侯爵
心地よい春の風が、少し開いた窓から入り頬を撫でる。
朝食を済ませたウィリディス侯爵は、香ばしさが漂う紅茶を楽しんでいた。
毎朝のルーティンと化している程の嗜好の時間。
だが、彼の大切な時間は無粋なノック音に邪魔される事となり、侯爵は苛立ちを覚えながら紅茶をテーブルに置く。
「入れ」
朝早くからの訪問に心当たりがある侯爵は不平を心の内に秘め、声を荒げる事無く扉の向こうの人物へ入室を促した。
侯爵の了承を得て入って来たのは、茶色い短髪の初老の男だった。
「朝早くに申し訳ありません。緊急の御報告がありまして」
「うむ、聞こう」
各地に密偵を放っている侯爵にとっては既に把握している程度の内容だと予想できるが、万一に備えて確認を怠る事はしない。
「昨夜、第二王女ハルナ様が何者かに攫われ現在行方不明との事です」
頼りない部下としては上々の報告であった為、侯爵は叱咤を控える事にして何かを考える様に目を閉じた。
実際に攫われたのは今朝だという事、この男がここへ来るより早くエッセル共和国を経由してクアトロ王国へ連れ去られている事等、全て侯爵は密偵からの報告で知っているが、あえて言及しない。
道化の様に安易な報告をしてくる部下を態とその様に扱っているのは、自身の本質を周りに悟らせない為の偽装だ。
勿論部下から己の悪事が露呈するという無様は晒さない様に注意を払ってはいるが。
「そうか」
侯爵は揚々と告げる部下に一言だけ返すと、先程テーブルへ置いた紅茶に再び口を付けた。
その反応が予想外だった部下は困惑を顔に浮かべ、侯爵に詰め寄る。
「そ、それだけでございますか?」
「そうだが、何か不満か?」
「い、いえ不満という訳ではありませんが。この機に乗じて第一王女の継承権を確実なものにするべきかと……」
男の浅慮に嘆息した侯爵は、紅茶をテーブルに置くと威圧を込めて眼を細め茶髪の男を睨み付ける。
「機を読めぬ程愚かなのか貴様は?私が表立って第一王女に付いた後、第二王女が無事帰還したらどうなる?現在の情報だけで思索する事は身を滅ぼすと何故分からんのだ」
口調は穏やかながらも圧倒的な威圧感に茶髪の男は身を竦めた。
「も、申し訳御座いません。差し出がましい上に浅はかな考えを述べてしまいました」
「うむ」
「で、ですが……」
「なんだ?」
少し言いづらそうに茶髪の男が口を噤むが、意を決して侯爵に進言する。
「確かな情報では無いのですが、ハルナ様を攫ったのは勇者であると」
「ほう……」
「仮にそうだとすれば、その勇者からハルナ様を奪う事が出来る者等、そうはいないかと思いますが?」
侯爵が笑みを浮かべたのはその情報が価値ある物だからでは無く、思っていた程無能では無かった部下に感心したからである。
勇者の動きを僅かでも掴んでいる茶髪の男。
その評価を少し上げる事にした侯爵は、少しだけ手解きとして知恵を与えてやる事にした。
「勇者召喚……」
「は……?」
唐突に変えられた話題に頭が追い付かず、素で聞き返してしまう茶髪男。
「勇者召喚は今回5つの国で失敗したと報告されているが、鵜呑みにして良いものと思うか?」
侯爵の問いに湯気を出すのでは無いかという程頭を全力で回転させてみるが、何を言いたいのかすら理解出来ずに聞き返す事しか出来なかった。
「それはいったいどういう事でしょう?」
「勇者召喚を成功させたエッセル共和国を除く、5つの国の情報を精査してみた。結果、実は全ての国で勇者は召喚されていた」
「な、なんですと!?」
驚愕の事実に茶髪男は眼を見開いた。
「正しくは、一度召喚されたが返還されたという事らしいが」
「返還……で御座いますか」
「うむ。しかもその返還した理由が各国共通しており、『容姿の異常な醜さ故に』ということだった」
「そ、その様な事で国家間の戦力差すらも覆す勇者を返還するなどっ!」
「年端も行かぬ娘達が召喚しているのだ。易い感情に身を委ね、愚かな行為を行う事もあろう。だが、問題はそんな事では無い」
「と、仰いますと?」
「勇者召喚は月の魔力の満ち欠けに影響を受ける為、各国に召喚の時差が出来る。同時では無かったが故に、同じ人物が時を置いて召喚されたのでは無いかと私は思うのだ」
「なるほど、それで返還した理由が一致すると」
「だが、六カ国目であるエッセル共和国で召喚された者は醜い容姿では無かったという」
「ど、どういう事でしょう?」
「勇者召喚は、異世界で最も勇者の資質を持つ者を召喚する。五カ国目のスィフル王国が返還を行ったなら、エッセル共和国でも同じ人物が召喚されていたはずだ」
「つまりスィフル王国が勇者の存在を隠蔽していると?」
「いや、報告では確かに召喚は失敗したとある」
「……益々分かりません。無知な私に答えを教えて頂けますでしょうか?」
降参とばかりに頭を下げる茶髪男の素直さに、侯爵は思わず口の端を歪めて微笑する。
「スィフル王国が気付いていないだけで、返還されなかった勇者がこの世界のどこかに存在するという事だ。先日愚息のヴェルデに付けた護衛のスカルラットが妙に強い白髪の男と一戦交えたそうだ。剣の達人であるスカルラットが仕留めきれなかった程の者なのに、全く知らぬ顔だったそうだ」
「あのスカルラットが仕留めきれなかったとは……」
「そして、ヴェルデに言わせると、その者の容姿は『異常な程醜い』」
「ま、まさかその男が……」
「まだ確証は無いが、そんな奴が仮にハルナ様を救出に向かえば勇者相手でもどうなるか分からぬだろう」
「なるほど」
漸く理解が追い付いた茶髪男は、侯爵の力が己など到底及ばぬ域にあると悟り、身震いを禁じ得なかった。
この方に進言する等無意味だ。
僅かでもお役に立てるだろうという思い上がりが、そもそも浅慮であった。
自分如きの助け等有っても無くてもこの方にはどうでも良い事だろう。
そう考え反省と共に落胆し、茶髪男が部屋を後にしようとした時、ふいに侯爵が声を掛けた。
「早朝にも関わらず、報告御苦労であった。今後も励め」
たった一言で鼓舞された茶髪男の心が単純なのか。
いや、それすらも侯爵の掌の上なのだろう。
叱咤された事も忘れたかの様に満面の笑みを浮かべ、茶髪男は侯爵の部屋を後にした。
悪業を行いつつもカリスマ性を損なわない。
そして、敢えてトップである王座には就かずに権力の殆どを握る男。
そのウィリディス侯爵は漸く落ち着いて紅茶を飲める事にほくそ笑む。
「まったく、勇者の奴め。勇者召喚の失敗の責任を取れと言うから、第二王女を差し出してやったのに情報がダダ漏れではないか。足がつく事は無いと思うが用心はせねばな。もっとも他国は軍事出兵等更に無茶を要求されておる様だし、我が国は僅かな被害で済んで万々歳といったところか。後は余計な真似をしているハエ共を駆除するとしよう。」
侯爵の物騒な独り言を聞いていたのは、春風を受けて波紋を揺らす紅茶だけだった。




