□脳筋魔王様と笑えない私
上階の保養施設同様、本命の大浴場もたしかに贅沢な作りとなっていた。
広大な鍾乳洞を思わせる地下空間は上の建物の数倍広く、天井も大型の魔族が圧迫感を感じないほど高かった。
室内照明は魔法とランプの合わせ技が使われており、少し薄暗いくらいの灯りが何とも言えない味を引き出している。また壁の至るところが地上に向かってくり抜かれ、日窓と通風孔の役割を兼用していた。
っていうか、これってもしかしてコンクリートで舗装されている?
「ああぁ~お気づきになりましたかぁ~?」
天然の岩盤にしては不自然に均一化された断面に眉をしかめていると、ミルーエがパアッと嬉しそうにはにかんだ。
砂とセメントを練り込むことで人工の岩を作ることが出来ると、たしか何かの本に書いてあったのを覚えていた。
まあ、私が暮らしていた地域では原材料の石灰が入手困難だったため、行商人が運んでくる粗悪なセメントしか目にする機会はなかったのだが。
「この地域では山から石灰や石膏がよく採れるのですよぉ~。なので石材加工に関しては人間さんより一歩先を行ってるかもしれませんねぇ~」
そう言えば、ここはお城も頑丈そうな造りをしているもんね。
人間の王様も立派な城に住んでいると聞いたことがあるけれど、たぶん魔王城はそれにも負けない規模を誇っていると思うよ……?
ミルーエのセリフになるほどと頷いていた私は、ふと彼女の知識の豊富さが気になって、まばたき混じりにゆるふわ笑顔を見上げる。
領主の館にいる頃も、こういう話題について来れる者がほとんどおらず、逆に私の方が妄言を振り撒いている気味の悪い子扱いされていたくらいなのだが。
「……どうかされましたかぁ~?」
ミルーエは私の表情に気づくと、全てを見透かすような瞳で私を見下ろした。
結局その疑問を尋ねることができないまま、私は韜晦気味な愛想笑いを浮かべて大浴場へと視線を戻す。
ここに設営されている浴槽は、言わずもがなどれもこれも素晴らしい造りをしていて。数十人が足を延ばして入れる大浴槽を皮切りに、樽湯、壺湯、滝湯、泡湯と古今東西豊富な種類が用意されていた。
洗い場もそれぞれの浴槽の傍に設置されており、地下であることを利用したシャワーや、ライトアップされた噴水場まであるようで。別区画にはなるが、サウナや窯風呂や岩盤浴など蒸し風呂ももちろん存在し、貸切専用のプライベートルームやVIPルームも完備されているらしい。
しかもこれらの風呂石や湯源にはフォウリー様直伝の謎技術が施されており、入るだけで体がポッカポカ、美容と健康にもとても効果があるとの話だった。
……
前回のエロスケベ様のエピソードでも思ったんだけどさ。
なんか四天王と民衆の距離感、近くない? 仮にも四天王ともあろう御方たちが、ずいぶんと生活に根ざしすぎじゃないかな?
「そうは言ってもぉ~魔王様がアレですからねぇ~♪」
――ここの魔王様って本当に国民から慕われているんだよね?
ぽやぽやと微笑みつつ壮絶な毒を吐くミルーエに、私は冷や汗を垂らしながら納得半分のツッコミを入れた。
そうこうしている間にも、ミルーエは私を抱えて大浴場を横断していく。
って、あれ?
ミルーエたん、洗い場ならすぐそこにあるよ。
お風呂嫌いな私が言うのもなんだけど、先に垢を落としてから入るのが入浴マナーってものじゃないかな?
「はぁ~い、その点は大丈夫ですのでお気になさらずにぃ~」
ミルーエは私の疑問を置き去りにしたまま、ズンズンと先へ進んでいく。
そうして辿り着いたのが、見るからに絢爛豪華な門構えをした、プライベートルームっぽい部屋の入口で。それを目にした私は、なるほどそういうことかと半眼を細めて苦笑する。
これだけ広くて雑多な場所だと、何かの拍子に私が逃げ出さないとも限らないし。それなら、いっそのこと私を個室に監禁してしまおうという算段なのか。
これはもう全身くまなくブラッシングされることも覚悟しなければならないか。と私は辞世の句を詠み、ミルーエが「失礼しまぁ~す♪」と扉を開け放つ。
失礼します、だって?
「んあ? なんだおまえら、まだ俺が入ってるぞー」
開いた扉の奥から、なんだかとても聴き慣れた声が聞こえてきた。
私がまばたきしながら顔を向けると、向こうも同じくまばたきしながらこちらへと振り返る。
……魔王様?
視線の先には、私が五人くらい大の字になっても余裕がありそうな巨大な岩風呂と、そこでゆったりと腕を伸ばして半身浴している魔王様の姿があった。
黒くてフカフカの毛皮も、今はピッチリと体に張り付き、これまで隠れていた魔王様の筋肉のラインを生み出していて。
なぜか私の頬はミルーエの胸を覗いたとき以上に赤面し、それに対して魔王様は目元を吊り上げて牙を剥く。
「んだよおまえ、その顔は。俺様が風呂に入っちゃいけないってのか?」
い、いえ、決してダメなんてことはございませんが。
というか魔王様はどうしてこちらに? 先ほどまでお仕事してませんでしたか?
私は気恥ずかしさを紛らわせるためにワタワタと両手を振り回し、魔王様は面倒臭そうに口を開いて欠伸を伸ばす。
「休憩だよ、キューケー。あんなつまんない作業、風呂に入りながらでもなければやってられるかってんだよ」
要約すると、仕事をサボって抜け出してきたのですね。
「エルザ様をお風呂に入れて差し上げようかと思ったのですがぁ~ちょうどいい広さの個室が空いてなくてぇ~。せっかくだから魔王様のお風呂を使わせていただこうかなぁ~と思いましてぇ~♪」
私がガックシと肩を落としていると、ミルーエは大して動揺した風もなくスタスタと室内に侵入した。
なんだこの娘の見かけによらぬ肝の据わり方はと戦慄しつつ、同じような表情で嘆息している魔王様の方へと視線を戻す。
それにしても、魔王様がマイ風呂を作らせるほどのお風呂好きだったとは思いもしませんでしたよ。
まあ魔王城にこんな入浴施設を作るくらいですもんね。自分用の浴室を用意するのは、むしろ当然と言ったところですか。
「いや、俺はべつに外のデカイ風呂でも良かったんだが……」
「ウルファンさん特有のお悩みですよねぇ~」
珍しく歯切れの悪い魔王様に小首を傾げていると、ミルーエが楽しそうに微笑みながら合いの手を入れた。
ウルファン特有の悩み?と疑問符を浮かべつつ、私は何気なしに魔王様の入っている岩風呂へと目を向ける。
――ああ、抜け毛か!!
「うるせぇ、風呂場で叫ぶな!」
手を叩く私をすかさず魔王様がねめつけたが、そこにいつもの覇気は感じらず。お風呂の表面には、魔王様の黒い体毛がわりと本気で引くくらい浮かんでいた。
たしかにあれだけ全身に毛を蓄えていれば、一度の入浴でかなりの抜け毛が発生することだろう。
なまじ毛並みが良くてフワフワしているせいで、余計に抜けたものが湯の中で目立ってしまうのだ。
父親の後で入りたがらない女学生の心理と言うか、むしろ私がお風呂嫌いじゃなかったとしても、これと一緒に入浴するのは生理的に無理がある。
ましてや、他の魔族にしてみれば相手は魔王様なわけで。立場上嫌な顔をするわけにもいかないとなれば、全てを円満に解決するために魔王様専用の個室を作って隔離してしまうのが、一番手っ取り早い解決策というものだろう。
たぶんこれもガルトライオ様の発案なのだろうが、正直ナイス英断であると惜しみない拍手と称賛を送りたい気分である。
「おいミルーエ、その無駄によく喋る小動物をこっちへ寄こせ」
「はぁ~い♪」
へ? いやミルーエたんちょっとタンマ――
私の制止が届くより早く、ミルーエは胴上げの要領で私の身体を放り投げた。
私は縦回転しながら呆然と宙を舞い、そんな喉元を魔王様が右手一本で気楽に受け止める。
って、うぐおえっ?!!
「お、見た目以上に軽いじゃないか。こんなんでちゃんと中身詰まってんのか?」
く、首が砕けたかと思った……
プラプラと重力に足を揺られながら。魔王様に掲げられた私は、己の首がまだ原型を保っていることを神に感謝した。
というか魔王様?
もう少し注意していただかないと、貴方が戦った伝説の勇者と違って、私のような村娘なんて簡単に首がへし折れてしまう生き物なのですよ?
ほら、今も息が苦しくて首が折れそうで頭が鬱血して……
首が、喉が、頭が首が……
いや、いやいやいや?!
この姿勢ヤバイ冗談抜きでヤバイ本気でヤバイ苦しいやめてヤバイ離して!!!
「おいおい、だらしねぇな。まだちょっと掴んだだけだろう? ……もう少しくらい頑張って堪えてみせろよ」
いや笑ってる場合じゃないんです本気で首がヤバイんです魔王様やめて待ってなんでそれ以上強く握ったらどうして喉が潰れる弾ける頭がこわれるわたシハ――
「魔王様ぁ~それ以上は本当にエルザ様が死んじゃいますよぉ~」
「……チッ」
魔王様は舌打ちすると右手を開いて私を解放した。
床に崩れ落ちた私は、咳き込み息を吸いまた咳き込んでは涙と唾を吐き出して。
1分もしたところで、ようやくまだ自分が生きていたのだと実感した。
おおう、魔王様の気まぐれであやうく首コキャするところだったぞ。
特に頸椎が限界を迎える寸前なんて、私の意識だけが暴走して鋭い痛みがゆっくりやってくるものだから、うおあああああああああ!ってなって走馬燈が巡る余裕すらなかったし。
この世にギャグ補正なんてものは存在しないのだと、我が身を持って実感してしまった気分である。
「ったく、この程度で死にそうになるなよ。どんだけ貧弱なんだ、おまえは」
あのー、ですからたかが村娘に無茶言わないでください。
こう見えて実はーとか、本当は隠してた力がーとか、命の危機で未知の力にーとか。そんなの全部夢物語ですから。
ケホケホとまだ咳が出続けているが、とりあえず後遺症が残るような重篤なダメージは負っていないようだった。
私は頭を起こすと、湯浴み着の裾でぐちゃぐちゃになった顔を拭う。
「……これでただの死にたがりだったら、一思いに捻り潰してやるんだがなぁ」
魔王様がそうされたいのならべつに構いませんけれども。
でも後で私の亡骸をお掃除させられるミルーエたんが不憫なので、出来ることならば止めてあげて下さい。
「ホント、おまえって分かりやすすぎてよくワカラン小動物だよ」
魔王様はやれやれと嘆息すると、体を浴槽の中に戻し――
「なんでこいつを風呂に入れるのに俺の風呂を使うんだ?」
えっ、今更それを尋ねるんですか?
たとえ疑問に思ったとして、もはやなんか気まずくて確認出来ないタイミングになっちゃってますよ?
「実はかくかくしかじかなんですよぉ~」
えっ、ミルーエたんもその表現技法を使っちゃうの?
それって口語にしちゃうと意味不明というか、もはや大胆な行動を通り越して世界観への挑戦になっちゃってるよ?
私が矢継ぎ早にツッコミながら前後へ半眼を向けると、ミルーエは頬に指を添えてお茶目に翼を震わせる。
「えへへぇ~、言ってみただけぇ~。本当は魔法で念話してますぅ~」
うん、カワイイ(納得)
そうしてミルーエたんから事の次第を聞き取ったのか、魔王様はニヤリと邪悪に口元を歪める。
あっ……
全てを察した私は魔王様から距離を置こうとしたが、それより早く再び首を掴まれた。
そのままズリズリと、ゆっくりゆっくり蟻地獄のように、私の身体が魔王様のお風呂の方へと引き摺られていく。
「クハハハハッ! おまえ風呂が嫌いなんだって? 死ぬほど嫌いなんだって? 死ぬより風呂が嫌いなんだってぇ!?」
あらやだ、この魔王様ったらまるで子供みたいに天真爛漫な笑顔で笑っていらっしゃるわ。
……どうかお願いいたします。
後生ですから、欠片でも良心が残っているのならばどうかお慈悲を下さいませ。
「この俺様にそんなもんがあると思うか?」
微塵も思いません。
「よし、死ね」
私の抵抗など蟻の進軍が如し。魔王様がグイっと軽い動作で引っ張っただけで、私の体は岩風呂の上へとぶら下げられた。
そして爪先がお湯に触れた瞬間、そのあまりの刺激に全身がビクッと震える。
あつぅい?!
このお湯あっっっつくないですか!?
世間一般的なお風呂と比べてなんかグツグツ煮立っちゃっていませんか!!?
「魔王様はぁ~熱めのお風呂が大好きなんですよぉ~♪」
そんなものに私を入れようとしてたのかよ、ミルーエたん?!
いくら天然キャラでもやって良いことと悪いことがあるだろうが!?
うん、カワイイ!!!(ヤケクソ)
「それじゃあ覚悟はいいか、エルザ?」
無理! これはむーりー!!
せめて心臓と魂の準備体操をさせてください!!!
ほらまずヌルメのお湯で掛け湯をして髪もしっかりまとめてからじゃないとマナー違反でもありますし――
「ほれドボーン」
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