マッチ売りの少女 3/4
『マッチはいかが?マッチはいかがですか?』
少女の姿は深々と降り積もる雪の街角にある。薄いぼろ切れのような服に赤いポンチョを羽織り『一本でもいいです。マッチはいかがですか?』と寒さに震えながらマッチを売っていた。
『後で迎えに行くから家で大人しくしてろ』とアレクに約束させられ、一度は家に帰ったが・・・あんなことがあった後では、吹き込むすきま風の小さな物音ですら身体が勝手に反応し怯えて震えだす。結局、落ち着かず飛び出してきてしまったのだ。
「ねぇ、さっちゃん。あの子のマッチ全部買ってあげたらどうなんの?悪魔に連れて行かれないし、アレクって人のお嫁さんになれる?」
少し離れた場所でマッチを売る少女を見守っていた二人だが、読んでいた本を思いだしたのか雪の眼はずっと潤んでいる。
どうなのか分からず「う~ん」と返事に困る幸子の代わりに答えたのはベルだった。
“それは駄目だ。絶対ダメ!ちょっと待ってよ。何考えているんだ”
頭ごなしに物凄い剣幕で怒るベルに「なんで駄目なの」と雪の反抗心がムクムクと芽生えてくる。
「ベルだってハッピーエンドがいいと思うでしょ。よし、やっぱりちょっと行って全部買ってくる」
走り出した雪の顔の前にいきなり立ちはだかる・・・ならぬ飛びはだかったのはベル。
野球ボールを顔で受けたような衝撃、痛さに雪は鼻を押さえてその場にうずくまる。チラリと横眼でベルの様子を窺えば、自分よりも遥かに大きな雪にぶつかっては想像以上のダメージだったようで、新雪に叩きつけられ身体が半分埋もれていた。
ピクリとも動かないのは気絶でもしているのか?ここまでして止めようとするベルに雪の直感が警告を鳴らす。
(きっと、まだ何か隠してる!)
どんなに鈍くたってこれでは気づかない訳がない。埋もれたベルの足を拾い上げ逆さにぶら下げる。何を隠しているのか問いつめようとすると後ろにいた幸子から声が上がった。
「あっ!危ない!馬車が」
見れば、もの凄い速さで少女に近づく馬車が一台。少女は全く気付いてないようで馬車に背を向けたまま『マッチはいかがですか』と声を上げている。その間も馬車と少女の間は縮まっていく。
思わず飛び出す幸子。
とっさに少女を突き飛ばせば、よろけた形で馬車を大きく回避したが靴は片っぽ脱げ落ち、マッチはカゴからこぼれそこらじゅうに散った。
しかも脱げ落ちた靴はそのまま車輪に引きずられていく。だが、少女の靴を壊したことに気付かずに馬車は走り去ってしまう。
呆然と馬車を見送る少女とその少女を見つめる幸子。
(この子が私・・・?)
駆けつけた雪の『大丈夫?』と言う大きな声に少女がハッと自分を突き飛ばした幸子へと顔を向ける。とたんに眼が合う二人。
けれどその瞳は直ぐに逸れた。頭を下げ『あの・・・ありがとうございました』と幸子へしっかりお礼を言った少女はヨロヨロと立ち上がり、雪の上に転がるものに近づく。拾い上げたそれは、踏み潰され、かろうじて人が履ける形を保っている底の抜けそうな靴。
手にした靴を見下ろす少女の横顔に悲しみが浮び唇を噛みしめていた。
この少女は泣くのを我慢している。
なぜかそう感じとれば、ふいに幸子の胸に湧き上がってくる気持ち。
―――とくん。
(恥ずかしくて。悔しくて、悲しくて・・・)
胸が締めつけられる。これは、あの少女の気持ちが流れ込んできたものだと幸子にはすぐにわかった。
底の抜けそうな靴を再び履いた少女は、気を取り直して雪の上に散らばったマッチを拾って籠に入れ始める。
なぜか少女を見つめたまま手伝おうとしない幸子を不思議に思いながらも雪が一緒にマッチを拾ってあげた。
(あっ!そうだ)
その時、雪の脳裏に幸子の持っていたマッチが思い出された。
(この子にあげていいよね?)
自分たちが持っているよりこの子にあげたい。この子の方がよっぽどマッチが必要そうだと考えた雪は幸子へ近づく。「ねぇ、さっきのマッチをあの子にあげたいな~と思ってるんだけど」
さっちゃんは、どう思う?と小声で尋ねると幸子はボンヤリとしたままマッチを取り出し雪に手渡してくる。
(これって、あげていいってことかな?)
少女に分からないように拾ったマッチに混ぜ込み「寒いのに大変だね。はい、これ頑張ってね」と励ましながらその冷えてかじかんだ手にマッチを返してあげた。あまりの冷たさに握りしめる手に力が必要以上にこもってしまったが許して欲しい。
雪の物怖じしない人懐っこい笑顔に少女もつられて『ありがとうございます』と明るい笑顔を見せてくれた。
前を歩く少女に見つからないように二人はかなり離れて追いかける。
少女の靴は少しも歩かない内に底が抜けてしまったようだ。
困り果てている少女の後ろ姿をじっと見つめていた幸子が、ふと靴のことを思い出した。
「・・・あの靴、お母さんのお古。大きくてぶかぶかして、いつも脱げそうだった」
“思い出したのか?”興奮気味に尋ねてくるベルの声も幸子には聞こえてないようだった。
「あの靴は宝物。あの靴一足しか持ってなかったのに壊しちゃったのね」
呟く声に抑揚がない。いつもと様子が違う幸子を雪は心配し声をかけてみた。
「さっちゃん。大丈夫?」
だけど幸子の耳には届かないのか、片方の靴が脱げた足で歩き続ける少女を見つめ続ける。
直に雪を踏みしめる少女の足はみるみる間に赤くなり、時々立ち止まっては、つま先やかかとを手で温めようとするが無駄だった。
『ふぅ、もう痛くて歩けないわ』そう小さく呟いた少女は立ち止まり、キョロキョロと辺りを見渡すと家と家の間に寒さを少しだけ凌げそうな場所を見つける。
『ちょっとだけ・・・ほんのちょっとだけ』と自分にそういい聞かせ、路地に入り込み小さくうずくまった。小さな足を重ね合わせ、ないよりはましと底の抜けた靴を足にかぶせている。マッチの入ったカゴをおろして赤くかじかむ手をこすり合わせては、はぁ~と息をかけていた。
カゴの中のマッチを見つめる少女の瞳には黒い絶望が滲む。
『お家に帰りたい。でも・・・あの家は嫌よ。それにお金がないわ。これじゃぁ、お父さんに打たれてしまう』握りしめた両手の上に溢れてた涙が落ちる。
「寒くて、疲れて、泣きたいわけでもないのに自分がもどかしくて、悔しくて」
やはり呟く声に抑揚がない。雪は幸子を心配し声をかけ続ける。
「さっちゃん?ねぇ、さっちゃん?」ゆすってみようと幸子の肩を掴む雪を“やめるんだ!!”と諫めたベルが“邪魔をしてはいけない!!あぁ、今にも思い出しそうなんだよ”と嬉しそうにキラキラ舞う。そのキラキラに無性に腹が立った雪が「さっちゃんの様子がおかしいのに喜ぶなんてどうかしてるし、キラキラうるさい」とベルに喰ってかかれば、ギャーギャーと言い合いになる。
そこに、一人の老婆が少女に近づいてることに気づきもしないで。
『おぉ、お嬢さんどうしたかね。たいそう寒そうにして。なに?マッチが売れなくて困っていると?可哀想に可哀想にねぇ。では、この婆が十本ばかし買うて行こうかねぇ』
マッチと引き換えにお金を貰う。老婆がきつく口角を上げて笑ったが、少女はポケットにお金をしまうのに下を向いて見てないようだ。
「あの悪い笑い方!!ねぇ、あれって間違いなく悪魔だよね?どうしたらいいの?あの子から無理やり悪魔を引き離せば良いの?」
“待ってよ!むやみに話しは、変えられない。もう少し様子を見よう”
「待ってて、さっちゃんやあの子に何かあったらどうすんのさ!」
“駄目だ”今にも飛び出して行きそうな雪をベルの固い声が止め、幸子の目を真っすぐに見つめる“エスポワール?器は君なんだ。何か思い出せないのか?”君しかできないことなんだと幸子に語り掛けるベル。
「やだやだ。どさくさに紛れて、さっちゃんをそんな変な名前で呼ばないでよ」
“・・・雪、今は大事な話をしてて”はぁ、とため息一つ呆れるベルに雪はこれも大事な話だと突っかかる。そんな二人に、幸子は首を横に振り申し訳なさそうに「ごめん」と謝るしかできなかった。
その間も物語は進んでいく。
『この寒い中、働き者のお嬢さんへ。この婆が、ご褒美をあげましょうか。マッチの炎を良く見てごらん。素敵なことが起こるから』
『でも…』折角、買ってもらったのに自分の為に使うなんて、と遠慮しようとする少女をいいから、いいからと遮りながら老婆がマッチをこする。少女は仕方なしに炎をジッと見つめた。
すると不思議なことに炎の向こうに勢いよく燃える暖炉が見えたのだ。『えっ?』と驚きながらも恐る恐る手をかざせば『お婆さん、すごいわ。暖かいの。あぁ、すごく暖かいわ』
もう少し、もう少し近くで暖まりたいと更に手を伸ばせばマッチの火が消える。すると暖炉もかき消すようになくなってしまった。
『あっ・・・』がっかりする少女に雪と寒さが戻ってきた。暖かさを一瞬でも知ると寒さがより身体に染みる。
『おや?消えたかね。じゃぁ、次は二本一緒に擦ってみようかね』
少女のために老婆は、またマッチを擦る。一本の時より明るい光が茶色いレンガの外壁を照らしたと思えば、少女は室内にいた。暖炉は赤々と燃えおり、急いで火に近づき当たっているとどこからかいい匂いがしてくる。部屋のテーブルには、ごちそうが並んでいた。
しかし、貧しい暮らしをしていた少女がわかる御馳走は、湯気をたてた七面鳥の丸焼きだけ。それでも他の色とりどりの物も美味しそうに見えた。
『あぁ。おいしそう』
その時、すうっとマッチの火が消える。二本まとめたマッチは一本の時より良いものを見せてくれたが燃え尽きるのも早く、ごちそうも部屋も、あっという間に消えてしまう。
少女が、がっかりしていると老婆は何も言わず、三本のマッチを擦って少女に手渡してきた。受け取った少女の前に再び、暖炉とごちそうが戻ってくる。けれど少女は、暖炉の前に立っている人をを見た途端、暖炉もご馳走もどうでもよくなった。少女の大きく眼は大きく見開かれ、息をすることも忘れて暖炉の前に立つおばあさんを食い入る様に魅入っていた。
『おばあちゃん・・・』
少女は、死んだはずの大好きなおばあちゃんに触れようと手を伸ばす。するとマッチの火は消える。
『あっ・・・』
『お嬢さん。婆のご褒美は、これが最後だよ』
そういった老婆が四本のマッチを擦った。すると不思議なことにマッチを買ってくれたあの老婆が、あの優しいおばあちゃんとなって目の前に立っている。少女の眼に涙が浮かび、視界がかすむ。『おばあちゃん』と呼ぶ声は震えていた。
『おばあちゃん・・・本当はおばあちゃんだったの?』
少女は思いきり抱きついて、泣き始めた。
『おばあちゃん、わたしも連れてって。もう離れたくないよ』
おばあちゃんが首を横に振る。
『…。もう、消えてしまうよ。マッチを、お前の持っているマッチをありったけこすっておくれ』
それを聞いた少女が、マッチを一本を壁にこすりつけ火をつけ、籠の中に投げ入れた。籠に入っていたマッチは、大きな火を作り出し少女とおばあさんを照らしだす。
『あぁ、可愛いお前。泣かないでおくれよ』
『おばあちゃんの手、あったかいわ』
『お前の手は冷たいね。でも、これからは何も心配いらないよ。お前が頑張れば幸せになれる所へ連れて行ってあげるからね』
そう言って、少女の手を引き、おばあちゃんは歩き出す。
『お前に会えて嬉しいよ。あぁ、嬉しいねぇ』
「ねえ。もう本当に連れて行かれるよ。もういいでしょ?」
じれた雪が、少女が連れて行かれると騒ぎだす。ベルもギリギリだと判断したのか頷こうとしたが幸子が待ったをかける。
「待って、あの子の様子が変よ?」
少女が、足を止めじっとおばあちゃんを見つめていた。
手を引かれておばあちゃんについていこうと歩きだした少女の視界にふと、おばあさんの影がはいった。その違和感に首をかしげて繁々とおばあちゃんの後ろ姿を眺め足を止めてしまった。何気ない行動だったがもう少女の足はおばあちゃんについていこうとしない。
動こうとしない少女に気付いたおばあさんが振り返り訝し気に見つめる。
『ねぇ?おばあちゃん、どうして・・・その、そう。おばあちゃん・・・私の名前を呼んでくれないの?』
影の事を切り出せずに誤魔化して、別の質問をした少女に老婆の眼が少しかげった。
『あぁ、名前かね。もちろん覚えているよ。ただちょっとばかし、度忘れでもしたかね?』
『私の名前、忘れたの?思い出して欲しいな。おばあちゃん?』
わざと明るい声をだし『後でゆっくり思い出すよ』と手を強く引くおばあさんに少女は、今がいいのと甘えてた振りをして足を止め続ける。お婆さんが宥めても何もしても少女は動こうとしなかった。
『だから、ど忘れしたって言ってんだろう!!!』
そんな少女に堪えきれなくなり、おばあさんが怒鳴る。仕事もせずに飲んだくれている父親の暴力や怒声から、いつも優しく庇ってくれたお婆ちゃんが声を荒げる姿など見たことがなかった少女の体は竦み上がりますます強張った。
『あぁ、怒鳴ったりして悪かったね。お前がごちゃごちゃうるさいこと言うからさ。ほら、行こうかね』
少女のご機嫌をとるようにおばあちゃんが顔を歪めて笑いかけてきた。とうとう怖くなった少女は、手を振りほどき一歩後ずさる。
『あなたは、私のおばあちゃんじゃないわ。行かない!あなたとは一緒に行かないわ!!!』
『・・・・・・はんっ』
お婆ちゃんが揺らいだと思ったらゆっくりと黒いフードをかぶった女に変わっていく。
『もう遅い。ヒヒヒ、嫌でも来てもらうさね!あたしの靴を履いてる以上、あんたは逃げられないんだよ!!』
怪訝な顔になる少女。
『靴・・・?この靴は、死んだお母さんのおさがりよ。あんたの靴じゃないわ』
『お前の履いてる靴は、確かにあたしのお古だよ。ヒヒ。そうだよ、あたしは死んだ。お前が殺したのさ。お前の稼ぎが悪くて薬もろくに買えず、苦しんで苦しんで死んだ。お前のせいでね』
『そんな、私の?・・・本当のお母さんならそんなこと言わないはずだわ』
『お前は母親が無条件で娘を愛するとでも?お前は、若さ健康もあって。だからお前の名前をあの方に捧げ、代わりに力を頂いて魔女となったのさ。お前は、気づいていたかい?皆がもう誰もお前の名前なぞ、とっくに呼ばなくなっていたことに。…。…。…。ほら、どうだい?お前の名前を何度呼ぼうとも無理なのさ。ヒヒ。さぁ、拒んでも無駄さね。大人しくついて来ればいいんだよ』
魔女の指がスイスイと動く。すると少女の履いてる靴が、足ごと勝手に一歩前へ出た。驚いた少女は尻餅をつき、雪の冷たさも気にせず座り込んだまま靴を見つめる。
『ヒヒ。これからお前の魂は私の物だ。あたしはね、ろくでもない男達のせいで幸せになれなかった。だからお前を使って、ありとあらゆる男を不幸のどん底に叩き落として復讐してやるのさ。お前は今日、嫌な目に合わなかったのかい?あれはお前の父親を誑かしてやったのさ。ヒヒ』
魔女の瞳が、憎しみで赤く染まっている。少女はイヤイヤと首を振るが、魔女は腕をむんずと掴んできた。
『ほら、来るんだよ!』
ぐいぐいと引っ張り起こそうとし、靴は前へ前へ行こうとバタバタしている。
少女は、思わず底の抜けた方の靴を脱ぎ捨て、今だ燃え続けるマッチの入った籠へ投げ込む。
『な、何故だ?』
靴が抜けたことに驚いた魔女の不意をついて手を振り払う。少女は立ち上がるともう片方の靴を履いたままの足を靴ごと火の中に突っ込んだ。
『やめろ!!やめろぉぉ~。何故だ?マッチごときで、マッチ如きの火で私の靴が燃えるなんて!!!ぎぎぃゃぁあ~』
魔女からは何とも言えない叫び声があがり、靴が燃え始めると魔女の身体にも火がつき燃え始める。少女は動かなくなった靴を急いで脱ぎ捨て、壁際に身を擦り寄せ、小さく蹲った。
(お母さん)
母の燃える姿を見たくなくて眼を閉じる。
『助けておくれ。熱い、熱いよ。…、母さんを助けておくれよ』
叫び声を聴きたくなくてきつく耳を塞ぐ。
(お母さん・・・お母さん・・・お母さん)
頑なに眼を閉じているのに涙が溢れ止まらない。
(ごめんなさい・・・ごめんなさい)
唇をきつく結んでも嗚咽が漏れる。
(私は、二度も母親を殺すのね・・・)