取り零させない記憶
『メンテナンスが完了しました。現在データをダウンロードしています1,2GB/15,35GB』
終業後すぐにスイッチを付ける、もちろんナチュプレへのログインの為だ。恐らく完全にパッチを当てる感じの内容だったのだろう、大きめのデータ容量となったのが今回のアップデートだ。内容は絶対にあの紙魚関連のものだ、それ以外だったらヤバイものが他にあり、偶々データを食むあの紙魚の存在が擬似相関として現れた可能性が浮上する。
「正直そっちの方がいいな。」
たった数日の観察だけども、あの愛嬌を感じさせる見た目とデータを食べるという諺をもじっただろう生態は俺の心をしっかりと掴んでいた。正直少し手直しして、あれに似た生き物を実装できないだろうかとさえ思っている。
まだダウンロードには時間が掛かる、今頭の中にある情報を手元にあるいまだに捨てていないルーズリーフに書き残しておこうか。あの手帳は文字化けしたり抜け落ちてしまったせいで恐らくアイツに関して書いた部分も一緒に抜け落ちているだろうし。それに一度は自分の従魔になったんだ、忘れる可能性はできるだけ無くしたい。
カリカリとペンが走る音が、ピーっとパソコンから鳴る音と混ざり合って部屋に溶けていく。久しぶりに持った鉛筆は、あの頃よりもなんだか少し硬く感じる。材質的にはあまり変わらないはずなんだけども。
「えーと何処だっけな。」
右隣に置いたスマホの中にある電子書籍を探す。結構古めの大百科事典、祖父の家に置いてあったソレと全く同じものを電子書籍で買い求めたのだ。こういう生き物の写真ではなく一つ一つ絵で書き込んだものは今では珍しいので味がある。それに今みたく挿絵を描く時には模倣しやすくて助かる。
「紙魚はっと……。」
確か害虫を纏めていた部分にヤツはいたはず、ゴキやムカデが出てくるまで飛ばしていこう。
ふと筆が止まる。あれは結構デフォルメされていたせいもあって、模写しただけではただの現実に存在する紙魚なのではないだろうか、そう頭によぎる。
「仕方がない、デフォルメの方法でも探すか。」
こういう時は他力本願、誰かが実践してるのを模倣する以外にない。絵心の無い人間がオリジナルチャートを取り入れて上手くいく確率など、隕石が降り注ぐぐらい無いのだから。
「えーと目をこうやって……全体的に丸めに…か。」
要練習なのは言うまでもない。模写だけならばまだ何とかなるのだが、一回自分から形作るとなるとこれまた難しい。アタリを付けるのだとか書いてあるが、そのアタリの付け方すら分からないのだ。許せサ〇ケ、これ以上はまた今度だ。いや誰だよ〇スケって。
「……先に文章だな。」
そうやってある程度空間を取ってからまた筆を取って書き進める。サラサラと、青春を駆け抜けたようにHBの鉛筆が文字を一つ一つ作り上げていく。ただの記号に意味を吹き込んでいく。文字の羅列にデータを埋め込んでいく。行間に余韻を産ませる。
「…もし今ここにいたらさ。」
それすらも食べていってしまうのだろうか。なんて中学二年生ですらしないような妄想をしてみる。我ながら思春期から脱していない思想を直視するのは憚れるが、それでもこの頭は止まらない。
「まあアッチでならできただろうな。」
声を、文字を、人間が手に入れたデータを奪い去っては消していく紙魚。踊るのは紙面に非ず。電子の海にて自らの足場すら崩していく。
『データのダウンロードが完了しました。』
ポンと通知音を立てて、15GBもの大容量アップデートが終わったことを知らせる。
まだ紙面には泳ぐ魚も、それを表すデータも埋まり切っていない。さてどうしようか、なんて迷うことはしない。
『ログインします。』
ふわっと感じる浮遊感、内臓が持ち上げられる感覚が何故だか懐かしい。意識は闇より深い深淵へと飲み込まれていった。