第4話 悪逆行
凍りつく空気の中、リリスはゆっくりと階段を下りてゆく。
サラは彼女の視線を浴びて、思わず顔を両手で隠す。
こんなに痛めつけられた姿を、リリスには見られたくなかった。
大勢に悪だと断じられて、罰を受けていたこの全身の傷を、彼女だけには。
だが、この状況で隠し通すのは不可能だ。
そう思うと、サラの目から涙がとめどなくこぼれ落ちてきた。
悔しいのか、悲しいのか、それとも恥ずかしいのか。あるいはそのすべてだったのかもしれない。
やがて、止まっていた時が動き出す。そのきっかけは誰かの金切り声だった。
「人殺し! 人殺し! 人殺し――」
指差しながら呪詛を連呼するその老婆の首を、リリスは躊躇なく刎ねた。
その表情にもはや微笑みはない。
ただ烈火のごとくうちに秘めた怒りがあった。
「人を殺したから、なんだというの」
一歩一歩階段を下るリリスただひとりの存在感に、聴衆たちは後ずさりをする。
「――あなたたちも、人を殺そうとしていたのでしょう」
誰かが弾かれたように叫んだ。
「違う! 私たちは、ただ罰を執行しようとしていただけだ! あの邪悪の根源たる女は、死によってのみ救われるのだ!」
「罰を与えるあなたたちの罪に、ならばあたしは罰を与えるわ」
リリスは跳躍した。
離れた場所にいる男のもとへと一瞬で。
着地とともに上段から振り下ろした刀は、男の体を頂点から真っ二つに絶ち斬る。
噴き出す血。ゆっくりと傾いてゆく半身。赤い飛沫を浴びぬようにマントで口元を隠しながら、リリスは周囲を睥睨する。
「あたしはあたしの正義の名において、彼を断罪したわ。さあ、あなたたちはあたしをどう裁くのかしら?」
どさり、と両断された死体が床を転がった。
誰もがリリスの行く手を阻むことはできず、皆は顔を見合わせていた。
石をその手からパラパラと落としながら。
「あれが正義だというのか……?」
「バカな、悪そのものではないか」
「だが、彼女は我らの仲間を殺した……!」
「殺された者が悪だったという可能性はないのか?」
この期に及んで白熱する議論の中、リリスは冷然と階段を下りた。
その前に立ちふさがる少女がいた。
アメリアは、両手を広げながらリリスの前にやってくる。
今まで彼女のゆくてを塞いだ者たちの末路を知りながら、それでもだ。
アメリアは金切り声で叫んでいた。
そうでなければ、その精神を保てないとばかりに。
「あなたも彼女に石を投げて! そうすれば、私たちは仲間になれます! そうしなければ! 私たちはこの国を保てないのだから!」
「それを正義や善意とは言わないわ」
「だったら、なんだというの!? 私たちのしてきたことはいったい! この国を支えていた矜持は、なんだというの!?」
リリスはアメリアの肩を叩いた。
「ただの、暴行よ」
光の線が走った。
アメリアだったものの上半身が斜めに滑り落ち、床を汚す。
それはあまりにもあっけない結末だった。
サラのもとにひざまずく彼女は、その手を額に当ててくる。
「ひどい熱だわ。病が進行したのね」
「……」
サラはもはやもうろうとした意識の中、リリスをぼうっとした目で見つめる。
「ママ」
「ええ、あなたのママよ」
「ごめんなさい」
「え?」
薬瓶と水筒を取り出すリリスに、サラは頭を下げた。
「こんなわたしが一緒で、ごめんなさい……。わたしがいなければ、ママはもっと楽に、ひとりで……」
「……バカね」
涙を流すサラの頬を、リリスが撫でた。
石に打たれて青あざだらけになってしまっているだろう。それでもリリスに触れられると、痛みが少しだけ和らぐような気がした。
頭を撫でながら、リリスはサラの耳にささやく。
「あなたは彼らを殺さないであげたのね」
サラはしゃくりあげる。
魔法使いのサラもまた、魔手という特別な力をもつ。
やろうと思えば、できたことだったのに。
「だって、人を殺めるのは、悪いこと、だから」
涙で濡れたサラをリリスは抱き締めた。
「……あなたは本当に、優しい子よ」
薬を飲ませてもらうと、サラは胸の中がスッと軽くなるのを感じた。
同時に、ひどい眠気も襲ってくる。
母に抱かれながら、サラの意識は遠ざかる。
その耳に、遠い声が聞こえた。
「いびつに歪んだこの世界では、あなたこそが誰よりも歪んで見える。でも、そんなあなただからこそ、あたしは――」
危惧していたような追手は、現れなかった。
裁判城の騒動を知っているのだろう、誰もが遠巻きに自分たちを見てくる中、翌日の朝にリリスとサラは『正義の国』を去る。
結局、リリスが悪であろうが、なんだろうが、彼らにリリスは裁けなかった。
正義の国の住人は、自分たちより弱いものをいたぶって、自分たちの正しさを証明しているフリをしているにすぎなかった。
石を投げる側でいれば、石を投げられることはないのだから。
これからもずっとそうして社会を維持し続けるのだろう。
サラはそのことに、なんの感慨も抱きはしなかった。
「本当なら、あなたの傷が完治するまでもう少しいたいのだけど」
「大丈夫だよ、ママ。わたしならもう平気。こんな国、一刻も早く出たいよ」
「……そうね、ごめんなさい」
リリスは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
別にこの国に立ち寄ったのは、彼女のせいではないのに。
サラが意識を失ったあとリリスは、その場にいた皆に薬のありかを問いただしたらしい。
だが結局、伝染病の特効薬をもっているものは見つからなかった。
無駄足だったのだ。
サラの命の残量は、残り一瓶。
それが尽きれば、病に冒されたサラは死に至る。
だからこそふたりは、旅を続けているのだ。
少しだけ落ち込んだように見えるリリスを見つめながら、サラはなんとなく思う。
人を斬り殺すことになんのためらいもない残虐な母親。
サラの一挙一動に気を遣って、優しい笑顔を見せる母親。
そのどちらもリリスであり、人は単純に悪や正義という言葉では片づけられないのだろうな、と。
「それでは、いきましょう」
「うん」
次の国へ。
リリスとサラ。その旅はまだ、終わらない。
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