先生を堕ろさせる会2
光留の学校では、『先生を堕ろさせる会 事件』以降、大きな問題は起こらなかった。
しかし、他の学校で模倣する事件が多発してしまったのだ。
今、巷ではちょっとした騒ぎになっている。
『連続・堕ろさせる会事件』として。
光留たちは2年生の1学期の始業式を迎え、体育館へ向かっていた。
昨年、『先生を堕ろさせる会事件』の被害者となった小村は、無事に産休へ入った。
それはいいのだが、光留は6人が単なるイタズラとして処理されたことが未だに納得できていなかった。
小村も小村だ。
自分が立派な犯罪の被害者になっているというのに、ああいう時だけいい面をする。
そんな事が頭の中を堂々巡りしていた。
式の間、校長やその他の教師が、事件について触れることはなかった。
光留はそれが逆に、気になった。
あと3ヶ月くらいすれば、小村はこの学校に戻ってくる。
それまで、アヤフヤにしておくというのだろうか。
そうなれば、ただの噂によって、ほかの学校に模倣犯が現れるだろう。
それは何としても避けたいが、教師たちはそのような事は考えず、後回しだ。
式が終わったが、光留はまともに話を聞く事はできていなかった。
箕輪浩太が通う中学校は、千葉の漁師町にある。
浩太はクラスで書記をしていて、クラスメートからの信頼も厚い。
担任の女性教師、西野からも頼られていて、雑務を依頼されることも多かった。
3学期も終盤が近づいた2月のある日、西野に職員室へと呼び出された浩太は、学校指定の鞄を背負い、足を向けた。
「西野先生、どうかされましたか?」
西野の机に到着した浩太は、机に伏せる彼女を目の当たりにし、戸惑い尋ねた。
「あ、いや、少し疲れてただけ」
西野は言い、『大事な話だから』と、浩太を連れ出した。
西野に連れられた浩太は、生徒指導室へと通された。
「先生、話って…」
「大丈夫。あなたが悪いことをしたとか、そういうのじゃないから」
「では、何ですか?」
西野は少しお腹をさすって、柔らかな笑みを浮かべた。
「いるらしいの。赤ちゃん」
浩太は戸惑い、
「おめでとうございます」
と言うのが精一杯だった。
「それで、みんなに報告しようかどうか、迷っているの」
「そんなの、教えてあげればいいじゃないですか」
「そうだよね。でも、あの事件を思い出してしまうから」
西野の言葉に、浩太は何も言えなかった。
なぜなら、どうしてそれだけ恐怖し、迷うかと言うことが、よくわかったからである。
「先生の言いたいことも、よく分かるんですけど」
浩太は切り出す。
「黙っていても、いずれ解ってしまう事です。今すぐで無くても、時期を見て言った方が良いと思います」
きちんと、自分の意見を言った。
「そ、そうだよね」
西村はコクコクと頷き、
「分かった。今度機会を見て言うことにするわ」
と決心した。
「それじゃ、先生もういいですか?」
「うん。箕輪くんありがとう」
西野が言うと、浩太は一礼して部屋をあとにした。
3月の初め、西野はクラスの全員の前で、自身の妊娠を打ち明けた。
教室には、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
「先生おめでとう!」
「男の子?女の子?」
次々と質問をする生徒もいる。
西野は戸惑いながらも、とても嬉しそうに丁寧にそれらの質問に答えていく。
そして、STが終わり教室を出る際、西野は浩太に目配せをした。
浩太はそれに、大きく頷いた。
その後も、特に問題が起こることは無く、終業式の日を迎えた。
「我が校は来年、創立100年という節目の年を迎えます。皆さん、来月やって来る新入生とともに、盛り上げていきましょう。さしあたってーーー」
校長の長ったらしい話が続く。
多くの生徒が、下を向いたり欠伸をしたりして、退屈そうにしている。
「これで、私からの話を終わります」
校長は結局、20分も話していた。
浩太も他の生徒と同様、疲れていたが、式の場だからと姿勢は崩さなかった。
やがて一同礼が終わると、クラス毎で教室へ戻ることになった。
教室へ戻った浩太は、自分の席に着き、最後の学級日誌を書き込んだ。
遡れば、教師のコメント欄にはビッシリと文字が書かれている。
西野は、部活にそして自身の妊娠という大変なことがあるにもかかわらず、こういうことも手を抜かないのだ。
「凄いよな」
浩太はボソリと呟き、『今日は終業式。西野先生、元気な赤ちゃんを産んでください』と書き込んだ。
やがて西野が教室に入ってきて、最後のホームルームの時間が始まった。
「皆さん、本当に1年間お疲れ様でした。来年は2年生、先輩になります。この春休み、しっかり気を引き締めて、入学・始業式を迎えましょう!」
西野は言って、クラスメートもその言葉に頷く。
浩太は、さっきの彼女の話が少し気になってはいたが、皆と同じように小さく頷いた。
その後、通知表や修了書が配られて、残りは帰るのみとなった。
「それでは、皆さん。最後の帰りの挨拶をしましょう。じゃあ、級長お願いします」
「気をつけ、さようなら」
「「「さようなら」」」
こうして、1年間が終わった。
西野は最後の仕事をするために、職員室へ歩いて行った。
浩太は、戸締りや消灯を順番に確認し、日誌を渡すため職員室へ向かった。
コンコンと、浩太は職員室の扉をノックし、静かに開いた。
「失礼します。1年C組の箕輪浩太です。学級日誌を届けに来ました」
入り口から入り、そう告げると、1年生の担当教師の机が固まったところの1番奥にある、西野の席を目指した。
西野はちょうど、水を飲もうとペットボトルを開けるところだった。
「西野先生、これ、お願いします」
浩太が日誌を差し出すと、蓋の半分ほど開いたボトルを卓上に置き、受け取った。
「…ありがとう、いろいろとね。最後まで、ご苦労様」
そう言い、パラパラとページをめくり、今日の日付を開いた。
そして、生徒の所見に目を向け、
「『元気な赤ちゃんを産んでください』か。ありがとう、頑張るわ」
にこりと笑った。
「はい。それじゃあ、失礼します」
浩太は西野に背を向け、職員室を出ようとする。
すると突然、浩太の背後で西野が激しく咳き込んだ。
「大丈夫ですか⁉︎」
浩太は西野に駆け寄り、声をかける。
室内にいた他の先生たちも、顔の色を変えて集まってくる。
静かだった職員室が一変、ザワザワとした異様な雰囲気になった。
「箕輪くん、私は、大丈夫だから」
そう言うけれど、依然、西野は床にへたり込んだままだ。
「まさか…」
浩太は言いかけたが、すんでのところで堪えた。
集まった教師は、お互いに頷き合っている。
ここにいる皆の共通認識は、そうーーー
『先生を堕ろさせる会』の模倣犯がこの学校に現れた、という事だ。
家路に着いた浩太は、頭を悩ませていた。
どうして、あんな犯行をしようと思ったのか、悪いことだとは思わなかったのか、と。
それにしても、職員室でああいうことが出来るのは、よっぽど信頼されている生徒か、考えたくはないが教師、という事になる。
以前の事件があれだけ注目を集めた訳だから、今回も日本中大騒ぎになるだろう。
そうなったら、そこに通う身としては…
何とかして、自分達で解決するのが一番だろうが、どうすれば良いのか分からなかった。
「あー、もう!」
浩太は側溝に向けて声を上げる。
住宅の塀の上で昼寝をしていた猫が、驚いて飛び起きた。
玄関扉を開けると、浩太は自室にこもった。
そして、机の上のノートパソコンを立ち上げ、最初の『先生を堕ろさせる会事件』について調べる事にした。
浩太は事件目録というサイトを開け、“最新”という項目を参照した。
よほど注目されているのだろう、100件近く表示された中で、それは2番目に出てきた。
浩太は順にスクロールをし読み進めていく。
『先生を堕ろさせる会は、愛知県の公立中学校で、担任の妊娠を知った生徒らが、その担任と胎児を傷つける為に立ち上げた犯罪グループ。
担任の椅子のネジを緩めたり、自動車に汚物を付けるなどの嫌がらせをした上、止めようとした生徒にも嫌がらせをしようとした。
しかし、そこで別の生徒の密告により犯人が判明、教育委員会は加害グループの主犯を厳重注意、担任は入院し、無事出産をした。
この事件は後に、「先生を堕ろさせる会事件」として多くのメディアに取り上げられた。』
読み終えた浩太は、大きく息を吐いた。
こんな悍ましい事が、自分の学校でも起ころうとしているのか。
彼は悩みかけたが、ふと、ネットの研究サイトの『先生を堕ろさせる会事件』に登録したら、何か参考にできるかもしれないと、画面に目を戻した。
新規登録ページを開き、『kota』と名前を設定し、自己紹介文を打った。
『こんにちは、千葉県のkotaです。僕の学校で、先生を堕ろさせる会の模倣犯が出たようなので、色々お話が聞ければと思い、登録させていただきました』
送信して、ひとまず浩太は宿題をする事にした。
とはいえ、とても集中できる状況ではなく、10分後返信が来るまで、ほとんど進んでいなかった。
返信の内容はこのようなものだった。
『kotaさんこんにちは。
僕は、愛知県の実際に事件があった学校に通っている者です。
もしよければ、直接会ってお話しできませんか?
もちろん、僕がそちらの方面へ伺いますので。』
差出人は、「hikaru」とあった。
本当に、その学校に通っている人なのか、少し不安ではあったが、浩太はどうにでもなれ!と、返信を打った。
2日後の日曜日、浩太は駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
もちろん、光留に会うためである。
15分くらいして出入り口の真鍮の金が鳴り、浩太が顔を上げると、彼と同じくらいの年齢の男が店内を見回していた。
浩太は立ち上がり、彼に声をかける。
「hikaruさんですか?」
「あー、kotaさん、ですね?」
「そうです」
光留は浩太が座る座席へ近づいた。
「よろしく」
「こちらこそ」
2人はガッチリと握手して、互いに協力することを誓った。