在来線駅員の一日
この小説は、学園祭で発表した物です。いろいろ酷いですが、感想をくださると嬉しいです。
今日もいつもと同じ一日が始まる。
「おはようございます」
仕事は、この挨拶で始まる。この挨拶がなければ、仕事をする気にはなれない。思い返してみると、この仕事を始めてから七年位経つ。所謂、中堅というやつだ。この仕事にも大分慣れてきた。今の時間は六時三十五分。すると、構内放送が聞こえてきた。
「もうすぐ一番線に列車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください」
その構内放送が聞こえた約一分後、大勢の乗客が改札口を通り始めたな。この時の俺の仕事は専ら、特殊な切符の受付や乗客からの質問に答える事だ。最初の頃は、もたもたして適切な対応が出来なかったが、今は我ながらびっくりする程のスムーズな対応だ。すると、構内の清掃を終えた部下が駅員室に入室し、くたびれた声で言った。
「清掃やっと終わりました~」
「おうご苦労さん。無いと思うけど、何か問題か何かあったか?」
俺は何の気無しにそう訊いた。すると、予想に反して安田が言った。
「それがですね。トイレにおかしなものがありまして。」
「なんだよ?」
「……どうやら、乗客の誰かがトイレットペーパーで遊んでたらしくて、トイレットペーパーで作られた犬とか鼠とかが散乱してました。勿論片付けましたけど。注意書きでも書きますか?」
予想外の事態に少々驚いたが、さほど深刻では無い事に安心した。――てか誰だよその芸術作品作ったのは。
「余程の暇人だなそいつは。後、注意書きはいらない。エスカレートしてきたら鉄道警察に相談しよう」
心の中で犯人に突っ込みを入れつつも、俺は安田にそう言った。
「先輩。質問があるんですが」
突然安田がそう言ってきた。こいつが改まってこう言う時は碌でも無い時が多い。自分の部屋が中々片付かないとか、マンションの隣人が真夜中に奇声を発するとか、二週間に一回男×男のAVが届くとか。そういうどうしようもない事は俺じゃなくて警察に相談した方がいい。特に最後のは。
「何だ質問ってのは?」
俺がそう言うと、安田は間髪入れずに言った。
「俺はいつになったら窓口勤務にしてくれるんですか? ずっと構内清掃と構内放送じゃ嫌ですよ」
どんな突飛な事を言い出すかと思ったら、割と普通の事だった。
「窓口勤務をするには、切符や列車の詳しい知識が必要だ。じゃないと乗客の質問に答えられない可能性があるからな」
俺がそう言うと、安田は俺が言い終わらない内に言う。
「じゃあ、先輩はここに勤めてからすぐには窓口勤務にはなれなかったって事ですか?」
「まぁな。俺の先輩の話だと、入社してすぐは窓口勤務はやらせてもらえないそうだ。実際俺も去年あたりから窓口勤務をやらせてもらえたからな」
「じゃあ、俺もいつかは窓口勤務をやらせてもらえますかね?」
「お前次第だと思うぜ。ちゃんと勉強しないと窓口勤務にはなれないからな」
「もちろんですよ」
安田とそう会話しながら俺は昔の事を思い出していた。
――俺は七年前にとある鉄道会社に入社した。大卒での新卒採用だったな。入社したての頃は右も左も解らないど素人だったが、七年経った今では、なかなかに仕事が出来ていると思う。この安田という後輩もよく出来た後輩だ。今どきの若者には珍しく滅多に愚痴を溢さないし、まだ入社一年目なのに仕事にもそつがない。もしかしたら俺よりも出来る人材かもしれない。将来が楽しみだ。
その後、数分間はする事もなく、適当に時間を潰した。やがて、次の列車が来る時間になった。安田はあと数十分間休みだ。なので、駅員室で雑誌を見ながら時間を潰している。それから十数秒経った頃に乗客が改札を通り始めた。いつも通り問題なく仕事をこなしていったが、ホームの方から一人の鉄道職員が二人の人を連れてこっちに来た。その鉄道職員は知人で、今は確か列車の運行サポートをしていた筈だ。
「本田、さっきの列車で痴漢事件があったらしいだけど……。ちょっと面倒な事態になってて、俺もこれから別の仕事が入ってるんで任せていい?」
「……? 別にいいが、被害者と被疑者はその二人か?」
「ええそうです。じゃあ頼んだよ」
そいつがこの場を去ろうとしたので俺はすかさず引き留めた。
「おい、ちょっと待て。何かおかしいと思わないか?」
「……何が?」
俺は一つの疑問を持っていた。俺は今29だ。もうすぐで三十路になるが、ボケる年齢にはまだ早い筈だ。俺の記憶が正しければ、痴漢というのは、男が女に働く行為だ。
「さっきお前は痴漢事件と言ったな?」
「ええ」
「ここにいる二人はどうみても二人とも男だが」
俺は、そいつに連れられた二人の乗客を指しながらそう言った。すると、そいつは大して慌てずに言った。
「ええですから、面倒な事態って事です。……それでは」
そいつはそう言うとホームに戻ってしまった。その場には俺と二人の乗客が残った。その中の一人は痩せた感じのビジネスマンで、もう一人の方は少し太った感じのビジネスマンだった。
「……取り敢えず状況を詳しく聴かせてもらおうか」
俺は頭を掻きながらそう言った。どういう状況か全く読めないが、事情を訊かなければ全く進展しないだろう。すると、大柄の男性が喋った。
「この人が俺の尻を触ったんですよ!」
すると、小柄な男も負けじと言う。
「そんなのとんだ冤罪ですよ! ぜんぜん触ってませんし! というか触る気もないし!」
これでは只の言い争いだ。状況は全く見えない。
「そのままじゃ、ぜんぜん話が見えない。もっと解りやすく言ってくれ」
俺がそう言うと、大柄な男はゆっくりと喋った。
「状況も何も、この人が俺の尻を後ろから触ったんですって。しかも数分間」
その男は真剣な表情でそう言った。――困った事になった。こんな事は初めてだ。鉄道警察に言っても呆れられるな。しかし、この男は一体何なんだ? もしかしてオネエ系とかいうやつか? その割には口調は特におかしいところは無いけどな。俺はそういうのに疎いから解らない。すると、小柄な男が懐から何かを出そうとしていた。
「あの、俺急いでるんで、身分証明書を出せば問題ないですよね?」
確かに、氏名と住所が解る身分証明書を提示すれば、現行犯逮捕は出来ない事になっている。この男はそれを知っているんだな。
「おい、なに勝手に逃げようとしてんのや!」
大柄な男はそう言うと、小柄な男を軽く小突いた。
「いてっ! 何するんですか」
「そりゃこっちの台詞じゃボケ! 何勝手にばっくれようとしてんのや! 逃げようたってそうはいかんで」
おいおい、ちょっと待て。なんでこの男はいきなり口調が悪くなってるんだ? さっきと全く違うぞ。
「さっさと認めればいいんじゃ! タコ!」
遂に暴言を吐き始めた。大柄な男は今にも暴力を振りそうな勢いだ。と思っていると、その男は拳を振り上げた。俺は取り敢えずその男の腕を掴んで制止した。
「落ち着いてください。暴力は駄目ですよ」
「何言ってんねん。あんたが早く解決しないからこうなってんやろ?」
意味が解らん。俺はろくに状況も掴めない状態で任されたんだぞ。大体あんた何が目的だよ。男が痴漢の告発するなんて珍しいにも程があるぞ。
「先輩~、どうかしたんですか?」
安田が雑誌の上から目を覗かせながらそう言った。
「いや、別になんでもない。すぐ解決するから大丈夫だ」
「そうですか? ならいいですけど」
安田はそう言うと、再び雑誌を読み始めた。こんな意味不明の状況が安田に解決できるとは思えない。だからここは俺一人でやるしかない。取り敢えず鉄道警察に連絡しよう。
「もういいや、あんた警察呼んでくれ警察。こんなんじゃ埒が開かん」
「それについては、さっき呼びましたんで、もうすぐ来ると思いますよ」
俺がそう言うと、大柄な男は黙って警察の到着を待ち続けた。
やがて数分経つと、警察官がやってきた。
「一体何があったんですか?」
警察官は少し息を切らしながらそう言った。体格といい表情といい、なんか頼りなさそうな警官だ。
「実はですね。どうやら異質な痴漢事件があったらしくて……」
俺はそう言うと、事の経緯をその警官に説明した。すると、その警官は予想しなかった事態に少し戸惑っているようだった。
「なんかあったんですか?」
いきなり、何処からか声が聞こえてきた。その声がした方向を向くと、安田がいた。
「なんだよ。安田は別に出てこなくていいよ」
「いや、そういう訳にもいかないじゃないですか。何か事件があったみたいですし」
「事件と云ったら一応事件って事になるけど、意味不明なんだよな」
俺はそう言うと、安田に事の経緯を軽く説明した。
「う~ん。確かにそれは今まで聞いた事なかったですね。……で、被害者はこっちの大柄な男の方でいいんですか?」
安田がそう言ったので俺は答えた。
「ああ、まぁそうだ」
俺がそう言うと、安田はその男に近づいて行った。
「ちょっとあんた。あんたの勘違いじゃねぇの?」
安田が唐突にそう言った。なんだ? こいつはなんでケンカを売るような事を言ってるんだ。
「は? おまえ誰や? なにしゃしゃりでてきてんねん。その恰好からして駅員の人かもしれないけど、俺はこの痴漢男とそっちの方の駅員と警察官と話してるんや」
その男は俺と警察官を指さしながらそう言った。
「じゃあ、取り敢えず弁護士に来てもらって、それから話をしましょう」
「は? 何で、んなことしなきゃならんのや! こっちで話しつければ済むことやろ」
「ですが、一応専門家をつけた方が良いと思いまして」
「そんなんいらんやん。この男が認めれば済む話や」
太った男は更に語気を強めて言っている。被疑者扱いされている小柄な男は完全にビビっている。
すると、安田が太った男に近づいて行った。
「あんた、調子乗るのもいい加減にしろ」
安田はそう言うと、太った男をぶん殴った。殴られた太った男は少しよろけたがすぐに体勢を立て直した。
「何してんねん!」
殴られた男はブチ切れて安田に殴り掛かった。安田はそれを華麗に捌き、再び相手の頬を殴った。見事な手合いだな…………って違う! 安田がこんな熱くなりやすい性格だった事には驚きだが、早く止めないとまずい。
俺は急いで安田を押さえ込んだ。
「ちょっと先輩何するんですか?」
「『何するんですか?』じゃないだろ! 落ち着けよ」
俺がそう言うと、安田は大人しくなった。俺は太った男が気になり、太った男の方を見たが、殴り掛かって来るような気配は無かった。
その後、弁護士が到着した後に、太った男が訴訟を起こして裁判に突入した。太った男の方は性同一性障害として認められたが、証拠不十分で無罪判決が下った。痴漢で裁判を起こされた場合、例え冤罪と認められて無罪になっても社会的には認められなく、職を失う場合がある。しかし、あの人が職を失ったという話は聞かない。前例が無かった例だけに会社も解雇していいか迷ってるんだろうか? まぁ俺にとってはどうでもいい。
ちなみに俺と安田は解雇された。安田が乗客に暴力を振るったのが原因だ。そして俺も部下の責任を取る形になり解雇された。
『人生万事塞翁が馬』人生はいつ何が起こるか解らない。それを痛感した。
そして俺と安田がゲイになった事は秘密である。