□ある悪に成り切れなかった男の末路
聖剣を引き抜くと、覇王は鎧の隙間にこじ開けられた傷口を押さえて片膝を着いた。
反撃を警戒して半歩下がっていた私は、左手で覇王の額に聖剣を突き付けながら、もう片方の手で自分の首筋をそっと撫でる。
“先見の明(フォーキャスト)”
己の身に起こる十数秒間の出来事を、先行して体験することができる予知スキル。
その力で自分の死を体験しきった私は、それを逆利用することで、何とか現在の状況を手に入れることができたわけなのだが。
……斬首の恐怖や死ぬときの喪失感まで体験しちゃうとか聞いてなかったぞ、聖剣。
『普通はその前に激痛でスキルが強制解除されると思うんですけど』
ゾンビメンタルも大変だなぁと、聖剣は瞳を細めながらやれやれと嘆息する。
やかましい。首だけになって地面をコロコロ転がってたときの私の心境を考えてみろ。
見上げたら自分の身体があって、その切断面から血が噴き出してるんだぞ。
あんな地獄絵図、前もって100人分の死に様を体験してなかったら精神がやられていたわい。
『むしろ「こんな程度で死んでられるか!」ってメッチャ奮起してなかったっけ?』
「……何故だ」
低く掠れた、見た目相応の年老いた声で。
覇王はロングソードを杖代わりに突き立てながら、私の顔を睨み上げてきた。
「聞かせろ。事前に私の攻め手が分かっていたのであれば、何故あのようなギリギリの手を取った。あの状態から回避が行える自信など、貴様にもなかったのであろう?」
……
「いや、それ以前に何故おまえはあそこでそんな技を使用したのだ。己が勝利を確信していながら、それでも何故」
まるで私の思考を読んでいたかのように覇王は問いかけてきた。
否。
これまで何万人という人間を斬り捨ててきた覇王だからこそ。人間をただひたすらに憎み続けてきた彼だからこそ。
獲物が浮かべる感情など、文字通り手に取るように分かってしまうのだろう。
……私もそれが解っていたから、“先見の明(フォーキャスト)”を使用したのです。
聖剣を下ろして姿勢を正すと、私は半眼を細めて覇王の瞳と対峙した。
己の勝利を悟って聖剣を振りかざした瞬間、私はほとんど無意識にスキルを使用していた。
私の胸中に沸き上がって来たのは、小さな小さな虫の知らせだ。
この男が、人生の全てを憎悪に費やした人間が、死の間際ですら世界を憎むことを諦めなかった覇王が。この程度の逆境を乗り越えられないはずがないという、信頼に近い何かを感じたのだ。
「だとしても。それでも何故貴様はあの一手を打った」
覇王の困惑ももっともな話だ。
パリーによって武器を手放し、姿勢まで崩された状態で。いくら結末を知っていたところで、戦士ですらない一介の村娘の私が、その状態からドッヂを試みるなど無謀の極み。
回避が間に合わずに鎧ごと斬り捨てられるか、そうでなくても企みに気づいた覇王が追撃してくるのがオチでしかなかったから。
だからこそですよ。と私は答えた。
「……」
貴方は欠片の慢心もなく、己の強さを知り私の強さを計っていた。
私の実力がこの程度しかなく、その粗をスキルで補っているだけの小娘でしかないことを、ほんの2・3回の剣戟で把握し尽くしていた。
だから貴方はあの瞬間、まず真っ先にランドルギアの放った“損傷増加”を疑ってしまった。
未知を警戒しすぎて既知を枠外に置いてしまった。
私自身が大成功する可能性を失念してしまった。
貴方は、私の実力をあまりにも正確に把握しすぎてしまったんだ。
「……ぬぅ」
それに、どうせ私は逆立ちしたって貴方には勝てっこない。
あそこで攻撃を止めたところで、首を刎ね飛ばされるのが少し遅くなるだけの話だ。
だったら。どうせ最後には祈祷力に頼る羽目になるのであれば。
何が起こるか分かっているあの場面を最大限に活用させていただいた。ただそれだけのことなのです。
『それにオレっちのマスターの事だから、“どうせ死ぬのならこのまま首を斬られた方が一度体験してるし気が楽だ”くらいまで考えてそう』
なぜわかった。
乙女の心を読むとか重罪だぞ、聖剣。
『真の乙女はそんなこと一瞬たりとて考えねぇよ』
「……俺としたことが、ぬかったわ」
覇王は重心を後ろに掛けると、そのままズシャンと地面に腰を下ろした。
ロングソードから手を離して杖のように己の肩で抱き留めながら、疲れた老人のように表情を緩める。
止血すら諦められた鎧の傷口からは、ダラダラと緩い出血が続いていた。
……
「なんだ?」
そんな姿を訝しげに見つめていると、覇王がジロリと何かを量るような目で見上げてきた。
私は頭を振りながら出掛かった言葉を飲み込み、代わりの質問を口にする。
貴方の逆心をテンノが気づいていないはずはない。なにせ貴方は“悪逆の覇王”なのだから。
それなのになぜ、貴方が門番のような役割を与えられているのか。
「……だからこそ、だ。俺は俺の望みを叶えるためにテンノという存在を守らなければならない」
最終的な目的こそ違うが、そこへ至るための手段は同じなのだと、覇王は告げた。
目指すものが救済か破壊か。テンノと自分とは、その程度の本質の違いでしかないのだと。
「それに彼奴にとっては俺は体のいい実験体なのだろう」
実験体?
「人間という生き物の実験体だ。人間はどれだけ人間を憎むことが出来るのか、世界を憎むことが出来るのか。私はそれを量るためのサンプルというわけだ」
何のためにそんなことを。
「彼奴は――アレにはもう人格などというものは残っていない。俺のような人間の魂を何百何千と吸い上げた結果、物語を救うことに自動化したただの概念と化している。……だからこそ御しやすいと俺も考えた」
……
世界の歯車になりたくないと言っていたはずなのに。
そうしてこんなところで、貴方は結局歯車を回すのですか。
「知った風な口を聞くなよ、小娘。俺の得た絶望が果たして貴様に理解できるのか」
残念ながら理解できるのです。
私は貴方の来世なのですから、知りたくもない絶望を全部体験して来てしまったのです。
貴方の気持ちは分かります。行動も理解できます。
私だって人間の性根の悪さは良く知っています。どこの世界にもクソ領主みたいなカスはいるのだと虫唾が全力ダッシュしました。己がサイレントマジョリティであることを理解せず、自分たちがやったのではないと責任転嫁する愚民共を斬り捨てたときは胸がスッとしました。むしろもっとやれとすら思いました。
でも、それとこれとは違います。
貴方の世界の出来事は、貴方だけのものです。私が応援するものでも同情するものでもありません。
ましてや、私たちの世界に迷惑を掛けてくるのであれば貴方はもう“悪”ですらない。ただの“敵”です。
ちょっと人生がハードモードだった程度で知った風な口を聞くなよ、悪逆の覇王。
ダークヒーローごっこがやりたいのなら、自分の世界の中だけで勝手にやっていろ。
――魔王様の物語の邪魔になると言うのであれば、全力で蹴っ飛ばすぞ。
わかったか、この偽悪者。
『言い方ぁ! たとえ敵でも一応目上の人なんだからさぁ! ……オレっちのマスターが礼儀知らずでホントすみません』
「……」
覇王はキョトンとした表情で私の半眼をまじまじと見つめてから。
ニヤリと、まるで魔王様のように愉快そうに口元を歪めた。
その反応の意味が分からず疑問符を浮かべていると、私たちの右手に虹色のポータルが出現する。
「合格だ。行くがよい、新たなテンノよ。――貴様が我々を蹴っ飛ばせるというのなら、ぜひともその光景を俺に見せてくれ」
……
この覇王には、もっと言ってやりたいことがたくさんあったような気がするのだけれど。
本来の目的はそこではないと思い直した私は、覇王を一瞥するとさっさとそのポータルの中へ飛び込んだ。
―――――
私と聖剣がいなくなった森の中で。
覇王は巨大な大木に背中を預けながら、くたびれたように目を閉じ空を仰いだ。
そこに小さな足音が聞こえて、覇王は薄く目を開いてそちらに視線を向ける。
『こんなにあっさり道を譲るとは珍しいこともあるものですね。……我が王よ』
薄緑色の服に革の軽装鎧、そして全身を包む茶色いローブ。
軍師や戦士というより偵察兵のような風貌のその青年は、覇王を見下ろし親しげな声で微笑んできた。
覇王は顔を下ろすと、皮肉めいた嘲笑を浮かべて青年を見据える。
「いまさら、貴様がこの俺に何の用だ。……ランドルギア」
『いえ、我が王の心境の変化を知りたくなりまして。何故あの小娘を通したりしたのですか?』
「盗み見とは趣味が悪いぞ」
貴様はいつもそうだと、覇王は俯いて小さな吐息を吐いた。
しかし、話さなければ青年がいつまでも居座るつもりであることに気づいて、しょうがなく口を開く。
「見れば分かるだろう。俺はあやつに負けたのだ」
『ご冗談を。その程度の刺し口など、貴方にとってはかすり傷にもならないはずだ』
常人には致命足り得る重傷に見えるのだが。
なるほど。たしかに毒を盛られ体中を斬り付けられ、その背に幾本もの矢を受けてもなお戦い続けることができた覇王にとって、この程度は怪我のうちにもはいらないのだろう。
だとするならば、それこそなぜ……
「これまで多くの人間が俺の行為を咎めた。俺を悪だと罵り、理解できないと斬り捨て、気持ちは分かるがと改心を訴えた。時に俺の行為が素晴らしいと称賛する輩もいた」
『……』
「全部は初めてだった。テンノとしてではなく、俺の生涯を通しての初めてだ」
覇王は顔を上げた。
その瞳は下らなそうに、しかし愉快気に笑っていた。
「共感して同調して賛美した挙句、“邪魔にならないところで勝手にやってろ”と突き放されたのは初めてだ。……ああ、アレこそが悪だ。関心ゆえの無関心こそが物語に対しての巨悪なのだと、俺は今初めて知った」
『……世界は広いですね』
私が消えたポータルを振り返りながら、青年が呟いた。
ポータルが消失すると、役目を終えたこの心象風景自体もぐにゃりと歪んで消滅を開始する。
「ランドルギアよ。あやつはどこまで行けると思う?」
『さてどうでしょうね。しかし、結果はすぐにでも出るでしょう』
「たしかにそうか」
地鳴りと共に捻じれて沈下していく背景の中で、二人は気にせず会話を続けていた。
ハリボテのように剥がれ落ちた地形の裏には、私が想像していた通りの“魂の濁流”が怨嗟の声を上げていて。
『せっかくの機会です。結果を待つ間、久しぶりに一本開けましょうか』
「いいや断る。また毒を飲まされてはたまったものではないからな」
『でも、効いたでしょう?』
「……」
とうとう、地面は二人の立つ場所と背後の大木のみとなった。
しかしそれすら気にしないまま、覇王は嘆息交じりの苦笑を青年へ向ける。
「まったくその通りだ。……あれは効いたよ」
そう言ってささやかな笑い声を上げながら。
悪逆の覇王とその付き人は、魂の濁流に呑まれてその空間から消失した。
―――――




