二話 ファーストコンタクトⅠ
九都征十郎の視界には、木々一つ見当たらない岩場が広がっていた。
死んだ土地。誰も住まず、何も育たず、何人も踏み入らず。
未開というよりかは、やはりここは『死んでいた』。
「……ここで、大きな戦いが起こったのかもしれない」
言ったのは征十郎の背中にしがみ付いている少女、ステラ。なぜそんなとこに居たのかは分からない――征十郎もステラ自身も分からない――が、ともあれ二人一緒なので文句は無い。
背中から降りたステラは周囲を見渡して、こくりと首を傾げる。
「どこ?」
「さあ」
「住んでた世界と、空気が違う」
「空気? すうううう……何が違うの?」
「……」
半眼でじっと睨まれた征十郎は誤魔化すように口笛を吹いて歩き出し、どこか呆れたような足取りでステラが後ろを着いていく。
空気が違う。ステラがそう言ったのは、そのままの意味である。
ステラ――《氷星の乙女》と呼ばれる人造生物兵器『デスピニス』が有している固有能力は、世界そのものに干渉するものであることから、彼女は世界そのものに触れた経験を持っている。
だからこそ分かる。ここは、住んでいた世界とは異なる――異世界と言える空間だと。
ゆえにこの世界には、《デスピニス》は存在せず、《デスピニス》を操る者『演装者』達が住む人工島『乙女島』も存在しない。完全の元の世界と隔絶された異次元なのだ。
「征十郎」
「ん?」
「どこに向かってるの」
「さあ」
「緊張感無い」
「……そうでもねえよ」
敗北は世界の消失を意味する。普通なら信じるに値しない絵空事だ。
しかし、征十郎は見せられた。実際に己が世界を失った男の姿を。消え去った世界を。
あれが作られた映像とは到底思えなかったのだ。なぜか強く信じてしまう、現実味があった。
「絶対に負ける訳にはいかない。ああ、緊張感はすげえよ、前の操演祭よりもはるかにな」
「征十郎も信じるの? 杏美もどきの話」
「どっちでもいい。だってよ、勝ちゃ同じだろう?」
負ければ消失。勝てば助かる。ならば真偽など気にせずとも、勝てば何も起こらない。
もしそこで、他の世界を犠牲にしてしまっても、優先されるのは己の世界だろう。
見ず知らずの世界の為に、友の全てを犠牲にする訳にはいかない。
九都征十郎は、聖人などではないのだから。
「だから戦って勝つ。まあその先で、こんなことに思いついた連中をぶっ飛ばせばいいさ」
「そうだね。最悪、固有能力でこの宇宙ごと崩壊させればいい」
「それ、俺らは元の世界に戻れんのか?」
「分からない。でも今は固有能力使えないし気にしなくてもいい」
「は? 使えないってどういうことだ?」
「なんか、変な呪いがかかってる。簡単に突破できないというか、たぶん無理かも」
「うーん……まあ乱用したかねえしいいけど、他に問題は無いのか?」
「うん。他は大丈夫」
最大の切り札を封じられた征十郎は少し肩を落としながら岩場を進んでいく。
しかし、行けども行けども何も見えない。広がる一面の岩肌。
水平線の向こうに建物の影すら見えやしない。
空を仰げば、太陽は頂点に。昼と知った瞬間、お腹が唸りを上げる。
「腹減った」
「岩食べる? カルシウムとか豊富そう」
「俺にカルシウム必要か?」
「無いね」
そんな会話をしていた二人の顔をゆるやかな風が吹き抜けた。
涼しげないい風だ――そう感じた直後、二人の体を暴風が襲う。
あまりにも唐突な現象。理解よりも先に体が動いていた征十郎はステラの手を掴み、宙を舞い踊りながら唱える――《展開》と。
瞬間、ステラの体が蒼く発光。輪郭を薄れさせ、形を崩し、光は征十郎の両腕を包み込む。
瞬間、収束した光は蒼銀煌めくガントレットとなって、その形を確定させた。
征十郎は拳を打ち鳴らし、風の発生源――こちらを睨む少年を、睨み返した。
「テメェ、名前は?」
「名乗る必要があるか?」
「あるさ。何せ、世界を賭けて戦り合うんだからなァ」
暴風は収まり、征十郎は難なく岩肌に着地。
風を起こした少年――緑と赤の瞳を持つ少年は、短く、どこまで簡素に、一言。
「木葉詠真」
対して征十郎は、たった一言に限界まで感情を込める――歓喜と愉悦を。
「九都征十郎だ」
直後、吹き荒れた暴風が征十郎の全身を叩きつけた。
☆ ☆ ☆
九都征十郎という男からまず感じられたのは、狂気じみた戦闘意欲。
世界が賭かっていると言った彼自身が、世界を軽んじていると思わざる得ないほどに。
――その男は、この戦いに喜びを感じていたのだ。
詠真には理解できない。これほどの絶望的状況の中でなぜ笑っていられるのか。
「……なんだっていい。俺は大切な人達を守る。お前の世界を消し去ってでも」
木葉詠真の持つ力――超能力『四大元素』が空間を蹂躙する。
風の力によって発生する暴風は征十郎の動きを制限し、『殺すつもり』で放った火の力が、圧倒的熱量の火炎放射となって視界を埋め尽くした。
しかし。
瞬きの一瞬。
火炎放射は二人の間を通る氷の柱となって、やがて微細な粒子と砕け散った。
「氷の超能力……いや、違うか」
超能力は、あくまで詠真の住む世界に存在する異能だ。
九都征十郎が住む世界に存在する力が超能力である保証は無い。注目すべきは両腕を覆うガントレットだ。あれは少女が変化した武装。そこから既に超能力とは別物であると感じる。
何方かと言えば『魔法』に近いかもしれない。『魔法』は詠真の世界に存在するもう一つの異能なのだが、如何せんその知識が薄い為何とも言えない。強いて言うなら、そちらに近いという話だ。
ともあれ、能力は判明した。
「……英奈、待ってろ。絶対に、お前を失ったりしない」
誰よりも大切な妹の名を口にして、自分の覚悟を再認識する。
世界を守る。突然の出来事だからと迷っている暇なんてない。
妹の元に一刻も早く帰る。その為にも世界を守らなければならない。
「悪いな、他人の世界に構っている暇なんてないんだ」
「そりゃ俺だって同じだ。だから戦う。んで勝つ。けどその過程ぐらい、楽しんだっていいだろう?」
「緊張感のない奴だ」
「さっきも言われた」
やり取りを絶った詠真は、背中から四本の小竜巻を発生させる。小竜巻はまるで翼のように羽ばたく挙動を見せ、詠真の体が軽やかに空へ舞い上がる。
視界に広がるのは永遠に続く岩場――否、一か所だけある。地帯を断絶する深い崖が。
視線を下ろし、眼下に捉えるは初めて会った、殺し合う運命にある少年。
もし出会い方が違えば、なんて思うのは止める。この手が躊躇してしまうから。
赤の瞳が茶へ変化――能力に応じて変わる虹彩が強く、強く、開かれる。
「行くぞ」
「来い」
風が唸る。上空から撃ち落とす竜巻が征十郎の頭上を埋め尽くし、そちらへ視線が向いている間に岩場から無数の岩柱が突出――人間一人程度楽に圧殺する自然の猛威が牙を剥く。
どう躱すのか。あるいは躱せず終わってくれればいいのに。
そんな甘い考えを打ち砕くように、戦場に度し難い轟音が響き渡った。
「すげえな、一体いくつ能力持ってんだコイツ」
征十郎は上空に掲げた右腕から展開されている巨大な氷の楯で竜巻を完全に防ぎ、地面から突出した無数の氷剣が岩柱の全てを貫き砕き、氷の結晶に変貌させていた。
死角からの同時攻撃に対して完全な対応を見せた征十郎。詠真は彼のスペックに驚愕を覚えると共に、不可思議な現象に己が眼を疑わざるを得なかった。
竜巻を防いだ征十郎の右腕は衝撃を殺しきれなかったのか、半ばから骨折していた。その歪な形を詠真は確実に目にしたし、幻覚のそれもあり得ない。だというのに、瞬きの次には、へし折れた右腕の形が綺麗さっぱり元に戻っていたのだ。
「治った、のか……」
己の目を信じるなら、そういうことになる。
ともすれば、小さなダメージを与えても意味は無いのかもしれない。
一撃で、完全に、再生できないダメージで、斃さねばならない。
ならばどうするか。あの楯でも防げず、再生もさせず斃すには――考えて。
――崖から落として、上から押し潰す。
嫌になる、自分が。殺すことを前提で物事を考えてしまっている。
だがそれも仕方ないだろう。敗北は許されない。
戦って、勝つ。世界が賭かる戦いで、生温い勝利が許されるとも思えない。
そうするしかない。ならば、そうするしかないのだろう。
脳内で蘇る。昏い空間で見せられた哀れな男の光景が。敗北し、世界が消失し、誰一人として消えた事さえ自覚できず失われた無常の現実。
その男の名は分からない。だが分かる、それが真実の出来事なんだと。
ゆえに、本気になる。勝たねば、と。殺さねば、と。
「楽しむなら、一人で勝手にやってろ……夢の中でな」
荒れ狂う暴風の風速が上昇する。下から上へ、高速回転する上昇気流が岩盤をめくり上げる。
ここは、上昇気流域――スーパーセルにも迫る暴虐の嵐が顕現していた。
詠真の口と眼の下部分から血が垂れる。ここまで体を酷使する超能力の使用は初めてだ。
それほどの覚悟。敵が何人いるかは分からない。もしかしたら彼一人かもしれない。
だったらなおさら好都合。これで全てが終われば、それに越した事はないのだから。
「名前は覚えたよ、征十郎――」
はるか上空へ打ち上げられた男の名を呼ぶ。依然として笑みを浮かべる男の名を。
対した精神だ。羨ましい。でもそれが仇となって、お前は俺に敗北するんだよ。
せめて、歓喜の中で死ぬといい。
「――その笑みも、きっと忘れない」
意思を持った上昇気流が征十郎の体を崖の上に運び、逆転、下降気流となって撃ち落とした。
凄まじい速度。崖が深ければ深い程、最後の衝撃は強大なモノとなる。
見下ろす限りでは底は見えない。流石にこの衝撃を耐えられる存在は無いだろう。
天より見下ろしながら、詠真は勝利を確信した。
「――――ひか、り……?」
――地の底で瞬いた黄金の光に、その眼を細めながら。