何者
ウィリディス侯爵の感情が爆発しそうになるのを抑えて引き攣った顔を見ている者は、この場に居ない。
皆、目の前の女の姿をした化物に魅入っている。
極められた『武』は『舞』に通ずる。
あまりに洗練された無駄の無い動きが、闘いの中で舞う巫女の様に人々の視線を引き付けていた。
しかし、その美しさに見とれて呆けている訳にはいかない兵達は、自らを鼓舞して武器を奮う。
だが、どの攻撃も流れる様に躱され、いなされ、その力を利用されて兵士は地面に叩きつけられた。
初撃で見せた魔法の様な力を使わずに、今は技だけで数多の兵をなぎ倒している。
それが手加減である事が誰の眼にも明かで、いっそうウィリディス侯爵の神経を逆なでした。
「何故たった一人の女を始末出来んのだ!?魔導士隊を前に寄越せ!魔法なら避けれまいっ!」
後方の兵士に命令を出すべく、怒りを乗せた大声で叫ぶウィリディス侯爵。
それに反応した兵士達が慌ただしく動き出し、後方で控えていた魔導士部隊が前に進み出て魔法の詠唱を開始する。
それに気付いた化物――女性は独楽の様に回転し、周りにいた兵士達を弾き飛ばした。
女性の周りに誰も居なくなったのとほぼ同時に詠唱が完了し、炎の魔法が発動する。
十数人に渡る魔導士達が魔力を掛け合わせて放った炎は、轟音を上げてうねりながら女性に襲いかかった。
「喝っ!」
炎は空中で何かに衝突したかの様に霧散した。
女性がそれを発勁ですらない只の気合いで掻き消したのを見て、魔法を発動した魔道士達は全員青ざめた。
侯爵の怒りが頂点に達しそうだったので最上級の魔法を選択して放ったのだが、それは一瞬で消し飛んだのだ。
しかも相手には全くダメージを与える事無く。
だが、無様を晒したままで終わる訳に行かない魔導士達は、直ぐに次の魔法の詠唱を開始する――が、それが許される筈も無く、目にも止まらぬ速さで次々になぎ倒されていった。
その異常な迄の強さを見て、味方である筈の黒豹ラルドまでが相対していたグラディアと距離を取って尋ねる。
「ミキ殿……あなたは一体何者なのだ?」
少なからず戦闘には自信があったラルドだが、ここまで桁が違う強さを目の当たりにしては茫然自失してしまう。
そして突きつけられたのは、
「私はあなたの妻です」
「いや、俺達まだ結婚してないですよね?」
既成事実をでっち上げるという暴挙だった。
「遅かれ早かれするのならば、未来の出来事であろうと真実です。それは宿命なのです。最早逃れる事など出来ないのです」
力説する美紀の背には、絶対逃がさへんでぇという捕食者のオーラが漂っていた。
戦闘力で圧倒的に上を行かれてしまったラルドは、逃げるという選択肢を心の中から消さざるを得なかった。
ラルドに出来る事は最早、適当な理由を作って事を先延ばしする程度しか無いだろう。
「そ、それはさて置き。ミキ殿がそれ程強いとは驚きました。俺の方が足手纏いの様ですね」
自嘲ぎみに呟いたラルドの一言に、美紀は即座に反応する。
「その様な事はありません!私の強さなど夫を支える一助に過ぎないのですよ!ラル様あっての私ですから!」
「え、あ、そうですか……」
美紀の扱いを今一つ掴めないラルドは、曖昧な返事を返すだけだった。
「ラルド。貴様は我が父を殺しておきながら、妻を娶って自分だけ幸せになろうなどと。絶対に許さん!」
ラルドと美紀のやり取りを聞いていたグラディアが発した言葉に、ラルドは眼を見開く。
「グラディア、どういう事だ!?お前の父を俺が殺しただと!?」
「しらばっくれるな!」
ラルドの声は怒りに捕らわれたグラディアの耳には届かない。
グラディアは大剣を振りかぶり、一足飛びで再びラルドに襲いかかった。
縦横に振られる大剣を、身体強化で高めた運動能力で辛うじて交わすラルド。
「その女、何やら勘違いをしている様ですが、私が無力化しましょうか?」
美紀の提案に、ラルドは闘いながらも首を横に振る。
「いや、そこまでされては男が廃る。こいつは俺にやらせてくれないか」
「分かりました。夫を立てるのも妻の役目。露払いはお任せ下さい」
恭しく礼をした美紀は、アイン王国軍に向き直る。
「露扱いとはふざけおって。全軍をもってあの化物を殲滅しろ!」
声を張り上げたウィリディス侯爵は、ふと自身の後ろの気配に気付く。
「どうしたのですか父上。あの程度の奴など我が護衛のスカルラットに始末させましょう」
ウィリディス侯爵の息子である金髪の青年ヴェルデが、後方の馬車から降りて話しかけた。
「早くマリアを奪い返しに行きたいですから」
ヴェルデの呟いたマリアという言葉を美紀は聞き逃さなかった。
「ラル様、奴の言うマリアとは我々の知るあのマリアですか?」
「ああ……」
美紀の問いに大剣を避けながら頷くラルド。
「そうですか。あの様な品性の欠片も無さそうな奴に、マリアを渡す訳には行かないですよね」
その美紀の言葉を聞いたラルドは一瞬耳を疑った。
「ミキ殿はマリアを疎ましく思ってるかと思ってたが」
「心外ですね。私はマリアを結構気に入ってるのですよ?第一夫人の座を譲る気は無いですが、真正面から私に向かってくる気性は親友になれそうだと思った程です。」
自身に想いを寄せる二人が親友になれそうという事に、ラルドは妙に温かい何かを感じていた。
「そうか、スカルラットがいた!ヴェルデ、スカルラットを呼べ!」
「承知しました」
余りにも想定外の事態に直面したせいで切り札である達人の存在が頭から抜けていた侯爵は、息子の護衛にと付けていた剣の達人を呼ばせる。
軍の様子を見て待機していたらしく、スカルラットは間を置かずに姿を見せた。
「女を斬るのは久し振りです。余りに弱い生き物を斬ると剣が鈍るのですが、一人で一軍と闘える強者であれば不足は無いでしょう」
口上を述べてユラユラとした幽鬼の様な動きで細身の剣を抜きながら、スカルラットは美紀に近づいて来た。
細身の軟らかい剣をユラユラと振る事で相手の距離感を欺く剣技を使う達人。
多くの強者と闘って来たスカルラットは、一瞬の油断も無く間合いを詰めていく。
金さえ積まれれば誰にでも付くという下衆な男ではあるが、その実力は異世界屈指と言っても過言では無い。
そのスカルラットの剣が美紀を捕らえ――ることは無かった。
首筋に手刀を浴びたスカルラットは白目を剥いて崩れ落ちる。
一瞬の交錯は、瞬きしていなかった者ですらその眼に捕らえる事は出来なかった。
「な、何が起こったのだ?」
冷や汗が頬を伝うウィリディス侯爵の疑問に応えたのは美紀だった。
「幻覚を見せて間合いを偽るとか、姑息なだけで大した技じゃないもの。気配で間合いを計って手刀を入れただけよ」
あっけなく達人を倒した女性に、畏怖を覚えて兵達はその場に立ち尽くした。
「いったいミキ殿は何者なんだ?」
戦闘中にも拘わらず、どうしても呟きを抑えられないラルドだった。




