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第七章 晩年


■同期の引退


 1982年8月。

 絢香は妊娠を理由に日本航空を依願退職した。

 幸子と咲子の3人で、会社とは別に千葉市内のイタリアン・レストランで退職祝いで集まった。

 幸子が聞いた。

「また拓郎くん怒らなかった?」

「やぁだ、また私に怒鳴ってたら妊娠してないよぉ!」

 3人は大笑いした。

 

 咲子が呟いた。

「あ〜あ、私だけかぁ、相手が居ないの。」

 絢香が聞いた。

「でも合コンあるでしょ?」

「私はね!自然に出逢いたいのっ!………今頃、私と結ばれる運命の王子様は、今頃何処で何をしてるのかしら?」

 幸子は定夫、絢香は拓郎の顔を思い出し、吹き出した。

 咲子が、膨れっ面をする。

「何よぉ!私が面白いの?」

 幸子と絢香は笑いながら話した。

「夢見すぎよ!私達の旦那は………王子なんて………バカで幼稚よ!男ってぇ!」

「そうそう!偉そうにするけど、結局男は弱い生き物よねぇ!」

 3人は腹を抱えて笑った。


 9月。成田空港。

 バンクーバー便で、幸子と咲子が久しぶりに一緒になった。

 幸子が話した。

「二人でバンクーバーなんて久しぶりね!」

 咲子が答えた。

「そうね!貴女の和服姿、楽しみだわ!」

「何それ!いつも私の番になる訳ないでしょ!」

 すると、後ろから話しかけられた。

「あの………佐藤先輩の同期と、お伺いしてたのですが………。」

 羽田沖墜落事故で負傷して入院していた、絢香の後輩の恵里佳が退院後、国際線訓練を志願し、始めての長距離便に回されたのだった。

 幸子と咲子が笑顔で答えた後、二人で顔を合わせ、ニヤリとした。

「決まりね………。」

 二人は恵里佳の顔を見た。

 恵里佳がキョトンとしていた。

 幸子は恵里佳を急かした。

「さあ、ブリーフィング始まるわよ!」


 1983年4月15日。東京ディズニーランド開園。

 幸子と絢香と咲子、そして、恵里佳が加わり、日本航空社員割引を使って遊びに出掛けた。

 幸子が絢香に聞いた。

「あれ、赤ちゃんは?」

 絢香が舌を出して話した。

「拓郎君が看てるわよ。」

 絢香が写真を見せて皆でキャッキャ騒いだ。

「女の子?名前は?」

「夏帆よ!」

「キャー!可愛い〜!」


 一方、世田谷区・佐藤家。

 拓郎がミルクをあげながら、子連れ狼の唄を口ずさみ、娘に呟いた。

「お〜よしよし………ママは遊びに行ったから、今度はパパと二人で科学万博、行こうな〜!ママ置いて。」

 すると娘が泣き出した。

「え〜?ママも連れてくぅ?仕方ねぇなぁ〜。」

 ふと見ると、オムツが温かい。

「おお、小便か!よしよし!」

 拓郎が娘をソファーに置いて、オムツを出して換え始めた。

「おお!クソか!………むむむ、仕方ねぇなぁ………。」

 拓郎が手を見ると、ベッタリ付いていた。

「おーまいが………。」

 拓郎が、いそいそと手を洗う後ろで娘がキャッキャ笑っていた。


 一方で彼女らは朝から晩までディズニーランドを堪能し、シンデレラ城を眺めながら、咲子が呟いた。

「私ね………実はフランス支店の現地採用社員の人と知り合ったの………私、彼の所に行こうと思って………。」

 絢香が驚いた。

「咲子、フランス語、話せるの?」

 咲子が答えた。

Évidemment je peux parler fran

çais.

(勿論、話せるわよ。)

 絢香と恵里佳が拍手し、幸子が苦笑いした。

「すごーい!何て言ったか判らないけど凄おぃ?」

 咲子が答えた。

「私、南ベトナムのサイゴンで育ったの。父が南ベトナムでアメリカと日本共同の海底油田開発に関わっていてね。サイゴン陥落の時にプロジェクトが中止されて日本に帰ったの。だからフランス語とベトナム語は判るようになったの。訛りが酷いと判らないけどね。でも彼、英語も話せるし、日本語だって………少し変だけど話せるわよ。」

 幸子が聞いた。

「でも、いいの?フランスって………ホントに住むのぉ?!」

 咲子は自慢気に頷いた。

 

 3人は、咲子の彼氏の写真を見てキャッキャと黄色い声をあげていたが、今度は幸子が落ち込んだ。

(とうとう、同期は私一人か………。) 


■再び国内線


 1983年11月。

 成田空港に、新しいボーイング747が就航した。

 機体2階部分を延長した300型という機体で、「SUD・ストレート・アッパー・デッキ」と呼ばれた。

 幸子はこの新型機に乗り込み、新時代を実感した。

 そして同年10月に日本航空が全面協力したTBSのテレビドラマ「スチュワーデス物語」が大ヒットし、幸子達現役スチュワーデスも乗客に記念写真を求められる事が急増し、1982年の羽田沖事故以来下降していた世評を逆転させた。


 1984年1月末。

 幸子は楽しみにしていた映画「ライト・スタッフ」を定夫と鑑賞した。

「ライト・スタッフ」は、アポロ計画前、まず宇宙を有人で行き、地球を周り、帰るという「マーキュリー計画」を描いた映画で、ライト・スタッフというタイトルは宇宙に行く事が許された最初のアメリカ人達という意味だった。

 大気圏外から宇宙船で地球を見下ろすシーンに幸子は感動し、涙を流した。

 すると、横から全く興味が無かった定夫のイビキが聞こえたので、幸子は頭に来て、定夫の胸を叩いた。


 1984年2月。

 スチュワーデス物語の主人公、堀ちえみの大きなポスターが貼られた成田空港ターミナルを幸子はロサンゼルスの帰りに、客室乗務員事務所へ向かい歩いた。

 マネージャーが待っていた。

「おお、ご苦労様!」

「お話とは何ですか?」

 幸子は内心、ロサンゼルス・オリンピックの特別機スタッフの勧誘かと期待していた。

 しかし、マネージャーの表情が重かった。

「………実はね、国内線に戻って欲しいんだ。」

 幸子は頭が真っ白になった。

「何故ですか?私が不評なんですか?」

「違うよ!逆だよ!君は優秀だ!………だがな、ドラマの影響もあって若い国際線希望者が増える一方で、国内線は只でさえ営業成績が落ちる中、全日空の新型機767の就航で、益々乗客が減り、おまけに羽田沖墜落で、若いスチュワーデスが国内線から国際線訓練に移るのが増えて、国内線が悲鳴をあげてるんだ。頼む!助けると思って、国内線を助けてやってくれ。」

 幸子が困った顔で話した。

「………いつまでです?」

「これは強制じゃない。我社も今、君が業務した新型のジャンボSUDの国内版SRを検討していて、さらに、DCー8に換わり767を発注している。巻き返したら………頼む。君が必要なんだ………。」

 幸子が承諾するとマネージャーは、休暇中によく考えてから答えて欲しいと頼んだ。

 幸子は浮かない顔で帰宅した。

 タクシーの中で、映画「ライト・スタッフ」のチャック・イェーガーを思い出した。

 チャック・イェーガーとは、第二次世界大戦の西ヨーロッパ戦線で大活躍したエース・パイロットで、戦後始めてマッハの壁を越え、以後記録が更新される度に記録を更新し返していた人物で、マーキュリー計画に候補に上がりながらも最終学歴が高卒の為却下され、宇宙計画を横目に飛行機の限界に頑なにチャレンジし続けた。

 幸子は、タクシーの窓から外を見なが、優秀にも関わらず大事な舞台から外されたチャック・イェーガーと自分をダブらせた。


 3月。

 幸子は国内線で、不満も漏らさずに笑顔で業務に励み、定夫にも愚痴らずにいたが、国際線を思い出す度に気が滅入った。

 気晴らしに映画「さよならジュピター」を観に行く。

 この映画は日本がハリウッドのSF特撮映画に刺激され作ったもので、2125年、太陽が寿命を迎え、消滅すると地球が滅びるので宇宙船で可燃性ガスの塊である木星に着火し、もう1つの太陽にして凌ごうとする物語だった。

 幸子はテーマ曲のユーミンの「voyager〜日付の無い墓標」が気に入り、レコードを買い、カセットテープにダビングし、定夫とのドライブの度にカーステレオで聞いていた。

 いつか宇宙船で旅をすることを夢見ながら………。


 1984年夏。 

 幸子は福岡の帰り、ターミナルを一人で食事に向かうと、いきなり後ろから抱きつかれた。

 幸子が帽子を落とし、後ろを見ると、全日空に行った妹の明実だった。

「明実!悪ふざけしないっ!」

 明実が舌を出して微笑んだ。

 ターミナルの喫茶店で二人でコーヒーを飲んだ。

 

 明実が話した。

「幸子姉ちゃん!私ね!国際線資格取って、海外行ってるんだよ!姉ちゃんみたいに地球の裏側とかは行かないけどね!」

 幸子が弱々しく答えた。

「そうなんだ………明実も成長したね………。」

 すると、明実が気がついた。

「あれ?そう言えば姉ちゃん!成田じゃないの?羽田に応援?」

「………うん、そうなの………。」

 明実が時間を見て立ち上がった。

「あ、ごめん!これから函館に行くの!また遊ぼう!」

 幸子が笑顔で頷くと、明実が喫茶店の入口で話した。

「あ、私の結婚式!秋だから!来てね!」

 幸子が、呆然とした。

(あの娘も大人になったんだねぇ………。)

 幸子もブリーフィングを終え、バスで機材に向かうと、滑走路では、新しい全日空の塗装、トリトンブルーを飾ったボーイング767が離陸して行った。

 幸子は、明実が乗っているかもと思い、見続けた。

 すると、着陸したばかりの東亜国内航空のエアバスA300がレインボーカラーを輝かせ、目の前を通過した。


挿絵(By みてみん) 


 東亜国内航空のレインボーカラーは元々エアバス社のデモンストレーション機のカラーだったが、東亜国内航空が気に入り、権利を譲渡して貰い、カンパニーカラーになった。

(国内線も華やかになったわねぇ………。)

 幸子は幼い頃に熊本の健軍飛行場こと、旧熊本空港で見たダグラスDCー3を思い出した。

(よく考えると、かなり進化したものねぇ………。)

 その後、幸子は、沖留めしている福岡行きの日航ジャンボ機を見つめた。

 レジストはJA8119。

 幸子は心の中で思った。

(もう、あなただけよ、私の同僚は………あなたと私、頑張ろうね。)

 幸子はパーサーの後ろから、後輩のアシスタント・パーサーとスチュワーデスを引き連れ、JA8119に乗り込んだ。

 すると、整備士と入口ではち合い、パーサーが怪訝な顔をした。

「どうしました?何か不具合?」

「いやあ、また後部ラバトリー(トイレ)の扉が開けにくいって苦情がありまして。」

「またかぁ、伊丹で尻餅突いてから毎度色々不具合出てくるな!大丈夫なのお?」

「いや、ラバトリーのドアは機体の強度と構造的に関係無いんで操縦自体には関係無いので。」

「そうか、まぁ、いいや、ご苦労様です!」

 JA8119は、いつも通り、羽田を離陸し福岡に向かい消えていった。


■はるか宇宙そら

 

 1984年頃。

 日本航空の機体には赤青ラインの下の前方乗降口に青い書体で科学万博の表示とシンボルマークが施された。

 科学万博とは、1985年3月17日〜9月16日まで茨城県筑波研究学園都市にて開催されたもので、筑波学園都市の都市化誘致促進を目指して開催された。

 筑波学園都市とは、1950年代に計画が始まった国策都市で、東京から技術開発の中枢を郊外に移設する目的で計画され、元々土壌に塩分の含有量が多く、農業に不適な土地柄だった茨城県谷田部の土地買収はスムーズに行った上に、工業研究に必要な水源も霞ヶ浦が近いので確保が容易であったが、交通の便が悪く、研究所は出来ても都市化する程発展はしなかった。

 そこで、国は本格的な日本の技術開発都市として誘致しようと1980年代にようやく本腰を入れ、常磐自動車道を1981年に着工させた上、同地で科学万博を開催することにした。

 科学万博はその名の通り、未来のハイテクノロジーで彩られた都市風に造られ、各企業が自社の技術を活かした、見て・体験して楽しめる展示を行った。

 なお、日本航空も独自で首都圏から遠い成田空港を繋ぐ高速交通手段として、リニアモーターカー「HSST」を開発し、実際に稼動状態で体験乗車出来る状態で展示した。


挿絵(By みてみん)


 幸子はこの科学万博に期待していた。

 何故なら、三菱未来館で、2030年の宇宙ステーションを体験できる施設がある他、宇宙に関する未来の希望が沢山体感出来るようになっていたからだった。

 開催中は、1回目は定夫と行ったが、その後、定夫と休みが合わない日に1人で4回も通い、模擬宇宙旅行を堪能した。

 一方で悩んでもいた。

 このままもし、21世紀を迎えると幸子は45歳を越える。

 あと15年だが、いつまでも自分一人の宇宙への夢を追うわけにも行かない。

 定夫と休みが合うときは、積極的に定夫と遊んだ。

 山にハイキングして、温泉に行き………。


 1985年7月。群馬県 伊香保温泉。

 温泉に入った後、榛名峠を登り、榛名湖畔をウォーキングし、湖畔でひと休憩した時に、幸子は定夫に今後の決意を伝えた。

「私ね、新人の時に入ってきた同期がいるの。」

「絢香さんの事?」

「いえ、飛行機。私が始めて仕事で触ったのがボーイング747のJA8119ってコなの。」

 幸子が溜め息をついた。

「そのコは、始めて見たときは新品で納入されたばかりだったの。でも、あと3年位で引退するんだって。」

 定夫が、黙って聞いていた。 

 幸子が息を詰まらせた。

 幸子は肩を震わせ、泣き始めた。

「私も………一緒に………引退するから………もう少し………。」

 定夫が幸子を抱き締めた。

「判った。判ったよ………。」

 湖畔で抱き合う二人に、湖から涼しい風が吹き込んだ。


 1985年8月12日朝。


 幸子は定夫に目玉焼きを作って、出勤していった。

 一時間後、定夫が起きると、いつものように幸子の目玉焼きを食べながらテレビを見た。

 

 午後1時頃。羽田空港。

 幸子はブリーフィングの前に、以前マネージャーから貰った会社のテレホンカードをハンドバックから取り出した。

 当時最新のテレホンカード式公衆電話で電話をし、自宅の留守電に声を残した。

「もしもし、幸子だよ〜ん!今日は帰り遅いけど、寂くても泣くんじゃないよ〜!ばっはは〜い!」

 受話器を置くと、ピーピーピーという電子音が鳴り、テレホンカードが出てきて、幸子は引き抜いた。

 日本航空のDCー10のテレホンカードに、料金残量を示すパン

チ孔が開けられていた。


 後輩の400期台生の白鳥弓子が見ていた。

「松原先輩!おはようございます!」

「あ、おはよ〜!」

「旦那さんに電話ですかぁ?」

「うん、そうよ、遅くなるときは留守電に入れてるの。」

「キャー!熱いですねぇ!羨ましい!」

「貴女も福岡便?」

「そうです、宜しくお願いしま〜す!」


 夕方5時頃 羽田空港。

 幸子達は、福岡から羽田に戻り、次の大阪便の準備を始めた。

 ブリーフィングで、パーサーが話した。

「え〜、急遽2階席に全日空さんから紹介されたお客様が1名おられます。松原(幸子)クン、くれぐれも失礼が無いように。あと、ちびっこVIPの男の子1名おられます。カウンターに御迎えお願いします。」

 ブリーフィング終了後、機長達がフライトの説明に来た。

 

 機長が話した。

「え〜、伊丹便で74(ジャンボ機)で始めての娘はいる?」

 全員黙った。

「よし、じゃ、今日はコーパイの佐々木くん、彼は74のうちの乗務資格試験も詰めだから、今回は彼にフライトプランの説明をお願いする。苦情があれば、怒りを込めて、厳しく!彼に言ってくれ!」

 皆が笑った。

「さて、皆さん短いフライトですが、宜しくお願いします!」

 

 そして幸子は皆より先に出て、ターミナルに、夏休み企画・ちびっこVIPという企画で搭乗する9歳の少年を預かりに行き、母親に挨拶して少年にちびっこVIPのバッジを付けて、一緒に機材に向かった。

 バスを降りると、少年はJA8119を見上げた。

 幸子がしゃがんで笑顔で話した。

「このコはね、私と入社が同じ同級生なんだよ!」

「え〜!同級生なんだぁ。」

「コクピット見たい?」

「うん!」

「じゃあ、飛んでからみせてあげるね!」

「やったあ!」

 幸子は、その子の手を引いて、タラップを上がって行った。

 離陸から10分。18時22分頃。

 幸子は少年をコクピットの見学に連れて行こうとした。

 すると、少年の隣の席の男性が、自分もコクピットを見学したいと申し出てきた。

 幸子は笑顔で機長に確認する旨を伝え、コクピットに向かった。

 幸子はコクピットのドアを軽くノックし、中に入った。

「あの、すみません。」

 機長をはじめとするクルー三人が幸子の方を向いた。

「2階席のちびっこVIPの子の他に、コクピットを見学したいという方がおられるのですがぁ。よろしいでしょうか。」

 副機長が、機長を見ると、無言で頷いた。

「(ハイジャックとかしないように)気をつけて。」

「じゃあ、気をつけてお願いします。」

「はい、ありがとうございまぁす。」

 幸子がいそいそと、少年と、コクピット見学を申し出た乗客のところへ向かっていった。

 その時だった。

「ドパーン!」という爆発音が機内に響き渡り、すべての酸素マスクが乗客の前に落下。

 機内に自動でプリテッド・アナウンスが流れ始めた。


『酸素マスクをつけてください。ベルトをしめてください。煙草はお吸いにならないでください。只今緊急降下中です。

Fasten Your Seatbelt. Put Out

Your Cigarettes.This Is An Ema

gency Discend.』


 幸子は咄嗟に、2階席の乗客に対し、シートベルト着用を呼びかけ、少年に酸素マスクを装着した。

 

 少年は不安そうな顔で、幸子を見た。

「ねぇ、何が起きたの?」

 幸子は咄嗟に答えた。

「大丈夫、故障よ。こういう場合は空港に引き返しちゃうけど、また別の機体に乗れるから!ね!」

 幸子は、いや、123便に乗っていた524名の誰がこの時、死を覚悟したものか。

 おそらく誰もがそこまで思わなかっただろう。

 幸子は大勢の乗客乗員、同期のJA8119と共に生きて地上に帰ることは無かった。

 定夫はその後、精神的に追い詰められ、後を追って逝った。

 妹の明実は翌年、全日空を退職して主人・娘と共に香港に移住し、美人姉妹の客室乗務員競争は終わりを告げた。


 2006年8月12日。

 東京都・世田谷区 佐藤家自宅。


 絢香は自宅のリビングで望美に全てを話終えた。

 絢香は、望美に対して、幸子だと思って言いたいことがあるとお願いした。

「ありがとう。」

 その一言だった。

 絢香は幸子には楽しい人生を与えられたと思っていた。

 幸子に出会わなければ、拓郎に出会い、今も続く、おしどり夫婦の楽しい人生は無かったかもしれない。

 でも、幸子には何もお礼も、お別れの言葉も無しに突然別れる羽目になってしまった。

 だから、幽霊でも構わないから幸子にずっと直接逢ってお礼を言いたいが為に、20年も毎年、慰霊登山を続けていたのだ。


 幸子に生き写しの姪の望美を幸子だと思って、ようやく20年の思いを言えて、絢香は涙を流してソファーにもたれた。

 望美は、絢香の隣に座って、絢香を抱きしめた。

「こちらこそ………ありがとうございました。」


拓郎は、ビールを片手に、話を横で聞きながら、壁に飾られた写真を眺めていた。

自分の娘や息子の家族写真の横に、そっと飾られた自分達の二十歳代頃の写真を。

  

御巣鷹に散った天使 完


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