□マイディア・ディアボロスフェア
言葉を失った群衆の中で、見渡せば、私の周りには四人の魔族が倒れていた。
……ねえ、ひとつだけ聞いてもいい?
『その前にまずはオレっちから。――肯定と否定、どっちがいい?』
現実から半眼を背けるように問いかけると、聖剣が現状を見据えるように柄頭を細めて尋ね返してきた。
なるほど、それはたしかに大事な質問だった。
……どちらを選んだところで、その先には地獄しか待っていなかったとしても。
普段は使用しない筋肉を無理やり使った影響か、私が肩を落として溜息を吐いたのに呼応して、全身の筋という筋が阿鼻叫喚の悲鳴を発する。
もしかしたら捻挫や脱臼くらいしているのかもしれない。……しかしそれでも、群衆の視線の痛々しさと比べれば、どうということはなかったのだけれど。
あらためて、私は自らの手で脳天唐竹割りしたリザドンを見下ろした。
蛇から絞ったのか、それとも薬草を煎じたのか。あえて表面を鈍く錆びさせ、その上で毒を染み込ませた汚泥が塗りたくられた短刀。
そんな得物で傷つけられた生物の死に様を想像して、三つ編みをゾッと戦慄させた私は、それとなく後退りつつそのリザドンから距離を離す。
……で、この惨状ってガチで私がやったんだよねえ?
『だからどっちがいいって聞いてるじゃないか。今だったらまだ、全部オレっちの仕業ってことにして誤魔化せるかもしれないぜ?』
それはそれでとても魅力的な提案というか、たしかに当面の争いは回避できるんだろうけど。……根本的な解決にはなりませんよね?
『でも選べるじゃないか。問題を後回しにするか、それとも先送りにするかをな』
あんたの優しさがここまで身に染みたのは初めてだよ……
あくまでも自主性を尊重してくれる聖剣にもう一度溜息を吐きながら、私は疲労と武者震いで痙攣している己が手の平を見下ろした。
「武士らしく」どころじゃない。一撃必殺状態なんて次元すら超越している。
夢でも幻でも、ましてや覚醒した第二の人格が勝手にアレコレしたわけでもなくて。自分のこの手で、自らの意思と技量で、私は四人の刺客を打倒したのだ。
『マスター……』
あー、でも、うん。
――とかナントカ気取りながらも、正直に自白すると、こんな事態に陥った心当たりならちゃんとあったりするんだよねえ。
『……。……えっ、それってマジな話?』
デフォルメ顔でひとりごちると、聖剣も柄頭を円らに見開き疑問符を浮かべた。
そんな彼におどけた笑いで頷き返した私は、手を握り締めつつ、底抜けに明るい青空を見上げて半眼を細める。
今朝見た不快な夢に、今のこの状況が滅茶苦茶デジャビュするのさ。
『ゆめ? ……って、あの“夢”のことか?』
そう、その夢だよ。
そこで私はダークファンタジーのラスボスみたいな悪の帝王を演じていてね。
……そいつがトンデモない剣の達人だったことを、おぼろげに覚えているんだ。
運命に失望し世界を唾棄した、悪逆なる狂気の剣聖。万の民を斬り殺したその臓腑の臭いが、私の身体にも染みついているような気がして。
ただの夢だと流すには、偶然の一致にすぎないと笑い飛ばしてしまうには、先刻の私の剣技は“ヒトを斬り捨てること”にあまりにも慣れすぎていた。
『……それってもしかして、先日の未来予知の夢と何か関係が?』
それはまだ分からないけれど。しかし思い返せば、ミルーエが暴走した一件の際にも、今回と同じ感覚に陥っていたような気がした。
自分の素性が乗っ取られるような、とても不愉快でどこか懐かしい感覚が――
「見ましたか、ディアボロ様?! あのメスが、人間が同胞を殺しましたよ!!」
聖剣との雑談はそこで打ち切られた。
柄頭と見つめ合った私は、嘆息混じりに声の方へと諦念の眼差しを向けて。他の群衆の視線も集まる中、ディアボロスフェア様の隣にいたゴブリンが、表情に若干の動揺を走らせながらも先導者が如くこちらを指差していた。
あらためて説明する必要もないかもしれないが。彼は前回『ケンカが起きた』とディアボロスフェア様を連れ回した魔族で、まず間違いなく襲撃犯の一味であろうことは確定的に明らかだった。
ディアボロスフェア様は、敵愾心ともまた違う感情を込めてこちらを見据えていたけれど。その沈黙を肯定だと拡大解釈したゴブリンは、野次馬たちをアジテートしようとアドリブ感満載に声を張り上げる。
「みんなも何を黙ってるんだ! 魔族が、仲間が死んだんだぞ!? 早く衛兵を呼んで……いや、俺たちの手でこの人間に裁きを下してやるんだ!!」
そりゃそうか。衛兵に調べられたら都合が悪いのはそっちの方だもんねー。
『言ってる場合か。どうすんだよこの状況、あまり愉快な雲行きじゃないぞ?』
相手が真っ当なカタギでなくとも、致し方のない正当防衛だったとしても。
人間の私が魔王城のお膝元で白昼堂々とロングソードをブン廻し、魔族連中をバッタバッタと薙ぎ倒したという事実には間違いないわけで。
最初こそヒソヒソと鳴りを潜めていた囁きが、ガヤガヤと波立つ不信感へと膨らみ、やがてザワザワとした殺意に成長するまでに数十秒と時間を要さなかった。
「ディアボロ様! 貴方も見ましたよね、奴が剣を振り回す凶悪な姿を!!」
「……」
対するディアボロスフェア様は肩を揺すられても微動だにすることなく、ジッとひたすらに私の半眼を見つめ続ける。
黙って顎を擦るその姿は、戦士総長を任されるに相応しい武将の貌で。自分なら先ほどの剣戟にどう対処したかをシミュレートしているように、私には見えた。
群衆にまだ目立った動きはない。
しかし、その内圧がこれ以上ないほど高まっていることは、魔族の表情の機微を読み取り慣れていない私にも感じられて。
おそらく、彼らは自分たちが爆発するための“キッカケ”を求めているのだ。
持て余した感情を動物のように発散しても咎められない、一人の人間を集団でリンチしても良心を傷めない、そんな都合の良い“免罪符”を欲していたのだろう。
「ディアボロ様、何を悩んでおられるのですか! 魔王様の御手を煩わせる必要もございません! 今ここで、貴方の剣で、この下賤な人間に正当なる裁きを!!」
――だからこそ、彼らの視線は自然とディアボロスフェア様に集められた。
生殺与奪の権利も含めて、私にどんな判決を下すのか。どのような罰を与え、そして自分たちにはどのような“ご褒美”が与えられるのか。
次第にこなれて表現豊かになっていくゴブリンの名演にまんまと触発された群衆は、鶴の一声を望むように期待の眼差しでディアボロスフェア様を凝視する。
「さあ、ディアボロ様!!」
「……もうその程度で満足だろう」
名局に水を差されたことを疎んじるような、心底鬱陶しげな溜息を吐きながら。ようやく顎から手を放したディアボロスフェア様は、穏やかだが場の誰もが聞き取れるハッキリとした言葉遣いで宣告した。
調子に乗りまくっていたゴブリンがワケも分からず硬直して。その胸倉を右腕一本で掴み上げると、彼をお白洲へと引っ立てるように私の足元まで投げ捨てる。
「ぐわっ!! い、いったいナニをなされるのですか?!」
まさか片手で放り投げられるとは思わなかったのだろう。受け身も取れずに無様な尻餅をついたゴブリンは、悶え転がりながら砂まみれの顔を見上げた。
一方のディアボロスフェア様はマントの留め金を外して剛腕と刀をさらすと、威圧するようにその眼前まで歩み寄り、腕組みと共に冷淡な視線で彼を見下す。
「貴殿らこそ何のつもりだ? ……公衆の面前で凶器を振り回し、あまつさえエルザ殿の命を狙うなど、魔王様に対する明確な反逆行為だぞ?」
「っ……!?」
言い訳の余地など残されていないことを悟ったのか、ゴブリンは続けようとしていたセリフを思わず飲み込んだ。
しかしそれでも全てを諦めるには足りなかった様子で、逆ギレ的に私を睨みつけたかと思うと、群衆の同情を引くように倒れた仲間たちを指差す。
「貴方ともあろう魔族が、我々より魔王の命令の方が大切だと言うのか! 貴方だって見たはずだ、あの人間が迷いも躊躇いもなく魔族の命を奪った瞬間を!!」
「先に仕掛けたのは貴殿らではないか。――そして、誰が誰の何を奪ったと?」
「……えっ?」
ディアボロスフェア様の言葉を待っていたかのように、私の周りに倒れていた四人の魔族が、続々と目を覚まして上体を起こし始めた。
彼らは全員キョトンとした表情で、私に斬られた部位を撫でて。だが、出血どころか着ている物にすら傷一つないことに困惑しつつ、こちらへ顔を向ける。
『それは“慈愛の加護(グレイシャス・グレイス)”っていうスキルでね。……オレっちのマスターはな、フレンドリーファイアの有無を自在に変更できるんだよ』
いや、あたかも自分の功績みたいにドヤ顔ってんじゃねーよ。……そもそもオマエがスキルで援護してくれてれば、もっと楽にケリがついたんだからな?
えっへんと自慢げに胸を張る聖剣にイラッ☆ときた私は、三つ編みを縄代わりにして柄頭をギリギリと締め上げた。
そして苦悶の表情で垂れ流される聖剣の命乞いをスルーすると、刺客たちにニッコリ笑顔で語尾の星マークを散らす。
なんにしても、驚かせてしまって申し訳ありませんでした☆
斬られた痛みはそのままに感じたでしょうが、ノセボ効果以上の物理的なダメージは受けていないはずですのでご安心ください。
……万が一異常が見当たりましたときには、遠慮なく城へご一報を。役に立たないこの駄聖剣は、マスターの私が責任を持って“破断”致しますので☆
『ここぞとばかりにオレっちを処分しようとするの、止めてもらえませんか?』
「「「「「 ……………… 」」」」」
指を立てながらニコニコと愛想を振りまく私に、聖剣がぐんにゃりと剣身をたわめて。野次馬魔族は勿論、刺客たちもあんぐりと開いた口を閉じられずにいた。
その間にもディアボロスフェア様が私を守護るように回り込み、地面に転がる刺客たちへと、普段は絶対に見せない軽蔑の籠った眼差しを突きつける。
「事情は城の官署で訊かせてもらおうか。お互い無傷故に大した罪とはなるまい。が、相応のお叱りは覚悟しておくようにな」
「……貴方は、そんなことが本当に正義だと信じているのか? 知っているぞ。俺たちだけじゃない、貴方も人間どもに親兄弟を殺された魔族の一人だってな!!」
今度こそ全てを観念しながらも、口惜しげに砂利を握り締めたゴブリンは、呪詛のように頭を振って声を張り上げた。
同じ禍根を抱える群衆が、彼に同調し私を睨みつけて。しかしそんな敵意の盾となるように、ディアボロスフェア様は場の魔族全員を睨み返す。
「その通りだ。私の一党は人間の冒険者に皆殺しにされ、私自身、魔王様の助けがなければ生きていなかっただろう。……あのときの憎しみを忘れた日はない」
「だったら――」
「怒りとは、憎しみとは、暴力を振るうための“大義名分”などではない!!!」
身を乗り出して同意を求めるゴブリンに、ディアボロスフェア様は怒髪天を突くような形相で目を見開き叫んだ。
建物を震わせるほどの一喝に魔族たちは凍りつき、そしてディアボロスフェア様は、眉間にシワを寄せつつ真実悲しげな表情でこちらを振り返る。
「私もこれまでに多くの人間を殺めてきたし、彼らにも親兄弟がいたに違いない。到底相容れることの出来ない、殺し合うことでしか共存できない定めの我々だからこそ、人間と彼らの死には最大級の畏敬を払うべきなのだ」
……なるほど、そういうことだったのかと。そんなディアボロスフェア様の眼差しを浴びて、私はようやく理解することができた。
この紳士で武人でお父さんなゴブリンの剣豪は、憎むべき人間である私のことすらも、自分と対等な存在として認め受け入れてくれていたのだと。
「ましてや、こんな女子供を大勢で囲んで辱めようなどと。――人間への憎しみを語る以前に、貴殿らは一端の魔族として己が愚劣さを恥じるといい!!!」
ディアボロスフェア様。
彼が異様に甘々な理由が納得できてしまって、私は困ったようにはにかみながらディアボロスフェア様のズボンの裾を引っ張った。
ヒートアップしていたディアボロスフェア様はハッと我に返って。小走りでマントを拾い上げた私は、三つ編みを揺らしつつ、砂を払ったそれを彼に差し出す。
……この辺りでもう十分ですから。
……この通り、私は大丈夫でしたから。
ですから、そろそろお城に帰りましょうよ。……ねえ、ディアボロスフェア様?
「……。……そうだな」
近隣住人が呼んでくれたのだろうか。私たちがマント越しに見つめ合う背景では、衛兵を乗せた軍馬の蹄鉄が響いていた。




