マッチ売りの少女 2/4
「何ごれぇ、悲じすぎだよ~。可哀相すぎるよ。さっちゃんが、さっちゃんが、悪魔に…嫌だよ、さっちゃん死なないでよぉ~」
雪は読み終えたばかりの切ない少女の物語に号泣し、隣に座る幸子の存在をしっかと確かめるように力強く抱きついて離さない。
「いやいや。大丈夫だから、雪ちゃん。ただのお話だから。ねっ、泣かなくていいから」
雪の肩を軽く撫で、慰めながらも幸子はベルを振り返り話し掛けた。
「でも、何だか不思議なの。こんなお話じゃないっていう違和感は確かにあるんだけど何が違うのかはいまいち分からないんだ。ベルは正しい物語がわかるの?」
ベルは、少し考えて首を振る。
“魔人が物語をどう変えたかは、僕にも分からない”
そう言ってベルは、雪の膝から本を取り上げ幸子の前に置いた。
“この物語のヒロインのは幸子だ。そのヒロインの器を持つ君が本の世界に触れてみれば、すぐに思い出すかもしれない。とりあえず皆で幸子の物語に行ってみようか”
幸子がテーブルに置かれた本に視線を落とし、隣に座る雪を見ればいつの間にか泣き止んでおり少し赤い眼で一つ頷く。
再び本へと視線を戻した幸子が「じゃぁ、行くよ?」と本を開く・・・が、本は本でしかない。どうして良いか解らず幸子はベルを振り返った。
「ねぇ、どうやって入るの?呪文とかあるの?」
“まさか。面白いことを言うね。難しく考えないでいいよ。君らは仮とは言え契約が結ばれているんだ。本に入る意志さえあれば、そのまま飛び込めるから大丈夫なんだよ”
ほらこんな風に、と開きっぱなしの本にベルが吸い込まれるように入って行く。幸子も後を追おうと躊躇いつつ指先を本に突っ込んでみた。
「えっ?」
次の瞬間、不思議なことに幸子は薄いピンクと濃いピンクがまだらに交差のする空間に立っていた。
どこを振り返ってもピンク色の空間が広がっているだけ。どこに向かって歩けば良いのか分からないまま取りあえず一歩足を踏み出せば、前方に虹色のアーチがかかった。
(うわぁ~)
みごとな虹のアーチに幸子は魅とれる。
その時、ふいに幸子の脳裏に一瞬、セピア色のまるで古い映画のような映像が映りこんだ。
『…。虹がでたら根方を探してごらん。虹の根方には、宝物が埋まっているんだよ』
(虹?あれは・・・)
優しい声に温もりに包まれた記憶に目頭と鼻の奥がツンとなる。どうしても気になって、思い出したくて、全速力で走った。
虹の根方に到着した幸子は、手が汚れるのも構わずに掘り返す。いくらも掘らない内に出てきた物は小さな箱が一つ。
そこに幸子の背中に走ってきた勢いのまま雪が飛びついてきた。
「さっちゃん?こんな所で何、ぼーっとしてんのぉ?早く行くよ~」
「ねぇ、雪ちゃんは知ってる?虹の根方には宝物が埋まってるって話し。ほら見てよ。これが出てきたんだ」
「えっ、宝物?すごいじゃん!!何?何?」
興味津々に眼を輝かせた雪に小さな箱を拾い上げて見せた。
「これだよ」
幸子の手に握られた箱。それを開けると中には数本のマッチ。雪は、横であからさまにがっかりしたようで頬を膨らませる。
「えっ、マッチ?宝物って程じゃないよ~。一体、誰に聞いた話しなのさぁ?」
「うん、誰だったかな?私のことを膝に抱いてくれて・・・そう教えてくれた人がいたの」
再び幸子の脳裏にあの光景が思い浮かんでくる。
けれど雪から「ふ~ん。もういいから行こうよ」と腕を取られ引っ張られたとたん、あのイメージは夢から醒めたように遠くへいってしまった。
それでも諦めきれずにマッチを一瞥するが、もう戻ってくることのないままにポケットへしまうことになった。
少女らが、虹のアーチを過ぎると白く輝く大きな扉が現れる。一足先に本の中へ潜ったベルは、扉の前で待ちくたびれた様子だった。
“もう、やっと来た。遅かったじゃないか。早いとこ扉を開けるから”
ベルが、手を触れると扉はスゥ~と何の音もせずに開いていく。幸子と雪は、手を繋いでその光景を眺めていた。
“ほら、行くぞ”
幸子と雪を振り向きもせずにベルは、一人扉をくぐり抜けて行ってしまう。二人は緊張に息をのみ、繋いだ手に軽く力を込めて一歩踏み出した。
光輝く扉を抜けると少女らは、見知らぬ森にいる。眼の前には、廃墟当然のボロボロな家か小屋か分からないものが一軒。
屋根はたわみ歪んでおり、布がかけられていた。どうやら屋根に穴が開いているから布をかけたのだろうが、布も朽ちてぽっかり穴が開いて意味がない。壁にも隙間があり、眼をこらせば建物の中の様子が十分に見えそうだ。
これは、どう見ても人の住めるような家ではないと少女らは判断し人が住んでいる所を探そうとキョロキョロ辺りを見回す。
そこに五十過ぎの太鼓腹の男が、こちらに向かって坂道を上がってくるのが見えた。
二人が、とっさに近くの茂みに隠れると男は前を通りすぎて行く。するとあのボロボロの小屋の扉をノックしたのだ。
中から男の返事が聞こえたかと思うと勝手に扉を開けて入って行く。
「人・・・住んでた」
「うん。人が住めるんだね。じゃぁ、マッチ売りの少女はこの家に住んでいるの?さっちゃん、ねぇ?何か思い出さないの?」
幸子は、首を傾げ「さっぱり思い出させないや」と答える。腕を組んで「うーん。どうしたら思い出せるんだろうね?」ハハハと笑ってみた。
「そんな人事みたいに!!駄目だよ。早く思い出さないと魔女に魂を連れてかれちゃうでしょ!」
いつもとは逆に雪が幸子をいさめる。雪に怒られた幸子は「私だって悪魔に連れて行かれるのは嫌だけど」としょんぼりとなる。
“まぁまぁ、雪。幸子をそう責めないであげなよ。物語に入るだけで思い出すなんて都合よく進むとは思ってないから。ここで君らに大事な話しがあるんだ。実は君らには、聖女様が念のためにって用意した別の力があるんだよ。その力を使って物語を真の終わりに導き、器の輝きを完全に取り戻してほしいんだ。そうすれば聖女様の用意された力もかなり強力なものになるからね”
この力は本当に凄いから!としきりに言うベルに幸子はどんな力なのか興味が湧いてくる。
「へぇ、用意がいいね。まるで聖女様には全部がお見通しみたいなんだね?それで、どんな力なの?」
これを聞いて、幸子のことを出来る限り眼を見開いて見つめた雪とベル。
ただし、その表情はまるで違う。
どうせ聞いた所でろくなことにならないだろうと思い無視を決め込もうとした雪。
「!!!なんで聞くのさ!」
嬉しそうに“一度で覚えてくれよ”とニヤニヤしているベル。
「えっ?あっ、ごめん。えっ、ちょっと・・・」 と、訳も分らず雪に謝る幸子をベルは、少し離れた場所へお構いなしに引きずって行った。
しゃがみ込んで「えぇ~」だの「うっ」だの困惑しながら何かを聞きいている幸子の様子に雪は、もう嫌すぎる予感しかしない。
聞き終えた幸子は、ふわふわした足取りで戻ってきた。心なしか照れているようにも見えるけど、とりあえず雪は呼んでみる。
「ねぇ、さっちゃん?」
すると幸子が、いきなりガバッと手を振り上げた。
「【希望】のあかり灯す・・・エスポワール!」
叫んだかと思えば、胸の前で手を組み祈るような仕草をする。そして全身は淡い光に包まれ、コスチュームが変化していくのが見えた。
マッチの炎のイメージそのままの赤であしらわれたワンショルダーのオーバードレス。
スカート部分は赤と白の二種類の生地が重なり、腰の辺りから白い絹が斜めに切り返し、可愛らしいフリルが揺れる。胸元についた印象的な大きな白いリボンも斜めについていた。
最後にキメポーズ。
後ろ姿に片手だけ腰に手を当て、顔と肩をこちらに向けてくる。
それは、幸子の元気なイメージにぴったりだった。
それを眺めていたベルが、感無量といった感じでうんうんと大きく頷く。
それとは、反対に二人の少女の間に気まずい沈黙が落ちる。
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「ひぃぃん。だってやれってベルが言うから」
幸子は耐えきれず、べそをかきながらしゃがみ込む。
「!!!」
めったなことで泣き言を言わない幸子が・・・雪は駆け寄って幸子の背中を撫で、フォローを口にする。
「さっちゃんは、やりきったよ。立派だった。でも、もうアイツの言うこと気安く聞いちゃダメだかんね。アイツこそ悪魔だと思う」
やっぱり持つべきものは友達!と感動に先ほどの恥ずかしさも忘れ幸子は泣き止む。
“もう、僕は悪魔じゃないぞ。これは大いなる力を使うには必要なんだから!”
ベルが嬉々とし、雪をビシッと指さす。
“一度しか教えないからな!よく見ておくんだぞ!!【正義】は私の心にあり、ジュスティス。キメのポーズは・・・こう、横を向いた状態から、後ろで手を組んで全力でこっちを向いて正面に見える様に!とにかく一番、元気っ子に見えるように跳ねるのが大事”
唖然としてる二人を置き去りに、ベルは一人でやりきった。
“もう疲れたよ・・・・・・パト○○シュ”と呟き、勝手に灰と化していった。
灰のまま戻って来なければいいと二人が考えていると風に吹かれ灰は飛んでいったが、残念なことに速攻で光の玉となってベルは戻ってくる。
“どうだい?これは聖女様が夜な夜な徹夜をし、時には完徹までも厭わずに一生懸命考えていたものなんだ。二人は、これから『追憶の乙女』と呼ばれる戦士になるからね。あぁ、本当に聖女様は素敵な方だ。バツグンなセンスをしてるよ”
一時、その場を静寂が支配するが、二人にはどうしても確認しておきたいことがあった。
「ねぇ、雪はこーゆのよく分かんないけど聖女様って女の人じゃないの?」
“勿論だとも!何を失礼なことを。聖女様は女性だ。いつまでも少女の様な気持ちを忘れない可愛い方なんだ。なんだったかな・・・キメポーズを考えてる時なんて『大きな胸ほど隠すことが真のエロス』って、ひゃっほぅって叫んでたしね。他にすごく気のつく優しいお方なんだよ。衣装や名前とかも細かい指示出し下さってさ。準備とか用意とか本当に大助かりだったよ”
「待っ!・・・・・・今、大きいほど・・・隠すって?」
今、聞き捨てならない大事なことを聞いた気がする。雪が自分の胸を見下ろした。
「さっき、ベルが、だって。雪の時に、胸張れって言ったよね?」
“うん。言ったけどそれがどうした??えっとね、聖女様曰わく胸には種類があって、小さいもの『えぐれから始まり、つるぺた、ちっぱい、美乳、巨乳、隠れ巨乳、ボインボイン、バインバイン…』と名称が続いていくって力説してくれたよ。聖女様がサイズに合わせたポーズのパターンを決めて、後は指示書通りにそれぞれ当てはめるだけだからって。最後は『現場で判断』しなさいって言われたんだ。ちな、資料から判断して雪は、えぐれとつるぺたの中間。だから胸はできる限り張って堂々としてて欲しい”
「え・・・えっ・・・えつ・・・つっ・・・つ」
雪は、自分の胸を見下ろしたまま言葉にならないものを呟いている。
幸子は、まだ他にも色々と言いたいことも聞きたいこともあったが、雪のダメージの大きさにもう何も質問できない。かといって、フォローさえも無理。
この話しは終わりとばかりに大きな声で叫ぶしかできなかった。
「と、とりあえずマッチ売りの少女を街で捜そ~うかなぁ?なんて、ハハハ」
二度目の重苦しい沈黙が訪れる前に移動しようと雪の肩に手を置いて歩き出そうとしたが、行先が定まらずに幸子は振り返って妖精に尋ねる。
「でも、ねぇ?マッチ売りの少女の私が、ここにいるのにマッチ売りの少女を捜すってどういうこと?」
“あくまでも本は、物語を記録した物。言っとくけど年齢や姿形が今の自分と一緒なわけじゃないから捜し出さないと”
「じゃぁ、誰がマッチ売りの少女なのか判るの?どうやって捜すの?」
“そりゃぁ、簡単さ!器を持つ者は自分自身なんだから見たら解るはずだって”
なんだか漠然としすぎて腑に落ちないと幸子が唖然としていると、あのボロボロの家からバンっ!!と大きな音がした。どうやら誰かが扉を勢いよく開いたらしい。
すぐに少女が、一人飛び出してきた。
「しっ、誰か出てきたよ」
幸子が人差し指を口元で立てた。
『わたし・・・マッチ売ってきますので!!』
髪や衣服は乱れ、赤い布が入ったカゴをしっかと抱きかかえた少女が、凄い速さで走り去って行く。すぐに家の中から男の怒号が聞こえてきた。
『おい!逃げたぞ?話しが違うじゃねーか』
『うるせーぞ!お前がグズグズして逃げられたんだろ!』
『なんだ、その言い方は。おい・・・金だ!前金で払ってやった金返せ!!』
ガチャンと瓶が割れた音がした。少女らが興味から家の裏手に回り込み壁の穴から覗くと、そこには恰幅の良い五十男がバサバサ頭に無精髭を生やした男の胸倉を掴んでいる所だった。
『そんな金は、もう酒代に化けてスッカラカンだあ。なあ、もう一度、夜中に来いよ。あいつマッチ売りと家事に疲れ果ててなかなか寝ると起きねえからよ。それだと絶対に逃げられねーだろ』
胸倉を掴まれた男は父親だろうか?ヘラヘラと笑いながら言う。
『・・・夜中だな?』
『あぁ。鍵は開けておくぜ。なあ、こっちだって娘を嫁に出すならあんただと幸せにしてくれると見込んでわざわざ声かけたんだ。早めに頼みたいくらいだぜ』
『・・・そうか』
『そうだぜ。それともうちょい金くれりゃ、俺は今晩帰らずに酒場にでも行っとくがよ?へへへっ。二人きりで新しい年迎えるのもいいもんだろ?』
『ちっ!足元見やがって。これで朝まで戻ってくるなよ!!』
下卑た笑い声の後にダンッと鈍い音がした。
金をテーブルに置いた五十男が、開いたままのドアから出て行く。男が去ったのを確認した父親が、ニヤニヤと金を掻き集め握りしめた。
『うひょぉー。あの爺の言うとおり、マッチ売らせるより金がガポガポ入ってくるぜ。くぅー。どうしてもっと早く気付かなかったんだろうな。これから俺は、酒に困らなくていいぜ』
ひどく悪い物を見た。胸糞が悪いとはこの事としか言いようがない。
「サイテー」と雪はぷぅと頬を膨らませ、軽蔑を眼に滲ませあの男を睨んでいる。
だが、物語とはいえ自分のにとっては自分のことなのだ。幸子は、居た堪れない気持ちになる。
「あの子どこに行ったのかな~。あっちだったかな。早く見失わない内に急ごうよ、ねっ」
雪の腕を取り、少女の走って行った方向に歩いて行くが、街どころかどんどん森が深くなり薄暗くなっていく。
「ねぇ、さっちゃん?本当にこっち?なんか段々・・・」
「うん、確かにこっちに走って行ったのは間違いないんだけど」
と言いながらも歩き続けると急に開けた広い場所に出る。
そこは明るく穏やかな日差しが入り込み、小川がちろちろと流れ、うっすら雪の積もった畑が広がっていた。
そこに先ほどの少女がいる。どうやら野菜の収穫を手伝っているようだった。
その顔には家を走って出てきたあの悲壮感はどこにも見当たらない。明るい笑顔で、同じ歳位の青年に話しかけていた。。
『アレク、これも採っていいの?』
アレクと呼ばれた青年が少女に近づく。畑仕事で培われた逞しい身体は日に焼け、精悍な顔つきをした青年だった。
『まだだ。少し小さいだろ?その隣のやつを採ってくれ。今日はそれで終わりにしよう』
『ねぇ、選別もするの?だったら私も手伝うよ。これ持って先に選別してるからアレクは運んでて?』
『あぁ、助かる』
畑の隅にある小さな小屋に向かい、野菜の選別を慣れた手つきで始めた少女。アレクは何度か往復し野菜を運んでいる。
幸子たちは気づかれないように小屋の裏手にまわり二度目の覗き見を始めた。
『ほら、今日の分だ。持っていけ』
選別も終わり、アレクが規格外の野菜を少女に手渡す。
『アレク。いつもありがとう』
『手伝ってもらったんだ。お礼はいい。ほら帰るぞ』
立ち上がったアレクが少女に手を貸す。先に小屋から出て行こうと扉に手をかけたアレクを少女が小さな声で呼ぶ。
『アレク・・・あの、これ家の前に・・・ついででいいから置いて行ってほしいの』
『・・・。帰らないのか?そういえば来た時、様子がおかしかったな?何かあったのか?親父さんがまた何かしたのか?』
アレクは扉から手を離し、少女の元へ近づいく。
『私が悪いのよ。稼ぎが悪いから・・・そのハンクスさんのお嫁さんになれって。でも、それも無理かもしれない。さっきハンクスさんが家に来て・・・急に抱きついてくるから怖くて、気持ち悪くて・・・わたし、つき飛ばしっちゃったの』
ほんと駄目ね、と言って悲しそうに俯く少女をアレクが抱きしめた。
最初は驚いた少女だったが、華奢な体が拒絶することはない。
『・・・、だったら俺の所に嫁いでこい。贅沢は無理だが、俺が幸せにしてやる』
『!!』
『子供の頃、お前にそう約束しただろ。まさか忘れてないだろ?』
少し間を置いて少女は無言で頷く。何度も。
もっと早く言えばよかったな---と少女の細い顎にアレクの節くれたった手が添えられた。
少女の眼から涙が溢れている。
『今日、帰ったらお袋にお前と結婚するって伝える。今晩、家に挨拶に来い。早い方がいいだろ』
アレクは、もう片方の手で少女の涙を拭ってやり唇を重ねた。
“これ以上の覗き見は駄目だね”
「うん。ここからは、恋人の時間だもん。いいなぁ。うらやましいなぁ」
散々、雪にからかわれ幸子の顔が赤くなる。幸子は、さっきとは違う意味で居た堪れなくなっていた。