□ガールズ・ビー・アンビシャス
早くから開いている大通りのカフェテラスに腰掛けお茶を飲む。ただそれだけのことで、通行人は皆ミルーエの美貌を二度見していた。
“ロスケが人間とお茶している”という付加価値があったにしても、次に瞬きした瞬間、魔族たちはミルーエの可愛らしさに目を取られて一瞬固まってしまうのだ。
フルーツ山盛りの果実酒ジュース片手にミルーエの顔に見惚れていた私は、ドサンピンな笑みを浮かべながらそんなモブたちへ流し目を送る。
えっへっへー、おまえら羨ましいだろー。
この娘、実は私の未来の嫁なんだぞー。
などと三つ編みを振り回して所有権を主張していると、向かい側のミルーエがこちらを牽制するようにジロリと睨み付けてきた。
「エルザ様ぁ~? いいかげんにしないとぉ~本気でわたし帰りますよぉ~?」
おっといけない。さすがにちょいと調子に乗りすぎてしまった。
私は慌てて居住まいを正すと、樽ジョッキに乗っていたミニトマトサイズの小粒レモンをパクッと口に含んで己を戒めた。酸味に堪える一方では、おすまし顔のミルーエが通りを眺めながら上品にティーカップを呷っていて。
むう。女として悔しいけれど、女子力では今生ミルーエに勝てる気がしないぞ。
モグモグと指ごとレモンを咀嚼しつつ、私は尊敬の念も込めて彼女を見つめた。
その視線をどう解釈したのか。
ミルーエは私の視線に気が付くと、ティーカップから口を離してべぇーっと子供っぽく舌を突き出してきた。
うん、カワイイ(眼福)
いやしかし、ミルーエたんも自らの美貌を少しは自覚するべきだと思うよ。
先ほどから通りがかる魔族たちがほぼ例外なくこちらに目を向けているのは、間違いなくその可愛さの生み出す所業なのだから。このご時世にファンクラブなんて酔狂なものが存続できているのも、ひとえに種族関係なく皆を惹きつけ魅了するミルーエたんのカリスマあっての賜物なんだからね。
私なんて事前にマリアさんのフェロモンを吸ってなかったら、デートそっちのけでキミを部屋に引っ張り込んで昼間っから不健全な行為(具体例:ランちゃんを使った撮影会)に勤しんでしまっていたところさ。
だから、うん、私の顔がダラしなく緩んでしまうことくらい仕方のない現象なのです。
『言い訳の仕方がちょっと気持ち悪いぞ、マスター』
おおっと、手が滑ったー。
オレンジの実だけをかじり取った私は、棒読みセリフと共に皮部分を背中に向けて、その果汁を聖剣の目玉の中へ全力噴霧した。
聖剣は謎言語を撒き散らしながら刀身を震わせ、そのまま力尽きたようにぐったりと沈黙する。
やっといてなんだが、本当に通用するとは思いませんでした。
みかん汁で悶絶するとかマジでどんな構造してるんだよ、おまえ。
「エルザ様もぉ~少しは自覚されるべきではぁ~?」
はえ?
肩越しに聖剣の柄を睨んでいた私は、小首を傾げながら向き直った。
ミルーエは不満気に目を細めると、右手を伸ばして私の頬に残っていたオレンジの果肉を親指で拭う。
「エルザ様はぁ~、周りの魔族たちがぁ~本当にわたしだけに気を取られているのだとお考えなのですかぁ~?」
どゆこと?
彼女の言いたいことが分からずに、私は何度も半眼を瞬かせた。
ミルーエはやれやれとこれ見よがしに嘆息すると、親指を舐めながら視線で私の意識を誘導する。
促されるままに視線を横に向ければ、通りすがりの男性魔族たちと何となく目が合って。
なぜかぼんやりとこちらを見つめていた彼らは、体をビクつかせながら私から顔を逸らすと、パタパタと逃げるようにその場を立ち去って行った。
……つまり、どゆこと?
やっぱり意味が分からなくって、私は再度ミルーエに顔を戻して特大の疑問符を頭上に浮かべた。
ミルーエは万感の想いを込めながら肺の中の空気を残らず絞り出し、そのままテーブルに突っ伏して爪を立てる。
「本当にあなたって人は、いつもいつもいつもいつも……」
えっ、ミルーエたんってばなんで唐突にキレそうになってるの?
私、そこまで気に障るようなこと言ってたかな?
『これはマスターが悪い』
『エルザっちが悪いッスね』
『キミが悪いんじゃないかなぁ』
『とっとと頭を下げてこの茶番を終わらせろ』
『にんにん(閉口)』
いやマジで私ってばいったい何をやらかしちゃったのさ?!!
まさかテンノ総出でダメ出しされるレベルだとは思わずに、私は椅子から腰を浮かせながら背後のホログラムを見回した。
テンノたちは嘆息混じりに映像を消して、聖剣も呆れ顔で瞳を閉じ、取り残された私はあたふたとミルーエに顔を寄せる。
ごめん、ミルーエ!
正直何が何だかまるで意味がわからんぞ!状態なのだけど。でも私が原因だって言うのなら、すぐにでもその悪いところを直してみせるから。
仮に今すぐが無理だったとしても、必ず忘れず絶対に、最速タイムで是正してみせるから。
だからお願い、そんな顔しないで。
せっかくのお誕生日デートなんだからさあ。
「……」
ゆっくり顔を起こしたミルーエは、前髪の奥から“おまえが言うな”なオーラを発していたが。
やがて諦め気味の溜息を吐くと、体を起こして耳と翼をぷるぷる震わせた。そして紅茶を一気飲みしてから、ハンドバッグを手に取り立ち上がる。
「次は演劇を見に行くんでしたよねぇ~? そろそろ開門の時間でしょうしぃ~移動を開始しましょうかぁ~」
う、うん! 行く、行きます行きます!
わけが分からないながらもなんとかデート終了のお知らせが回避できたことに一憂一喜しながら、私も果実酒を飲み干して席を立った。
ミルーエはこちらを待たずにスタスタと歩き始めており、小走りでそれを追いかけ彼女の左隣に並ぶ。
しかしそれでも、気まずい空気が払拭されたわけではなく。
起死回生の一手とばかりに、私は彼女の左手目掛けて手を伸ばした。
指と指が触れた瞬間、くたびれた表情のミルーエがくるりとこちらを振り向いたが。私は恐怖心を押し切ってその手を握り、どさくさ紛れに限界まで体を寄せて肩と肩を擦り合わせた。
果たして前門の灼熱地獄か、それとも後門の万力折檻が来るのか。
私はゴクリと唾を飲み込むと、恐るおそる眼球を横に動かしてミルーエのご機嫌を窺う。
ミルーエは完全に私へ顔を向けた状態で。ジトーッと半眼を作りながら、そんな私の姿を滑稽そうに見据えていた。
目が合った私が反射的に狼狽えると、ミルーエは逆に私の手を握り締めてこちらへ幅寄せしてくる。
「エルザ様ぁ~?」
ひゃい!? なんでごじゃいましょうか?!
押し付けられる腕の柔らかさとか、甘い匂いだとか。
あと間近に迫る彼女の顔だとか、宝石のように透き通る深緑色の瞳だとか。
そんな要素にどぎまぎしながら上半身を逸らそうとすると、ミルーエはそれすら許すまいとさらにググッと間合いを詰める。
「本気でわたしをエスコートしたいのであればぁ~いちいちビクビク過剰反応するのはやめて下さいぃ~。そんなおっかなびっくりハレ物を扱うように接されてもぉ~わたしは何も嬉しくありませんよぉ~?」
……
ありがとう、ミルーエ。目が覚めた気分だよ。
たしかに今の私は、ミルーエの言う通り過剰反応になっちゃってたかもしれない。破局を恐れてリスクヘッジに逃げ込むだなんて、そんなの私のキャラクターじゃなかったさ。
私はキミの婚約者で騎士で親友で、そして何と言ってもキミの夫なんだから。
夫はいつ如何なる時も妻の手を取り導くもの。その大前提を忘れちゃいけないよね。
私は胸を張って足取りに力を込めると、積極的に彼女と腕を絡めてその体を引っ張った。
さあ、良い席が埋まっちゃう前に劇場へ急ごうか!
今日の演目は貴族と平民の許されざる恋愛を描いた身分差物だって言ってたから、色々と二人に重ね合わせながら思う存分楽しもうね!
「はぁ~い、どうぞおまかせしまぁ~す♪」
『……もう何もかも諦めてマスターに告白しちまえばいいのに』
私の聞こえないところで聖剣が囁き、すれ違いざまに放たれたミルーエのマジカルデコピンがその目玉を痛烈に撃ち抜いた。




