ボクの見た風景
私は、動物愛護施設でボランティアをしていた時、沢山の厳しい状況に置かれた動物を見てきました。
犬や猫が、たとえ、どこかの家族になれたとしても、虐待されたり、大人になったら、可愛くないと捨てられたり、介護なんてできないと、保健所に連れて行かれたり。
こんなにも、悲しい現実があるのかと、施設に収容されたボロボロの犬を見るたびに心が痛みました。
そんな時、あるご夫婦が、「飼っていた犬が亡くなったので、よかったら、これ、使ってください。」と、たくさんの犬用介護用品を持ってきて下さいました。
どれもこれも、介護者ではなく、犬が快適に過ごせるような品物ばかりで、私達は、ご夫婦の愛に、とても感動しました。
愛犬と家族になってから、亡くなるまでのお話をご夫婦から聞き、記録も読ませていただきました。
ちょうどその頃、施設のフリーペーパーに、動物の看取りと介護を連載で掲載している最中でしたので、書いても良いですか?と尋ねたところ、「私達がやったことは、大したことではないし、それを書いていただくのは少し気恥ずかしいので、できれば、クッキーの目線で書いて欲しい」というご依頼を受け、ご夫婦のお話と記録を参考に書かせていただきました。
フィクションのようなノンフィクションのような、そんな世界ですが、動物と人間の絆と愛を感じていただけたら幸いです。
ボクの名前は、クッキー。
1998年11月7日、ボクは生まれた。
兄弟たちに家族が 決まる中、最後に残ったボクは、家族が迎えに来てくれるのを、毎日心待ちにしていた。
そんな時、おとーちゃんとママがやってきた。ボクを見ながら何やら話している。ボクは、何となく家族になれるような気がして、ママの横にじっと座って待っていたんだ。
そしたらね、本当に家族になれたんだ!
子供の頃は、ママと、一時でも離れるのが嫌で、ママがお買い物に行くと、たまらなく寂しくなって、布団の綿をちぎったり、壁を引っかいたりして気を紛らわした。
ママはとっても困った顔をしていたけど、ある日たくさんの本を買い込んで、一生懸命お勉強をしていた。そして、どうやったらお利口にできるか、ボクに教えてくれたんだ。
最初は、ママが何を言っているのか全然わからなくて戸惑ったけど、ママは何度も 何度も根気強く教えてくれた。
ママの指示をビシッと決めると、ママが、ものすごく褒めてくれて、それが嬉しくて、何度もやるうちに、色んなことができるようになった。
ある日、しつけ教室に参加した時、ボク、最初っからコマンドが全部できちゃったから、ママは動物愛護推進委員ていうのを頼まれた。
それからボクはママと一緒に、しつけ教室でデモンストレーションをやったり、老人ホームでドッグセラピーをしたり、3歳から8 歳まで、人のために働いた。疲れることもたまにあったけど、ママやたくさんの人たちが 喜んでくれたから、頑張れたんだ。
お散歩は、ボクの楽しみの一つ。毎日のお散歩で、ボクもママもお友達がたくさん増えた。
犬が怖くてたまらなかったご近所犬のアンバーくんに、怖くないんだよって教えてあげたりもした。幼馴染のキューちゃんは、真っ白な毛並みの可愛い子で、とっても気になる存在だ。
塀の上からご挨拶してくれるナナコちゃん、ポンちゃん、レオ先輩、ゆうくん、チロルくん、小太郎くん、たくさんの友達ができた。
毎週、週末は、おとーちゃんとママと3人でハイキング、海水浴、ピクニック、山や海へ遊びに行った。
ボクはラブラド―ルレトリバーだから、とにかく泳ぐのが大好き。色んなものをくわえて運ぶのもね。だから、お出かけの時は大興奮さ。
おとーちゃんはボクを迎える時、お出かけ用にステーションワゴンというタイプの車を買ったんだ。
ボク、初めて車に乗ったとき、
「後ろに乗るのは嫌だ!」
って騒いだから、ボクの座席は16年間ずっとママの足元。体が大きくなってどんなに狭くなっても、ここが一番居心地が良いんだ。
ボクは食べることも大好き。
そういえば、こんなことがあった。
呼び込みの練習をしている時だった。その日は、今までの成果をチェックする中間テストの日。海岸をママと歩いていると、波打ち際に打ち上げられた魚を発見!食べちゃうとダメって言われるでしょ。だから魚に気づかないふりをして歩いた。
ママがリードを外してテスト開始!でも、その前に、どうしてもあの魚が食べたくなって、そこまで一目散に戻って魚をゲット!
あ~美味しかった~って振り返ると、ママが血相を変えて追いかけてきてた。
あ、そうだった...今日は中間テストの日だった。
ボク、食べ物に は目がないからなぁ~。
食べるのが大好きなボクでも、年を取ると、あんな風には走れないね。
12歳になった頃から、いつもお散歩に来る友達ワンコたちが減っていった。ママは、ボクが年を取ったことを心配して仕事を辞めて、ずっと一緒にいてくれた。
股関節が生まれつき悪かったから、ちょっと調子が悪い時もあったけど、食欲はモリモリだし、まだまだ元気。
ママ、心配性だなって思ったけど、子供の時のようにまた一緒にいれるんだと思うと、とっても嬉しかった。
15歳になると、ずいぶん足腰が弱ってきた。
ハーネスベストをつけて、危ない時にちょっとだけ手伝ってもらいながら歩くようになった。夏になると、自分で立てなくなっちゃって、寝返りうつのもひと苦労。足が変な向きになっちゃう。
それに、ママの声も、なんだかよく聞こえなくなってきた。
16歳になった。一人では歩けないから、ハーネスベストを上に引っ張ってもらっ た。
これがなかなか良くて、体が軽くなって脚が前に出せるんだ。上り坂は、カートに乗っ て、おとーちゃんに押してもらって、下り坂は、ハーネスで引っ張ってもらってなんとか歩いた。
こうやって、色んな道具のおかげで、毎日の散歩を続けられたんだ。
年を取ると、朝が早くなる。4時に起きるようになった。食べたのを忘れてしまって、
「ご飯、まだ~?」
って、鼻をピーピー鳴らしてお願いした。体もうまく動かせないものだから、そんな時も鼻を鳴らした。
とにかく何かしてほしい時は、ピーピー鼻を鳴らすもんだから、ママはボクのことを、ピースケと呼ぶようになった。
う~ん...なんだか複雑。
14歳から治療していた膀胱炎の症状も治りにくくなって、自分でオシッコもできなくなった。ママは、植物抗菌素とか、乳酸菌とか、サプリを取り寄せて飲ませてくれた。
おとーちゃんは、病院で教えてもらって、ボクの膀胱を絞ってオシッコを出してくれた。
ボクは、ずっとママの手作りの食事を食べてるんだけど、大きいものや硬いものを食べられなくなったから、ママは、食べ物全部を細かく刻んで、とろみもつけてくれた。
それに、喉に詰まらせるといけないからって、ボクの体にピッタリの特注の車いすに乗せて、二人がかりで食べさせてくれた。
冷蔵庫の真ん中、右の引き出しはボク専用のサプリメントやオヤツなんかが入っていて、ボクが歩いていた頃は、この引き出しの開く音がすると、キッチンにすっ飛んで行った。
今では、ベッドからママがこの引き出しを開けるのを見てるだけなんだ。でも、開けるところを見ると、つい、ペロッと舌なめずりをしちゃう。
ママ、そこ、ボクの引き出しだよ。
ボクは、昼か夜かもわからなくなって、夜中に、しょっちゅう起きてしまうようになった。
そのたびに、ご飯を食べたのを忘れちゃって、
「ご飯食べてないよ。」
ってピーピー鳴くと、おとーちゃんが、少しだけ食べ物を口に入れてくれた。ボク、1時間おきに起きて、ご飯を食べたいって言っていたようだ。
この頃から、おとーちゃんとママは、2交代制でボクのお世話をするようになった。全然動けなくなっても、カートに乗せて、必ずお散歩に連れて行ってくれた。草や土の匂い、お友達とのご挨拶、変わらない毎日を過ごさせてくれたんだ。
そのうち、あんなに好きだったご飯もだんだん食べることができなくなって、液体の栄養食は注射器で、水分は霧吹きで摂らせてもらうようになった。
ボクのために手作りしておいた冷蔵庫のご飯を捨てているママの顔は、たまらなく辛そうだった。
ママは、ボクがもう食べられなくなったのをすっかり忘れて、ボクの分までフ ルーツを切ることもあったけど、それももう食べられなくなったんだ。
「食べなくなったね...ピーピーの声が小さくなっちゃったね...」
おとーちゃんとママは、そう言って、痩せてゴツゴツしたボクの体を撫でながら、2人でわんわん泣いた。
「クッキー、偉いね。頑張ってるね。ありがとうね。」
ボクがピーピー鳴くと、おとーちゃんとママは、ボクのお世話をしないといけないから大変だろうと思っていたけど、ボクが鳴かなくなったのがとっても悲しいようだった。
食べることがすっかりできなくなって、ボクの命の灯も消えようとしていた。
食べられなくなって7日目の夜、おとーちゃんとママは、お別れを予感していたのか、その日はお風呂にも入らずに、ボクを見守っていてくれた。
そろそろ、お別れの時間だ。
最後の息をゆっくり吸うと、ママはボクの心臓に手を当てた。
ボクは、おとーちゃんとママの温かい手に見送られて、犬生を終えた。最後に、
「ありがとう、ずっと、ずっと愛しているよ。」
って言ったの、分かったかな...?
16歳を過ぎるまで長生きして、そして、おとーちゃんとママの目の前で最期を迎える。この約束、ちゃんと守ったよ。
それでもやっぱり、火葬でボクの体を預けるときは、ママ、大泣きだったね。
ボクの一生を守ってくれた両親は、ボクがいなくなって寂しいけど、悲しくはないと言ってくれている。
それは、ボクの命の一瞬一瞬に向き合いながら、沢山の深い愛情を注いでくれたからに違いない。
いつかお別れの日がくることを気に留めていたボクの両親は、ボクのために何ができるのか、いつも懸命に考えてくれていた。
おとーちゃん、ボクが動けなくなってしまったとき、「クッキーの世話はオレにまかせとけ!」って言ってくれたの、とっても嬉しかった。夜は、ほとんど寝ずにボクの世話を してくれたね。
ママ、ママが独身の時、家族だったワンコのエスのこと、知ってるよ。仕事や結婚で家を出て、 最期まで何もしてあげられなかったって泣いてばかりいたね。
エスに、ちゃんと伝えるね。 ママはエスのこと、たくさん愛していたって。ボクのことも、同じくらい愛してくれたんだよって。
高原や山や海、お散歩で出会った仲間たち、優しい人たちと、たくさんの笑顔。
おとー ちゃんとママのボクを見る眼差し、体を撫でてくれる柔らかな手、ギュッと抱きしめられた時の温かい腕の中、慣れ親しんだ匂い。
そして、穏やかな最期の時を迎えた心地よい我が家。
ボクの見た風景は、ひだまりのような優しさと温もりで溢れていた。
この物語を読んだ人の中には、「こんな介護、やれないわ」、「これは、やり過ぎなんじゃないの?」と言う方がいらっしゃいました。やりなさいなんて一言も言っていないのに。
動物であれ人間であれ、生きるもの全てが最期を迎えます。これは、生まれた時からすでにわかっていることです。
クッキーが天国へ行った後、飼い主であるご夫婦は、「寂しいけど、悲しくはない。」とおっしゃいました。
私は最初、この言葉に驚きましたが、ご夫婦の記録を読んで、「寂しさと悲しさは別物」なのだと理解できました。
悲しみには、怒りが含まれることが、往々にしてあります。その怒りがこのご夫婦には、一切ありませんでした。それは、クッキーの最期の時を覚悟して、クッキーの命に向き合い、一つ一つの介護を、悔いのないよう丁寧にされていたからではないかと思います。
看取りのかたちも、覚悟も、家族それぞれです。良い悪いなど、誰も評価することはできませんが、少なくとも私の愛犬とは、寂しくとも、悲しさは、なるべく少ない別れにしたいと思っています。