□消せない痛み
チクショウ、腹痛いなあ……
なんとなく昨日の夜から嫌な予感がしてはいたのだ。
それが見事に的中したと悟ったのはまだ早朝も未明の時間。
不意の腹痛で夢を遮断された私は、そのまま下腹部を襲う何とも言えない鈍痛に、ベッドの中でもぞもぞと身悶えすることしかできなかった。
くそぉ。この“血豆が膨らんでメッチャ痛くていっそのこと盛大に破裂してくれれば楽になれるのに”みたいなモドカしい感覚には、何年経っても慣れないものだ。
〈ホント大丈夫ッスか? というかエルザっちってこんなに重い方スしたっけ?〉
いんや、こんな酷いのはちょいと初めてかもしれない。
多少キツイ日があっても、ここまで行動不能になることなんてなかったし。
私は足を曲げて伸ばしてもんどり打ちながら、枕を抱き締め鼻先を擦り付けた。
それで一瞬痛みを誤魔化せはするが、すぐまたギリギリとした痺れが湧き上がってきて溜息を吐く。
あーあ、そろそろ夜が明けて来ちゃうぞ。今日はこんな状態で朝食会に出なきゃいけないのか。
イヤだなあ。きっとあのセクハラ魔王様ってば、この前みたいにわざとらしく匂いを嗅ぎながらニヤニヤ笑いやがるんだろうなあ。
魔族と違ってヒュームってのは律儀に月周期で来やがるんだよ。それが正しい生理現象なんだよ。もはやそういう生き物なんだよ。
それをいちいち面白がるんじゃねえよクソが。
先月の出来事を思い出して怒りをリフレインさせていると、脳内でクローンお姉さんが困ったような微笑を浮かべた。
〈あれはあれで、彼なりにキミを心配してくれているんだと思うよ?〉
いーや、あの顔は百パー私をおちょくって弄んでるだけだね。
初めてのときに私が本気で嫌がってたもんだから、最近はこれ見よがしに鼻をフンフンさせて股座に顔を押し付けて来やがってえ……
って、よくよく考えればこれもうセクハラの範疇を凌駕してない!!?
訴えたら絶対に勝てるよね、私?!!
〈どうどう、あんまり興奮すると痛みが広がっちゃうッスよー〉
オタク女の忠告通り、興奮で僅かに吹き飛んでいた痛みが、気持ちが落ち着くと同時に数倍になってリバウンドしてきた。
私は体をくねらせ足をバタつかせながら、枕を抱き締めて魔王様への逆恨みを募らせる。
〈というか、それこそ痛みを消すスキルを使えばいいんじゃないかな?〉
それって“痛覚鈍化(プロテクション・フロム・ペイン)”のことですか?
残念ながら、あれは外的刺激にしか効果がないと言うか。スキル全般が、こういう“肉体の正常な機能”から発生する被害には影響を与えられないんですよ。
そこまでスキルで制御できちゃうと、うっかり自分の免疫系を破壊して自滅しちゃうから、とか言うのが聖剣の解説だったけれど。
〈あー、無限再生したり延々と進化を繰り返す系のラスボスを葬るためによく使われる手法ッスね。わかるわかる〉
なんかそういう理解の仕方はして欲しくないなあ。
私はやれやれと嘆息しながら、ちらりと視線を逸らしてベッド脇に立て掛けられた無言の聖剣へ目を向けた。
……
あのときソルトウィングは、聖剣にリセットを掛けたと言っていたが。
それはつまり、ランドルギアとしての自我が完全に消されてしまったということなのだろうか。
『それについては、ワタシから推論があります』
ピコンと音を立てて、私たちの脳内会話にランちゃんが参入してきた。
ランちゃんはカットインの替わりに本と付箋のイラストを表示しながら、ピコピコと脳内で明滅を繰り返す。
『これはテンノが世界に介入する工程を模式化したものです。ワタシたちはこのように“本に張り付けられた付箋”として設定に割り入ることで、その物語に完全に囚われてしまうことなく、自らを世界内部に写し込んでいます』
ふーん。こうして話を聞くと、おまえらとの脳内会話って結構力技極まってるんだなあ。
と思って周りを見ると、オタク女とクローンお姉さんが興味津々な顔でランちゃんの解説に見入っていた。覇王のお爺ちゃんは最初から興味なさそうに明後日の方角を向き、某さんですら〈これまで曖昧だった部分がハッキリしたでござる〉な顔をしていて。
……まあ、ツッコミ始めると話が進まなそうだから今は捨て置こう。
『今回の現象は、おそらく世界側から“聖剣様の追加設定が書かれた付箋”が拒絶され、剥がされてしまった状態ではないかとワタシは推察しております』
イラストの中で、“ランドルギア”と書かれた付箋がペラリと剥がれて地面に落ちた。
逆に考えれば、その“付箋”を付け直すことさえできればあいつは復活できると?
私の問いに、ランちゃんはイラストを消しながら『おそらくは』と光を発する。
『問題は、付箋の付け外しをできる能力を持ったテンノが天野鶫ただ一人だという点です。また仮に付け直すことが出来たとしても、再び世界に拒絶されてしまえば意味がありません』
結局はソルトウィングの方をどうにかしないとダメってことか。
一喜と一憂が一緒くたになり、私はお腹の痛みを思い出して長い溜息を吐いた。
ううぅ。何か良いアイディアを考えようにも、微熱と疼痛のせいで上手く思考がまとまらないぞ。
〈あ、そうだ。ちょびっとエルザっちの体を借りてもいいッスか?〉
え、やだよ。
と魔王様みたいな表情で拒絶するよりも早く、オタク女が私と五感をリンクさせた。そしていったい何をと戸惑う暇も与えずに、私の身体を動かしておへその下あたりを優しく擦り始める。
……オタク女。
〈えへへ、あたしのときはこうすると少し楽になったッスから〉
でも、私とリンクしちゃったらおまえにまで痛みが……
〈いいッスいいッス、久しぶりにこういう感覚を思い出すのも悪くないもんッスよ。……生きてる頃は、こんな役に立たない機能なんて私には要らないのに、とか考えていたものだけど〉
オタク女はそう言って笑いながら、痛みを肩代わりするように一層リンクを深めて体を丸めた。
それは何と表現すればいいのか。まるで大人バージョンのオタク女に後ろから抱っこされているような生温い感覚で。
ごめん、ありがと。
リンクを拒絶することは簡単だったが、私は図々しくもオタク女の好意に甘えてしまっていた。
〈なーに言ってんスか〉
オタク女は照れたように口元を緩めながら、しばらくそうして私の魂を抱き締めてくれていた。




