叫び
具体的な年齢はおぼえていないのだがまだ小学校に上がる前のその時期、おれはただ一人で生きていたつもりになっていた。
世間一般でいえば母親ということになるおれを生んだ女は物心ついた頃にはおれと二人で生活していて、しかもたいがいの時間はおれのことを気にかけずに暮らしていた。
気まぐれに構うときもあれば何日も当時住んでいたアパートを開けることもあり、子どもというよりはペットを飼うような感覚でおれに接していたように思う。
いまでいうネグレイトというやつなのだが、当時はまだそんな言葉も広く知られているわけでもなく、また当時のおれたちが住んでいた場所はかなり辺鄙なところにあったので、善意の第三者に通報をされるということもなかった。
おれが家の外に出たことは物心ついて以来数えるほどしかなかったから、当時近辺に居住していた人々も、大半はおれの存在にすら気づいていなかったはずでもある。
おれはそんな女親が気まぐれに投げ与える食物を手づかみで貪り、つけっぱなしのテレビでどうにか言葉をおぼえた。
今思い返してみても、よく餓死しなかったものだと思う。
おれを生んだ女はあるとき、かなり長い期間家を開けた。
それまでも何日もか留守にすることはあったがそれほど長い期間家を開けるのははじめてのことで、その間おれは水道水と冷蔵庫に残っていたマヨネーズをチューブから直接啜ってどうにか生きながらえていた。
そうこうするうちにいよいよ意識がかすんできて、ああこれは本格的にいけないと幼いながらにもそう判断をしたおれは、なにか食べるものを探すためにはじめて自分だけの意思で家の外に出ることにした。
母親からは勝手に家に出るなとかなりきつくいい聞かされていたわけだが、飢えから来る生理的生物的な要求には逆らえない。
家を出てはじめて、おれは自分が住んでいた場所が街全体を見渡せる高台に位置していることを知った。
そのときはちょうど日が沈みかける時刻だったのだが、街全体が茜色に染まった様子は、どうしようもなく美しかった。
そして、そこから見渡せる光景がどうしようもなく美しく見えることにに理由もない憤りと理不尽さを感じたおれは、おそらくは生まれてくるはじめて素直に自分の感情をおもてに出した。
思いっきり大声で、叫び声をあげたのだ。