ああ、愛しのオオクワよ…
初投稿です。
暖かな目で見てあげてください。
「おい、この有給取得理由はなんだね、斎藤くん。」
部長がなんかキレてらぁ。労働基本法に有給取得に理由はいらないって書いてあるのをご存じないのだろうか。
「そのまんまですが、嘘書いた方が良かったですかね。」
「いや、嘘どうこうじゃなくてだね、昆虫採集って君、いったいいくつになったと思っているんだね。」
あまつさえ他人の趣味の否定だ。思想良心の自由ってご存じ?
俺、斎藤竜二。趣味は昆虫採集に生物観察。毎年夏に実家の裏山にオオクワガタを探しに入る根っからの虫好きだ。今年も山入の時期になったから有休をと思ったが、別部署から出向してきた沼ガッパ(頭が河童のように禿げているのと、息が沼のように臭いことからついた渾名)に却下されそうになっている。
「そもそもこの時期というのはね、斎藤くん、普通休めるもんじゃなくてだね。」
ああ、まったく年とると人ってなんでこうも話が長くなるんだ。あれからもう二時間も経っている。さっきから俺の口は「はい」と「そうですね」を繰り返すだけの拡声器になっている、ああもう、口内が乾いてきた。そんな長々と話さなくとも結論は出ているだろうに。
「そうですね。ですがね部長、先の代はこの時期有給取得者が3人でても誰の負担にならないでいたんですよ。逆にここで取得者が出ないと年末の調整が大変なことになりますよ。」
ここはひとつ、今有給くれてやった方が、後々楽ですよ作戦だ。さぁどうでる?
「何言ってるんだ。年末の仕事は全員一致団結して取り組むものだろう。そもそも有給の話が出ることがおかしいだろう。」
ああうん、ダメだこりゃ。就労規定をよく読んでまた明日出勤してくださいな。
こんなんだからうちの部署に島流しにあうんだろう。
……逆に前の部長は何故うちに流れてきたんだよ。
あれからも馬の耳に念仏を聞かせたほうがまだ有益だと思える時間を過ごし、解放されたのはあれから長針が2回周った辺りだった。何が会社に尽くすことが社員の本懐だ、そんなテンプレな時代錯誤観持った人間なんて久しぶりに見たぞ。
結局指定した日時より大きくズレて有給取得となった。いつもと違う時期に山入だ。ああ、オオクワはまだ姿を現してくれるだろうか。
普段なら8月の頭に山入するところを、今回は8月下旬となってしまった。もう海にはクラゲが漂っていることだろう。恨みつらみは大層貯まるものだ。今夜神社に丑の刻参りでもしてやろうか。今度デスクにトビズムカデでも入れてやろうか。嫌がらせがとめどなく頭に湧いては散っていく。まったくもって昆虫採集に集中できない。
「何故趣味の時間にクソ上司のことなんて考えねばならんのだ。」
独りぽつんと呟いてみる。馬鹿馬鹿しい、今いない人間のことを考えてたってどうしようもないというのに。
言葉にすれば静まるのが人間、だが逆に温まるのもまた人間というもの。どうしようもない、そう思ってもすぐに愚痴が速射砲の如く空へと放たれていく。
「そもそも何で業務形態変えてんだ、去年それで楽にできてたのに忙しくしやがって。努力が足りんだと?掛かった時間と努力は等号じゃないってのに、クソ。」
怒気は生き物に伝わりやすい。科学的根拠があるのかはさておき、こう頭に血が上っている時というのはあまり生き物は寄ってこない。ああ、悲しいかな、樹液に集まってきたのはカナブンと黒く光るゴキブリだけであった。
「はぁ、今年は無理そうだな。また来年、か。」
いない、取れないものは仕方がない。頭の中で沼ガッパにレモンをぶちまけながら、渋々と山を下りて行った。時期が違うだけでこうも取れなくなる。生き物とはやはり難しい。
今年の成果はトラップに引っ掛かっていたゴミムシ数匹程度で終わった。
因みにオオクワガタの主な採取月は7~9月あたりです。
素晴らしく運が無いですね。
ムカデって昆虫?→多足類です。でも虫ってことにしておいてください(震え)