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母方の祖母。
母方の祖母。
祖母が亡くなってもう二十余年になるが、私の人格形成に最も大きく関与した人物である。
彼女はとても頭が良かった。近所の男若い衆が祖母によく相談に来ては、解決策を祖母が授けていた。
昭和20年1月に母が生まれ、間もなくして、四日市にも空襲があった。焼け出され、海蔵川にみんな逃げ込んだ。当時、木造だった海蔵橋は焼け落ち、四面火の海、焼夷弾が真昼のように明るかったそうだ。家も焼かれ、生後数ヶ月の母を背負って、四日市から嬉野(現松阪市)まで歩いて疎開したらしい。
祖母は祖父と違い、戦争体験をよく語ってくれた。食べ物が無かった。嬉野は今でも足を向けて眠れない。
一言一言に重みがあった。
私が7歳くらいの時、平和になった海蔵川を二人で散歩したことがある。「あの草も食べられる、この草も食べたことがある」
いやいや、それはどう見ても雑草だろう、と思われる草まで食べたそうだ。
祖母はよく言った。
「男は阿呆ぞ。あんたも阿呆の男に産まれてきたか。」
言葉の真意は未だ分からない。