厄災1
魔力が溢れ、多種族が共生する世界――アトランティス。
2000年前。人類種、獣人種、鳥人種、海人種、機人種の五種族によって繰り広げられた100年にも及ぶ神話大戦が終結し、それぞれの種族は種の繁栄と世界平和の道を歩むことになった。
そんなアトランティスの西部に存在するエルダート王国。
四季がはっきりしており、冬と夏の気温差はあるものの、比較的暮らしやすい環境の国だ。
そんな国にある小さな街『アルトナ』。
簡素な壁に守られたこの街に暮らすのは人間ばかりで、他の種族は見られない完全に単一種族による街だ。
木材の骨組と石材や煉瓦の壁で構成された家屋が立ち並び、最近では赤い屋根が流行っているせいか、ほとんどの瓦は朱色に染まっている。
小さな街と言っても道を歩く人はそれなりに多い活気のある街だ。
「おいおい、何やってくれちゃってんのこれ。お気に入りの武具だったのによォ。これからでっけぇ街で一稼ぎって時に、これじゃカッコつかねぇじゃねぇか、ァアッ!!」
一見平和なこの街でも、ちょっとしたトラブルは存在する。
舗装された道の真ん中で声を荒げる青年。
身に着けた鎧は新調したものなのか、傷一つない綺麗なものだ。だが一か所だけ、ふわふわとしているが水気のある白い物体が付着していた。
青年が睨みつけているのは年端のいかない兄妹だ。
手にはスナックらしきものを持っており、それ上乗った氷菓子が、歪に潰れていた。
「兄ちゃんがぶつかって来たんだろ! だいたい道のど真ん中で剣なんか振り回してんじゃねぇよ。危ないだろ!」
兄妹の兄が妹を庇いながら激昂する青年に負けずと応戦する。
その周りを野次馬が取り囲む。
周りで見ている人からはどっちが割るかはっきりしている。
青年は武具を新調して高揚していたのか、周囲の迷惑を考えずに剣を振り回わしていたのだ。
だが、使い慣れていないのか青年はバランスを崩し、氷菓子を買った兄妹にぶつかって、鎧が汚れてしまった。
どっちが悪いかは歴然。
だが誰もそれを言ったりはしない。
何故か誰も助けようとせず、ただ傍観者を決めているのだ。
それには理由がある。鎧の青年は領主の息子なのだ。下手に関われば自分にも火の粉が飛ぶ。
可哀想だが、自分は何もできないと、あくまでも第三者としてその場にいるのだ。
そんな人だかりができている場所から数十メートル程離れた場所。
そこを二人の少女が歩いていた。
「フン、フフフッ、フ~ン♬」
上機嫌に鼻歌を歌う少女。
金色に輝くセミロングの髪が風でなびき、豊満な胸部と引き締まった腰、上質なシルクのようにきめ細かい肌と楚々と整った顔立ちが、艶麗な風采が通行人の視界に彩りを与えていた。
「今日は凄く上機嫌ね。何かいいことでもあったの?」
そんな少女の隣を歩く茶髪の少女。
ポニーテールを揺らして歩き、スレンダーな細身と雪を欺く白い肌は、清楚で落ち着きのあるイメージを与えていている少女が、透き通る鼻歌の理由を聞いた。
「ずっと探していた本が手に入ったのよ。もう早く読みたくてウズウズしてるのよね」
「探してた本って前に話してた恋愛物の小説の事?」
「そう! 小さな街で花屋を営む少女が、ある時貴族の息子と恋に落ちるの。立場の違いから色々な壁が二人に立ちはだかるけど、それを乗り越えて愛を育んでいくって話。シリーズ作品で最近新しく出たんだけど中々手に入らなくて、お店の人に取り置きしてもらってたのよ!」
金髪の少女が熱く語る。
茶髪の少女は、その熱弁を笑顔で聞いた。
「エレナって無類の本好きよね。それも恋愛物ばかり読んでるし」
「まあね。あたしって小説のヒロインみたいな恋愛をしてみたいのよ。相手は、そうね……あたしがピンチの時は颯爽と助けてくれる白馬の王子みたいな人がいいわ。そうだ! アリスにも今度貸してあげるから読んでみなさいよ。ぜっっっったいにハマるから!!」
「あっ、うん、ありがとう」
妄想を広げて頬を赤らめる金髪の少女――エレナは、抱えた本を、茶髪の少女――アリスに見せつける。
エレナの圧に苦笑いを浮かべるアリスは、その先に出来た人ごみに気付いた。
「エレナ、前に人ごみ……何かあったみたい?」
アリスに言われて、エレナはその人ごみを凝視した。
「どうせしょうもないことで喧嘩でもしてんのよ。ちょっと行ってくる。あ、この本持ってて」
エレナはアリスに購入したばかりの綺麗な本をアリスに渡し、人ごみに駆け寄っていった。
人の壁は意外に厚く、何が起こっているのかさっぱり分からない。
エレナは近くの男に状況の確認した。
「何かあったの?」
「お、エレナちゃんじゃないか。いや、領主の息子と子供が――――」
男は事の成り行きをエレナに説明した。
「ま、衛兵は呼んであるみてぇだからじきに解決する……ってエレナちゃん!?」
事情を訊いて、エレナは人の壁を掻き分けた。
何層にもなった壁を掻き分けて、エレナはその光景を目にした。
何故周りの人は助けないのか。事情を訊いているエレナはその理由も分かっている。
「ァアア、イライラするガキだぜ!」
青年は剣を抜いた。
子供は一瞬委縮しながらも、その眼はまだ鋭くて、
「なんだッその眼は!? どうなっても知らねぇかんなぁ!」
青年は剣を振り下ろした。
子供はぐっと目を瞑り――――
「やぁめぇなぁさぁあああいいい!!!!」
「んっぐぇぁ!?」
鼓膜に響く青年の声。
瞑った目を開くと、そこには青年に飛び蹴りを食らわす金髪少女の姿が印象的に残った。
ニ、三度身体を地面に打ち付けて、青年は気絶してしまった。
「いい年した男がしょうもない事してんじゃないわよ!」
エレナの叱咤は青年には聞こえていない。
だが、ただ見ていることしか出来なかった周囲の心には強く響いて、
「「「「お、おぉぉおおぉ――――ッッ!!」」」」
歓声が木霊した。
称賛の声が寄せられる中、エレナは子供の所によって、その小さな戦士の頭を撫でた。
「よく最後まで頑張ったね。いい? 自分が正しいと思ったことは絶対に曲げちゃダメ。君はそのまま、強い子でいてね」
「…………ぅ、うん!!」
エレナの微笑に、子供は強く応えた。
場が収まり、解散していく中、ようやくアリスがエレナの元に到着した。
子供はエレナに頭を下げると、そのまま元気よく走り去り、その後ろ姿を見送って、エレナは遅れた友人に向き直る。
「エレナッ!? ちょっと大丈夫?」
「あたしは大丈夫…………それよりどうしよう。領主の息子を蹴り飛ばしちゃったんだけど……」
ようやく焦る。
先ほどまでの勇ましさが嘘のように、唇を震わせ、顔を蒼白させた。
「結構本気で蹴っちゃった。いやでも向こうはあたしの顔見てないし、いやでも仮にも領主の息子に手を出したわけだし…………」
あわあわと呟くエレナを見て、アリスは思わず笑みを零した。
「ほんと、エレナって人が困ってたら後先考えないよね。ヒロインっていうより主人公みたい」
◆◆◆◆◆
――――翌日。
結局、あの後罪に問われるということもなく、何事もなかったかのように時間が流れた。
聞いた話によると、あの青年自体何が起こったのか覚えてなく、羞恥を晒すのを恐れて大ごとにはしなかったようだ。
心のしこりが無くなったエレナは、買い物かご片手に大通りを歩いていた。
彼女は酒場で働いている。
特徴のない普通の酒場だが、常連客も多く、夜になると活気づく酒場だ。
「これで……大体オッケーね。さ~て、早く戻って準備しなくちゃ」
買い物を済まし、酒場への道を進む。
いつも通りの道を、いつも通りの顔をその視界に入れながら、いつも通りの歩幅で進む。
だが、何故かエレナは心の奥に違和を感じていた。
いつも通りの日常に介入する何か。
(見られてる……)
身体の芯から舐めまわされるような、すべてを見透かされているような濃い視線が、エレナにぶつけられているのを肌で感じた。
「きっと誰かがあたしから溢れる魅惑の虜になっちゃったのね。哀しい人……声をかけたいけどその勇気がない。彼に出来るのは……そう、じっと見守ることだけ……。大丈夫、あなたは哀しい人というのは撤回するわ。あなたが哀しい人じゃない。あたしが罪な女なのよ……なんてね」
「素晴らしい妄想だ」
「――うひゃぁあ!?」
突然声をかけられて、エレナは心臓が飛び出したかと錯覚する甲高い声を上げた。
周囲を見渡す。が、エレナに話しかけたような素振りは無い。
どこからの声だったのか、突然すぎて分からなかった。
そんなエレナに、見つけてくれと言わんばかりに呼びかけた。
「どこ……なの……」
「ここだ……」
声をする方を探るように歩いた。
次第に近づくのは家屋の壁だ。木柱と石壁から声が響いているように感じて、エレナは優しく壁をなぞった。
「そう、そこだ。ほら、みあ~げて~ごらん」
「ぃきゃぁッ!?」
エレナが声に従って顔を上げると、視界に広がるのは男の顔。
端正な顔が現れて、エレナは二度目の金切り声。
「人の顔を見るなり失礼な奴だ」
数歩下がって、エレナは男を見る。
整った顔、後ろで結ばれた綺麗な黒髪は長く、重力に従って下に靡いた。
だが、そんなことはエレナにとってどうでもいいことだ。
今、もっとも注視すべきは、その男が壁に立っているということだ。
まるで、壁が地面かのように男は立っていた。
そして、そんな異様な光景にも関わらず、行き交う人々は一切気に留めていない。
そんな不思議な光景が、エレナの前に広がっていた。
「アンタ……誰なの?」
異質なものを見るような眼でエレナは男を見据えた。
長身瘦躯だが逞しい肉体を包む純白の貫頭衣、手足や首元に金色の装飾を身に着けた眉目秀麗な男。
衣服や言動、すべてが異様で異質な存在。
壁に立っている為、男は天を仰ぐようにエレナを見つめて微笑を刻んでいる。
「まぁ待て。何事も俺様が先手、貴様が後手だ。貴様、名は?」
傲慢な態度を匂わせる男に、エレナは恐る恐る、
「ェ……エレナよ」
「うむ。よろしく。俺様の名はデウス・ミュートス。さて突然だが貴様に朗報だ。貴様はこれから世界を救う勇者に選ばれた」
「…………はい?」
謎の男――デウス・ミュートスが淡々と言ったセリフを飲み込めず、エレナは腑抜けた声を出してしまった。
エレナの反応が予想外だったのか、デウスは首を捻って考え込んだ。
「どういうことだ。ここは普通、俺様に感謝の祈りを捧げた後、欣喜雀躍とする場面のはず……」
「いやいや、見知らぬ男に世界を救う勇者云々言われてもね……」
エレナが言うと、デウスは納得したようで、
「なるほど、それもそうだな。だがエレナ。俺様の名を聞いて見知らぬ男とは……浅識を恥じろよ人間」
「恥じろって、アンタ有名人なの? ごめん、あたし小説家以外有名な人ってあまり詳しくないのよね」
「ふむ。だが、この世界の神の名くらいは覚えておくべきだエレナ」
デウスの言葉に、エレナは耳を疑った。
「この世界の……神……あーはいはい、そういう感じね。あのねぇ、アンタが本気なのはその恰好を見れば理解出来るわ。けど、アンタの設定にあたしを巻き込まないで。そういうのは友達とやんなさい。じゃ」
呆れた溜息と共に、エレナはその場を去ろうとする。
そんな彼女に、デウスは壁を蹴って跳躍すると、宙を舞ってエレナの前に華麗な着地を決める。
背丈はエレナより頭一つ高いくらいか。
デウスは顎に手をやり、自身でも状況をまとめる。
「どうやら現実を受け入れていないようだ。貴様も、俺様も。ならば一度、互いに確認しなければならない」
デウスはエレナの手首を掴んだ。
そしてデウスが今まで以上の破顔を決めて、
「叫び声は上げていい。少し飛ぶぞ」
「――――ぇ?」
デウスは踏み込む。
踏み出した右足に、重心を乗せて、
「ッそぉら!」
「――――ぃやぁあああああああああ!!!!!」
地上が一瞬で離れる跳躍。
身体が浮き、天地の感覚が狂い、大気をその身で体感した。
数十、否、百メートルは跳び越えているだろうか。
エレナたちがいた場所から離れるのに、秒を数えるよりも早かった。
デウスの跳躍によって天を舞い、降り立った場所は路地裏。
道幅はやや広いが、建物が日光を遮り、陰った空間が広がる。
「ん、どうした。まさかこの程度で気分を悪くしたとか言わないよな?」
「ぅ……ごめんちょっと黙ってて……」
宙を舞い、体感したことのない世界に誘われ完全によってしまったエレナには、デウスの声は頭に響く。
だが、そんなエレナを待たず、デウスは置いてある木箱に腰を掛けて足を汲んで、膝をつくエレナを見下ろして話を始めた。
「さて、ここなら落ち着いて話が出来る。エレナ、今から質問することにすべて偽りなく答えろ。いいな?」
「ちょっと待ってってば…………ふぅ、で、何が聞きたいの?」
一旦落ち着いて、偉そうに座るデウスを見た。
デウスは、エレナの聞く準備を確認し、
「まず一つ、この世界の神の名は?」
デウスの問いに、エレナは首を傾げた。
「神、神、神…………えっと確か、天陰教が崇拝してるのはエリス・アウトルで、真元教がヘスティ・アンフェールだったかな。後は、聖希教のテレスタ・レーベルに、進神教のカーディナル・ウルル……有名なのはこんな感じかな」
「…………」
「え、ちょっと、大丈夫?」
エレナが答えた内容に絶句するゼウス。
頭を抱えたデウスは、小声で呟いた。
「……誰だ其奴ら…………思いつくだけで四人の神が存在するとは……事態は予想以上に深刻なようだ」
「別にいろんな宗教があることは今に始まったことじゃないでしょう。あ、因みに天陰教、真元教、聖希教による三教戦争は10年前に終結してるから、戦争沙汰はもうないわよ」
「そんなことは問題ではない。俺様が危惧しているのは人ではなく世界の問題だ……」
そう、傲然たる態度のデウスが言ったのだ。
その様相は、決して無視出来るものではなくて――――――――。




