母方の祖父。
まずは、僕の母方の祖父の話。
祖父は大正7年生まれ。僕が高校2年生のとき、70余年の人生が幕を閉じた。
昭和20年8月15日、この国で本当だったことがすべて嘘になった時、祖父は何を思い、何を感じただろう…
祖父は、いわゆる、戦争エリートだった。各県から数名しか選ばれない「近衛騎兵隊」に選抜され、容姿・運動・勉強・愛国心、すべてが昭和20年8月14日まではエリートだった。
玉音放送が流れた日、この国は負けた。すべて無しになった…
高校1年の頃、祖父と僕は最初で最後の大人の会話をした。普段、戦争のことを頑なに口にしなかった彼が、それは触れてはならないと頑なに口にしなかった僕が。
「戦争に行ってたんだ。ハノイに出兵されて。騎兵隊には、競馬とは違う特別な馬の走らせ方があってなぁ。足音をさせんのじゃ、馬の足音を。
その特別な走らせ方で、歩兵の匍匐前進の後ろに廻る。馬で近寄って、寝そべっている米兵の首をぐさっと刺す。即死さ。」
自慢げに話す祖父に憤りを感じた僕は言った、平成元年の頃。
「ただの人殺しだよ、おじいさんは!」
しばらくの沈黙の後、平静に彼は言った。
「殺さなければ、殺されていただけ…
それが戦争というものだ…
我が孫よ。」
僕が平和を願う時、いつも頭をよぎる言葉、
殺さなければ、殺されていただけ。
祖父の遺言だった。