「え?」
「いや何でもないよ、こっちの話!」
あまりに話が早いので、きずなは気を引き締めることを心がけた。
これが自分が奉る神の力なのかと、畏敬の念を強めながら。
「そう言えば、上白さんは拝み屋さんをしているって聞いたことがあります!
本当なんですか?」
「ナ、ナンノコトカナー!?」
「上白さんやおばあさまが何もない所で喋ってるとか。
事故現場や不入の森近くで見たとか。
そんな目撃情報があるんです。実は、幽霊や妖怪が見えるとか?」
「おほほ、何を言ってるの?
この世におばけもゆーれいもいるわけないじゃない、おほほ」
確かに御ムスビ様の案件とは別に、以前から代々上白家は拝み屋である。
一族はずっと、霊能力を使って悪霊を払ってきた。
しかしそれはあくまで裏の稼業。同級生には教えられない、裏の事情なのだ。
「ウソついてないですよねー?」
「本当よ、本当!!」
「そう、ですか。分かりました」
それはそれとして、上白きずなは嘘が下手だった。
(よし、ごまかせた! 偉いぞ私!!)
(これ以上聞いても素直に認めなさそう)
きずなはほたるの態度に気づかず自画自賛した。
「妖怪。つまりは妖しくて怪しいもの。
どちらも意味は同じで、人の知恵では計り知れない不思議なものごとを指す。
つまり妖怪とは、人知の及ばない存在、又は現象のことを言う」
そこまで喋って、ほたるは本棚から別の本を取り出した。
著作者は、柳田國男。
「ただ、『妖怪』はどう見るかによってまるで違う姿が見えてくる。
言葉、単語としての妖怪。民俗的な視点からの概念としての妖怪。
人が認識する、存在としての妖怪。お話に登場するキャラクターとしての妖怪。
日本に根ざす、文化としての妖怪。
どれもこれもが密接に関わり合ってるから、決してどれかを切り離して考えることは出来ないけれど、全てを混合してもそれは本質とはズレてしまう」
不知火ほたるの目線は、本の文字に釘付けだ。
だからこそ、認識は文字の向こう側にあるように見えた。
ぶつぶつと独り言を呟き、ほんの一瞬で自分の世界に入ってしまっている。
「上白さんにとって、――妖怪って何ですか?」
「隣人。人が本来なら認識出来ないものを、何とか認識しようとした結果。
太古の時代より人とある存在で、人がいる限り変化し続ける不滅の概念。
人が人である限りなくならない、不思議そのもの。それが妖怪」
その問いには自分でも驚くほど、自然に答えが出た。
「はっきり言い切りましたね。専門家として一家言あるのでしょうか?」
「ハウっ!?」
この時ほたるはm計算通りとでも言いたげな悪戯な笑みを浮かべていた。
少女は上目づかいで目線を合わせてくる。
ダラダラと冷や汗が止まらなかった。
(このままちょっと口車に乗せたら、簡単に口を滑らせちゃいそう)
きずなは顔の向きを硬直させて目線を泳がせている。
変な呼吸をしている。
誰がどう見ても、はなはだ怪しかった。
(この態度が妖怪の仕業って事は無いと思う。
けどもしかして本当に、妖怪がいたりするのかな)
何であれ、特別親しくもないのに突然話しかけて来たのだ。
その普段どおりでない行動には、何かしらの原因があるはず。
そこまで考えて、ほたるは、きずなに問いかけた。
「ねぇ、上白さん。自分にいったい、何の用なんですか?」
そして、校舎を揺らす轟音が響いたのは、その直後であった。
「キャアァァッ!!!」
「落ち着いて!」
図書室が揺れた。校舎が揺れた。
咄嗟に本で頭を庇うが、よろめいて膝をついてしまう。
本棚はボルトで固定されているため倒れる事は無いが、本は別だ。
大量の本が落ちる音に怯み、身を強張らせて数秒。
揺れが収まるのを感じて目を開けた。
いや、厳密に言えば、きずなが駆け出す音を聞いたから目を開けたのだ。
「――上白さんっ!!」
顔を上げた時にはもう、きずなの走り出した背中しか見えない。
とっさの問いかけに答えは返って来ない。
自分とは別の場所を見ているかのように、きずなは振り返らなかった。
(自分は何も見えてない。自分は何も分かってない。
あの人が何を見据えて動き出したのか、わからない。
けど、もしかして、何かが出た? 私の知らない何かがある!?)
その考えに思い至った時だった。
周りを見ると、ほたるを避ける様にして本が散らばっている。
そして、アダッ、痛っ!という声を間近で聞いていたことを思い出した。
――体格が自分より勝る彼女が、覆い被さってかばってくれた。
落ちてくる本から、守ってくれた。
ようやくそのことを自覚して、ほたるはその背を迷わず追い掛けた。
「待って!!」
☆☆☆☆☆
「怨・切切・婆沙羅・吽・張。――畏レ、奉ル」
その妖怪は、工の字型に並べた鉄アレイに、小の字型にくっつけた鉄アレイを乗せたような姿だった。
顔の部分には、昨日のビル妖怪と同じく一ツ目が浮かんでいる
「オソレヨ!!」
そして、鉄アレイ妖怪の叫び声と共に、前輪と後輪の鉄アレイが高速回転。
校舎へ体当たりをかました。
その一撃で校舎全体が大きく揺れ、一部が大破し大穴が開く。
☆☆☆☆☆
二度目の轟音を聞く中、きずなは変身専用の呪文、『卍句』を詠唱 。
「『変身、月の白兎』!」
巫女服を動きやすい形に改造した、白兎の巫女装束。
制服からそれへと衣装を変えながら、少女は階段を飛び降りた。
失敗した。
変身後もいつもの癖で、律儀に階段を降りて外に出ようとしてしまった。
しかし彼女は、強化されたパワーをまだ制御できない。
焦る気持ちが裏目に出て、変身直後につい強めに踏み込んでしまった。
廊下がひび割れ、草鞋の跡が残る。
そのままの階段の踊り場を飛び越え、壁に衝突。
突き破って外に飛び出てしまった。
「あああ、やっちゃったぁぁぁ! 校舎がぁぁ!!」
更に着地にも失敗、地面に激突した。
昨日に比べれば何でもないが、同じ失敗の繰り返しは心が痛む。
しかしへこたれている時間はない。
鉄アレイ妖怪が校舎を破壊している。
なので堂々と、白兎の巫女は名乗りを上げた。
「宙まで届く純白の決意。『陽』の巫女、ラビットホワイト見参!
やめなさい、迷惑妖怪!!」
言ったところで相手がやめてくれるとは思っていない。
それでも叫ばずにはいられなかった。
神聖なる学び舎の破壊。
これでは死傷者が出てもおかしくない。
彼女の怒りは、簡単に沸点を超えた。
「ん? あー、またキミ?」
その怒声に、適当で、がらんどうな答えが返ってくる。
鉄アレイ妖怪に乗った謎の少女だ。
「邪魔するの? 邪魔するんだったら――やっちゃえ」
「オソレヨ」
魂のこもってない気の抜けた命令を受けて、鉄アレイ妖怪が向かってくる。
前輪の鉄アレイを回転させて、こちらに突っ込んでくる。
「すぐに終わらせる! これ以上、学校を壊させない!!」
相手は鉄アレイ妖怪、巨大な金属の塊だ。その体は重く硬い。
しかし白兎の巫女は真正面から相対し、敵を見据えていた。
引き下がるつもりなどまったくない。
その覚悟に応じるように、彼女の全身に『陽』の気が満ちる。
昂ぶる感情によって、更にエネルギーが増していく。
浄化技の準備は、整った。
「『神威!――」