脳を吸う怪物
人の皮を被った悪魔で傲慢で救いようがない。
これだけで分かる人はいるのでは。
そうこうして遊んでいるともう夜のとばりが降り始める。今日もまた宿場町にて安宿にあやかるとしようか。ほらセレストもう行くぞ、カグヤもダンゾーもさっさと乗る準備しなさい。
だがいつの間にここまで離れていたのだろうか、あれほどまでに大きかった城門は霞んで見え、遠くの方に追いやられているようにも思えてくる。言い表すなら三里進んだと思ってきた道を振り返ったら全く知らない道で、話を聞けば故郷から数千里も離れた異郷の地にいつの間にか着いていた、そんな気分だ。え、分からないって、じゃあもっと簡単に言うなら適当に歩いていたらいつの間にか電車に乗って海に行ってたみたいなやつだよ。
「しっかしなんだ、周りに誰もいやしない。」
意外と宿場町にすら泊まらずに城外で休む奴は多い、出てくる敵も弱いしそうそう死ぬことが無いからだ。ここも多分騎士団の巡回経路のはずだからあまり魔物もいないはず、野宿に営んでいるのがいても全然おかしくないのだが。
それに火の気がない、町の煌煌とした燦爛たる明かりがここからは一切見ることができない。まるでそこに町が無いとでもいうかのように、薄っすらと見えるあの城壁のみが、そこに町があるのだと証明してくれている。
「一瞬夜中に切り替わったのかとも思ったけど、城の衛兵たちの篝火すら見えないのは不審だよな。」
そう、一切の人工的な明かりが存在しなくなっているのだ。この平原を、この世界を照らし彩っているのはただ月とそれに連なる数々の星のみなのだ。
「なあカグヤにダンゾー、何か感じてたりしないか。」
俺よりも確実に索敵能力のある二人に聞く。ダンゾーを人と数えるかどうかはまた後で議論するとして、どうだ何か聞こえたり匂ったりしないか。
だがカグヤもダンゾーも首を傾げてから首を振る。何も感じないらしい、そう何もだ。
生物に対して絶対の能力を振るえるカグヤも、まさしく野生で生きてきた生粋の狩人であるダンゾーですら、この場所からは何も感じ取れないというのだ。
厄介なことになったな、何がトリガーになってここに引き寄せられたのだろうか。さっぱりわからないがどうすることもできないしとにかく町に近づくべきか。
「セレスト、乗せてくれ。」
よしきたと言わんばありに鼻息を荒くする、お前さっきまでぜえぜえと疲れていたのにもう回復したのか。実は馬じゃなかったりするのかな。
カグヤをいつものように前に乗せ走り出す。人の子一人どころか虫も魔物も生命の気配すら何処からも漂ってこない。もしかして今メンテナンス中で俺だけログアウトできてないとかそういった話はないよな。
すいすいと泳ぐように進んでいく。この世界の音はただセレストの鳴らす地を蹴る音のみで、気づけば風の音も何も無くなっていたのだ。
「なあカグヤ、俺が寝た後っていつもこんな感じだったりするか。」
そう聞いてみるがフルフルと首を振って否定する。つまりこの場はただの異常状態、普段に無いまさしく異界とでも言うべき場所だと言えるだろう。
「何かのイベントにでも巻き込まれたか。」
もしそうなら何処かに他のプレイヤーがいるはずだ。音をこうも鳴らしていればいつか会えるはずだしこのまま走り続けるか。
そうやってどれだけ走ったか、一向に城壁に近づけない。それどころかさっきから一切景色が切り替わらない。後ろにあったあの月の位置も、隣のあった林も、何もかもが変わらない。進んでいるはずなのに何故、頬を通り過ぎている空気の流れは感じるというのに耳を撫でる風の音は一切しない。
「なんなんだよ、一体何が起きてるんだよ。」
バグでも起きたのか、運営に連絡でも入れたほうがいいかな。そう考えていた時だった。何かが前の草むらで動いているのを感じ取ったのは。
それは何かを啜っているようで、ズルズルペチャペチャと汚らしい音をこれでもかと辺り一帯に響かせている。そしてそこから香ってくるのは酷く不快感を与える臭い、それは鉄さびに似た気持ち悪い臭いで本能に野蛮で原始的な恐怖を与えてくる。
そいつはこっちに気が付いたようで顔を上げて様子を伺おうとする。その姿は人であって人でなく、またゴブリンでもなかった。顔は犬で体は人、獰猛さを表す様に鋭い牙が口元から覗かしている。
「おいおい、運営はどこまで広くバケモン出してるんだ。」
それは中国志怪小説『聊斎志異』にて語られる化け物、戦場に出てきては脳を喰らう犬顔の妖怪。その名は野狗子、日本語で犬神様といった感じの意味の名だ。
彼らは普段死体の脳を啜るが腹が減れば生きていても襲って食べる。ただ普通に岩で殴りつけたら逃げるぐらいにはそこまで強いとは言えないのが原典の特徴だったが。
幸いこっちに武器もあるし食って動けるのなら生きている証拠だ、カグヤの毒だって効果ありだろう。それに奴はただ一匹のみだ、負ける可能性は限りなく低い。
槍を構える、その俺の態度を見て殺意を感じ取ったのか奴もまた臨戦態勢をとる。相手に武器は無く、攻撃手段は組みつきからの噛みつきだろう。それなら確実にリーチの差で勝利できる。
睨み合いが続く、流石にその空気に耐えかねたのかそれともじれったくなったのか、ついにその静寂を破って野狗子は動き出した。
飛びかかってくる、しかしその行動は躱されてはただ隙を産むだけのもの。見てから回避余裕です。
「ほら、背中がら空きだぜ。」
そのまま突き刺す、抜いてまた突き刺す。背中に二発綺麗に叩き込んだのち、倒れこむ奴に一撃、偃月を送る。
「あまり強くは無かったな。」
ゴブリンよりはタフだったが、あの蜘蛛達と比べたら蟻程度でしかない。まあこれで帰れるだろう。さあ集合までに何か他の虫でも追いますか。
「……いやどういうことだ。」
夜の帳は下りたままで、さっきから一向に変わらない。この異変を起こしているのはどうやらコイツではなく別の奴だったようだ。
探さなきゃ、流石にこんな場所にずっといられるかってんだ。
聊斎志異面白いのでお勧めですよ。




