第二章 事故現場を探せ
■見つからない123便
午後11時半、群馬県上野村。
黒澤丈夫村長自宅
群馬県警の河村一男本部長より、長野県警の応援に千人程の警官が上野村に集結するので協力して欲しい旨の連絡が入った。
既にテレビで事故のニュースを承知していたので話は早かった。
嫌な予感がして寝るに寝付けずに、県警本部長から連絡が来る前に既に役場の職員に備えておくよう指示を出していた。
この時間は真っ暗で閉まっている筈の役場は、自主的に非常出勤した職員によって煌々と明かりが灯っていた。
黒澤丈夫氏(筆者近影2006)
同時刻。長野県川上村。
目撃者が多かったこの村が現場に一番近く、証言インタビューも多く取れると確信した報道陣がこの役場に集結し、大騒ぎになっていた。
村長を始め職員が出勤し報道陣の対応に追われた。
川上村役場
事務フロアは職員のデスクと電話が報道陣に貸し出され、さながら報道フロアの様であった。
電話で村長が遠藤消防団長と相談をする。
一方で北相木村に集結した陸上自衛隊・松本駐屯地・第十三普通科連隊や南相木村に集結した長野県警機動隊員達は、決定打となる情報が掴めず、動けずにいた。
長野県警は、交通機動隊本部から災害派遣用トライアル・バイク隊員も派遣し、現場近くの林道をくまなく捜索したが、長野県内ではないことが分かっただけで、結局明け方まで山中を事故現場目指して捜索し続けた。
航空自衛隊の提案でKV107Ⅱ型バートル救難ヘリの全てのライトを点灯し、それを目標に現場に向かうという方法も実行したが、結果は「車では行けない場所」という事だけがハッキリしただけであった。
日付が変わった8月13日 午前2時。
事故機の客室乗務員・松原幸子の夫・定雄は群馬県藤岡北中学校で、幸子の実両親と、妹・吉川明美と夫の和夫と合流した。
両親達は日航がチャーターした空港リムジンバスで駆けつけていた。
事故から七時間経過。未だにあやふやな情報ばかりが体育館に設置されたテレビから流れる。
肉親にとって、事故原因やジャンボ機の説明よりも、安否の確認が欲しい。
だが、発表されるのは墜落現場がTV局によっては群馬側もしくは、長野県北相木村でどっちつかず。
そしてカタカナで書かれた乗客名簿とそれを読み上げる声。
名前を熱心に聞く傍ら、いい加減墜落現場がハッキリしない事と、疲れで付き添いの日航社員に食って掛かる者も居た。
「なんで、あんな大きな飛行機が堕ちた場所がハッキリしないんだ!ヘリでもう分かってる筈だろうが!」
日航社員が答える。
「いや、民家も道路もない大変山深くなので、いまいち‥‥‥。」
「今は人工衛星から何でも見れる時代なんだろ!何で判らないんだ!」
日航社員は怒る乗客の肉親に囲まれ怒鳴られ疲弊している。
そういったやり取りを横目に定雄は只無言で、タバコをふかしている。
山盛りになった灰皿に吸殻をねじ込んで、定雄は立ち上がった。
「もう、いいや、行ってきます。」
幸子の妹・吉川明実の夫・和夫が聞き返す。
「どこにいくんだ?」
定雄が答えた。
「こんなとこでボケっとタバコふかしてたって何も解決しないよ。俺が直に現場に行く。」
和夫は制止した。
「?何?無茶云うなっ!」
しかし定雄は突っ撥ねる。
「大体の場所が分かってるんだ!出来るだけ近くに行ってやりたいんだ!」
和夫が定雄に迫った。
「警察や自衛隊が手こずってる位の山奥だぞ!無理だって!」
「‥‥‥。」
定雄は顔を下に向け黙ってしまった。
和夫は定雄の肩に手を置き説得する。
「なあ‥‥‥落ち着け。気持ちは分かる。でも無理なものは無理だ。警察に任せておきなよ、な!」
幸子の父も間に入る。
「定雄君、和夫君の言うとおりだよ。君まで遭難したら世間様に申し訳が立たんだろう。」
しかし、定雄は立ち上がり和夫の手を強く払った。
「こう話してる間でも幸子は傷ついた乗客を抱えて山を、助けを求めて彷徨ってるかも知れないんだ。夫として出来る限りの事はしてやりたいんだ‥‥‥もう行くよ。」
定雄は一人、体育館の外へ出て行った。
和夫が追いかける。
「定雄君!定雄君っ!」
定雄が突っ撥ねる。
「止めても無駄だよ。それじゃ。」
和夫が大声で定雄を制止する。
「誰が止めるって言ったよ!俺達で行こう。それならいいだろ?」
義父も後ろから心配そうに付いて来た。
「健常な野郎3人なら何とかなるだろ?」
「‥‥‥。」
定雄は黙ってうつむいた。
和夫が手を叩いて言った。
「よし、決定だ!」
定雄達3人は何も装備も予備知識も無しに、あてもない救出行に出た。
幸子用のタクシーを待たせていた定雄達が乗り込み、義父がメモしたテレビの情報とカーラジオの情報と地図を照らし合わせ、まずは、碓井峠に向かった。
■深夜に光る赤色灯
同時刻
群馬県前橋市 国道17号線バイパス
群馬県警の機動隊バスを始め、多数の警察車両が赤色灯を光らせ群馬県上野村に向け出発した。あらゆる警察車両が大名行列で並ぶ。
一方で東京方面からは応援に駆けつけた関東管区機動隊バス、1972年に創立された事故・災害レスキューの警察版である警視庁レンジャーの緑色の工作車両がパトカーを先頭に列をつらねてやってくる。
沿道にはニュースを見た住民が出て遠巻きに見守る。
この騒ぎは国道462号線に入ると益々激しくなる。
狭い沿道なので警察車両だけで大渋滞が発生してしまった。
午前3時。群馬県上野村
前橋の群馬県教育室長より上野小学校校長・神田箕守氏に校舎を使いたい旨連絡が入り、校長は早々に教職員を呼集し準備を始めた。
午前3時半
群馬県警機動隊の先遣隊がぶどう峠から現場に近いと思われる中ノ沢林道の行き止まりから長野県県境に向け、徒歩で前進。
しかし、群馬から長野の県境は急斜面や切り立ったガケが多く、明け方まで奮闘したが、何も発見できず、已む無く撤収した。
この頃、陸上自衛隊偵察隊や群馬県警機動隊の先遣隊だけではなく、多数の報道陣グループが各地から現地報道一番乗りを目指して登山を開始し、深夜の樹海を当てもなく彷徨い歩き始めていた。
午前4時
東の空がうっすらと明るくなってきた。
群馬県警察本隊の隊列の先頭が上野村に到着した。
黒澤村長は、早起きして既に役場の陣頭指揮を取り始めた。
まずは、大量の車両を受け入れる為に、建設中だった国道299号線バイパスの工事中路線を開放し、それでも入らない車の為に神流川縁に地元の土木会社をたたき起こして砂利で駐車場を大至急作るよう指示した。
本部は役場とし、2階の大会議室を開放、警察宿舎として現場に比較的近い上野中学校を指定。上野小学校は乗客肉親の為の待機所として活用する為、農協や隣の中里村に資材を協力してもらい、道案内に猟友会、食事準備に婦人会、村中全ての消防団を呼集した。
そして、役場に隣接する多野藤岡広域消防隊・上野出張所と準備が早かった一部の消防団が周囲の山を捜索しに消防車や自家用車で思い当たる林道を手分けして虱潰しに走り回った。
■悪夢
定雄は気が付くと自宅のソファーで寝ていた。
「はっ!」と思い、台所を見ると幸子が料理をしていた。
幸子が振り返る。
「今日はカレーだよ。何か定雄さん、疲れてるみたいね。」
「あ‥‥‥ああ‥‥‥疲れてた。」
最低最悪の夢だった。幸子が乗っていた飛行機が墜落するなんて。
定雄はホッとしてリビングのTVのスイッチを点ける。
TV番組も通常どおりのようだ。テロップだって流れていない。
タバコに火を点け、テレビを見始める。
すると、番組が突然中断し、味気ない画面の「緊急ニュース」という画面に突然変わったかと思うと、報道番組に変わった。
アナウンサーの後ろでスタッフが何かガヤガヤやっている。
『ここで、ニュースを申し上げます。本日午後七時頃、日航ジャンボ機123便、羽田発大阪行きが、墜落したもようです。』
「!‥‥‥正夢か?」
幸子に話しかけた。
「おい、幸子!テレビ観ろ!お前の会社の飛行機がまた墜落したぞ!」
返事が無い。
「おい、幸子っ!テレビ観ろって!‥‥‥。」
振り向くと、台所に幸子さんがいない。
いや、元から居なかったように、さっきまで料理していたのに、その形跡が無かった。
幸子の存在を否定するがごとく、水道の蛇口からポツリと雫が垂れる。
「幸子‥‥‥?」
テレビは乗客乗員の名前を読み始めた。
『日本航空・客室乗務員の松原幸子さん三十歳』
定雄は、慌ててソファーから立ち上がると、そこは自分の家ではなくタクシーの後部座席で、一瞬何が起こったのか判らず、天井に頭をぶつけ、後部座席で転がって、パニックになってしまった。
冷静によく周りを見ると、タクシーは止まっており、外は薄明るくなっていた。
時計を見ると朝4時半だった。
車のラジオが乗客・乗員名簿を淡々とお経のように読み上げていた。
「夢‥‥‥か‥‥‥。いつの間にか寝てしまったのか‥‥‥。」
座席についていた後頭部は汗でビッショリ濡れ、会社から帰宅してきたままのYシャツの背中と脇が濡れていた。
しかし、タクシーには自分以外誰も乗っていない。
よく見ると、外の道路脇にある24時間販売所の自動販売機で和夫と義父とタクシー運転手がタバコを吸いながら缶コーヒー片手に喋っている。
定雄は車を降りて、彼らの所に向かった。
外は関東の住宅街と違い涼しい。
「ここはどこだ?」
和夫が答えた。
「おう、起きたか。長野県の佐久だってさ。」
定雄は長野の地理が全く分からずピンと来ない。
「佐久?」
「軽井沢を、ちょっと進んだとこだな。」
和夫は隣の山梨県出身なので長野の地理は大体把握していた。
和夫は
〈定雄はたとえ一人、未知の山中で遭難しても、幸子の傍で死ねるなら‥‥‥。〉
と、いう気持ちを察していた。
和夫は結婚してからは辞めたが高校・大学とオートバイが趣味で、オフロード・バイクとオンロード・バイクの2台所有し、ツーリングや林道トライアルに運用した実績があり、半径三百キロの国道と地理は頭に入っている上、事故現場と言われる地域の林道は大体制覇しており、ニュースで言っていた目撃証言の多い川上村や三国峠は比較的、山梨の実家にも近い為、よく知っていた。
逆側の群馬県上野村も国道299号線を通じて知っていた。
だが三国峠から三国山の入り口は、登山口は知っているがオートバイでも入れない場所なので行った事が無い。
つまり、徒歩で行くしかない場所は全くの未知だったが、「全く知らないよりはマシ。何とかなるだろう。」と成り行き任せで強引に同行した。
義父は健康づくりの為の山登りが趣味だった。
だが、山登りとは言っても重装備を必要とするものではなく、ハイキング感覚の登山であり、地元九州の近所の山しか知らないが、それでも一応は登山経験と呼べるものなので、何とかなりそうな感じであった。
その二人に対して、この「救難登山」の発起人の定雄は、同じ九州でも都会育ちで、山の事などさっぱり知らず、せいぜい高校の時の登山遠足が「唯一の登山経験」でしか無かった。
ただ、妻の幸子への思いは相当なものである事は誰もが認めていた。
■当時の日本航空
定雄が夢の中で幸子に「また墜落した」と言っているが、その件について説明する。
日本航空は2010年に一度破綻し、この123便事故がきっかけで日本航空は衰退したと云われているが、実はこの事故のさらに3年前の事故がきっかけであった事が忘れ去られている。
1982年2月9日。羽田空港滑走路手前で福岡発羽田行350便ダグラスDC8・61型が墜落した事故だ。
この事故は精神的に追い詰められ、統合失調症(当時は精神分裂症)という病気になった機長が着陸寸前に故意にエンジンを逆噴射させ、失速し墜落させた事故だった。
理由は、機長の孤立化政策によって追いつめられた事で、精神的に参っていた為だった。
1960年代は日本はとても心が熱い時代で、学生運動全盛期であった時代、労働者も過激に組合運動を行っていた時代で、1973年には国鉄組合(現在のJR)が首都圏の鉄道をストで止めた為に通勤客が激怒し暴動に発展した事件があった他、全日空組合も航空機を羽田の滑走路に並べて封鎖するというような過激な労働組合活動が行われていた。
その中で日航も例に漏れず組合活動は過激たが、当時政府専用機が日本に無い時代、政府専用便を扱っていた上、国策で45/47体制が制定された。
この体制とは、日本の航空会社を業務分担させ、専業化させることにより航空会社の過当競争を無くし、事故を無くそうという提案であった。
45/47体制の内訳
・日本航空
政府専用便、国際線及び大都市幹線専門
・全日空
国内幹線及び不定期海外便専門
・東亜国内航空(現在は日本航空に吸収)
国内ローカル及び離島
日本航空は日本を国際的に代表する国際線及び国内幹線専門航空会社としてこの市場を独占した為、それら重要な路線を止められたら国際問題になりかねないので、政府の圧力もあり、組合を4つに強引に分断。
組合同士を社内で競合させることにより、会社に直接組合運動が波及しないようにした。
その中で、機長を先頭に他のクルー達は「1機の旅客機のチーム」という方向性を破壊する為、機長は上級職として、他クルー達の組合から外させた。
そうなると、組合運動の先頭を機長が行う事が無くなる代わりに、機長とクルー達の「本音」の話が出来なくなり、必然的に機長は唯一人、機内で孤立する事になる。
この「チーム破壊政策」が機内の連携プレーを破壊して、この羽田沖墜落事故に至ったのだという事が世間に認知され日本航空は批判にさらされた。
当時の高木社長は、この状態を改善すべく、国策にとらわれない完全民営化を目指していた矢先で、この事故により、プランは早期実現となったが、高木社長の席も追われた。
その当時の日本航空のイメージを表すように、当時はお盆の最盛期、しかも最も旅客が多い時間にも関わらず、全日空の同時間帯の便は常に満員御礼の状態なのに、日本航空は空席があり、全日空から、はみ出した乗客を拾って乗せていた状態だった。
その最悪のサンプルとして、俳優で歌手の坂本九氏がいる。
彼は急用で全日空や新幹線の席が取れず、已む無く123便に搭乗した結果犠牲になった。
因みに、123便の機長、高濱氏は1979年に発生したイラン革命で邦人救出便の操縦を志願したが、各組合に他クルーに危険が及ぶと否定され、日本は救出機を出さなかった。
その時、世界各国は独自で各国のフラッグキャリア(国を代表する航空会社)の便を急遽派遣。
イランにいた日本人はその各国の便に便乗、事なきを得たが、西ドイツ(現ドイツ)のルフトハンザ航空の機長達に「日本にはフラッグキャリアが無いらしいね。」と皮肉を言われ、この事を聞いた高濱機長は非常に悔しがっていたという話がある。
■墜落現場の発見
午前4時半頃。
朝日が眩しく照りつける朝焼けの中、長野県松本空港の長野県警航空隊のヘリコプター、ベル222型「やまびこ」が出動開始。
パイロットの定塚全広氏・丸山栄幸氏の二名と整備士、カメラを持った鑑識の四名が乗り込んだ。
電源車が接続され、パイロットは整備士の合図でエンジンをスタートした。
ジェットエンジンの始動音と同時にメインローターがゆっくり動き出す。
静粛に包まれた松本空港にジェットエンジンの咆哮が徐々に響き渡る。
誘導員の振る誘導灯に合わせ滑走路にゆっくり移動し、しばらく滑走しながら緩やかに飛び上がる。
(ヘリは垂直で飛ぶと燃費が悪いので、必要時以外は垂直には飛び上がらない。)
ローターの音が一面にバタバタ響き、どんどん回転を速める。
「やまびこ」は銀色の機体を朝焼けのオレンジ色に輝かせ、佐久方面に向かっていった。
初代やまびこ(小諸市・懐古園)
午前5時半。
夜明け早々に飛び立った長野県警ヘリ「やまびこ」は現場に到着し、旋回し始めた朝日新聞社の航空機の通報を得て現場付近の空域に到着。
長野県境山麗の稜線を越し、群馬県圏内に入る。
すると、霧の中に白い煙が充満しているのに気が付く。
煙が充満する山を跳び越すと墜落現場が見えた。
斜面が真っ黒に焦げ、カラマツの林が山の頂上目掛けて規則的になぎ倒されている。
焦げた斜面にはハッキリと「JAL」(japan air l
ines・日本航空の略)の文字が書かれた主翼らしき物体が転がり、そのさらに向こうの埼玉・山梨方面の尾根の林がV字に切り欠けられていた。
その間の林には銀色に光る大きな板状の物体が転がる。
水平尾翼だ。
焼け焦げた墜落現場をよくみると、日本航空の当時のカラーである白い機体に赤と青のラインが、かすかに残る残骸がチラホラ見受けられ、周囲の林の枝には様々な色の残骸が引っかかっていた。
とりあえず、人が生きて動いている気配は全く無かった。
「やまびこ」はその後、整備士と燃料補給車両が待機する臼田グラウンドまで帰還できるギリギリの燃料になるまで、一時間余り旋回飛行を続け、詳細を撮影・調査し続けた。
午前5時37分
「やまびこ」は墜落現場目視確認の一報を伝えた。
「群馬県御巣鷹山と三国峠の中間地点。御巣鷹山から南東約二キロ、長野県境より約七百メートル群馬県内。残骸は全て群馬県側に散乱。」
これで、ようやく墜落地点は群馬県と確定し、墜落場所と思われた山火事現場の残骸から「確実に日航ジャンボ機123便の墜落現場」である事が正式に確認されたのである。墜落から実に十時間半経過していた。
その一報を受けた、南相木村の林道で待機していた長野県警機動隊が動き出す。
本部付けの管区機動隊と、各署から集結した警察官からなる第二機動隊が二手に分かれ入山を開始。
バスの中で仮眠しているところを起こされ地元消防団と猟友会の案内の元、前進を開始した。
その際、本部より水筒が支給された。
だが登山用ではなく子供用のセルロイド製のもので、人気アニメのキャラクターが描かれたチープなものだった。
彼らの紺色の威圧感のある出動服に、白い旭日章のバッジが付いたGI型ヘルメット、出動ブーツという、いかつい服装に、子供用の水筒を肩からぶら下げている姿は何とも滑稽であったが、緊急出動ゆえに止むを得なかった。
■地形図
午前6時
定雄達は、深夜のニュースで言っていた長野県北相木村の御座山周辺を確認する為、ぶどう峠に入った。
だが、見晴らしの良い場所から見ても何も見えない。
パトカーも自衛隊の姿も無く、報道陣らしき車両が路肩に何台かあるだけで人の気配も無く、静まり返っていた。
ただ、埼玉方面のずっと向こうの方でヘリコプターがちらほら飛んでいる。
和夫がつぶやいた。
「‥‥‥どうも川上村、三国峠の方っぽいな‥‥‥。」
定雄が聞いた。
「三国峠‥‥‥って遠い?」
和夫が一呼吸おいて答えた。
「‥‥‥いや、そんな‥‥‥でもこの先は群馬県上野村で、川上村には行けないから‥‥‥。一旦国道141号線に戻って行くしかないな‥‥‥。」
定雄達はタクシーに乗って再び戻った。
カーラジオを点け情報を確認しようとするが、山奥故に電波が届かない。
義父が思いついた。
「そうだ、確かね、山近くの文房具屋行けば、地形図が売っているぞ?」
和夫が助手席から答えた。
「地図ならあるよ。タクシーで使っている奴。」
この移動に使ったタクシーの備品の日本道路地図を見せる。
「違う、地形図って深山登山用のがあるんだよ。」
和夫も定雄もタクシー運転手も、義父の言う「地形図」がいまいち理解出来なかった。
それは泊りがけの登山に慣れているいわゆる「登山マニア」向けの物で、普通の人が予備知識無しに見ても分からないものだった。
義父も使った事は無いが、地元の山小屋で偶然あった猟友会が使ってるのを見て聞いたことがある程度だった。
地形図というのは国土地理院が発行しているもので、日本では一九一〇年〜八三年にかけて作られた地図で、二万五千分の一サイズで文字通り地形の詳細が描かれてあるので、読み方さえ覚えてコンパスと併用すれば地形だけで自分の居場所が把握出来る。
つまり、元から道が無い深い山に行く場合に使える。
■航空自衛隊・前線基地設営
午前6時。長野県川上村 川上村営グラウンド
ここに川上村全集落の消防団が集結した。
しかし、現場が群馬県と確定し、消防団は管轄外に当たる為、その場で解散となった。
川上村は丁度高原野菜の最盛期で、特に夏場は無休で夜の1時から夕方8時まで働くので群馬側には申し訳ないが、助かったという気持ちもあった。
因みに消防団をご存知ない地域(主に都市部)の方もおられると思うので説明すると、「消防団」は「消防職員」ではない。主に過疎地等、消防署が遠い場所や消防職員の補佐に相当する「特別公務員」という立場だ。彼らは普段は民間人で各々自分の本職を持っており、いざとなると呼集の上、出動する。しかし公務員に値する消防職員と異なり、「ボランティア」に近い存在で、地域によって差があるが月の報酬は無料〜2万程度で、本職を放棄してまでの出動等の強制力は無い。
遠藤消防団長も帰ろうとすると、村長が呼び止めた。
「これから航空自衛隊が来る。川上第二小学校を使用するから面倒みてやってくれないかね?」
「おう、分かった!」
川上第二小学校は、遠藤消防団長の自宅の近くにある。
鉄筋3階建てのモダンな作りのこの小学校は、この年から二年前の1983年に建て替えられたばかりの新築であった。
小学校が、夏休みなのが幸いし、貸し出しに支障はあまり無い。
小学校に着くと、既に国防色の小型トラックやジープが到着していた。航空自衛隊浜松基地・浜松救難隊のヘリコプター整備車両である。
遠藤消防団長が近寄ると、敬礼で答えてきた。
「すみません、この校舎を使わせて戴きます。」
「あいよ、オレんちはすぐそこだからさ、オレは朝から晩まで農作業してるずれ、何かあったら聞きに来てよ。」
家に帰って農作業の支度をしようと戻ると物凄い大きな音が響いた。
航空自衛隊救難隊のKV-107Ⅱ型バートル救難ヘリである。救難用の白地に黄色の塗装が目立つ機体を学校のグラウンドにツインローターを羽ばたかせ、カン高いジェットエンジンを響かせながら着陸した。
息子や甥が慌てて出てくる。
こんな至近距離で大型ヘリが着陸するなんて普段はあり得ない。
子供達は大はしゃぎでヘリを見に行った。
遠藤氏は苦笑いを浮かべて注意した。
「おい!邪魔になるずれ、近くに行くんじゃねえぞ!」
■事故現場確定
一方で群馬側の上野村役場では、村長室で黒澤村長が消防団長達とテレビを注視していた。
テレビでは事故現場上空から生中継を行っていた。
山に詳しい職員がつぶやいた。
「わかった‥‥‥。」
場所は、高原天山と御巣鷹山の真ん中辺り、上野村を流れる神流川支流と判明。その支流の名は、「スゲの沢」。
群馬県警察幹部がそれを聞いて沸き立った。
「現場に行く方法はありますか?」
職員は首を傾げ、考えながら話した。
「‥‥‥ぶどう峠に行く手前の浜平鉱泉のある林道を行くと、スゲの沢沿いにトロッコ線路があるんさね。そこまで行けば何とかなるかもしんないね。」
何だ!事故現場へ近づける道があったのか?
しかし、そう話はうまくなかった。
上野村にあるトロッコ線路とは、林業の伐採の為、戦前に造られた線路で戦時中は物資不足で鉄や燃料の代替品として大量の木が伐採された際の輸送用であった。
例えば軍用トラックの荷台や運転席、特攻飛行機の材料・特攻艇の船体や薪と大量に使われた。
しかし戦後も落ち着くとその大量伐採のあおりで、日本各地でハゲ山が問題となった。
ハゲ山を放置すれば、地盤を支える木の根が無くなり、結果地盤が弱くなり、土砂崩れの原因となる上、土が流出すれば岩盤がむき出しになり、非常に無残な岩盤だらけの山になってしまう。栃木県・足尾銅山付近がいい例だ。
そうなると、建築などの需要に必要な木が生えなくなる。
そこで国を挙げて植林が始まった。
現在の「杉花粉」はその頃植えられたものが原因である。
植えられたのは主に杉とカラマツであった。
その後、林がある程度育つと、事故現場周辺は「保護林指定地域」なので、あとは自然に委ねられた。
それから二十五年。
トロッコ線路は役目を終え、以後放置されていた。
現場はハッキリしたが、困難な道のりになることは目に見えていた。
その後すぐ、黒澤村長は消防団を集結させていた上野中学校に向かう。
校庭は、機動隊車両の列をバックに消防団が待っていた。
ここで全員にオニギリが二個づつ配布された。
明け方から総出で上野村婦人会が役場二階の厨房で作ったものだ。
黒澤村長は全員整列の上、出動の依頼を宣言し出動を見送った。
その際、第六消防団副団長・今井靖恵氏が出発しようとしたところ、団長が今井氏の乗るポンプ車を止めた。
「あ~!待ちねえ!今井さん、悪いけどポンプ車ごと何人かで村に残っていてくんねえかい?」
今井氏が返す。
「ん?どした?」
「消防団が皆、集落から出て行ったら、村を守るモンが居なくなるがね。だから何人かで残ってて欲しいんさね。」
「あ〜‥‥‥そうだいね。」
今井氏は後続の機動隊バスに道を譲り、代わりに第六消防団長がバスに乗り込んで道を指示した。
バスには機動隊だけではなく、消防団も便乗した。
■地形図の獲得
午前7時。長野県小海町。
人口五千人程の小さな町だが、長野県佐久市と山梨県韮崎市の丁度中間地点の町で、周囲には人口の少ない村が多く、重要な生活拠点で大型の病院や商店街がある。
まだ朝早いため店は殆どが閉まっている。
その中の一件、文房具店があった。
店主がパジャマ姿で大あくびをしながらシャッターを開けて外に出る。
新聞を広げ読み始める。
第一面には大きく「日航ジャンボ機行方不明」の記事と、新聞社の航空機が撮影した燃え盛る夜の事故現場の写真が大きく掲載されていた。
「‥‥‥。」
店主が記事を読んでいると、目の前に品川ナンバーのタクシーが停まった。定雄達のタクシーである。
和夫は車を降りると店主に「三国山近辺の地形図」が無いか聞いた。
すると、店主は、ピンと来た。
品川ナンバーのタクシー、どう見てもハイカー(登山客)に見えない連中、しかも今、三国山近辺は全国的に大騒ぎになっているあの‥‥‥。
店主は新聞の第一面の日航機事故が絡んでいると見た。
だが‥‥‥彼らはどう見ても素人。
試しに聞いてみた。
「地形図は、あるだよ。でも読み方分かるずれ?」
和夫は困った顔で返した。
「や‥‥‥いや‥‥‥見れば何となく‥‥‥。」
明らかに登山の素人そのものだった。
「本当に何とかなりそうかい?ホントに?」
和夫は、ちょっと悩んだが「はい。」と答えた。
すると店主は、まだ明かりも点いていないシャッターも半開きの店の中に消えていった。
「‥‥‥大丈夫?買えそう?」
定雄が後ろから聞いてきた。
和夫は小さな声で返した。
「あ〜‥‥‥あぁ!任せろ!大丈夫だよ!待ってろ!」
店主が地形図を持って出てきた。
和夫に地形図を手渡す。
「あ、ありがとうございます。幾らですか?」
店主が真顔で答えた。
「とりあえず、ここで広げて見てみなさい。」
和夫さんが地図を広げた。しかし、中身を見て和夫は固まった。
店主が「やっぱり‥‥‥。」という顔をしてため息をついた。
「全くの素人じゃんな!地図読めねぇずれ!無茶すんなぁ‥‥‥あんたら新聞社の記者かテレビのモンかね?」
「いえ‥‥‥あの飛行機に乗っていた者の家族でして‥‥‥。」
店主が少し考えて、困った顔で云った。
「‥‥‥気持ちは分かるずれ。でも、何の予備知識もなく道無き道行けばへェ必ず遭難するずら。悪い事は言わん、ここは警察に任せて、現場に行くのはやめなさい。」
和夫は黙ってしまった。
すると、後ろで見ていた定雄が店主に食ってかかった。
「地形図の見方、教えてください!お願いします!簡単でいいので!妻が、私の妻が!」
必死の形相で迫る定雄に店主はたじろき、腕に掴みかかれたので手を払い怒鳴った。
「ちょっと!待つずら!落ち着きなさいっ!」
「‥‥‥すみませんでした。」
定雄は冷静になって謝った。
しかし店主はタバコに火を点け一吸いした後、定雄達を店に招き入れ、地形図の簡単な説明を始めてくれた。
「まず、地形の線は高低差を示しているずら。この線と線の幅が狭い程急斜面って事ずら。地形図はその場で見るってもんじゃなくって常に自分の先の行く地形を把握‥‥‥ていうか、先を読んで行くずれ。」
次にコンパスを取り出した。長方形の短い定規みたいな形で両側に目盛り、本体に等間隔で線が3本入り、線の中心に合わせて方位磁石とレンズが付いている。
「登山用コンパスを地図に置いて、方角(上が北)を合わし、その方角の地形を把握して、次はその状態で自分の行きたい方向に姿勢を正して向いて、自分の腹にコンパスと地図を固定して、目標を見て、自分の行きたい方向の地形を読むずれ。この繰り返しで進んでいけばいいずら‥‥‥分かったかね?」
定雄と和夫は交代で地計図の使い方を練習した。
「ま‥‥‥短時間だけど、これで使い方分かったずら?」
二人は今度こそ自信を込めて「はい。」と答えた。
地計図とコンパスの代金と支払うと2人はタクシーに乗ろうとした。
タクシーの中で待っていた義父と運転手はイビキをかいて寝ていた。
高齢にも関わらず夜通しで疲れていたのだ。
すると、店主がやってきて、ナイロン袋を渡した。
「これ、少ないが持っていきなさい。」
中身は人数分のオニギリ二個ずつとあんぱんに缶コーヒー、新品の手ぬぐいが入っていた。
おにぎりは店主の妻が地形図を教えている間に作ってくれたものだった。
定雄が聞いた。
「い、いいんですか?」
店主が返した。
「なに、遠慮することねェや。だけど、オラほに約束してから行け!」
「え?」
「必ず、無事に家に帰ることずれ。約束してくれるだか?」
定雄は笑顔で「はい!」と答えた。
運転手が気配を感じて目を覚ます。2人はタクシーに乗り込むと窓を全開にして店主にお礼をした。
「ありがとうございます‥‥‥。ありがとうございました!」
「おう、じゃ、気をつけてなぁ!」
タクシーが走り出した。
助手席に座った定雄は、バックミラーを見ると、店主がずっと、心配そうにこちらを見ていた。
街から出て国道141号線に戻る。
タクシーは川上村目指して走っていった。
■陸上自衛隊空挺団出動
午前7時半。
千葉県船橋市・陸上自衛隊第一空挺団。
「出動命令!」
待機していた空挺団員が個人装備を装着し、駆け足で宿舎から飛び出す。
駐車場に並ぶ軍用大型トラックの前で全員が整列する。
班長の号令がかかる。
全員揃ったのが確認されると命令内容が告げられる。
「これから日航機墜落現場、相馬原駐屯地に分散して日航機墜落事故における災害派遣活動を行う!全員出動!」
全員駆け足で大型トラックに分乗する。
駐屯地内敷地の芝生に、木更津の第一ヘリコプター団のKV-10Ⅱ型バートル輸送機が六機、指揮官用川崎OH6型観測ヘリ二機が、ローターを回しながら整列して待機していた。
各々の班のトラックがヘリに横付けし、隊員が続々とリアゲートから乗り込む。
陸上自衛隊のヘリは1983年から随時、従来のテカテカ国防色の巨大な日の丸カラーから、迷彩塗装に変わっていた時期で、この集合した六機だけでも三種類の塗装パターンが見られた。
従来の艶あり塗装の機に迷彩の機、そしてテカテカ塗装から更新が間に合わず、とりあえず目立つマーキングが一時的に後で剥がせる黒塗装で一時的に塗り潰されたものがあった。
乗り込み終わったヘリから随時離陸。
殆ど同時だった。
ヘリのローター音が周囲に響き渡る。
KV107Ⅱバートル輸送ヘリは大型ヘリ特有の重たいローター音、OH-6型観測ヘリは小型ヘリ特有の甲高いローター音を響かせ離陸していった。
途中で、日航機墜落現場に三機、待機要員として群馬県の相馬原駐屯地に三機と二手に別れ各々の目標に飛んでいった。
■長野県警航空隊前線基地設営
午前7時55分。
長野県警「やまびこ」は臼田グラウンドで燃料補給を行い、山岳救助隊二名を乗せ、墜落現場近くに降下地点を探した。
現場は焼跡がまだ燻っており、直接降りるとローターの強力なダウンウオッシュ(風圧)でまた火災が広がる恐れがあった。
その為、現場から二キロ程離れた沢の砂防ダムに降下した。
隊員のホイスト降下(ウインチで降りる)可能高度まで落とすのに深い谷に入り込む。
ヘリの側面にカラマツ林が壁のようにそそり立ち、木の枝ギリギリのところを降下していく。
ウインチが唸りを上げ、隊員をゆっくり降ろしていく。
長野県警山岳救助隊・柳沢隊員と深沢隊員は砂防ダムの上で地形図を確認。現場まで三十分と見積もり、二人は沢沿いに現場へ向かった。
だが、思ったように進めない。沢も高低差が激しく、とても降りられないような場所は迂回して通るしかない。
■事故現場への第一歩
午前8時半。
第一ヘリコプター団のKV-107Ⅱ型輸送ヘリが、OH-6型観測ヘリの詳細指揮の元、焼け爛れた斜面に直接降下、ホバリングを開始した。
現場には既に多くの報道ヘリが待ち構えていた。
ヘリの中では空挺隊の見守る中、リアゲートがゆっくりモーター音を響かせ開き始めた。
ゲートから地面が見える。
「JAL」と書かれた主翼らしき物体が目に入ってきた。
同時にモワっと焦げ臭い匂いが入ってきて思わず咽る。
まだ地面には誰もいない。
斜面は結構きつそうだ。
班長が号令をかけた。
「降下!よーい!」
ヘリ内部にあるウインチからロープが伸ばされ、フックをロープに取り付け一人ずつ、リペリング降下を始めた。
地面に着地すると、日航機に掘り起こされた上に燃やされた腐葉土に、くるぶしまでズボリと埋まり、コンバット・ブーツの底を通じてジワリと熱さが伝わってくる。
周囲は蜃気楼が起こり周囲の風景が歪んで見える。
角度四十五度はある斜面で次から次へ降りてくる隊員のサポートを行う。
熱気で、汗が全身から湧き上がり、ヘリの風圧で舞い上がる埃が体中に付着し、早くも全身埃まみれになった。
三機が順番で隊員を降ろし終わると、焦げた斜面が、あっという間に自衛官でいっぱいになる。
しかし、まだ彼ら空挺隊員だけで、他には誰も居ない。
上空は、KV-107Ⅱ輸送ヘリがいなくなったとたんに再び報道ヘリが集まってくる。
風が強くて吹き飛ばされそうだが、山の風なのか報道ヘリの風圧なのか判断がつかない位、空はごちゃごちゃしている。
中には乗っている人間の表情が分かる位まで接近するヘリもいる。
風圧で邪魔なので班長がヘリの向かって怒鳴りながら身振り手振りで追い返していた。
迷彩服の班長がヘリの轟音と風圧の中、「捜索開始」の号令を上げる。
だが、何を捜索するのか分からなかった。
確かに航空機が堕ちた場所だというのは分かるが、JALと書かれた大きな翼以外、原型を留めているものが全く見当たらない。
せいぜい車輪と窓が分かる位で木っ端微塵になった上に燃え尽きたようにしか見えない。
何を目標にしていいか分からないまま、トボトボと歩くと人影が見えた。
どうも黒焦げになった遺体のようであるが、たまたま燃えた木がそう見えるのか?
わずかに残った肌色の部分で遺体‥‥‥なのか?と思う。
よくみると、炭化した人間の一部らしいものが所々に刺さっている。いや、燃えた機体の一部か木の枝か?
「生存者」がいるなんて到底考えられず、もはや「救難」というより「遺体捜索」と言った方が早かった。
衝撃で大きく歪んだ客席のひとつ。血に染まっている(日本航空保管・ご遺族提供)
同じころ、午前8時半。長野県川上村。
川上村の唯一の大動脈である県道68号線を、レタス畑で働く住民を横目に国防色のボンネット・トラックが隊列を組んで走ってくる。
目標は航空自衛隊現地対策本部が置かれた川上第二小学校。
乗っているのは航空自衛隊・熊谷基地の隊員達。
彼らは航空自衛隊でも新人教育課程中の隊員達である。
彼らも、もちろん「災害派遣」出動で、陸上自衛隊同様、作業服に雑具・水筒等の個人装備を施している。
まず、生徒隊。彼らは主に中卒で入学試験を受けて入隊し、陸上自衛隊同様の厳しい野外戦闘訓練を叩き込まれ、そして通信・電子関係を学び、卒業後は適正を照らし合わせてから整備士、基地管理・基地防衛・警備、資材輸送等に配属される。
一般で、高校・大学卒で入隊した第二教育群や、航空機指揮・管制を教育する第四術科学校の生徒も同様の装備で派遣された。
彼らの外観上の違いは使っている車両と階級章と帽子だけで、普通の人から見ると陸上自衛隊員との区別は付かない。
その他、航空自衛隊の地上の災害派遣を支援する為同じく熊谷から第一移動通信隊が派遣され、現場上空に入間基地の三菱MU2J型救難捜索機と富士T3型練習機を交代で上空監視を行い指揮・通信を行った。
対策本部で命令を受理した隊員達は、早速三国峠の三国山登山口から現場を目指して出発した。
午前9時半。
定雄達の乗ったタクシーが三国山登山口に到着した。
既に航空自衛隊員達も出発した後で、登山口入り口周囲には報道陣の車と自衛隊のトラックがあるだけで誰も居ない。
登山口入り口には三国山の標識の他、ラジオで放送していた「御巣鷹山」の標識もある。
タクシーの運転手は出発する定雄達に「ここで待っていますか?」と尋ねたが、いつ帰るか分からないので、運転手も高齢で気の毒なので帰ってもらうことにした。
ここからは車どころかオフロード・バイクでも通れるような道ではないが、岩場が多く見晴らしが良かった。
頭上を航空自衛隊のKV-107Ⅱ型バートル救難ヘリが飛んでいく。
定雄達はまず、三国山を目指して進んで行った。
■遠すぎる事故現場
午前10時。長野・群馬県境の尾根
長野県警・管区機動隊が墜落現場を地上から発見した。
墜落現場に多くのヘリコプターが群がっている。
現場頂上からはまだ白煙が上がっていた。
しかし、今いる場所はとてつもなく高い崖の上。
下を見ると、自分の足元より低い高さで報道ヘリが飛んでいる。
とてもロープを使って等々大勢で降りれるような崖ではないので、仕方なく迂回して現場に向かうことにした。
同じ頃、長野県川上村役場では、消防団の分団長・八名が集まってロビーのテレビの前で会議をしていた。
大深山消防分団長・中島幸裕氏が提案する。
「現場は、管轄外とはいえ、うちらの村の近くだ。手伝いに行ってやるのが筋ってもんじゃないか?」
分団長は中島氏の意見に賛同し、消防指揮車と役場の公用車に分乗し、三国峠へ向かっていった。
午前10時頃。
NHKテレビで「遺体発見」の臨時ニュースが放映された。
群馬県上野村・上野中学校の三階にある遺族控え所に設置されたテレビでこのニュースを見た乗客の肉親は肩を落とした。
それを後ろで見ていた、事故機の客室乗務員・松原幸子さんの妹の明美さんと母は、「乗員の家族」という立場を乗客の肉親に知らされてはいなかったが、いたたまわれなくなり、部屋を出た。
明美さんは母に、現場に向かった夫達が帰ってくることを期待し、現場に最も近い民宿を日航の世話役に手配してもらうことを提案し、宿が取れたのでタクシーでその民宿に向かった。
■生存者発見
午前10時半過ぎ。
長野県警山岳救難隊2名が、神流川支流のスゲノ沢付近で残骸の隙間から弱々しく手を伸ばして助けを求める生存者を発見した。
墜落の衝撃で千切れた後部胴体が本体と逆の斜面に転がっていったせいで、火災に巻きこまれず、しかもその生存者4名は後部胴体中心部の座席で、比較的衝撃が弱かった為、かろうじて生存できたと推測された。
発見された生存者四名の順
・非番で大阪に向かっていた日本航空スチュワーデス(26歳)
長野県警山岳救難隊発見
・旅行で北海道に行っていた家族連れの中学1年生(12歳)
陸上自衛隊第12師団偵察隊発見
・家族連れで旅行中だった長女(8歳)と母親(34歳)
上野村消防団発見
生存者発見直後のスゲノ沢(1985.8.13 今井靖恵氏提供)
生存者発見時は、発見現場付近には長野県警山岳救難隊2名と陸上自衛隊第十二師団偵察隊(レコン隊)4名と上野村消防団員しかいなかったが、反対側の激突地点に陸上自衛隊第一空挺団がいる事を知った陸自の偵察隊が急いで反対側に登り、第一空挺団隊員達を呼び寄せた。
管轄の群馬県警機動隊員初動部隊は上野村消防団員の案内で登山していたが、慣れない登山に阻まれ、結局この時は間に合わなかった。
上野村消防団員が残骸で作った急造担架を用いて生存者四名を担いで頂上の平らな木陰に運ぶ最中、いつの間にか報道カメラマンが数人集まってきていた。
当然4名共、生存したとはいえ重傷で、しかも十数時間手当もされず疲弊しきっいたが、それを遠慮なく撮影するカメラマンに消防団員が激怒し、大声で「あっち行け!」と追い返す。
すると団員達は上着を脱いで衣服が破れ、肌が見えている彼女達にソっと被せた。
「ほらぁ、のいてのいて!突っこくど!」(突き飛ばすぞ)
カメラマン達は一歩下がり、蹴散らして進む消防団に遠慮しながらシャッターを切った。
その頃、背丈程の笹薮のトンネルを進みながら、長野県警第二機動隊の携帯無線に山岳救難隊から本部への無線が流れた。
「本部!本部!こちら山岳救難隊。生存者発見!繰り返す!生存者発見!」
機動隊隊長が後ろに叫んだ!
「生存者がいたぞ〜!」
この一報に隊員達は一斉に歓声を上げる。
ふと事故現場の方角を見ると、ヘリコプターが沢山集まっているのが見えた。
「あっちだ!まだ大勢いるかもしれない!急げ!」
全員雄叫びをあげながら先導の長野県猟友会の案内を置いて、急ぎ足で笹薮を突き進む。
「あ、あ〜!ちょっと!待て!停まれ〜!」
いきなり笹薮が無くなって視界一面に事故現場を中心に山麗が広がった。
そして足元はとても深いガケだった。
勢い余って先頭の隊員が落ちそうになる。
「畜生!駄目だ!こっちは行けない!バック!後退〜!」
皆がゾロゾロと退く。
隊長が猟友会に尋ねた。
「他に道は‥‥‥。」
「あんま視界が無いところで走らない方がいいやね。」
「‥‥‥。」
再び第二機動隊は猟友会先導で迂回し始めた。
群馬県側も山登りは大変苦戦したが、長野県警側の方は切り立った深い崖が多くあり、地形的に最も苦戦した。
この時、全国のテレビで「生存者発見」の第一報が入り各地で歓声が沸いた。
「生存者発見。女性三人、男性一人、名前は不明」
だが、この「男性」とは、男の子と間違われた中学一年の少女の事で、後にこの誤報が混乱を招いた。
当時は「ボーイッシュ」という男の子風の短い髪形や格好が流行っていたせいだった。
墜落現場に、群馬県警機動隊幹部と山岳救難隊が埼玉県警ヘリ・ベル206B型「むさし」と警視庁ヘリ・ベル412型「おおとり一号」、そして第一空挺団を降ろしたあとの自衛隊大型ヘリのV-107Ⅱ型バートル輸送ヘリで先遣隊がかけつけ、生存者捜索に加わった。
群馬県警はヘリからのホイスト降下経験者が居なかったが、何とか焼け爛れた斜面に降下したという。
上野村村長・黒澤丈夫氏は、村営グラウンドを臨時ヘリポートに指定し運用したが、周囲の木の枝が生い茂って難易度が高かった。
そこで、地元の土木業者に手配して急遽グラウンドの対岸の神流川沿いにヘリポートを構築し運用。
ここに警視庁や神奈川県警のヘリが応援にかけつけ、運用された。
この時、役場の外で待機していた第六消防団副団長・今井靖恵氏に上野村婦人会より食事を現場に届けて欲しい旨を依頼された。
今井氏は部下と共に人数分の食事をリュックに詰めた。
ところが、消防車はいざ火災があると困るので、各自、自家用車に分乗。
今井氏の軽トラックを先頭に現場へ向かった。
■生存者搬送
午前11時。
応援にかけつけた神奈川県警ヘリ・ベル222型「たんざわ」が医師を降下させる。
群馬県前橋市・群馬赤十字病院の医師一名・看護士一名だった。
とりあえず生存者四名を診察・応急処置を施すが、もちろん重傷で、早急に設備の整った病院へ搬送しなければならなかった。
しかし、応急処置完了後のヘリ手配の連絡がうまくいかなかった。
これは、各県警や自衛隊の無線周波数がそれぞれ違う上、山間部で電波がなかなか届かない為であった。
そして、現場上空では報道ヘリが大量に飛び交い、1984年に発生した兵庫県での銀行強盗事件の際の報道ヘリ同士の衝突事故と同様の事故も懸念され、航空自衛隊のYS-11型輸送機が現場上空に派遣され、空からの管制を行った。
その後、陸上自衛隊のV-107Ⅱバートル輸送へり(JG1816号)が先ず生存者のホバーリングによる搬送をようやく開始したが、またここでも混乱している。
搬送先がパイロットが長野県松本市と思っていたこと、とりあえず上野村に着陸し、救急車で生存者のうち児童二名を何故か救急車にて陸路搬送、残り大人二名はそのままJG1816号機で群馬県前橋市に搬送されたが、離陸した直後に応援の東京消防庁のエアロスパシアルAS365「ちどり」が着陸。
急遽「ちどり」で藤岡市まで搬送に変更され、JG1816号機を追うように「ちどり」は児童二名を乗せて上野村を後にした。
因みに、東京消防庁の「ちどり」は当時最新鋭のフランス製の機材で、救難任務に最適と世界中で救難ヘリとして導入が始まったばかりの機材だった。
事故当時、東京消防庁はいつ出動依頼が来てもいいように備えていたが、組織が違うせいで事故対策指揮側はこのヘリの存在に誰も気が付かず、結局自主的に翌日に上野村に向かい、この生存者搬送騒動に立ち会った訳であったそうだ。
なぜこんな回りくどいことになったかというと、私の解釈で申し訳ないが、まず、自衛隊のヘリが軍用であり、騒音や乗り心地に難があるので、児童二名は可哀想だからと救急車に乗せ換えたのでは無いだろうか。
そして、偶然現れた東京消防庁の「ちどり」が当時の最新鋭救
難ヘリであり、乗り心地や装備の面では陸上自衛隊のバートルよりはるかに良好な為、まさに「渡りに船」と載せ替えられたのでは?とも解釈できる。
このことについては現在もなお、詳細な資料や証言を私は発見できていない為、当初はこの項目を書かなかったが、こういう事もあったと追記しておく。
同時刻。
定雄達三人は、三国山付近で座って昼食を取っていた。
文房具屋で貰ったオニギリを頬張りながら、義父がバッグから何かを取り出した。
1983年に精工舎(現在のセイコーエプソン)で販売された、当時最新鋭の携帯用テレビで、腕に時計のように小型液晶テレビを装着し、腰にチューナーを装着し、ヘッドホンで聞くものである。
チューナーのチャンネルを義父はカリカリ合わす。
しかし、定雄と和夫がオニギリを食べ終わってタバコを一服し始めて、ふと見るとまだ一向に義父はチャンネルを合わせ続けていた。
「使えると思って持ってきたんだがな‥‥‥。」
和夫が答えた。
「こんな山の中じゃ無理ですよ‥‥‥。」
義父はまだチャンネルを合わせ続ける。
「さて行きますか。」
和夫と定雄が立ち上がったその時だった。
「待て!来たぞ!」
義父が大声で二人を制止した。
ヘッドホンが雑音混じりだが、声がかすかに聞こえ、液晶画面が人の形で画像が浮き出てきた。
「ザリザリ‥‥‥存者‥‥‥客室乗務い‥‥‥ザザザ‥‥‥。」
この声だけ聞こえ、あとは再び受信不可になる。
「客室乗務員の生存者とか何とか云ってたぞ!」
二人は半信半疑だったが、少しは希望が湧いた。
彼らは再び墜落現場を目指し、歩き始めた。
■遺体回収作業開始
午後2時半。
「これ以上の生存者なし」が確認され、5百名近い遺体搬送方法をどうするか検討が始まった。
当初は人海戦術で遺体を山から降ろし、上野村で検屍作業を行う予定だったが、あまりにも多い遺体と、かなり険しい現場へのルートで断念し、50キロ離れた群馬県藤岡市の藤岡市民体育館を使用することが決定し、搬送は陸上自衛隊のヘリコプター団の富士ベルHU1H型中型汎用ヘリで行うことに決まった。
陸上自衛隊が遺体を搬送する為には、いちいちホバリングで回
していては時間が掛かりすぎるので、現場にヘリポートを構築す
ことになった。
ヘリポート構築は、現場に先に到着していた第一空挺団に委ねられ、翌朝までに構築した後、陸上自衛隊の普通科連隊と交替し撤収という形に決まった。
午後2時半。
群馬県上野村・第六消防団の食事搬送班が現場に到着した。
テレビで見ていたが、現場はさらにゴミゴミし、何がなんだか分からない。
副団長・今井氏が残骸近くで座って休憩していた消防団長を見つけた。
「団長!」
「よう、今井さん、来てくれただかいね。」
「皆、腹減ったろ!メシ持ってきた!皆、ちょっと休もうか。」
「‥‥‥。」
弁当を見た団長が黙ってしまった。
「団長?どうした?」
「悪ィけど、ちょっと今、食べる気になれねえんさね‥‥‥。」
団長が今井氏に両手の掌を見せた。
軍手はドス黒く血に染まり、指の間に髪の毛が無数に絡んでいる。
「どしたぁ!団長!ケガしたんだかいね!」
団長が返した。
「違うがな!これ皆、仏さんの血だいね!」
今井氏は血相を変えた。
そして背中に冷たいものが走った。
「もう、どこもかしこも皆、仏さん無残なカッコでさ、ま〜ちょっと今はメシ食うって気分になれねぇのさね‥‥‥。」
団長が軍手を脱いで残骸の上に置いた。
軍手は「ドバン」と重い音を立て、どれだけ血が染みているかが計り知れた。
染みた血や体液がドス黒い色で垂れ、白い塗装の日航機の残骸を染めた。
今井氏は、ふと、周囲を見渡すと、警官や自衛官が残骸から遺体を回収しているのが目に付いた。
現場に着いた時は疲れと団長を探すのに精一杯で気にしてなかったが、よく見ると皆、遺体を搬送しているようだ。
すぐ横の木に、全裸の男性が木にしがみついていた。
よく見ると、木に体がめりこんでいた。
どうも木に顔面から突っ込んで、その衝撃で服が破裂して消し飛んだようだった。
団長がつぶやいた。
「いいやね、要らないがねメシ。仕方ねえから、そこら辺の林に放っぽくようだよ。」
すると、背後から警察が来た。
群馬県警機動隊隊長だった。
「皆さん、本当にご苦労様でした。生存者も救助されたので、あとは我々がやりますので、下山されて結構です。」
「そうかいね!あいよ!」
団長が、皆を呼びに行った。
今井氏は弁当をリュックから出し、大雑把に林の藪の中に置いた。
それを見た機動隊隊長が、慌てて斜面を下ってきた。
「あ、あの、それ、どうされますか?」
「あ、皆食わねえって云うもんで持って帰っても仕方ねェからねぇ‥‥‥。」
機動隊隊長は一呼吸置いて聞いてきた。
「それ‥‥‥食べないのであれば売って戴きたいのですが‥‥‥。」
「ん?あ、いいよ、皆で食ってくんねえよ。」
当時、群馬県警側は、長野県警の応援のつもりで来てしまい、現場に着いてから自分たちの管轄だったこととなり、昨夜から何も食べておらず、浅見機動隊隊長はこの時、責任を感じて、部下に自腹で食糧を供給するつもりだったという。
今井氏は部下の持つリュックの弁当も全て機動隊隊長に引き渡した。
「あの‥‥‥お金は‥‥‥。」
「いらねェさ、どうせ放っぽくモンだがね。」
団員全員が戻ってきて、帰ろうとすると、また機動隊隊長が来た。
「あの‥‥‥すみません‥‥‥。」
今井氏が返す。
「いいって!そんな気にしねぇで食ってくんねぇよ!」
しかし、機動隊隊長は、申し訳なさそうな顔をして言った。
「いや、違います、お願いが‥‥‥。我々が帰り易いように道を作りながら帰って戴ければ有り難いかな?と‥‥‥。簡単で結構ですので‥‥‥。」
消防団員達は、笹薮を踏みつけ、とりあえずケモノ道程度に分かるように道を作りながら下山した。
草を踏みつけながら団員達がつぶやいた。
「あ〜!こんな事、もう沢山だがね!気の毒で居られねぇや!二度とこんな事御免だいね‥‥‥。」
しかし、また後日、彼らはこの現場に駆り出されることになる。
後日、事故救難対応に関わった民間人に群馬県警察より贈られた功労メダル(今井靖恵氏提供)
事件・事故など無縁の村で突然起こった世界最悪の大惨事。
この日まで上野村は、地元の群馬県民でも知らない人が大勢いた過疎の村だった。この事故が発生して、初めて世界中に村の名前が知れ渡った。
しかし、まだ終わってはいなかった。
帰り際に消防団三名が呼び止められた。
現場の報道陣から仲間が三国山方面に行ったきり行方不明になったので探して欲しい旨の依頼が入り、捜索に向かった。
午後3時頃
長野県警管区機動隊、第二機動隊が続々と現場に到着した。
群馬県警とは逆に自分達の管轄のつもりで駆けつけ、大幅に遅れてしまったことに責任を感じていたが、着いてみると立場は逆転し、応援の立場になっていた。
現場に入るとゴミ捨て場のような散らかった現場に女性らしき長い髪が頭皮だけ木に引っかかり風に揺らいでいた。
思わず誰もが足を止めたが、引き下がる訳にはいかない。
長野県警機動隊の各隊長は群馬県警機動隊隊長に報告後、作業を開始した。
管区機動隊はヘリから投下される毛布を受け取り、遺体に被せる係を担当した。
とりあえず目に付く遺体に次から次へ毛布をかけていく。
その後ろを群馬県警が印を付け、遺体発見場所と整理番号を発行し、終わった遺体は自衛官が毛布に包み、ヘリポート近くに並べた。
現在、現場にある墓標は、それぞれの遺体が発見された地点で、
群馬県警が作成した地図を元に日本航空が墓標を建てた。(場所によってはお参りできない危険な場所や、重なって発見された場所等は若干移動して墓標が立ててある。)
第二機動隊は、陸上自衛隊・第一空挺団が設営を始めた臨時ヘリポートの手伝いに参加した。
斜面の下では民間ヘリが谷間にホバリングし、報道陣の資材を下ろしている。
焼けた地面の熱気と日差しで、喉が渇き、既に水筒の水が無くなっていたが、自衛官が早速、沢の水を現場近くまで引っ張って、いつでも飲めるようにしてあったので助かったという。
そして、平らに整形されたヘリポート構築地に陸上自衛隊の大型ヘリがやってきた。
「あんな大きいの着地出来ないだろう。」
そう思って見ていると、空中で停まったままリアゲートが開き、空中に浮いている状態で次から次に応援の自衛官が降りてきて、資材を下ろし始めた。
ヘリの操縦技術に思わず感心して見とれていると、後ろから小隊長に怒鳴られてしまった。
同時刻。
定雄達は墜落現場を発見した。
山の斜面に林がなぎ倒され、ヘリコプターが沢山上空を旋回している。
だが、まだ詳細がよく見えない。
「幸子‥‥‥。」
現場を茫然と見つめる定雄。
すると、後ろから突然声をかけられた。行方不明の報道スタッフの捜索に回っていた上野村消防団員だった。
消防団員の一人は疲労と精神的ショックで疲れきっており、ろくに登山装備もせずに無責任に山で遭難したから助けてくれという報道スタッフに怒りを感じ、定雄達に怒鳴り散らした。
「この、えっれえ忙しい時に考え無で山いごき回ったらあぶせえがな!」
状況が飲み込めず、オドオドする定雄達。
和夫が自分達の事を説明してくれた。
乗員の家族と知った消防団員達は、いきなり怒ったことを謝罪したが、定雄達も装備が不十分な事には違いない。
消防団員達は、彼らを現場に案内する事にした。
しばらく歩くと、目の前の笹薮がガサゴソ揺れ始めた。
「何だ?クマか?」
定雄達は思わず足を止めた。
すると、笹薮から二人の自衛官が飛び出してきた。
「やった!消防団員だ!助かった!」
彼らは消防団員に駆け寄り、墜落現場はどこか聞いてきた。
消防団員が彼らに聞いた。
「何だ?どうした一体?」
「いや、すみません、実は‥‥‥ここがどこだか分からなくなって。」
どうもこの自衛官達は迷子のようだった。
後ろで見ていた和夫が、怪訝な顔をして聞いた。
「無線機持ってんだろ?」
「いや‥‥‥持ってないです‥‥‥。」
和夫が怒って自衛官の襟首に掴みかかった。
「おいおい、何で自衛隊が遭難しっちょ!助けて欲しいのはこっちずれ!夜中からダラダラ、ダラダラ墜落場所も特定できん、しかも遭難までして何考ェちょるでェ!」
思わず、甲州弁が出てしまった。
消防団員が止めに入った。
彼らは、自衛官は自衛官でも、まだ航空自衛隊の航空生徒隊に入ったばかりの新人だった。
よく見ると、彼らはまだ十代の少年達だった。
とりあえず、皆で現場に向かうことになった。
定雄一人の筈が、出発直前に三人になり、タクシー運転手や、文房具店の店主に助けられ、そして消防団員三名、迷子の少年自衛官二名が加わり、八名の大グループに膨れ上がった。
皆の助けを借りて、ようやく墜落現場近くまで来た。
生きていて欲しい。実は大した事故じゃなかったという事であって欲しい。
テレビでも「生存者」と言っていた。希望はある。
現場近くに着いた。貨物輸送コンテナが変形して転がっていた。
転がってきた斜面の上は、何か騒がしい。
すると、上空にヘリが頭上で停まった。
ヘリの横のドアからテレビカメラマンがこちらを撮影していた。
あまりの風圧に周囲の葉っぱが舞い、埃まみれになる。
「あっち行ってろ!行けって!」
若い消防団員がヘリに向かって叫ぶと去って行った。
「さ‥‥‥幸子!」
とっさに定雄は斜面を無我夢中で駆け上がった。
今のヘリの騒ぎに気をとられていた和夫は慌てて引き止めたが、もう止らなかった。
革靴で斜面の土に足を取られ転ぶが、すぐ立ち上がり、また転び‥‥‥。
とにかく無我夢中で登っていった。
Yシャツはボロボロの泥だらけになり、スーツのズボンの股が裂け、顔や腕は笹の葉や石で傷つけられ、鼻血が白いYシャツを染め、眼鏡は変形した。
現場に出た。
定雄は、その場に立ちすくんだ。
現場に原型を留めているものが殆ど無い。
頭の中に、ヘリの爆音と、自衛隊や警察の無線が響き渡る。
時より接近してくるヘリの風圧に耐えながら、とりあえず歩いた。
林が破壊された急角度の斜面を登ると、「うわっ!」と悲鳴が聞こえた。
警察官が斜面でバランスを崩し転落していた。
すると、頭上から、
「ちょっとすみません!どいてください!」
と、話しかけられ、見ると、自衛官が木によじ登っていた。
他の自衛官が、定雄をよけて毛布を広げて前に出て、上から「何
か」を受け取った。
受け取った自衛官はすぐに毛布で包んでしまったが、その「何か」黒いボロボロの物体には、確かに人間の手らしきものがあったように見えた。
よく見ると、爆発で裸にされた林の枝に無数の「何か」がぶら下がっている。
稜線に上がると、さっき消防団と会った場所から見えなかった激突地点に着く。
一面焼け爛れた斜面を自衛官や警察官が大勢「何か」を運んでいる。
その「何か」をよく見ると、毛布の隙間から手や足がはみ出て、整理番号の書いた札がつけてある。
遺体のようだった。
彼らは、まるでタマゴを運ぶアリのようだった。
頂上付近に着くと、
「あぶない!行くな!」と怒鳴られる。
そこにあった藪は一面真っ黒で白煙がもうもうと出ていた。
さっき怒鳴ってきた警官が、
「そこ、まだ燃えてっからさ!入るとあっという間に火達磨になって焼け死んじまうがね!」
と、定雄の肩をポンと叩いて去っていく。
さらにトボトボ歩くと、さっき運ばれていた毛布に包まれた遺体がズラリと並んでいた。
定雄は毛布の中を確認して幸子を探したいと思ったが、そんな事が許される訳はなく、そこで立ちすくんでしまった。
後ろから和夫と義父が追いついてきた。
「さ、定雄くん‥‥‥。」
定雄は目が死んでいた。
すると三人が後ろから怒鳴られた。
「こらぁ!そこは撮影禁止だがね!」
警察官が駆け寄ってきた。
和夫はとっさに弁解する。
「違います!僕達はカメラマンじゃありません!」
「じゃあ何だい!日航かいね!」
和夫は親族でもあり日航側でもあったので一瞬返事に迷うが、
「し、親族です!事故機の親族です!」と返した。
すると警官は、困った顔をして答えた。
「‥‥‥とにかく、ここは大変危険です!すみませんが、とりあえず山を降りてください!我々に任せてください!」
すると、定雄は力尽きるように、しゃがみ崩れたと思いきや突然怒り狂い絶叫した。
「うわーあああああ!畜生ォ!」
いきなりだったので和夫も義父も警官も驚いたが、その直後に上空に現れた自衛隊のKV-107Ⅱバートル輸送ヘリの大きな爆音で、定雄の叫びは空しくかき消された。
午後になって、群馬県藤岡市を中心とした遺体検死作業が行われることが決まった為、準備が始まった。
上野中学校に待機していた遺族達も、今朝に引き続き再度日航が手配した観光バスで藤岡市に戻る。
■陸上自衛隊前線基地設営
午後4時。上野小学校。
陸上自衛隊第十二師団が、群馬県警察と連携を執る為、長野県北相木村から上野村へ移動し、遺族待機場所に使用予定だった群馬県上野村小学校を使うことになった。
急遽集結した自衛隊員の集団に、宿直の教師は何も聞いていなかったので言葉を失った。
宿直教師は、慌てて校長へ連絡を行い、校長は自宅から駆けつけると、想定外の自衛隊進駐に驚いてしまった。
神田箕守校長は、第二次大戦末期に前橋市大空襲で自分が在校した小学校に大量の戦災遺体を集めたのを見て、一般人が軍隊の起こした戦争に巻き込まれて死んだという想いがあり、自衛隊は、あまり好きではなかった。
故に自分が所属する学校に「違憲の軍隊」が進駐するのをためらったが、事態が事態故に已む無く認可した。
第十二師団長が校長に挨拶と災害派遣任務説明を行った。
その際、緊急対応を執る際にコンバット・ブーツを脱ぐのに手間取る為、校舎を土足で使用の許可を頼まれた。
神田校長は一瞬考えたが緊急事態故に土足使用を許可した。
午後5時10分。
群馬県警機動隊・浅見隊長との協議により、長野県警察初動部隊の管区、第2機動隊は業務を群馬県警に引き継ぎ、撤退が決まった。
管区機動隊は行きと同じ南相木に戻るルートを選択し帰路についたが、崖から危うく落ちかけた第二機動隊は、群馬県警と話した結果、群馬側へ降りるのが来た道より安全で楽と判断し、下山を開始する。
同じ頃、長野県川上村から独自で出動した川上村消防団の一行は現場には着いたものの、何もすることが無かったので撤収した。
その帰り道、川上村に司令部を置いた航空自衛隊員達が、崖下に声をかけていた。
何があったのか尋ねると、崖から報道フリーカメラマンが一人で転落し、助けを求めているとの事。
だが、そこを通りかかった自衛官は航空自衛隊教育隊の生徒だったので、装備も無かったので仲間が司令部に助けを求めに行ったとの事であった。
しかし、川上村消防団員達は、山登りは慣れていたので応援の自衛官を待つまでもなく、その場で速やかにカメラマンを救助した。
長野県警第二機動隊は、群馬県警に聞いた営林に使われていたトロッコ線路跡を進んだ。
線路のおかげでスムーズに下山出来そうだったので、警官達は、
「管区機動隊の連中、来た道を帰ったそうだが、こっちの方が楽だぜ」
と、言い合っていた。
だが、そう簡単には行かなかった。
先頭から笛の音がけたたましく響く。
「止まれ!ダメだァ!崩れてる!」
途中で幾つか線路が崩落しており、崖を這いながら崩れた箇所を一人ずつ進んで行くしかなかった。
午後6時。神奈川県相模湾沖。
ここで海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦DD130番「まつゆき」が建造元の石川島播磨重工によって来年の引渡しを目指して試験航海が行われていた。
すると、居島灯標から246度81海里にて大型の金属物体を発見する。
午後6時45分、物体は「まつゆき」のヘリ甲板に引き揚げられた。
どうも、航空機の一部らしく、この上空で異変が起こった日航機の一部である疑いが強くなった。
午後7時。群馬県上野村。
最も現場に近い民宿の窓から、事故機の客室乗務員・松原幸子の妹の明実は一人で現場に行く道路をずっと眺めていた。
生存者の人数も名前も完全に判明し、姉が生存している可能性が無くなって放心状態だった。
定雄達が山から帰ってきたら、現場の状況を聞きたくて仕方が無かった。
だが、連絡手段が無い。
携帯電話は当時発売されたばかりで、今では信じ難い程価格が高く、重く大きく性能も低い時代で一般人には全く縁の無い物だった時代。
勿論、定雄達は持っておらず連絡手段が無い中、待ち続けた。
母が声をかける。
「お父さん達が、ここに帰って来るなんて保障なんか無いんだよ。」
「でも、私達が群馬で待っているんだから、群馬に向かって帰って来る筈よ。」
すると、薄暗い夕暮れの中、三人の男が歩いてきた。
定雄達だった。
明実は手を振り大声で声をかけた。
「和夫さ〜ん!おとうさ〜ん!定雄さ〜ん!」
和夫が気付いて元気に手を振り返した。
「やっぱ、お父さん達だ!」
明実は母を連れて道路に出た。
三人共、服は泥まみれになり、何とも云えない異臭が漂っていた。
特に定雄は服が裂け、Yシャツは血に染まり、顔中傷だらけで鼻血が顔面に固まって、満身創痍の様相だった。
「大丈夫?定雄さん!」
母と明実が声をかけるが、定雄は目もうつろで、呆然とし、全く返事をしない。
父が言った。
「いいから!定雄君に着替え用意してやって、あと
傷も診てやってくれ!」
父はそのまま民宿に入っていった。
母が定雄を民宿の中に連れて行った。
明実は、和夫の無事が嬉しくて思わず抱きしめた。
和夫は、もう何も言う気力は無く、ただ黙って抱き合っていた。
午後8時。
長野県警第二機動隊が、ようやく上野村市街地に到着した。
すっかり夜が更けた道を、誰もが力尽きた顔をして、定雄達のいる民宿の前をゾロゾロと幽霊のように歩いていた。
この時、隊長・中隊長が非番だったので指揮を執っていた小隊長が無線係に本部へ連絡するように指示した。背中に背負った無線を準備しようとしたその時。重大な事に気が付いてしまう。
暗闇の森林を草を分け入って斜面で転びながら進んでいる間に無線機のアンテナをどこかに引っ掛け折損していた。
「ば、・・・・・・バカヤロゥ!どうやって迎え呼ぶんだ!」
仕方なく、たどり着いた国道299号線沿い、十国峠入口にある商店に電話を借り、臼田警察署に迎えを要請し、電話が終わった直後、その場に全員座り込んでしまった。
疲れすぎて動けないのだ。
上野村中学校に迎えに来た長野県警機動隊バスに皆が無言で乗り込む。
臼田警察署員がバスに乗り込んで、
「いや〜、皆さん、ご苦労様でした!」
と言って食事を配った。
五目寿司だった。夏場で悪くならないようの配慮だった。
空腹でいきなり食べたので腹が痛くなってしまう。
力なく食事を頬張った後、誰もが帰路のバスの中でいつの間にか寝入ってしまった。
午後10時40分。
海上自衛艦「まつゆき」が回収した航空機の一部は、海上保安庁巡視艇「あきづき」に引き取られ、横浜港へ引き揚げられた。
残骸は巨大で、白い塗装に日本航空の鶴マークの一部が残り、内部は航空機の錆止め塗装に用いられるライトグリーンに塗られ、「65B・03286・1」と印字されており、事故機のものと断定された。
そしてその巨大な残骸は、垂直尾翼の一部とも判明。
垂直尾翼が何らかの理由で破損し、この異常事態になったことがようやく判明した。
ここで、航空評論家等、航空機に詳しい人たちはピンときた。
この事故機は1978年6月2日に、羽田発大阪便で着陸時に誤って後部胴体を叩きつけて着陸する事故を起こしていた。
事故機の機番を見て、当初から「もしかして」と思う専門家が多かったが、これでこの時の事故が今回の事故に繋がっている可能性が濃厚となった。
午後11時。
着替えをし、傷の手当てをして貰った定雄は、ひとり民宿の前
の河原でタバコを吸いながらボーっとしていた。
後ろでは群馬県警機動隊の撤収グループのバスが赤色回転灯を光らせながら村の中心部へ走り去って行った。
バスの中の警官は誰もが疲れ果てた顔をしている。
「オレも‥‥‥疲れたよ‥‥‥お休み、幸子‥‥‥。」
民宿に戻った彼は個室で一人、倒れるように寝た。
民宿の前を走る機動隊バスとパトカーの音を聞きながら‥‥‥。
現場作業用ヘリポートの設営
8月14日午前1時。
陸上自衛隊・第一空挺団は、3時間交代で、徹夜でヘリポート作りに追われた。
勿論、明かりなど期待できない深山での作業は、懐中電灯とヘルメットに装着するヘッドライトのみで行われた。
睡眠・食事は三時間休憩の間に行った。
そして山を下りた筈の群馬県警機動隊や警視庁も参加した。
彼ら警察官達は夕方に下山命令が出た際に、人が一人通れるのがやっとの踏み分け道や、所々崩れたトロッコ線路跡を夜間に大勢下るより、どうせ翌朝も登るなら山に留まっていた方がいいという判断だった。
しかし、警視庁や自衛隊と違い、群馬県警は寝る為の装備など元から無く、遺体梱包用に運ばれた毛布を斜面に敷いて寝るしかなかった。
眠れないので、「どうせ眠れないなら」と寝ずに作業に参加した警官も大勢いた。
幸子の影
午前3時。群馬県上野村の民宿。
定雄が、熟睡していたその時だった。
枕元が眩しい位の光に包まれ目が覚める。
何か気配を感じ、「ハッ!」と起き上がると、枕元に幸子さんが座っていた。
定雄は幸子に話しかけた。
「さ、幸子?‥‥‥。」
幸子は申し訳なさそうな表情で話し始めた。
「ごめんなさい‥‥‥こんなことになってしまって‥‥‥。」
幸子が泣き出した。
定雄は、幸子のその言葉に、こう返した。
「何で謝る?幸子が墜落させた訳じゃないだろうが幸子、お前だって、お前だって被害者じゃないか!」
幸子は暫く黙ると立ち上がって、光り輝く空間の方へ向かい始めた。
定雄は慌てて呼び止めた。
「幸子!待て!行くな!」
幸子は振り向き、涙を流しながら答えた。
「子供が‥‥‥子供達が‥‥‥。」
すると幸子さんの周囲に大勢の子供達と同僚の客室乗務員達が現れた。
「迷子の‥‥‥子供達を‥‥‥皆で‥‥‥親元に‥‥‥。」
定雄は幸子を追いかけようと立ち上がった。
すると、自分は布団に入っており、光など全く無かった。
枕元には何かあった気配すら無かった。
夢だったのか?それとも‥‥‥。
定雄は、窓から漏れる外灯の光でタバコを探して吸い始めた。
すると、またカーテンから赤い光とディーゼル音が響く。
群馬県警機動隊の送迎バスだ。時間は午前3時半。
「まだ活動しているのか‥‥‥。」
午前4時。
上野村中学校は修羅場と化していた。
昨夜から深夜にかけて山を下った群馬県警機動隊の最後のグループがようやく帰ってきたが、疲労困憊で玄関に着くなり倒れこむ警官が続出した。
警官が倒れた仲間を抱え、休憩室に運び込む。
結局、全員撤収に十時間かかった。これから、また朝に登る。十時間かかるなら、またトンボ帰りに登って、早い先頭が午前七時、最後尾が午後二時になる計算になる。
そしてまた夕方撤退。
幾らなんでも無茶だ。
警官達は、機動隊隊長にこの旨を問い糾した。
少人数ならともかく、多数の人員が毎日山を登り降りするのは無茶なので、次回は休憩後に随時、陸上自衛隊のKV-107バートルⅡ型輸送ヘリで送迎してもらう事に決定した。
あまりのドタバタ劇に悔しい思いをしながら空を見ると、もう夜が明け始めていた。
墜落現場では朝焼けの中、ヘリポートの建築を急ぐ自衛官達のシルエットが映えて見えた。