孫
瞳が虚ろなまま見開かれ、体からは黒い湯気の様なオーラが立ち上る。
茫然自失した様に立ち尽くす八雲の側で、勇者は狙い通りとほくそ笑んだ。
「「お前、お兄ちゃんに何をした!?」」
美紅と美緒が、勇者に向けて左右から拳を突き出す。
数年前の紅林雄人であれば躱す事は適わなかっただろうが、勇者として一年間研鑽してきた彼にはそれを行える技量が備わっていた。
それでも達人級の美紅と美緒の攻撃は、勇者の焦燥を呼び込める程の威力がある。
「うわっ!相変わらずえげつない攻撃してくるね」
一足飛びに距離を取って勇者は仲間の後ろへ後退した。
美紅と美緒は深追いせずに、一先ず勇者を引き離した事に安堵して、即座に八雲に駆け寄る。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
美紅と美緒が八雲の両腕を掴んで揺するが、八雲の眼は一点を見つめたまま動かない。
そうしている間にも、八雲の体から立ち上る黒いオーラは徐々に増していく。
達人級の強さを持っていると言っても、美紅と美緒はまだ中学生。
突然の事態に対応出来る程、肝が据わっている訳では無い。
その点だけで見れば、八雲は若干十六歳であるにも関わらず大人並みに対応力があると言えるだろう。
だが今はその肝心の八雲に異常が起こっている。
兄の異変に動揺する美紅と美緒は、何とかしようと辺りを見回す。
その二人の眼に映ったのは、この大変な時に勇者の相手を放り出して、携帯型魔導通信機で誰かと話しているアランの姿だった。
「うん、今動画送ったよ。そんな感じで良かった?うん。うん。じゃあ、ノヴァちゃんにも伝えておくよ」
通信を切って、「ふう」と一息付いたアラン。
その背後に二つの影が迫る。
「ぐはっ!!」
背後から不意に蹴りを食らい、アランはもんどり打って地面に頭から突っ込んだ。
「おいこら、何してんだよ、お祖父ちゃん」
「おいこら、何してくれてんだよ、お祖父ちゃん」
「ちょ、ちょっと待って!今説明するからっ!」
背中に蹴りを入れた双子の憤怒の形相に、慌てて取り繕うアラン。
「「じゃあ、早く説明して!」」
実の祖父と言えど今日会ったばかりの者に容赦する気は無いと、怒りに燃えた二人の瞳は語っていた。
後ろめたい事があるのか、魔王の威厳も全く無い表情で滝の様に脂汗を流すアラン。
即座に体を起こして、正座し直すとボソボソと事情の説明を始めた。
「僕の娘のティエンが組織の首領なのは知ってるよね?そのティエンに勇者の使う瞳術の映像を撮って欲しいと言われたんだ。世界の混乱を狙っている勇者なら、魔王である僕に瞳術を使う可能性が高いからね。だから本当は僕に使う瞬間を携帯型魔導通信機に付いている撮影機能で映像にするつもりだった。でも、何故か勇者はヤクモに瞳術を使おうとしたので、その後僕に使って来るかは分からないし、ヤクモには悪いけど妨害せずにそのまま撮影させて貰ったんだ。映像はティエンに送ったから、解析して対応策を見つけてくれる筈だし、きっと心配要らないよ」
それを聞いた美紅と美緒の眼が今迄内包していた怒気を消して、冷たい光りを放ち細められる。
「「ふ~ん、そう」」
双子の表情からは憤怒の形相が消えたにも拘わらず、魔王は背中に冷たい物が走るのを感じた。
美紅と美緒は魔王アランの正面で片膝を突く。
そして、魔王の鳩尾へ向けて本気の拳を撃ち込んだ。
「ぐえぼっ!!」
口から液体を多量に吐き出してその場に蹲る魔王アラン。
「「次にお兄ちゃんを囮に使ったりしたら、欠片も残さず消滅させるからね」」
「は、はい……」
双子の威圧に本気で萎縮している魔王は、力なく返事を返すしか出来なかった。
その様子に気付いた四天王の一人、赤髪の美女が戦闘中にも拘わらず、怒りを顕わに双子の元へ跳んでくる。
「貴様ら、魔王様に何を!?」
「ま、待って。彼女達は悪く無いから。僕のせいだから落ち着いて」
「しかし……」
赤髪の美女が美紅と美緒に攻撃しようとするのを、魔王は双子の前に飛び出して何とか止めた。
納得いかないといった表情を見せる赤髪の美女だったが、背後に迫る気配を察知して振り返り迎撃する。
「戦闘中に他人の心配とは余裕じゃないか」
「貴様如きに何の注意が必要か?」
大剣を振りかざして襲い来る大女を相手に、赤髪の美女は微塵も動揺を見せない。
或いは本当に余裕なのだろう。
相手の大剣を軽々と素手で裁く赤髪の美女は、美紅と美緒から見ても相当な手練れである。
青髪の青年はアレアの魔法を手で弾く様に防いでいる。
黄髪の男は、その大柄な体躯からは考えられない程俊敏に動き、白猫の獣人が他の戦闘に介入しようとするのを防ぎ続ける。
しかも三人とも戦闘中にも拘わらず、勇者が魔王に攻撃を加えない様に牽制もしている。
四天王と言うだけあって、勇者のパーティに全く引けを取らない実力者達だ。
これだけの実力者が居ながら、前回の戦闘で魔王が勇者に不覚を取ったのが美紅と美緒には信じられなかった。
「何で前回は勇者に負けちゃったの?」
「あの四天王の人達が居れば負けないでしょ?」
双子の疑問に魔王は少し困った顔を見せる。
「この前は四天王が不在だったから、僕一人で闘ったんだよ。それに勇者はまだ本気を出していない。……いや今は、そんな事よりヤクモの方を何とかしないとね」
魔王と美紅と美緒は勇者を警戒しながら、八雲の側へ駆け寄る。
魔王が八雲の額に右手を翳すと、黒いオーラの膨張が止まった。
「この辺にある魔力を吸い込んだのか。その中に僕の呪いに触れた魔力が混ざっていて『怨嗟の声』と『膨らむ憎悪』を取り込んでしまったみたいだね。きっと今のヤクモの心に呼応したんだろう」
魔王の右手から黒い光りが出て八雲の額に吸い込まれると、体から立ち上っていた黒いオーラも体に吸い込まれる様に消えた。
虚ろだった眼は閉じられ、意識を失った様に八雲は倒れた。
「呪いって事はお祖父ちゃんのせいなんじゃん」
「ちゃんと責任とってよね、お祖父ちゃん」
八雲を安全な所へ運びながら文句を言う双子に、魔王はタジタジになってしまう。
「いや、だからお祖父ちゃんは止めて欲しいなぁ」
「「じゃあ、じじい」」
「お祖父ちゃんで結構です……」
八雲の件で完全に孫達に強く出れなくなった魔王は、起き上がろうとしている魔導兵器の頭部で捕らわれている少女に視線を移す。
「なるほど、彼女の事でヤクモは憤怒に飲み込まれたんだね。償いとして彼女を助け出すために本気を出すよ」
そう言った矢先に美紅と美緒は魔王をキッと睨んだ。
「「最初からクライマックスとか言ってたくせに本気じゃなかったの?さっさと本気出せ!」」
「はい……。孫が厳しい……」
本気のオーラを立ち上らせた魔王の後ろ姿には、孫に怒られる祖父の哀愁が漂っていた。




