□超自我問答
「悪い! そう言えば、あそこには鍵が掛けてあったんだったわ!!」
買い物しようと街まで出かけたら財布を忘れた、みたいな愉快なノリで。
階段を降りて城の一階に到着した直後、魔王様は残像を置き去りにしながら、宝物庫の鍵を探してガルトライオ様の部屋へと引き返していった。
……まあ、それはべつにいいのだ。
宝物庫に鍵が掛かっているのは不自然なことではないし、その事実を今の今まで忘れていたのも魔王様だからで許される。
鍵を管理しているのがガルトライオ様なのもごく自然な成り行きだし、いや魔王様が管理しろよというツッコミも今さらすぎる話である。
「…………」
問題なのは、それによって私とフォウリー様が二人きりにされてしまったことと、そのフォウリー様に後ろから羽交い絞めにされているという現在の状況で。
先ほどの“吸血ホールド”と比べれば、後ろからお腹に両手を回される程度の抱擁ではあったが。身長差的に彼女の胸が首筋に押しつけられていることもあって、私はいろんな意味で頬を赤らめてドギマギしていた。
最初こそ『魔王様が不在の今こそ、アタックチャンス!(握り拳)』とばかりに私のタマを取りに来たのかと思ったけれど。
フォウリー様は私を捕えてから一向に次の動きを見せることなく、それこそ怒るでも笑うでもなく、観測対象を見据える学者の顔で頭頂部を睨み続けていて。
この膠着状態が始まって何分が経過しただろうか。
現在地が城の再奥であるためか、偶然通りすがってくれる魔族の姿もなくて。薄暗く静かな廊下の真ん中、遠くで爽やかな春風のさざ波だけが聞こえてきた。
そして迂闊に振り向くこともできずに引き攣る私の頬を、フォウリー様の長い黒髪がサラサラと撫で掠めていく。
……うん、やっぱり本物の御髪だよなあ。
緊張に堪えきれなくなった私は、現実逃避するように彼女の髪へ目を留めた。
私がこの城にやって来た当初、フォウリー様の髪はこんなに長くなかった。
どころか彼女の髪型は勇ましくも女性らしさを忘れない、ざっくばらんなベリーショートヘアで。それがどういうわけか、数日前から突如として長髪へと装いを変えていたのだ。
おまけに、初日は何故か私と同じ三つ編みに結わえていた気がするのだが。
なんだかんだ紆余曲折を経て、フォウリー様は今日のようなストレートロングに落ち着くこととなったのである。
「……ボウフラ娘。……あなた、何者なの?」
今時の賢者様は毛生え薬まで作れるのかと感心していたところで、フォウリー様はとても重々しく口を開いた。
ようやく状況に動きがあったことに、私はホッと胸の撫で下ろして。同時に彼女の質問の意図が掴めず、疑問符を浮かべながらおずおずと肩越しに振り返る。
ええと、その、何者と問われましても……
ご覧の通り、語れる職業もないようなさもない村娘Aにございますが……?
ヒクヒクと頬を痙攣させつつ、私は精一杯の愛想笑いで三つ編みを揺らした。
一方のフォウリー様はその返答がお気に召さなかったご様子で、訝しげに歯軋りを鳴らしながら目を細める。
「本当にただの村娘なの? ヒュームと言うのも本当の話なのかしら?」
?????
まさかこんな魔族の城に来てまで存在証明を問われることになるとは思わずに、私は真顔で思考停止してしまっていた。
そして己の半生を足早に振り返ってから、さすがに記憶が捏造されてるわけではあるまいにと、ちょっとだけ自信なさげにフォウリー様を見上げ直す。
あのー、少なくともヒュームの小娘であることは保証しますよ。故郷の山村ではヒュームしか暮らしていませんでしたし、亡き私の両親は特徴がないのが特徴だったと村長さんもお墨を付けてました。
というか、むしろ私ほどアーキタイプな人間なんて他にいないのでは?
そう答えながら、私は冷や汗まみれの顔を指差して。
フォウリー様はなおも納得いかない表情で、放置したまま乾き始めていた首筋の血痕に鼻を寄せる。
「でも、ボウフラの血からは変な味がしたのよねぇ。味というより風味?匂い?」
お風呂なら昨日魔王様に無理矢理入れられたばかりなので、臭いということはないと思いますよ。臭いのキツイ食べ物も最近は食べてないですし。
でもたしかに、動物性タンパク質ばかり摂っていると、体質的に体臭がキツくなってしまうという話は聞いたことがありますね。
「……それよ」
……どれよ?
「あなたのその豊富でムダな知識は、いったいどこで得たものなのかしら。一介の村娘にしては、あまりにも色々なことを知りすぎているように思えるわ」
まるで真犯人を追い詰める名探偵が如き眼光で、フォウリー様は私の半眼を覗き込んできた。
しかし、私はそんな彼女に「なんだそんなことか」と安堵の吐息を返すと、ちょっと自慢げに指を立てて胸を張ってみせる。
こう見えてもこの私、子供の頃から文字の読み書きが嫌いではなかったのです。
だから領主の館に奉公していたときも、暇さえあれば蔵書をクスねて読み耽っていましたし、公文書偽造程度ならお手の物です。
まあ、私の場合『本を読む』という行為自体が趣味になってしまっていたので、実際の知識としてはかじる程度の範疇なのですけどね。
「……あなた、ときどき妙な言い回しを使うわよね。いきなり訳の分からない造語を口走ったり、突拍子もない合いの手を入れてみたり」
……それはその、心が叫びたがってるんだと言うか。
……特に何も考えず、脊髄反射で口走ってるだけと申しますか。
「ほらまたそれよ。脊髄反射なんて概念、あなたはいったいどこで学んだの?」
これはいったい何なのだろう。
私は彼女に何を問われているのだろうか。
ガラガラと足元が崩れていく錯覚に囚われて、私は視線を躍らせ狼狽えた。
しかしフォウリー様は追及を緩めることなく、回した腕にさらに力を籠める。
「さっきあなたが口にしていた“蒸気機関”だって、この国では基礎理論が提言されたばかりの技術よ。ましてや安全弁が機能しないと爆発の危険があるだなんて、その分野の技術者にしか予見できないでしょうね」
いや少し待ってください。そう結論を急がないでください。
私はちゃんと読んだのです。しっかりこの耳で聞いたのです。
どこで見聞きしたのか。
なにを見聞きしたのか。
パッとは思い出せないけれど、私はたしかにそれらを学習したのです。
「ねえ、ボウフラ娘? そもそもの話をしてもいいかしら?」
……なんでしょうか。
「あなたが山村で生まれ育ったというのなら、読み書きなんてどこで覚えたの?」
……
…………
………………
フォウリー様にそう問いかけられて、私の脳内が真っ白に染まった。
そんなことはないはずだと必死に半生を思い返し、だけど決定的な手掛かりを掴むことができずに途方に暮れてしまう。
「まあいいわ。どうやら嘘を吐いたり記憶を改竄されてるというわけでもないようだし、実害がないのなら今のところは放っておいてあげる」
呆然と固まっていると、その様子をジッと観察していたフォウリー様が嘆息混じりに顔を離した。
私は怯える子供のように彼女を見上げ、フォウリー様はそんな私から視線を逸らして歯軋りを鳴らす。
「間違えても勘違いしないことね。それもこれも、全て魔王様のご意向があればこそなんだから。とは言え血の違和感の方は、もうひと舐めもすれば何か掴めるような気がするのだけれど」
……お願いですからやめてください。
……今度こそ冗談抜きで失血死してしまいますので。
「私だって、これ以上ボウフラの血なんて飲みたくないわ」
くたびれ顔で答える私の首筋を、フォウリー様は名残惜しむように舐めあげた。
抵抗する気力もない私は為すがままに首を差し出して。直後に傷跡からぞわぞわと快楽信号が迸り、私は「きゃうん!?」とキャラに合わない嬌声を発しながら膝を振るわせる。
え、あれ、なんだ今の反応?! ∑( ̄皿 ̄;;)
いくら私が敏感でも、舐められただけで感じる性癖はなかったはずだけど……?
「あら、ボウフラ娘は知らなかったようね。ヴァンプの牙には中毒性があるのよ」
赤面を取り繕うように涎を拭う私に、フォウリー様が余裕の微笑を返してきた。
私はホワイ?と驚愕の表情で半眼を開き、対するフォウリー様は完全に狩人の貌になって件の牙を見せつける。
「私の牙や唾液にはね、獲物を逃がさないようにする快楽毒が混じってるの。よくヴァンプが獲物を吸い殺すだとか言われてるけど、それは逆。獲物の方が己が死ぬまでヴァンプを離してくれなくなるのよ。……実際、私に噛まれてもそれほど痛いと感じなかったでしょう?」
は、放せえー! 今すぐに私を解放しろおー!!
私が操を立ててるのはミルーエたんただ一人だから! 吸血薬中快楽堕ちなんてマニアックなプレイは絶対にしないんだからね!!
彼女の言わんとしていることを理解して、私は錯乱気味に四肢をバタつかせながら三つ編みを振り回した。
しかしそんな私の抵抗すら余裕で抑え込んだフォウリー様は、ゆっくりと牙の先を傷跡の上に押しつけてくる。
「それではここで誓いなさい。あなたはあくまでも魔王様のペット、常にその分を弁えて出過ぎた行動は決して取らないと」
イエスマム、真赤に誓わせていただきます! 魔王様の正妻は貴女様で、私なんて蚊にも成れないただのボウフラです!!
ってかむしろ逆に尋ねますけど、あんな脳筋魔王様に何をどう出過ぎろと――
「てぇい」
へぶしっ?!!
横っ面を盛大に蹴り飛ばされて。私はフォウリー様の拘束から解き放たれたと同時に、ズザザザーッ!と床を無様に転がった。
血反吐を吐き出しながらいったい何事かと頭を持ち上げると、ヤクザキックの姿勢で残心を決めていた魔王様の凶悪な嘲笑と目が合わさる。
「ようボウフラ、俺様のいないところで随分と楽しそうだったじゃないか。……で、“あんな脳筋魔王様”に蹴飛ばされた気分はどうだ?」
お帰りなさいませ、魔王様。とっても刺激的で超エキサイティンッ!で私なんかにゃとてもじゃないほど勿体無いのでもう二度と喰らいたくないですお願いしますせめて顔は勘弁してください。
「流れるようにドゲザしたわね」
「貴様のそういうところだぞ」
おそらく、魔王様に宝物庫の鍵を渡すくらいなら自分が監督役を務めるという流れになったのだろう。満足げに足を下ろした魔王様の背後から、呆れた溜息と共にガルトライオ様が姿を現した。
そんな御三方に見下されながら、私はご機嫌を窺うように半眼を覗かせる。
……ちなみにですが、お二人はどこから今の話を聞いていましたか?
「おまえが惨めにボウフラ宣言を始めたところからだな」
「……というか、どうしてボウフラなんだ?」
ニヤける魔王様と首を傾げるガルトライオ様の姿を見比べて。ドゲザから身体を戻した私は、痛む頬を押さえつつホッと胸を撫で下ろしていた。




