グラン、婚約破棄して下さいますでしょう?
ある麗らかな日、ジュリアは目の前で優雅にお茶を飲むこの国の王子、グランベールに意気込んで言葉を掛けた。
「ねえ、グラン?」
「何? リア」
彼は口に運んでいたティーカップをソーサーへ戻すと、真っ直ぐジュリアを見つめた。
「そろそろ婚約破棄する決意は決まって? あれから一言もお返事が無いのですもの。私心配になってしまって……」
「ああ、その事」
そう言うと、グランベールはそれが女性に好まれると知ってか知らずか、端正な顔立ちに爽やかな笑顔を浮かべた。けれど、慣れ親しんだジュリアにとっては安心出来るいつもの笑顔である。
「無理だよ、理由が『幼馴染だからと安易に考えずに、もっと国中から良い許嫁を見つけるべきだ』っていう、リアの進言だけなんだから。父上も、ベクトール卿も納得するわけがない」
それを聞いて、ジュリアははぁっ、と深い溜息を吐いた。このやり取りも既に何十回と繰り返していて、昨晩などは堪り兼ねて自身の父親へと進言したのだが、此方も却下されたばかりなのだ。
「そもそも、何故そんなに婚約破棄……この場合は解消かな? それをしたいのか分からなくて困るんだよ。お願いだから、もう一度説明してくれないかな?」
グランベールの言い草に、またジュリアは溜息が漏れ出てしまう。この目の前の婚約者は何度説明しても、ジュリアの言い分を覚えてはくれないのだ。
「もう、グラン? だから、このままでは貴方が次期王に即位された時に困ると言っているでしょう?きちんと覚えて頂かないとっ」
「うん、ごめんね?」
笑顔のまま謝るグランベールにジュリアは『全くもうっ』と言いながら、居住まいを正して彼を見据えた。
「良いですか? 私達はかれこれ生まれてからずっと、それこそ貴方が2歳、私が0歳からずーっと一緒におりますでしょう?」
「うん、そうだねぇ?」
「そして既に16年を迎えています。謂わば家族同然の付き合いと言えますわね?」
「うーん……そこは私はちょっと違うんだけれど……。まあ、良いよ続けて?」
「……ですから、飽きますでしょう?」
ジュリアはごくりと息を飲み、この世の終わりかの様にその言葉を口にした。
対してグランベールは笑顔のまま、小首を傾げる。
「リアは飽きたの? このお茶会とか、私とか?」
グランベールがそう言えば、ジュリアは大きく口を開けて、慌てて両手で隠す仕草をした。
「まさか! いつもこの王宮でのお茶会では美味しいお菓子とお茶が出て、私の楽しみですし、何より、私グランとの会話が大好きですのよ? 飽きるなんて有り得ませんわ!」
「うーん、じゃあ何故婚約破棄なんて言い出すのかなぁ?」
グランベールが困り顔をするのとは反対に、ジュリアは険しい表情になる。
「グランは幼馴染の贔屓目無くとも、とても出来た方だと私常々思っておりますの。年下の私を子供扱いせずに接してくれるのはグランだけですわ。それだけでは無く、理知的な所も素敵ですし、剣が強い所も憧れますわ!」
「……ありがとう? だから訳が分からないんだけどねぇ」
ジュリアはグランベールのその言葉を聞いておらず、益々饒舌に語り出した。
「この度晴れて社交界へとデビュー致しましたでしょう? そうしましたら、皆様から羨ましがられて、私グランが褒められているのがとても嬉しくて、誇らしかったのです。ですが、こんな素敵な幼馴染を、只長年の付き合いだからと私が独り占めしても良いのかと、胸が痛むのです」
「どうしてそうなるかなぁ……」
「社交界へと出ましたら、とても美しい方や、お話の上手な方々が沢山いらっしゃるのだと、私初めて知りましたの! そして、グランを好いてる方々も居るらしいのです。それなのに、私が幼馴染で親同士仲が良いからズルいと言われてしまって……」
ジュリアがしょんぼりすると、グランの眼光が鋭くなった。
「何処のどいつかな? 私のリアに余計な事を吹き込んだ奴は……リア、今度その話をした方を紹介してくれないかな? 私も話しをしてみたくなったよ」
すると、ジュリアは目に涙を溜めてグランベールを見た。その剣幕に、グランベールは少したじろいでしまう。先程のグランベールを取り巻いていた雰囲気はジュリアによって霧散してしまった。
「ね? 話をしてみたくなりますでしょう?? 私とばかりお話してる場合では無いのです! グランはもっと、知的で、愛嬌があって、美しい方と結ばれるべきなんですわ! ですから、私との婚約は白紙に……」
「…………」
黙ってしまったグランベールを、ジュリアはきっ! と睨む。
「グラン、聞いてますの?!」
「聞いてるよ、私のリア。ところで、王妃教育は淑女教育より厳しいらしいんだけれど、リアはこの前教師陣に何と言われたのだったかな?」
「まあ! グランたら、また聞いて下さっていなかったのですね?! 先生方からは何処へ出しても恥ずかしくない程だと褒めて頂きましたのにっ!」
「そうだったね、流石リアだ。後は愛嬌か……何と説明すれば良いのだろう、この場合は……涙目も可愛いとか?どんな説明だ、それは……」
グランベールは額に手を当て悩ましげに溜息を吐いた。これも、かれこれ何十回目かのやり取りである。
「……ねえ、リア。そもそも私がリアが良いと許嫁に推したのだよ?私の意見は尊重して貰えないのだろうか?」
「ですから、それこそが幼馴染の贔屓目が入ってしまっているからだと申し上げたいのですわ! そもそも、グランは私がデビューするまではと夜会も拒否なさってましたでしょう? いつも会議ばかりで……茶会は出席されておりましたけれど」
「まあ、茶会ならリアと居られるからね?」
「そうしたら、他の人が目に入らないではないですか!」
「リアが居れば充分だから、仕方ないね?」
このやり取りにとうとうジュリアは勢いだって立ち上がってしまった。
「わ、私が王妃に相応しくなかったらどうしますの?!」
「でも、教師達からお墨付きを貰えたんでしょう?何か問題あるかな?」
「わ、私が美しくないと笑われてしまうかも知れませんでしょう?!」
「誰にも渡したくない程、リアは綺麗だよ? だから一緒に居るんだけど……」
「愛嬌が無くて、飽きてしまうかも知れませんでしょう?!」
その言葉を聞いて、グランベールは大きく目を見開いた。
「……こんなに表情のころころ変わるリアに飽きる事があるとは信じ難いな」
「ですから、私はグランに相応しい女性をですね……」
「あ、分かったよリア! 良い案が思い付いた! 聞いてくれる?」
グランベールの提案に、さっきまで涙目だったジュリアは花が綻んだかの様に微笑んだ。
「まあ! 何でしょう、グランが前向きに検討して下さるなんて!」
そんなジュリアに、グランベールは柔和な笑顔で返す。
「私が飽きるまで、いや、飽きるかどうか分かるまでずーっと一緒に居れば良いんだよ」
それを聞いて、ジュリアは明らかに落胆した様子で椅子へ座り直した。
「きっと飽きますわよ、16年ですのよ……?」
「16年で飽きていないのだから、後倍の年月は飽きる気がしないのだけど、リアはどうかな?」
「それは……そんな気も致しますけれど……」
ジュリアの返事に、グランベールは笑みを深くした。
「じゃあ何処で飽きるか勝負だね、リア。だから、婚約破棄は未定だよ」
「まあ。私が負ける筈がありませんわ!」
「そう? 私が勝つ気がしてるんだけどねぇ?楽しみだね、リア?」
「ええ! 私が勝った暁には婚約破棄、して下さるのでしょう? 約束ですわ!」
そうして話は解決したとばかりに嬉しそうに紅茶を飲むジュリアを眺めながら、グランベールは呟いた。
「その頃には、もう『婚約破棄』では無くなるんだけどなぁ」
その言葉は春の風が巻き取ってしまい、ジュリアの耳には入らなかった。
その2ヶ月後には、グランベール王太子とジュリア王太子妃の婚姻式が盛大に行われた。
近年稀に見る準備の速さだったと後世に記されるのは、2人が70年添い遂げてからである。
お読み頂きありがとうございました。
おまけの「リア、婚約破棄はしないからね?」を投稿しましたので、其方も是非お楽しみ下さい。相変わらずの2人です。