□神託の民 その2
「ああ、愛しの子猫ちゃん。そんなに慌てていったい誰を探しているんだい?」
部屋の扉を引き開けると、眼前には金髪碧眼の優男がファサッと髪を掻き上げポーズを決めていた。
しゃっくりのように息を吸い込んで硬直した私は、半眼を見開きながら脊髄反射に任せてバタン!と扉を閉じる。その勢いのままに180度反転すると、重し替わりに自分の背中を全力で扉へと押し付けた。
バクバクと痙攣する心臓を右手で押さえつつ、顔を上げればメイド長さんが何事かと小首を傾げていて。
「エルザ様?」
うん、おーけー、だいじょうぶです。
これはウォーリー氏を探していたら脈絡なく挿入された謎映像と爆音にビックリしちゃったみたいなものだから。
個人的にああいう海外のドッキリ系ミームは絶対にホラーの範疇と認めない派だから。
「……言葉の意味はよく分かりませんが、つまりとてもビックリしてしまった、と言う解釈でよろしいでしょうか?」
『それでも悲鳴より先に回避行動を取るあたり流石ッスね』
「まったく。人をホラー扱いするのは、ちょっとヒドイのではないかな?」
チクショウ、隙を生じぬ二段構えかよ?!
先ほどと同様。左前方に気配なく突如出現した優男の姿に、落ち着きかけていた私の心臓が再度大爆発する。
今度はメイド長さんもドッキリに巻き込まれたようで、彼女も「にゅいっ!?」とギャップ萌えな悲鳴を挙げながら全身を痙攣させていた。
一方で優男――ソルトウィング・キュービックシュガーは、無駄にハンサムな顔で微笑むと、獲物を前に舌なめずりをする小悪党みたいな動作で私を見下ろす。
今日の彼はジャケットを羽織っておらず。茶色のスラックスとニットベスト、その両肩に同色のストールを重ねるという、一端のニューヨーカー気取りな恰好をしていた。
「怯えることはないよ、ハニー。僕はただキミの唇に、朝の挨拶をしに来ただけなのだからね」
“裁断の一振り(ギロチンカッター)”!!
その下心満載な視線に怖気を感じて、私は背筋を震わせながら鞘から聖剣を解放した。刀身はスキルに応じて緑色の光を発し、切断力が過剰なまでに引き上げられる。
対するソルトウィングは眉一つ動かさず。それこそじゃれ付く子猫の顔を撫でるような軽い動作で、振り下ろされた聖剣に向けて左手を掲げた。
ガキン!と火花を発しながら。
鋼鉄の鎧すら紙のように断ち切るその一撃が、ソルトウィングの左手にぞんざいに弾き返された。
そしていったい何事かと驚く暇もなく、ソルトウィングは姿勢を崩した私に詰め寄り、右手で腰を抱いて左手で私の顔を顎クイしてくる。
「おやおや、朝から元気な子猫ちゃんだ。そんなに力づくで組み伏せられるのがキミのお好みなのかい?」
っ某さん!!
私は聖剣から手を離すと、稀代の暗殺者がかつての物語で極めた体術を己の人格にダウンロードした。
軽く腰を落として右手を緩く握り締め、ガラ空きのその脇腹に拳を押し当てて勁を練り込む。
寸勁!!
「……」
今度はSEすら鳴り響かなかった。
全力を込めて打ち出されたはずの衝撃がソルトウィングの体内に吸収され、そして彼の胴体を揺らすことすら出来ずに霧散する。
……そんな、馬鹿な。
ヴァルナザップの時みたいな玉砕覚悟ではなかったとは言え。むしろあの時とは違い、今日は万全の体調で完璧な勁を叩き込んだと言うのに。
〈真逆、この男は化勁の極みに達しているのでござるか?!〉
こなくそっ!!
ガラにもなく驚愕している某さんの叫びを聞き流しながら、私は右手をかぶり直して、今度は奴の顔面目掛けてアッパーカットのように掌底を振り上げた。
しかしソルトウィングは一切臆することなく、爽やかな笑みと共にそれをスウェー回避し。それどころか右手首を引っ掴むと、私の背後に回り込みながら腕をハンマーロックに捻り上げた。
何とかその拘束を抜け出そうとスキル込みで全力を振り絞るが。
まるで銅像のようにソルトウィングの腕は揺るがず、おまけに彼は右手一本で私の身体を押さえつけたまま、背後から抱き締めるように左手を回して再び私の顎に手を添えてきた。
くそっ、ホント何なんだよコイツは?!
生まれてからこれまで一度も殴られたことありませんって顔をしておいて、なんでこんな武術の達人みたいな動きができるんだ!?
私が奥歯を噛み締めている間にも、ソルトウィングは顔を近づけてきた。そして優しく息を吹きかけるように、こちらの耳に脳を震わせる美声を囁かせる。
「フフフ、キミは興奮すると爪を突き立てちゃうタイプなのかな? でも安心して。そんなキミでも、すぐに僕が甘い声で鳴かせてあげるから……」
――“一度きりの仕切り直し(ワンタイム・リードゥ)”!!
その唇が私の頬に触れる直前。スキルの効果でソルトウィングの拘束を引き剥がした私は、聖剣を“招聘”しながら精一杯切っ先を突き出す。
そこまで激しい動きをしたわけでもないと言うのに、私はぜぇぜぇと呼吸を乱して肩で息をしていた。
顔に剣を突き付けられたソルトウィングは、それ以上こちらに近づく様子もなく、ニコニコしながら両手をポケットに納める。
「どうやら思った以上に恥ずかしがり屋さんのようだね。仕方ない、今日のところは朝の挨拶を諦めるとするよ」
……っ
ひょうひょうとした態度を崩さないソルトウィングに、しかし私はどう言い返せばいいか分からず言葉を呑み込んだ。
そんな私の防波堤となるように、メイド長さんがスッと間に割り込みソルトウィングを見据える。
「お客様? メイドの身で不躾ではございますが。そのような立ち振る舞いは、女性に対して大変失礼ではないでしょうか」
「おや、これは申し訳ない。愛しのハニーへの情動が抑えきれずについ、ね」
「この方を愛していると仰られるのであれば、なおさら然るべき手順を踏むことが紳士としての務めかと存じますが」
いいぞ、メイド長さん! もっとそいつに言ってやれー!
聖剣を鞘に納めた私は、凛とした態度で相対しているメイド長さんへ腕を振り上げエールを送った。
ソルトウィングはそんな私を見てほくそ笑み、私はすかさずメイド長さんを盾にして眉をしかめる。
だ、だいたい、女性の部屋に無断で闖入してくるとか失礼を通り越してもはや変態の所業だろうが。
それ以前に、いったいどうやって室内に転移してきやがった。今のやり取りだって、あたり前の顔して私のスキルを弾きやがって。
何から何まで怪しすぎるんだよ、おまえは!
私がメイド長さんの陰に隠れて喚き立てると、ソルトウィングは事も無げな微笑を浮かべて髪を掻き上げる。
「何も怪しいことなどないさ。僕のこの力は、キミも扱っている力なのだからね」
私も?
私は思わず素の表情で尋ね返し、ソルトウィングは目を細めながら右手を横に伸ばした。
パチンと指を鳴らすと、彼の輪郭に緑色の光が淡く滲み出す。
「スキル、と言った方がキミには分かりやすいかな? 僕たちオラクルはね、代々“魔法”ではなく“スキル”を受け継いできた一族なんだよ」
スキルだって?
……たしかに言われてみれば、“裁断の一振り”を弾かれたときの挙動は、“鉄面皮(ハードスキン)”を使用したときと酷似していたかもしれないが。
私の頭の中で、前シーンでのメイド長さんとの会話が追想された。
断片的な情報と今の戦闘で得られた体験が混然となり、結論を急ぐ感情とそれを抑制する理性が衝突してお見合い状態となる。
「どうだろうか。もしもキミが良ければ、少し外を散歩をしながら二人で話さないかい? ……エルザ」
当然のように私の名前を呼び捨てながら。
ソルトウィングは慈愛に満ちた表情で、戸惑う私を見下ろしていた。




