自分勝手な男
学生時代の恋人と再会した。
憎みあって別れたわけではない。
小さなケンカをおさめられないまま卒業。
そのまま、気まずくて連絡をとらないままの自然消滅。
数年して俺は、会社で後輩の女の子と交際し、結婚。
子供もできて幸せに過ごしてた・・・はずだった。
「ずっと、君を愛していたよ。」
とささやけば、彼女は消えてしまいそうな声で
「うれしい。」
と返してくれた。
そっと、抱きしめるときゅっとしがみついてくれて、二度と離したくないと思った。
溺れるように彼女を愛した。
いや、彼女に溺れていた。
すっかり、慣れて日常となってしまった妻や子供との幸せを遠くにぼんやりと感じるだけになるほど。
彼女の動作ひとつひとつに気をとられて、それ以外は目に入らなくなっていた。
もともと、仕事の都合で帰宅も遅かったし、急に泊り込みで仕事をすることもあった。
社内恋愛からの結婚だった妻はその辺も飲み込んでいて、何も怪しまなかった。
妻に知られることよりも彼女を失うことの方が怖いと俺は思い込んでいた。
俺と並行して彼女に思いを寄せる若い男がいることを知った。
負けるものかと思った。
彼女より年下の男に恐怖して何が何でも彼女を渡すものかと・・・
俺の下でかわいい喘ぎ声を出す彼女がもし、その男の下でも・・と思うと気が狂いそうだった。
彼女を手に入れるためには俺には妻子が邪魔なものでしかなかった。
確かに愛したと思っていた妻を裏切り、『寝返りができた』『つかまり立ちができた』と成長を喜んでいた愛息を捨てることになっても。
いや、息子とは親子なのだから、離婚しても俺の子だ。
一緒に暮らせなくても愛することはできる。
できるだけのことをしてやろう。
俺は会社でもエリートといわれている。
収入も、同期よりはるかの多いらしい。
別れた妻子を苦労させることなく、やっていけるはずだ。
離婚を切り出すと、妻は呆然としていた。
俺の様子がおかしいことに気がついていたが、まさか、離婚までとは・・・?というところか。
しかし、妻は取り乱すこともなく涙ひとつながさなかった。
淡々と離婚に応じて、慰謝料や養育費については弁護士に任せると言った。
妻のたてた弁護士は離婚裁判を得意とする女性で、金銭的にはかなりの条件を提示してきたが、一刻も早く離婚したかった俺はもめることなく了承した。
後で、思い出せば、涙を流すことすら出来ないほどの衝撃を与えていたのだと思う。
妻はがんばりやで女子大育ちで男に頼ることを知らない女だった。
それでも、俺と付き合いはじめて段々俺に甘えてくるのは可愛かった。
そこがいい、ずっと甘えさせてやりたいと思って結婚したのを忘れていた。
俺の両親は妻を出来た嫁ととても気に入っていたし、長男のこともとても愛していたので、俺は勘当された。
結婚のときに生前贈与されたイナカの土地は慰謝料として妻の名義に書き換えられ、息子にも別の土地が贈与された。
俺と、再婚してできる子供にはなにも残さないと遺言書も書かれた。
再婚相手とは顔もあわせたくないと宣言もされた。
そうして、俺は学生時代の彼女を手に入れた。
わずか2ヶ月で全てを失うとは微塵も思わず・・・
今になって思えば、違和感は結婚する前からあったのだ。
俺の記憶の彼女と違うと感じるところがあちこちに。
でも、そこも新鮮だな・・・なんて恋に浮かれていた俺は楽観していた。
毎日一緒にいるとそれはなんだか生活に影を落としはじめた。
喜ぶと思ったプレゼントにあまり、喜ばない。
昔は二人で好きだった料理が今は全く異なる。
読む本が違う。見るTV番組が違う。
彼女との生活がそんな違和感の積み重ねでちょっとギクシャクし始めたころ、仕事にも離婚の影響がでた。
別れた妻は同じ会社の後輩だった。
俺との結婚で仕事をやめ、家庭に入ってもらっていた。
仕事もできる女で職場では入社して3年で、すでに評価が高かった。
それを辞めさせるなんて・・・と当時は冗談っぽくではあったが『恨むぞ』などと、言われた。
なのに、子供まで作っておきながら浮気して離婚、浮気相手との再婚。
評価が下がるのは必然だった。
それまで、好意的だった女子社員の俺への態度が冷たくなった。
妻と同期だった女性はそろそろ役職についたりもしていて、俺への風当たりも穏やかではない。
女性に嫌われると、仕事はこんなにやりにくいのか・・・
まだまだうちの会社は男性優位ではあるが、女性がフォローしてくれないと仕事はスムーズに回らない。
仕事のできる男であると思っていたが、自信を失ってきた。
「山梨ですか?」
「ああ、所長のポストに空きが出た。30前半で所長だ。大出世だな。」
出世のわけがない。
山梨は毎年、閉鎖するかしないかでこの10年ずっと議題にあがっている営業所だ。
地元企業が強く東京に本社のある我が社はなかなか食い込めないでいるのだ。
左遷だった。
「ついてはいけないよ。私も仕事あるんだもん。」
以前ならかわいいと思ったふくれっ面にイラッとした。
30もすぎて、『もん』とかバカじゃないのか・・・と思った自分に愕然とする。
どうしたんだ、俺は・・・
再婚早々に俺は単身赴任となり、山梨へ向かった。
休みにやってきた彼女は、俺の身の回りのことなど全く気にすることなく、観光地を楽しそうにまわって帰っていった。
次の休みは自分が東京に帰るなというと、友人と約束しているから帰っても一緒にはいられないよとの返事・・・。
だめだ・・・と思った。
このオンナは自分以外を愛していない。
だから、このオンナは30まで独身だったのか・・・
俺を忘れられなかったんじゃないんだ・・・
自分の生活を人に合わせることができないんだ。
だから、独身だったのか・・・
それとも30まで独身だったからそうなのか?
いや、30過ぎて独身の女性がみんなそうなわけではないので、彼女自身の問題だろう。
そんな彼女と、社会人になって仕事を覚えるのに必死だったときに結婚して、いつの間にか生活を妻に甘えきっていた俺が合うわけがなかった。
彼女と別れていた8年は彼女も変えたが俺も変わっていた。
そこには別れた妻との生活も確かに影響していた。
今更、別れた妻の泣いた顔を思い浮かべて、俺は後悔の涙を滲ませる。
泣くほど、元妻が離婚を嫌だったのかすら分かっていないのに・・・。
男性ははじめての女を忘れられないといいますが、良くも悪くも年月は人を変えるのです。あなたが愛した女性は過去にしかいません。彼女が愛した男性もね。