□美味しくないワインで乾杯を
「……どうぞぉ~」
それは質素とか以前に何もない部屋だった。
十畳ほどのワンルームには、正面に教会みたいなこじゃれた形の出窓が一つつけられているだけ。
家具らしい家具は、ベッドとタンスと小さな丸テーブル。いつものメイド服はハンガーにかけられてベッド傍の壁際へ。生活用品は窓辺に置かれた小棚にまとめられ、汚れ物もキレイにたたまれてタンス脇の籠に入れられていた。
聖剣を外して丸テーブルの椅子に腰かけていた私は、そんな部屋の内装をキョロキョロと見回す。
なるほど、たしかにロスケのアトリエを小さくしてアトリエ成分を取り除いたら、このような部屋になるのだろう。思わずそう納得してしまう程度には、本当に何もない部屋と言えた。
ミルーエはムスッと不機嫌な表情のまま。声だけは可愛らしく間延びさせながら、私の前にワイングラスを置き、そこに今しがた持参したワインを注ぎ込む。
えと、これはミルーエへのプレゼントなんだから、私はべつにいらないよ?
シュワシュワと炭酸が生温く弾ける様子を眺めていた私は、恐る恐るミルーエとのコンタクトを試みた。
「エルザ様が突然いらっしゃるからぁ~おもてなしの用意なんて何もないんですよぉ~。……私も飲みますから、少しは付き合ってくださいよ」
……はい。
ミルーエに嫌味っぽく睨み付けられて、私は心苦しさに再びワインへ視線を落とした。
しかし、これがシャンパンと言うものか。
ビールみたいに泡立つワインの存在は耳にしたことがあったけど、実物を見ると何とも奇妙な気持ちになる。
私がひとりごちていると、脇に立て掛けられた聖剣も一緒になってワインの中身を凝視した。
『赤いから正確にはシャンパンじゃないと思うが。というか、なんでフランスがないこの世界でもシャンパンなんて呼ばれてんだろうな?』
そんなの私に聞かれても知るわけないじゃん。
大方アレでしょ、満遍なく共通認識を得るための創造主様の思し召し――
おい待て聖剣。今更だけどツッコミ入れていいか?
『どうした、マスター? いきなりそんな深刻な顔になって』
今まで無意識に受け入れちゃってたけど。
ときどきあんたが口にしてるわけが分からない単語や知識って、もしかして以前話してた“ここ以外の世界”の記憶ってやつじゃないの?
――なんでそんなものを私が知っている前提で私に話しかけてんだよ、おまえは。
『……。……言われてみれば確かに、これってオレっち自身の知識とは直接関係のないデータだよな。え、でもいや、マスターがあたり前に反応を返してたから、オレっちも別にそんなもんなんだって思って』
そんなの気にしたこともなかったよと、聖剣はちょっと驚いたように目を見開きながら私と視線を合わせた。
いやいやいや、なんでそこが無自覚なんだよ。
これまで散々私の発言に付き合っていたじゃないか。みんながハテナマーク浮かべてる場面でも、あんただけはきっちりフォローを入れてくれていたではないか。
まるで私の知識を引き摺り出そうとするように。
そう。まるで私を誘導尋問するみたいに、ノリ良く丁寧に。
『……うん』
私が疑いの目を向けると、聖剣は戸惑うように瞳孔を収縮させて考え込んだ。
……こいつも私と同じように、気が付かないうちに“何か”に自分を乗っ取られかけていた?
「いったい何のお話ですかぁ~?」
しばらく無言で聖剣と見つめ合っていると、チーズやサラミの盛り合わせを準備したミルーエがテーブルに戻って来た。
とりあえずこの話題は保留で。と聖剣にアイサインを送ってから、私は向かいに座ったミルーエに顔を戻す。
えっと。それではあらためまして。
ごめんなさい。私ってば、この十日ほどキミのことを雑に扱いすぎちゃってたみたいで……
「そんなの後でいいですからぁ~、まずは乾杯しちゃいましょぉ~?」
あ、はい。
有閑マダムみたいな気怠い表情で促されて、私は慌ててワイングラスを手に取った。
正直興奮した。
『直前のシリアスな雰囲気からこの発言まで僅か15秒である』
そんなケロッグは牛乳でも掛けて食ってしまえばいいと思うよ。
私は三つ編みで聖剣の刀身を叩きながら、腕を伸ばしてミルーエとグラスを鳴らした。そのままワインを口に含むと、口の中で緩い炭酸が膨れ上がり赤ワインの香りが突き抜けていく。
……
んん?
「……どうですかぁ~」
戸惑いがちにグラスを凝視していると、同じようにワインを一舐めしたミルーエがこちらを見つめてきた。
えっとー。なんと答えたらいいのかー。
ぶっちゃけ美味しくない。
匂いといい渋味といい、アクが強すぎる上に炭酸がそれを増長してしまっていて。
決して不味いわけでも飲めないわけでもないのだけれど。でも、間違っても絶賛しながら万人に勧められるような代物ではなかった。
これが大好きだというミルーエの手前、ある程度発言をオブラートに包むとするなら。
そう、“個性的な味”とでも評するのが無難だろうか。
「実際その通りだとわたしも思いますのでぇ~お気になさらないでくださいぃ~」
オブラートに包んだ甲斐もなく、ミルーエは私の三つ編みから全ての感情を読み取ってしまっていた。
そして申し訳なさそうに丸くなる私を放置したまま、もう一度グラスを傾けワインを呷る。
「バラバラでチグハグでクセばかり強くて。……まるで私みたいな味ですよね」
あ、でも飲み方の次第だと思うよ。
甘い白ワインと混ぜてロゼっぽくしてみたり、もっと冷やしてからオンザロックにして飲むと、後から味や香りが広がるようになってとっても良くなると思う。って、この辺じゃ冷やしたり氷を確保するのが難しいか、えへへ。
ミルーエのボソボソとした発言の上に、私のお気楽なワイン講釈が見事に覆いかぶさった。
……
…………
………………
完璧にやらかしたあぁぁー!!?
この子、今メッチャ深刻な話を切り出そうとしてたよね?
ワインと自分を重ね合わせながら己の想いを私に告白してくれようとしていたよね?
きっと勇気とかいろんなものを振り絞って語り始めてくれたというのに、私は暢気に美味しくワインを楽しむ方法とかを模索しちゃってたよね?!
これって流れが完全に、妊娠を報告しようとしたら彼氏が馬鹿面で「今晩唐揚げ食いたいから作っといてねー」とか尻掻きながらのたまってきたみたいな状況じゃん。
地雷を力強く踏み抜いた上で高々と足を掲げちゃってる状況じゃん。
ち、違うのミルーエ。今のは本当にそんなつもりじゃ……
涙目でビクビクしながら顔を上げると、ミルーエは真顔でワイングラスに視線を落としていた。
「……“相転移操作:水(コントロール・オブ・フェイズトランジッション・ウォーター)”」
ボソッと呪文を唱えた瞬間。周囲の大気が吸い寄せられると同時に、ミルーエの手の中に拳大の丸い氷が出現した。
それを握力だけでパキッと砕きながら、今度は私のグラスを指差して同様の魔法を使用する。するとワインがどことなく冷気を放ち始め、ミルーエはその中に砕いた氷をひとかけら投入した。
えええええぇぇえええ。
いや、サラッとやってるけど実はとんでもなく高度な魔法じゃありませんかソレ?
『実際高度すぎて笑えてくるな。氷や温度操作の魔法自体は存在するけど、こんな繊細な微調整なんてできないし、そもそもアドリブでこなせるような魔法じゃないぞコレ』
燃やすのは簡単だけど温めるのは難しい、だっけか。
ちょくちょく忘れちゃうけど、この子ってば本当に大魔導師様なんだよなあ……
私が聖剣と話しているうちに、自分のワインもオンザロックに変えたミルーエがそれを口にする。
「……」
ミルーエはグラスから口を離すと、それを静かにテーブルに置いた。
「私、幼い頃から『おまえは魔王になるんだ』って言われて育てられてきたんです」
……
「両親はそれに反発して守ってくれていましたが、そのうちに事故に見せかけて謀殺されてしまいました。だからもう、私は魔王になるしかないんだろうなって。諦めると言うよりは、覚悟を決めて生きていました」
……ミルーエ。
つらいならそれ以上話さなくていいよと三つ編みで促すが、ミルーエは苦笑しながら首を振った。
「仮にも魔王になるのだったら、女の見た目じゃ格好付かないじゃないですか? だから少しでも男側に寄せようと言葉遣いもそれっぽくして、髪も短く逆立てて、乱暴に横暴に魔王のように振る舞って。でも成長期に入ったら私の体はどんどん女性の方に寄っていって。……どうしようかと悩んでいたら、魔王様が現れたんです」
ミルーエは過去を思い出すように翼を広げて天井を見上げた。
「魔王様は馬鹿馬鹿しいくらい強くって、それで私まで本当に馬鹿馬鹿しくなっちゃって。気が付いたときには周りの全てを投げ出して“マックロック・ロスケ”になってました」
女性として両親に願いを掛けられて。
男性になる決心を固めて。
それでも肉体は女性のもので。
バラバラで、チグハグで、クセばかり強くて。
そんな自身の全てが嫌になって、何もかもを真っ黒な嘘で塗り固めて。
「エルザ様がこの国に来た時。城門でエルザ様に初めて声を掛けていただいた時、今度こそどちらかになれると思ったんです。『カワイイ女の子だね』って仰っていただいたとき、私は今度こそ女になれると思ったんです」
城門で私が声を掛けた時?
……ごめん、それは覚えてない。
私が申し訳なさそうに呟くと、ミルーエはいいんですよと微笑んだ。
「実際、エルザ様の前では、私は女の子でいられたんだと思います。エルザ様からどれだけセクハラを受けても、正直嫌悪感しか感じませんでしたし」
――その節は本当にすみませんっシタッ!!!
包み隠さぬミルーエの本心を聞いた私は、思わずテーブルに両手を突いて頭突きのような勢いで頭を下げた。
ミルーエはやれやれと嘆息すると、翼を畳みながら長い耳を震わせる。
「でも、この前の発情期が来て。私の表に出て来たのは男性としての欲求で。それを全部エルザ様に受け止めていただいたのにも凄く満足していて。……だから私、わけが分からなくなっちゃったんです」
……
だから、少し私と距離を置きたかったの?
「そういうことです」
これで話は終わりですと告げるように、ミルーエは再びワインを口にした。
それに対して何と答えるべきか。
私は自分のグラスに目を落として考え、そして考えるまでもないさと顔を上げる。
――ミルーエはちょっと考えすぎなんだと思うよ?
「ふぇ?」
ハピオンじゃない私には、どちらにも成れるミルーエの本当の気持ちは分からないけれど。
でも、自分の形なんて、自分で見えるモノでも自力で整えられるモノでもない。ましてや誰かに左右されるようなモノでは絶対にない。
そうだと思ってもきっとそれは勘違いで。そうじゃないと思っても、きっとそれも勘違いで。
結局そんなのはただの不確かなコギト・エルゴ・スム。
どう足掻いたところで、自然と、あるがままに、なるようにしかならない揺らぎのあるものなんだから。
だから、女性だとか男性だとか。
いちいち決めてかかる必要はないんじゃないかな。
「……」
間延びした声で喋る、とっても可愛いオンナノコなミルーエも。
俺様口調で喋る、とっても恐ろしいオトコノコなミルーエも。
そして勿論、どっちつかずで中途半端な今のミルーエも。
全部が全部、私にとってはミルーエの愛しい一側面だから。
あるがままのキミが素敵だ、なんてカッコいい言葉は使わないけれど。
――でも、少なくとも、そんな下らないモノでミルーエが悩む必要なんて欠片もないんだよ。
「エルザ様……」
どうどう、聖剣? 今の私、なんかとってもイイ感じのイケメンアピールできたと思わない?
『今この瞬間が訪れるまでは、オレっちもそうだと思っていました』
「――ぷふっ!」
私が聖剣に照れ隠ししていると、そんな姿がツボに入ったのかミルーエが口元を押さえて噴き出した。
それを見た私は、安堵の溜息を吐きながらミルーエに顔を戻す。
安心して、ミルーエ。
キミがこれから何者になったとしても。もし仮に魔王になったとしても。
ミルーエがミルーエでいる限り、私もキミの友人であり続けるから。
「……ありがとうございます」
そうしてはにかむミルーエは、これまで私が見てきたどの表情よりも自然な笑顔になっていて。
きっとこれが、ミルーエ・フォル・デルレイトの本物の笑顔なのだろう。
私はグラスを手に取ると、若干氷が溶け出したワインをクイッと大目に口に含む。
……氷で割っても結構しつこいね、コレ。
「えへへぇ~、やっぱりエルザ様もそう思いましたかぁ~?」
うん、カワイイ。
わずかに湿気を帯びた風が爽やかに吹き抜ける午後。
ミルーエとのわだかまりを解いた私は、しばし楽しいお酒の時間を楽しむのだった。
―――――
『とかこの日記じゃキレイにまとめてるけどさ。この後にやらかしたこと、本当にマスターは覚えてないのか?』
この後にやらかしたこと?
ええと、私何かやったっけか?
『……酔っぱらったマスターが、あいつのことを問答無用で押し倒してたんだぞ』
ホワッツ?
なにそれ全然記憶にないんですけど。
『おまけに何故かそこにあのスラリンも混ざってた』
なにそれ全然記憶にないんですけど!!?
そう言えば、気づいたら自分の部屋で寝てた上にミルーエが微妙に感情の抜けた目で見下して来てたから、てっきりそういうプレイなのかと思ってたけど。
『マスターのそういうところだと思うぞ』
むう。今更にして明かされる衝撃の事実。
しかしなってしまったものはしょうがない。だとすれば私に出来ることはひとつだけだ。
『できること?』
日記の最後に一文付け加えるんだよ。
このあと滅茶苦茶セ『意地でもやらせねぇよ?』
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