厄災12
半年ほど前。
それは突然の事だった。
とある農夫が、いつものように自分が受け持つ果樹園に足を運ぶと、艶やかな果実を実らす果樹園の中で一本だけ、想像を絶する光景が広がっていたのだ。
その場所だけ、大地はひび割れ、樹木は枯れ、育てた果実は泥のように爛れていた。
一日前までは何ともなかったはず。
何かの病気かと疑ったが、街の人に聞き回っても原因が分からない。
そして次の日。
問題の木は変わらずの有様だが、その“現象”が周りの樹木にも影響を与えだしていた。
青々と元気な葉が、今にも朽ちそうにカチカチな褐色となっていた。
次の日、その次の日。
その農夫は毎日足を運ぶ。
その“現象”は、徐々に広がって止まることを知らなかった。
専門家に相談しても原因を掴むことが出来ず、街の人はこの“現象”に懸念することしかできないままだ。
そして半年が過ぎた。
その“現象”は果樹園、主にディープルを育てていた場所に広がっていた。
今では無事なディープルは三分の一程度。その内全滅するだろうと覚悟を決める者も現れた始末。
ディープルの収穫が出来ないグルーフルは、かなりの経済的打撃を受けた。
このままでは、グルーフルの果樹園すべてが謎の“現象”によって滅んでしまう。
“現象”のおかげで、グルーフルには未知の病原菌が蔓延しているという噂が広がり、今で観光客もいなくなった。
「我々も色々対策を講じましたが、結局どれも意味がありませんでした。この街を出ていく人もいて、この街はどうなるんでしょうか……」
お食事中に暗い雰囲気を作ってしまってすいませんと軽い笑みと謝罪をエレナに向ける。
その覇気のない笑みに、エレナは思わずデウスを見つめていた。
デウスは屈託のない笑みを店員に向けて、
「この街の人は運がいいですね。勇者様、その不可解な“現象”、僕達で解決しましょう!」
普段の傲慢さと打って変わっての従者を演じるデウス。
「勇者……ですか? あなたが?」
勇者と言われて当然の反応の店員。
紹介するようにデウスは店員の眼をエレナに向けさせ、エレナは引きつった笑みで応えた。
「ま、まぁ取り敢えず、明日その場所に案内してもらえますか?」
慣れない疑念の眼を向けられながらも、エレナは勇者を演じて。
◆◆◆◆◆
翌日。
エレナたちは街の人数名を連れて問題の場所へとやってきた。
エレナが勇者を名乗っているというのは一瞬で広まったようで、街の人の視線は期待と疑念の二種類を兼ね備えていた。
そんな複雑な視線で刺されながらも、エレナたちはその光景を目の当たりにした。
視界に広がる褐色の世界。
ここに来るまで美しく甘い香りがする果樹園だったが、緑と茶の境界線がはっきりと分かるように、“現象”が果樹園を支配していた。
甘い香りは腐乱したものへと変わり、目を癒す自然の色はただ朽ちていくだけのような土色となっていた。
「酷いね……」
ただその一言に尽きる。
街の人も、手塩にかけて育てた果樹園がこの有様になって、悲しみや苛立ちと言った負の感情が込み上げているようだ。
一緒に来ていたアルバードも、腐った大地を指でなぞり、その感触を確かめる。
乾いていたり水分が多かったりと土にもいろいろあるが、そのどれにも当てはまらない感触。
「ホントに酷ぇな。土が腐ったジャムみてぇだぜ」
状況を調べているとグルーフルの領主が到着したようで、街の人が道を空けて領主を通した。
杖を片手にした老人。ゴルゴンとは違い、柔和な雰囲気を纏っていて。
「これはこれはご苦労様です。まさか勇者様が来て下さるとは」
領主が歓迎する雰囲気を醸し出すと、街の人がこそこそと領主に何かを言っている。
見た目普通の少女が勇者を名乗っているのだ。疑いの眼は免れないだろう。
実際、エレナは偽物な訳で、疑いの視線に罪悪感を感じながら、様子を見るデウスに声をかけた。
「どう? 何か分かりそう?」
「ああ。確かにこれは自然や作物の専門家でも分からんだろうな」
「どういうこと?」
「グルーフルの土地は純度の高い魔力が豊富だ。グルーフルの周りで適正環境が異なる作物が育てられるのもこの土地の魔力が関係しているだろう。だが、今はこの場所に魔力が感じられない。何かが原因でこの場所の魔力が消失している」
「魔力が消失……つまり植物学の専門家よりも魔術師に相談すべき内容って訳ね」
「そういうことだ。ただの人間自体に魔力を感じ取る術はないからな。さて、もう少し原因を深く探るぞ」
「ぇ、うん」
「なら適当な木に手を当てろ」
デウスの急な指示に、エレナは首を傾げながら、恐る恐る朽ち果てた木に手を当てる。
「何をするの?」
「いい加減に奴らの視線が鬱陶しくなってな」
エレナが手を当てた木。
その木から緑が生い茂り、枯れた葉が潤う青に変わって、新鮮なディープルが姿を現した。
朽ちた世界に存在感を際立たせるディープルの樹木。
街の人全員だけでなくアルバードも開いた口を塞げずにいた。当然エレナも。
「流石勇者様! 勇者様の力に当てられて枯れた木に命が宿りましたよ!!」
アピールするかのように鮮明な声でデウスは言う。
エレナに向けられた疑惑の視線。
そのすべてが希望の光を見たような金色の視線となって、
「す、すげぇ!!」
「本当に勇者様だ!」
「神は我々を見放してはいなかった!!」
突然の事にエレナは同様の色を露骨にしたまま薄ら笑みを浮かべるデウスを睨んだ。
(ちょっと何してんのよッ!?)
(ふん。これくらいはしないとな)
言葉に出さずに会話するデウスとエレナ。
いい加減自分も慣れないとと溜息を吐いたエレナは、命みなぎる果樹から手を離した。
「では参りましょう勇者様」
「ぁ、うん」
歩き出すデウスとエレナ。
その二人を呼び止めるのは虎の声だ。
「嬢ちゃん、俺も行くぜ」
「アル? いやでも……」
アルバードはエレナが勇者であることを知らない。
ついてきてほしくないなというのが本音だが、エレナはデウスに視線をやった。
デウスは薄ら笑みを浮かべて頷いたのを確認すると、
「分かった。一緒に行こっか」
「おう」
アルバードと共に、エレナたちは止めた足を進ませた。
最初に枯死した樹木の方角へと。
◆◆◆◆◆
「つ、疲れたぁぁ~」
テーブルに突っ伏して漏れるエレナの声。
最初に枯死した樹木は、グルーフルの果樹園の中でも一番北方向にあるものだ。
そこから徐々に果樹園に広がっている。
ならその方面に進めば、果樹園の大地から魔力を奪い取っている原因に辿り着けると踏んだのだが、結果はエレナの吐いた言葉の通り、ただ疲弊しただけの成果だ。
日も落ちそうだったのでい仕方なく宿へと帰ったエレナたち。
アルバードも張り切っていた分、この結果には萎えてしまったようで今頃酒でも飲んでいるのだろう。
エレナたちも価格が高騰してしまったディープルの果実酒を呑みたいという欲を抑えて水を喉に流した。
「歩いても歩いても何もなかったし。ま、綺麗に草木が青と茶に色分けされてたから、あれ以上北に原因があるわけじゃないってことが分かっただけでも良しとしますか」
歩いて道も生い茂っていたはずの草木が完全に枯れていた。
だが、ある場所を境に綺麗に緑色の大地が広がっていた。
くっきりと命の有無を色分けしていたその場所が、“現象”が影響している場所の端という事。
「距離にして約15キロ。生命の敷居が弧を描いていたところを考えると“現象”は水紋のように円状に広がっていると考えてよさそうだ」
「その理論なら、最初に枯死した樹木から北方向に約7.5キロの場所に何かあるわね。けど別段おかしな点はなかったはず……」
「地上になければ他を探るだけだ。上空、あるいは地下」
上空も地下も、魔術師ではないエレナからすれば想像もつかない範囲だ。
だが、目前にいる存在も、脳裏によぎる起源者も、エレナの想像を絶するものだ。
普通はあり得ないから考えないという考えは捨て、例え想像を超えるようなものでも、絶対に否定できる確証を得ない限りは、可能性が低いがあり得るという考えは持っておかないといけない。
「で、もし原因が空だったら?」
「俺様の神器、“天躯ノ大翼”を使えば貴様を上空に打ち上げることが可能だ。これで上空の探索も可能になる」
「え、空飛べるの? 何それめっちゃいいじゃん!」
「ただ、音速を超える速度で移動するから、下手をすれば肉体がバラバラに――」
「却下ッ!? 何とんでもないもんあたしに使おうとしてんのよ!?」
空が飛べると喜ぶんだ分の落胆を見せるエレナ。
「じゃあ地下だった場合は?」
「ふん。その場合は“奈落ノ働蟻”で地下を掘り進む」
「ふ~ん。その神器はどんなデメリットがあるの?」
地下へと進めることには魅惑を感じるが、エレナはどうしても怪訝な視線をデウスに向けてしまう。
「俺様も疑われたものだな。安心しろ、これは貴様を乗せることなど出来ない。俺様たちは掘り進んだ穴道を進むだけだ」
「そういうことなら問題ないわね。なら先に地下を――」
「ただ空間に出るまで止まらずから掘り進む何もなければ星の核を貫いて世界を滅亡する可能性がな」
「やっぱり何かあんのかい!!」
疲れながらも覇気のあるツッコミに満足したようで、デウスから愉悦の笑みをエレナに返した。
「だが、魔力の流れが影響しているのも空間ではなく大地。おそらく地下に何かあるはずだ。素直に入り口を探すとするか」
「でも、誰が何の意図でこの“現象”を起こしているのか、そもそもこれは人為的なものなのかどうかにもよるわね」
何かの原因で魔力が枯渇してしまった可能性も十分にある。
人為的でないとすれば、原因があると予想する地下に続く道があるとは限らない。
今回の厄災は情報が少なすぎる故に最善で最短の道がない。
「人為的か自然的か邪気で判別できないの?」
デウスは厄災が起こる場所を邪気を嗅ぎつけることで特定している。
邪気の濃度で厄災の大きさが判別できるなら、人災か厄災かも邪気の性質で判断できるのではないだろうか。
その仮説を立てたエレナがデウスに訊いてみるが、デウスは首を横に振った。
「残念だが、人為的であろうと自然的だろうと厄災は厄災。邪気だけでは判別できん。天界にいたころは報告を受けて行動していたから、世界維持に影響を与えるものだけ解決してきた。一から調べるとなると地道な調査が必要だな」
全盛期のデウスなら、いかなる手段をもってしても厄災の解決を試みたのだろう。
だが、今のデウスは信仰力の衰退で魔力は減少して、神器の使用も最低限に抑えたい。
エレナとしてもデウスが力を使って厄災の解決のみに動かれるよりは、原因を見極めなるべく被害が出ないようにしたい。
二人の意志を尊重するなら、やはり地道な調査という結論に至る。
「ただ、魔力と無縁のあたしには今回の厄災は知識がなさすぎる。仮にこれが人為的なものだと仮定して、犯人はなんで魔力を集めるの?」
エレナは今回の厄災を取り合えず人の起こしたものだと仮定した。
もし自然的なものだったとしたら、エレナには介入する余地がないからだ。
人為的なものと仮定して調査し、何もなければそこから先はデウスの管轄だ。
人が介入しない厄災は、噴火や地震といった超自然的災害に類似したものになり、エレナに解決する手段はないからだ。
「一概に魔力と言ってもその性質や用途は様々だが、主なものとしてはエネルギー源だろう」
「エネルギー源……魔道具で言えば魔石みたいなもの?」
「そうだ。貴様が日常生活で使用している魔道具、その動力源は魔石による魔力だ。魔石は誰でも使える分、魔石自体に大した魔力は貯蔵されていない。大抵はどこかから魔力を引っ張り出して魔石に魔力を補充している。この建物にもどこかに全魔道具に魔力を供給する魔力路が張ってあるはずだ」
魔石は魔力を秘めており、魔術師でない一般人でも特殊な力を行使できる。
だが、魔石自体に秘められた魔力量はたかが知れている。
なので、日常生活に必須な魔道具には魔力を供給する魔力路が建物に張り巡らされており、魔石から魔力が無くなることはない。
「もし、犯人が魔術師ならば魔力を得ることで魔導の頂を目指している可能性もあるし、例え一般人だとしても魔力を奪い貯蓄することで街一つ軽く破壊できる兵器を作ることが出来る。今回で言えば、魔力を欲する理由などいくらでも思いつくな」
「魔力を欲しがるか…………」
エレナの中で何かをまとめ上げたのを感じて、デウスは薄く笑みを浮かべた。